7 儀式
「いらっしゃい」
先に行き、さっさと扉を閉めていた加治が言う。鍵をかけていないのが、せめてもの慈悲なのだろうか。締め出す理由はないと思うが、賓客として扱われる根拠もない。などと考えていたが、よく見たら、鍵が存在していなかった。田舎なのか、それとも――
しん、と静まっていた。不思議だ。
玄関の横には、トイレや風呂があり、その先に扉が二つある。
「二部屋あるのは、このログハウスだけなんだ」
部屋の一つに入る。テレビがない。普段、自宅ではテレビをつけっぱなしにしていた。テレビがついていない状況は久しぶりだ。そういえば、彩花と旅行に行ったときも、私は旅館でテレビをつけていて、「せっかくの旅行なのに」と怒られた。
先に部屋にいた二人は、直接床に座っている。座布団がなければ、棚のような調度品もない。小さなちゃぶ台があるだけだ。
沙織の眉間にあるしわは、しっかり私の顔を狙っていた。
「座って」と、加治が指し示した先もやはりただの床だった。
「暑いけど、エアコンのたぐいはないよ。ここの習わしでね」
そういう二人は、なぜか汗ひとつかいていない。私は様々な汗を全身にかいているというのに。
「さて、秋津くん。ここには、僕たちだけだ。聞きたいことがあるんじゃないか?」
蛍光灯のもとで見る加治の笑顔が、うさんくさい。罠としか思えなかった。
「なくはないですが……」自然、私の返答もよじれてしまう。
「だったら聞いてみるといい。知らなければ、先には進まないよ」
聞いてみろと言われて聞くのも馬鹿馬鹿しい話だが、どうにも聞くしかないようだ。とはいえ、どう聞いたものか。できれば、すぐに光月陽一へつながる質問をしたいのだが、そんな都合のいい質問は思いつかない。面倒だが、私がどこにいるのかを知る必要があった。
「あなたは、何者ですか?」
ストレートに疑問をぶつけてみた。
「いい質問だ」
質問にいいも悪いもないと思うが。加治は嬉しそうに立ち上がった。
「秋津くん」
「はい」
「僕はね」
加治が手を広げた。
「王様、なんだよ」
「は?」
反射的に聞き返した。
「僕は、王なんだ」
加治は同じことを繰り返す。聞き間違いではないようだ。
「どういう意味で、王様なんですか」
「まさに、文字通り、言葉通りの意味で、僕は王としてここに君臨しているんだよ」
話が進みそうにないので、沙織に目を向ける。
「兄さん、よそ者にわかるように説明して」
「沙織の頼みなら、しょうがないな」
笑みというよりも、にやけた顔で、加治は妹の頭をなでようとした。しかし、彼女は身体をかたむけてかわしてしまう。加治はそんな様子も楽しそうだったが、沙織は決して喜んでいないようだ。ほんのわずかに、眉間のしわがよっていた。
「それじゃあ、秋津くんにもわかるように話をしようか」
加治が私に向き直る。
「六人建設という会社がある。地域に特化することで不況を乗り越えてきた建設会社なんだ。六人建設の経営陣は世襲で、六人村の住民、それも村ができたときからいる六つの家から決められている」
嫌な会社である。社長が世襲というだけならともかく、経営陣になれる人間に血縁の選別があるとは。サラリーマンだった身としては、入りたくないところだ。
「いや、そんなに嫌悪するほどでもないよ。みんながみんな、出世を求めているわけではないしね。地元の優良安定企業さ。採用時の倍率も低くない」
「文句なんかありません」焦った。感情が顔に出ていたらしい。一応、否定はしておく。決裂しなければいいので、それで十分だろう。
「きみは、ずっと都会に住んでいたのかい?」
うなずいた。
私はM市の中心部で生まれ育った。物心ついたときにはすでに両親がなく、大学に入学するまでは遠い親戚という養父母――正確に言えば、養子縁組はしていなかったので、保護者なのだろうが――の世話になっていた。衣食住には困らず、学費も出してくれたことは感謝している。しかし、居心地は悪かった。会話はなく、食事は別で、夫婦がでかけるときはいつも留守番をさせられた。自分の部屋を与えられていたので、その点ではよかったが、逆に言えば、必要がなければ部屋の外に出るなと命令されているように感じた。いや、それが彼らの本心だったのだろう。
