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プロローグ・人より大切なもの

 事が起こる前に、こう問いて置こう。

『全人類を敵に回しても、守りたいものがあるか?』


 この問いに「YES」の意味で答える者は何人くらいいるだろう。

 良くて千人に一人か。それとも、一万人に一人くらいだろうか。

 2016年の年末ごろにおいて、世界人口は73億を超える。ならば、約700~7000万人の範囲で件の問いを肯定する。

 見た目だけであれば少女と呼んでも差し支えのない彼女は、内心でそれを否定した。

(さすがに七千万は、多すぎるかな)


 伊達や酔狂な返答ではなく、本気で全人類を敵に回す覚悟のある者は、一千万分の1ないしは一億分の1ではないだろうか。

 守りたい対象は金か、名誉か、地位か、家族か、愛する人か、それとも親友か、他の何かであるかを並べ立てるので2分間。統計を取ったわけでもない疑問に頭を悩ませて、不毛だと気付くまでに1分間を要する。


 ここ、都会とも、田舎と評するのも微妙な町の簡素な農道を歩く彼女には、その問いに「YES」と答えるものがある。正しくは、『あった』。

 しかし、それが何であったのか、彼女は思い出すことができなかった。


 記憶の片隅にこびり付いているのに、心に大きな穴を空けるほど大切なものだったのに、何故かその存在が彼女の世界から消えている。

 記憶喪失とは違う曖昧で儚い存在。夢と呼ぶにははっきりしすぎている記憶。確かに約束したのだ。


『例え人類の全てを敵に回したとしても、守ってみせるから』

 このことを考えるのは、決まって気が落ち込んだ時である。

 落ちてしまった心を取り戻すように、穴を埋めようと鎌首をもたげる。

 原因は何だったろうかと考えればたいしたことではない。母親と些細な喧嘩をして、ついつい家を飛び出してきてしまったのだ。


「寒い」

 吹き荒ぶ空っ風に震え、紺色の毛糸で編んだマフラーに鼻先まで埋め込む。似たような地味な色合いのトレンチコートに隙間が出来ていないか確かめて、身を屈めるようにして風の当たる面積を少なくする。


 日本人らしい黒髪のボブショート、同じく黒い瞳を眼鏡で覆う、美人とは言えない顔立ち。年は19歳。高等専門学校情報学科4年生、後半年ぐらいで20歳。特筆すべき特技もなく、平凡という字を具現化させたような彼女の名は、(さざなみ) (なぎさ)

挿絵(By みてみん)


 渚の数少ない悩みと言えば、将来の夢と先ほどの答えのでない疑問である。

「早く帰ろ……」

 ざわめく雑木林に背を向けて、冬の夕暮れ時に独りごちる。

 コートのポケットに手を突っ込んでみれば、僅かな温もりと一枚の紙切れ。

 背後に見える雑木林を拓いて建てられていた(やしろ)で、管理人と思しき男性から貰ったお札だ。


 歩を進める農道自体、渚の家から徒歩で十数分のところにある。

 そのため、社の男性について記憶にはないのを少々不思議に思ったものだ。

 なぜ自分のことを知っていたのだろう。

 渚の母――漣 小波(こなみ)と喧嘩をしたことの愚痴を呟いた時、その印象に残らない笑顔と反応を見る限り、小波とは知り合いである可能性が高い。


 そう思うと、外灯や民家も疎らで薄暗くなり始めた人気のない農道も、然程(さほど)怖く感じない。

 帰ったら母に謝ろうと思う。

 喧嘩した理由である将来の進路について解決したのなら、また平凡な日常が訪れる。

 そんなことを考えた渚の自嘲の笑みは、普遍(ふへん)の世界と共に、容易く打ち砕かれることとなった。


 連続的な破裂音が鳴り響いた後、パチンコ玉をアスファルトに投げつけたような騒音が虎落笛(もがりぶえ)を鎮める。

「……ッ!?」

 映画の中でしか聞いたことのない銃声に身を震えさた。

 僅かに視線を足元から数十センチのところへ移せば、弾痕と思しき穴が農道の一部を抉っていた。


 頭が現状を理解しきれず、身体は次の行動に移すのを躊躇う。

(に、逃げる……? 伏せる方が良いの……!?)

 思考したどちらでもなく、渚は背後を向こうとしていた。

 なぜ、と問われても答えなどない。強いて言えば身を滅ぼしかねない好奇心。

 90度ほど視点が移動した次の瞬間、連続した銃声と同時に何者かが渚を抱え上げている。

 声を上げる暇もなく、側溝を降りた先にある田んぼへと転がり落ちた。


「キャッ! いたた……。夏だったら、服が泥だらけになってたところだよ……」

「そんなこと言ってる余裕があるなら、こっちのパーティーに付き合わせても大丈夫そうだな」

 思わず口を突いて出た愚痴に、渚を抱え上げて田んぼへダイブした人物が軽口を返す。渚を庇うように転げたため。張りのある肉に顔を埋めた彼女からその人物の顔を見ることはできない。

 しかし、声音から察するに、女性かもしくは余程声の高い男性だろう。

 頭に感じる胸部の双丘はほぼ女性のそれではあるものの、ウェットスーツのようなゴム質の衣装に阻まれて結論を鈍らせる。

 さらには、渚を抱き締める腕の異様な毛深さに、彼女は動物に抱かれている錯覚さえ覚えていた。


「しかし、驚いたねぇ。人払いの結界の中にいるなんて。ちゃんと働いてるのか、あれは?」

 渚の混乱など他所に、その人物は平然とした様子で言葉を続けた。


「あの……」

「おっと、頭は上げない方が良いよ。あいつら、結界の中で動くものを見ると何でもかんでも撃ちやがるから。一般人が照準を合わせられたら、次の瞬間にゃあ蜂の巣になっちまう」

