第一話 死神の仕事
気が付くとそこは、真っ暗闇だった。
どこまでも続く暗闇の中、俺は地面と天井の区別もつかない、そんなものがあるのかも分からない状態で、大の字に寝そべっていた。
「……どこだ、ここ」
「どこも何も、あなた死んじゃったのよ。ご愁傷様」
「うぉっ……!」
声をかけられて思わず起き上がったところで、世界に天地が生まれた。天地開闢とはまさにこのことだ。いや、たぶん激しく間違っている。
俺はスーツ姿だった。確か、就職の面接に向かう途中だったような気がする。
それがどうしてこんなことになっているのか、これが分からない。
「死んじゃったというか、私の役目は、ランダムにあなたの世界の魂を間引くことなのね。他の世界に送り込んで、バランスを取らないといけないの」
そんな恐ろしいことを、まるで世間話でもするように語りかけてくるのは、小憎らしいほどの美少女だった。
死神は銀髪ツインテールと相場が決まっている――のかどうか知らないが、黒のゴスロリミニスカートなんていうコスプレじみた服装をした少女が、上半身を起こした俺の目の前に立ち、見下ろしていた。
(スカートが短いな……羞恥心などない、そう言わんばかりだ……)
「あなたみたいな虫けらに見られても、私のスカートの中身の価値は減らないわ」
「じゃあぜひ見たいな。じゃなくて、なんでそんな格好なんだ」
「それは、あなたの趣味嗜好を反映した姿をしているからよ」
「お、俺はゴスロリツインテールの、小柄な身体に反して豊満なバストを持つ女の子とお近づきになりたいなんて思ってないぞ!」
「思ってるじゃない」
「……えっ? いや、あの……豊満……?」
「……何もかも思い通りになると思うなよ、虫けらめ」
「それはその通りだけど、虫けらって言うのやめて! 普通に刺さるから!」
豊満なバストを希望する気持ちの強すぎた俺は、目の前の少女と比較した結果、見た目からCカップ未満の波動しか伝わってこなかったので、物申したい気持ちが溢れ出てしまった。Cでも十分大きいというが、Dのインパクトには勝てないのだ。Eまでくると偉大さまで備わり、最強に見える。
「いいから早く、転生の説明を受けなさい。虫けらと言われたくなかったらね。私は脱ぐとすごいのよ」
「わ、わかった……脱いでもらう分には、こちらとしては一向に構わない。さあ、やってくれ……!」
「ふふふ、想像を煽っただけで脱ぐ気は毛頭ないわよ」
「人の心をもてあそぶのはやめろ! 分かった、俺に転生後の人生で、一個ずつ試しても使い切れないほどのすごい異能をくれ!」
「そんな力を得たら、転生後のあなたは神に等しい存在になってしまうわ。人間の知恵を凝らして神に近づこうというなら、それは否定しないけれどね」
「……神になりたいわけじゃないけどな。どうせわけのわからない理由で転生させられるなら、俺は自由に生きたい。できれば女の子にもモテたいし、美味しいものも食べたいし、歴史の表舞台に姿を表さずに影から人類全てに影響を与えたりしたい」
「それは神そのものではないけれど、全てを思い通りにしたいというのは、神に等しい存在になるということよ。私の言っている意味、あなたの単純な思考回路で分かるかしら?」
俺は自分でも単純だと思うのでそれはいいとして(良くはないが)、知恵を使って神様に等しい存在に成り上がるというのはアリらしい。
「……チート能力を一個もらうだけでも、相当特別というか、恵まれてる気がするんだけど。悔しいが、普通の人間として転生したら、どれだけ努力しても神にはなれない、それが普通だな」
「あなたの前世を鑑みても、チートがなければ平凡な人生を送るだけでしょうね。それどころか、三十歳まで童貞を失う気配もなく、魔法使いから賢者にクラスチェンジして、仙人になる可能性も否めないわ」
「童貞を守り続けたら、魔法使い系職業を極められるような言い方をするな! そんなことは無理だって俺も薄々と気がついているんだ!」
「でも、夢のある話だと思うわ。希望を抱いて溺死するとき、人は笑顔でいられると思うの」
「畜生……絶対童貞を捨ててやる! 俺のことだけ見てくれる可愛い女の子と巡りあってやる! それが無理なら奴隷市場で奴隷を買う!」
「……それなら、ここで捨ててしまうこともできるけれど、そういうことは考えないの?」
「えっ……?」
銀色ツインテールの死神は、空気を吸うように軽く、そしてむしろ内心ではそれを望んでいながらも素直になれない乙女のように、心なしか震えているように感じられなくもない声で甘美な提案をしてきた。
「まったくそんなつもりはないし、勝手に設定をつけないで欲しいのだけど……確かにあなたみたいな虫けらに、自分の都合で死なせてしまったお詫びといっても、そこまでのサービスをするのは一抹の羞恥がともなうわね」
「少しでも恥ずかしがってくれたら本望だ。童貞にも一分の魂という言葉を知っているなら、あまり俺のプライドを傷つけないでほしい」
「……ふぅ」
「や、やめてくれ……ため息をつくな! 初めてのデートで上手く行かなかった苦い記憶が蘇ってくる!」
「そんなに上手くいかなかったわけでもないと思うわよ。あなたが頑張って話そうとしすぎたから、彼女が遠慮してしまっただけ。自分から諦めなければ、あなたはその子と結ばれて、」
「……いや、死んだことを受け入れようとしてるのに、未練を感じさせてどうする? 俺は今、わりと真剣に後悔しそうになったぞ」
しかしそうやってフォローされたことで、俺は単純にも、この死神は信用に値するのではないかと思ってしまった。
死なせたお詫びに俺の童貞をもらってくれるというのも、きっと彼女は本気で言っているのだ。たとえそれが、義務感で言っていることでしかないとしても――と考えて、一つ思い当たる。
「あ、あのさ。もしかして俺みたいな境遇の他のやつにも、その……」
「……私が言うのもなんだけど、あなたみたいに不遇な人は他にはいなかったわ。ランダムに決められて、まだ生きているのに転生させられるんだもの」
「そ、そうか……いや、それならいいんだ」
「そういうことを気にしてるうちは、きっと童貞は治らない病のままだと思うわ」
「な、何とでも言ってくれ。初めてくらいは初めて同士がいい、そう思う自由くらいはくれよ」
「……死神がそういうことに興味を持つと思うの? 心配するまでもないわ。あなたは死神にこういう姿のイメージを抱いたけれど、他の人たちは違っていた。しゃれこうべに黒いローブ姿で、大きな鎌を持っていたり、そもそも人でなくて黒猫だったり、化物だったり。そんな姿の相手を異性と認識できる人は、そういないわ」
では、俺は死神を異性として見る特殊な素養の持ち主ということになるが――まあ、化物に見えるよりはずっと精神衛生に良いだろう。