学校でも状況は変わらなかった。私の家の事情を知っていたようで――私の控えめな性格も問題があったと思うが――同級生からは距離を置かれた。友達などできるわけもない。
養父母が、私を疎みながらも育ててくれた理由はわからない。血がつながっているから仕方なく、といったところだと思っている。だから、感謝はしているが、愛情はない。もちろん、向こうからも感じたことはない。
大学は東京に行きたかった。養父母から離れたかったのだ。幸い学校の成績は悪くなく、奨学金はもらえそうだった。
その話をしたときの養父の表情が今も忘れられない。喜びではなく、安堵だったのだ。私の親は犯罪者だったのかもしれない。だとしたら、そのような感情を持つのも無理はない。しかし、少し悲しかった。
もちろん、私の申し出は受け入れられた。
加治がため息をつく。
「じゃあ、わからないだろうね。僕たちの地域では、僕たちのやり方が普通なんだ。ずっと昔からね。地域を支配するお殿様がいて、住民を幸せに導いていく。約束事は多いけど、その流れに逆らわなければ、平凡だとしても不安とは無縁の生活を送れる。嫌なら出ていけばいい。ね、さほど異常なことじゃないんだよ。大企業に就職先を求める気持ちの地域性が高まったものだと考えてくればいい」
「よく、わかりました」できるかぎりの神妙な態度で応じる。本当は、よくわからない。
「ま、嫌そうな表情さえ出さないでくれるなら、知識として覚えておくだけでいいよ。これからのこともね」
私がもう一度うなずくのを確認すると、彼も満足そうに小さくうなずいた。
「前提を話したから、現状の話に移ろう。僕たちが何者で、僕たちが何をしようとしているのか」
「お願いします」
「さっきは『王』と言ったけど、君たちの住む世界で正しい言い方をすると、僕は六人建設の社長なんだ」
細かいところは引っかかっているが、私の中で情報がつながった。半年前に探偵が言った言葉を思い出す。
『社長選出の方法は変わっておりまして、他の候補者と一緒にある場所で合宿を行い、その結果で決まるそうです』
つまり、加治たちは探偵の言葉通りのことをやっているのだ。そう。私は正しい道を歩んでいる。彩花を殺した光月陽一に、きちんと近づいている。大丈夫だ。ふと、普段の自分に戻れたような気がした。冷静に、冷静に。落ち着いて、一歩一歩、着実に進もう。
よし、まだ戦える。
「建設会社の社長……失礼ですが、かなり若く見えますが、おいくつですか?」
「うん。事実、社長にしては若いよ。君と同じ二十五歳だ」
同い年なのか。不思議な気分だ。建設会社は荒事も多いにちがいない。地元の有力者や企業に役所と、折衝相手は手ごわそうである。彼がいかに有能であろうと、二十五歳で正面から渡り合えるとは思えない。しかし彼は今、六人建設の社長として君臨している。権力の源泉は、どこから来ているのだろうか。
と、この疑問も顔に出ていたらしい。
「なに、六人建設がそれだけこの地域で重要な会社であるというだけだよ。ま、六人建設のトップは六人村の出身者であれば誰でもいいんだよ。無能でも、子供でもね。仕事のことは他の人がやってくれる。六人建設の幹部連中は、極端にいってしまえば、象徴、添え物なのさ。相当好き勝手できるけどね。多分、軽い犯罪程度なら、笑って見逃されるくらいに。世襲にして、強権の持ち主。だから『王』と表現されているんだよ」
「なぜ、そこまで強権を?」
「単純。六人村が六人建設を作ったからさ。よそ者を嫌うところでね」
シンプルだが、妙な説得力を持っている。反論の余地はあるが、目の前に実例がある以上、私に勝ち目はない。感情では納得できないが、ここの理屈を受け入れるしかないようだ。
「六人建設の社長が、どうしてこんなところにいるんですか?」
「こんなところって、ここが何かも知らないくせに」
もちろん、全く知らないわけではない。だからといって、己のくだらないプライドのために真実を明かして、全てをぶち壊すわけにもいなかった。
「まあ、そうですね」
極力、素直な声音になるよう努める。ここで頬を赤らめることができれば、もっと話がすんなりいくのであろうが、私はそんな小器用な人間ではない。