 結論から言おう。

 この非日常めいた状況の中、日常であるかのように振舞う人物は女性だった。

 渚とそれほど変わらないか、三十路手前。

 ノースリーブのウェットスーツみたいな衣装は整ったラインを強調している。日本人離れした透き通るほどの白い肌と、項の生え際で纏められた金髪の無造作ヘアーに一時だけ目を奪われる。

 羨ましい、と。


 そんな美貌よりも目を惹いたのは、露出させた四肢を覆い尽くす動物の毛であった。

 赤い、紅い、燃え立つ炎の様な体毛。

 そして、側頭部よりやや上部で無造作に跳ねた動物の耳――いわゆる獣耳(ケモミミ)だ。猫科だと思う。


「あ、あの……これは一体どういうことですか? 結界って? もしかして映画の撮影か何かですか? 貴女のそれは、特殊メイクとかそういう奴なんですよね?」

「おいおい、そんなに続けざまに質問されても直ぐに答えられないって……。とりあえず落ち着いて。一つずつ答えてやるよ」

 捲くし立ててくる渚を、獣毛の女性はやや困惑した様子でなだめる。


「えーと、まずはそうだね。私は今、『アレ』に追いかけられてる」

 逡巡した後、渚達が先ほどまでいた農道を指す。

 アスファルトまで高さがあるため直接覗き見ることはできないので、女性が指示した頭上にある田んぼ脇のカーブミラーに映った像を見る。凸面で歪に伸びた『ソレ』を確認することはできた。

 簡単に説明するのであれば、卵型の何か。

 金属かそれに類する硬質素材で出来た卵から細いパイプが生えている。掌から指先になる部分も細い筒状だ。

 それが三体。


「ロボット……? やっぱり、映画の撮影か何かなんですか?」

「『アレ』は無人戦闘用機械って言うらしい。ロボットには違いないから、面倒臭けりゃロボットで良いさ。で、これは映画の撮影とかじゃなくて、子猫ちゃんの前で起きてる現実だって認識して欲しいんだけど、大丈夫かな?」

 渚が出した結論に、女性は言葉を加えた。


「えっと……子猫ちゃんじゃなくて渚って言うんです。漣 渚です。確かに、道路が抉れるってことは、演出とかじゃなくて本物の銃弾だったのは理解しました。それで、ロボットに追われている貴女は何者なんしょう? 映画の撮影じゃないのなら、その手足の体毛も本物ってことですよね?」

「ナギサ、か。オッケー。改めてナギサちゃん、私達のパーティーにようこそ」

「……はぁ」

 ニヒルに決めたつもりなのだろうが、先ほどからいささかお寒い。

 ウケが悪いことを察して、ゲルトルーデと名乗った女性も口角だけを吊り上げて乾いた笑いを漏らす。


「ハハハッ……。まぁ、私の名前はゲルトルーデ。面倒臭けりゃルーデって呼んでくれて良いよ」

「はい、よろしくお願いします。ゲルト、ルーデさん」

「うん、落ち付いたみたいだから良しとしようか。それじゃ、後はどこから話そうかな」

 自己紹介が終わったところで、ゲルトルーデことルーデが話しを続ける。

 もちろん、こちらを警戒しながら近づいてくる無人戦闘用機械という名のロボットには気を向けつつ。


「私は頭良くないし、状況が状況だから大雑把で申し訳ないけど。まず、私は魔物だよ」

「えッ?」

 ルーデの口から飛び出してきた単語に、渚が示せた反応は文字にして僅か三つだけだった。

 それは、決してルーデがファンタジーに出てくる架空の存在だと、カミングアウトしたことに対しての驚愕ではなかった。

 認知や疑問の言葉を並べるよりも早く、頭痛に苛まれたからだ。

 ルーデは渚の異常に気付かず、頑張って自身の存在について噛み砕いて説明するのに努めた。


「『魔界』ってところに住んでる人ならざる者の総称だよ。まぁ、信じられないのは無理もないだろうけどさ」

 いかに荒唐無稽な話かは、正常な思考を持つ者なら明白だろう。普通なら、一笑に伏して「ゲームの話か何か?」と受け流すようなことだ。

 頭を鈍痛が襲う。心臓が早鐘を打つ。


「うぅ……ふぅ……ッ」

 古い記憶がフィルムをなぞるように流れ込む。

 今まで純白に染まっていたフィルムの一部がぼんやりと埋まっていく。米神に手を添え、胸元を握りしめ、肩で息をする。

 そんな渚に、漸くルーデが異常を察した。


「お、おい……さっきのでどこか打ったのか? 私ぃ、こんなんだからッ、倒れても病院とか連れて行ってやれねぇぞ!?」

「だ、大丈夫です……。おかしな話ですけど、私……。なぜかこの状況に納得してると言うか、認識していると言うか。とにかく、ルーデさんの言ってることが全部嘘じゃないって思えるんですッ」

 なぜなのか分からないが、渚にはそう感じられた。多少違えども、過去に一度、自分はこうした状況に遭遇したことがある。と。

 も卵型のロボットに命を狙われている状況ではなく、『魔物』と称する存在と遭遇したことに関してだ。


「……そ、そうか? まぁ、信じてくれたなら話を進めよう。私は魔物の中ではライカンスロープ種って呼ばれていて、もう少し細かく言うならワーキャット種に分類されるんだ」

「人狼とか、そういう類の魔物でしたっけ? ゲームか漫画の設定ぐらいしか分かりませんけど」

「そうそう。それで、人に紛れることが出来る種族だから、向いている任務があるわけよ。私らって、魔物側のスパイなんだ」

「す、スパイ……?」



ご意見、ご感想、アドバイス、いつでもお待ちしております。

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