「かまわないよ。その事情を話すのが僕の役割であり、それを聞き知るのが君の役割なんだから」
ありがたい。ありがたいが、本当に引っかかる物言いだ。大仰なせいかもしれない。このあたりが『王』なのだろうか。それにしても、大時代がかっている。
そういえば、お茶の一つも出してもらえていない。犯罪者に等しい扱いなので仕方がないのかもしれないが。加治もそのようなことを一切気にすることなく、話を続ける。
「君も気づいたとおり、六人建設は非常に不可思議な会社だ。それは、社長交代にも表れている。まず、社長は七年ごとに交代する決まりになっている。そして、新しい社長を決めるために、候補者を一箇所に集めて選定の儀式を行うんだ。それが、今、この場で起こっていることなんだよ」
儀式? 確かに加治は儀式と言った。どういうことだ? 合宿ではないのか? 混乱する。この差異は何を表わす? 「社長」と「王」の間にも存在する差異。私はまだ正しく把握できていない。しかし、この差異には、どこか不気味で不可解なものを感じる。全てを知ったとき、私は深みにはまって抜け出せなくなっているのではないだろうか。
加治の温和な笑顔には何枚もの奥があるように思えた。
「さっきも言ったけど、六人村の人間全てが社長になれるわけじゃない。六人村のうち、六人建設の創業に携わった六つの家、すなわち六家の人間しか社長には就けない。さらに言えば、儀式の候補者にも条件がある。儀式に参加できるのは、六家の中でも当主だけなんだ。ちなみに当主は、名前だけだけど、六人村の役員に名を連ねている。あ、報酬は出るよ。あと、きちんと役職についている人もいるよ」
「じゃあ、加治さんは六家の一つ、加治家の当主なんですね」
加治は首を振った。「社長になった時点で、当主の権利は失われる。僕は六人建設の『王』であり、六家の頂点に立っている。いわば、六家の外に存在する人間だ」
「ということは、加治家の当主は他におり、今回の『儀式』にも参加しているんですね。同じ家が連続で『王』になったとしても問題はない」
自分で『儀式』や『王』と言ってみたが、違和感が大きすぎて錯乱しそうだった。
「そう。今の加治家の当主は、この沙織なんだ」
「好きでこんなところにいるわけじゃない」沙織は心底から嫌そうな顔をした。腹を立ててさえいるようだ。
「沙織、生まれからは逃げられないよ。運命を受け止めた上で、自分がどうしたいか考えるしかない。残念だけど」
加治の笑顔に、わずかな傷が浮かんだ。しかし、それはほんの一瞬だった。見えたと思ったときには、痕跡さえきれいに消えてしまっている。
「『儀式』というからには、一定のルールがあるんですね?」
「おっ、秋津くんもわかってきたね。もちろん、厳格で古式ゆかしい陰惨な規則が定められているよ」
「兄さん、もうやめて!」
急に沙織が立ち上がった。目を潤ませている。加治も立ち上がり、妹を優しく抱き寄せた。彼女は抵抗しなかった。どこの何が彼女の心に触れたのだろう。それとも単に疲れたからか。
「かわいい妹に怒られては、今日はもう無理だね。また後日話そう。僕たちはもう一つの部屋で寝るから、君はここで寝てくれ。余分なシーツなんかはないから、我慢してほしい」
「はい」
「それじゃあ、おやすみ。午前七時には広場に来てくれないか。まあ、ここにいる者の義務なんだけどね。どっかに目覚まし時計があるから、時間はそれで確認してほしい」
「わかりました」
私がうなずいたことを見届けると、彼は背中を向けて部屋を出ようとした。そこへ、衝動的に声をかける。
「待ってください」
「何?」
先ほどまでと変わらない温和な表情だが、どこかぎこちない。気にする必要はないのだろうが、やはりこの男には何かがある。そして、それを胸の奥に閉じ込めておけるほど、老獪ではないのだ。私と同じ二十五歳相応の青年のようだった。
「加治さん、私はこれからどうなるんですか?」
弱気と取られないか心配だったが、聞かずにはいられなかった。しかし、彼の返答はつれない。
「さあ、さっぱり。秋津くん、よく眠るんだよ。せめて夢くらいは幸せに」
加治と妹は部屋を出ていく。ご丁寧に、ドアまで閉めていった。
二人が出ていった後、即座に部屋の明かりを消したが、一向に眠気が訪れる気配はない。疲れてはいる。しかし、心は違っていた。
暗闇の中で無意味に目を開ける。何も見えない。覚醒していながら、自己の内面に沈んでいく不思議な感覚がやってきた。視覚が行き場をなくし、自分自身に対象を移したような感じである。今日、知ったこと、体験したことが、脳裏に浮かんでくる。
正丸彩花。私の恋人だった女性。
彼女はここ六人村の出身である。
そして、彼女を死に追いやった光月陽一もまた、六人村の人間だった。
彩花が死んだのは、六人村とは縁もゆかりもない大都市の片隅。小さな村の出身者同士が事故に遭う確率は信じる必要がないほど低い……はずだ。
ゆえに、彩花の死は殺人である。少なくとも、私は確信している。
動機はわからない。だが、私は彼に復讐をしなければいけない。いや、違う。私は彼を殺したい。そのために、銃を手に入れ、仕事を辞め、住んでいる場所を引き払い、彼の居場所をつきとめた。
光月陽一は六人建設の社員であり、社長候補らしい。そして、今日から社長を選ぶ合宿に参加するという。私はそこへ向かった。つまり、この場所だ。
ここまではいい。
問題は、実際にここを訪れてからだ。ここは、六人村の奥にある山の上である。山といっても、明るい時間に見れば丘程度の高さでしかないだろう。背の高い木が生い茂っているが、道はきちんと存在している。山頂はひらけており、広場を取り巻くように六軒のログハウスが建っていた。
ここに私は捕囚として連行されている。拳銃も見つかってしまった。不審者であることは否定できない。身に覚えはもちろんあるので、強い反論もできない。が、違和感はある。この場にいる九人の人間は、警察も呼ぼうともせず、王の裁量に従っている。王に私の身柄を預けるという判断に異議を唱えない。保留状態にされる理由がわからない。
そうだ。そして、『王』という呼び名だ。
六人建設の社長は、王に等しい権限を持っているから、実際に王と呼んでも問題はないのかもしれない。私が王の加治から受けた説明を整理すると、そうなる。
しかし、王って何だ? ここは二十一世紀の日本だぞ。たとえ田舎とはいえ、そんな馬鹿馬鹿しい茶番につきあう人々が存在するっていうのか?
ああ、まだある。社長を選出することを、この合宿を、『儀式』と言っていた。
よりにもよって、『儀式』だ。王に儀式。いつの時代のつもりだ、ここは。儀式の内容については沙織の涙でさえぎられてしまったが、いったい、どのような方法で社長は選ばれるのだろうか。
はあ、とため息が出る。
そんなことは、私が気にする必要はないのだ。私はただの復讐者である。本懐を成し遂げれば警察に駆け込むだけだった。なのに、どうして。それも、かたきを目の前にしながら、別のことを心配しなければいけないのだろう。全てを放っておいて、殺しに行ったほうがいいのではないか? いや、まだ無理だ。恐怖ではない……と思う。証拠に、今も彩花のことを思い出すだけで、全身の力が抜け、心の奥にどす黒い何かが湧いてくるのを感じる。
そういえば、私は光月陽一の顔を見たはず。候補者の顔を全員見ている。だが、今思い出しても、彼らの顔を見たとき、情報がないことにはがゆさを感じてはいたが、感情は昂ぶらなかった。私はこれまで一度も光月陽一の顔を想像したことがない。憎しみが強すぎ、具体的な人間の顔として思い描けなかったのだ。だから、私が考えた犯人像に合致した人間がいなかったために落胆したわけではない。もっと根本的な差異だ。あくまで勘だが、あいつはいないのでは――。
しかし、認めてしまうには情報が足りなすぎる。
他に気になる点としては、正丸義道がいたことだ。
正丸彩花の父親の従兄弟にあたるという人物。私に彩花の死を知らせた男。
やつは何者? 彩花の死にどこまで関わっている?
情報を整理すればするほど、疑問が増えていく。どこまで知ればよいのだろうか。どこまで知るべきなのだろうか。
私はゆっくり目を閉じた。自分の無力さが、胸を痛めつける。抵抗する術は思いつかなかった。必要悪。いや、必要善だ。自分を許してしまうと、どこまでも堕ちてしまいそうに思えて仕方がなかった。