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贄の王  作者: どんより堂
2/22

2 動機

 半年前のことだった。

 突然、恋人と連絡が取れなくなった。同い歳の彼女と交際を始めて二年、電話やメールは三日とあいたことがない。喧嘩をしたわけでもないし、彼女の気分を害する理由に心当たりはなかった。電話をしても、電波が届かないか電源が切られているとメッセージが返ってくる。メールを送っても返事はない。連絡が取れなくなった翌々日から、毎日のように彼女の住むアパートをたずねても、部屋に誰かがいる気配はなかった。警察にも相談した。しかし、よくあることなのか、恋人ということを証明しきれなかったのか、警察の反応は鈍かった。

 恋人の両親はすでに亡くなっていると聞かされていた。他の親戚のことは知らない。そういえば、彼女は事務員をしているとの話だったが、会社名を教えてもらっていなかった。出会いは大学時代の友人の紹介。だが、すでにその友人との縁は切れていた。

 どうすればいいのか手段を見失って二週間。仕事帰りの日課となった恋人の家の訪問は、いつものように徒労に終わる。自炊する気力はなく、好きでもないコンビニエンスストアの弁当と缶ビールを買って帰宅した。

 六畳間の中央に位置するちゃぶ台に夕食を置く。スーツの上下をハンガーにかけ、Tシャツと短パンに着替えた。テレビの電源を入れ、ため息をつきながら座る。習慣となってしまった動き。まずは缶ビールを、と思い手を伸ばしかけたとき、携帯電話が鳴った。恋人からの着信を告げている。

 連絡がなかったことを怒るべきか。この二週間がいかに虚しく悲しいものであったかを伝えるべきか。全てを聞かず、今度の休みに遊びに行く予定を相談すべきか。様々な感情が一斉に頭に押し寄せ、思考は混乱する。残ったのは、彼女の声が聞きたい。それだけだった。震える手で通話ボタンを押す。

「もしもし」

 返事がない。気が急いていたせいで、語気が強かったのかもしれない。彼女に聞こえないよう、静かに深呼吸をする。そして、意識して優しい声音で再び呼びかける。

「もしもし」

『もしもし』

「えっ?」

 男の声だった。聞き覚えがない。低く、おそらく中年かそれ以上の年齢だろう。

秋津信彦あきつのぶひこさん、ですね』

 向こうも、こちらをうかがっているようだ。

「はい」かみ締めるようにゆっくりと返答する。

『私、正丸彩花しょうまるあやかの父親の従兄弟にあたる、正丸義道しょうまるよしみちと申します』

「はい」胸の奥で黒い何かが生まれ、急速に成長していく。

『落ち着いて聞いてください』

「はい」無理な相談だ。心臓が破裂しそうなほど鼓動している。

『彩花は死にました』

 大事な事実を、あっさり告げられた。脳内で何かがはじける。視界が一瞬だけ白く発光した。ビールは床に転がっている。幸い、まだ開けていない。

「もう一度、言ってもらえますか」

『彩花は事故で死にました』

「ああ、内容は変わらないんですね」

『残念ですが、事実です』

「でしょうね」

 私は、何を言っているのだろう。

 混乱した頭を、せめて他人の話が聞ける程度に冷やしたい。すぐにかけ直すことを話し、電話を一度切った。立ち上がり、急いで風呂場へ行き、冷水のシャワーで全身を濡らす。服を全て脱ぎ、思い切り絞った後で、洗濯機に放り込む。ずぶ濡れのまま部屋に戻り、服も着ずに電話をかけた。先ほどの男の声がする。今度は憐れみがこもっていた。

 あらためて、正丸義道の話を聞く。

 彩花は交通事故で死に、すぐに連絡がついたという理由で、遺品は彼のもとに届けられた。しかし、どう処分すればいいのか判断がつかず、携帯電話のメールを確認したところ、交際関係にあったと思われる私を見つけ、電話をしたそうだ。

『申し訳ありませんが、遺品の整理をしてもらえませんか。無理なようでしたら、業者に頼んでしまいますが』

「行きます」大声が出た。「明日、行きます」抑えられなかった。

 彼の住所をメモし、電話を切る。まだ聞きたいことはあるが、直接会ったときにしよう。携帯電話を部屋の隅に投げた。立ち上がり、タオルでまだ乾ききっていない身体を拭く。服を着て、布団を敷いた。枕に顔をうずめる。

 そして、一晩中、泣いた。

 眠れずに朝を迎える。始業時間が過ぎてから会社に連絡をし、今日は休むことを伝えた。風呂に入り、ひげを剃る。自分の顔を見つめているうちに、彩花が死んだという話が嘘に思えてきた。親戚を名乗る男は犯罪者で、彩花の携帯電話を強奪して私に連絡をしただけかもしれない。理由はもちろん、彼女の縁者に彼女が不在であることを不審がらせないようにするためだ。すじは通る。否定する材料もない。

 頭を振り、今の考えを頭から払い落とす。少なくとも、払い落とすことに決める。

 自称正丸義道の言葉を疑ってはいけない。変な期待を抱くと、私はどうにもならなくなる。

 支度を終えた私は、レンタカーを借りた。そのまま、正丸義道から教わった場所へ向かう。電車でも行ける場所だったが、自動車を選んだ。費用は余計にかかっても、今は一人でいたい。

 三時間後、目的地にたどり着いた。平凡な一軒屋だった。表札には確かに「正丸」とある。インターフォン越しに到着を告げた。

「ああ、お待ちしていました。はじめまして、正丸義道です。さあ、入ってください」

 男が玄関から姿を現した。五十代くらいに見える小太りの男だった。

 居間に通される。部屋の隅に仏壇があった。線香から煙がのぼっている。何かを言われる前に、私は仏壇の前に正座した。仏壇には写真がある。彩花の、写真だ。笑っている。本当に、彩花の写真だ。私の知っている彩花の顔だった。涙が出る。手を合わせた。涙は止まらない。線香を手に取り、火を点ける。彩花が死んだ。信じられない。りんを鳴らす。気づけば、嗚咽していた。涙と鼻水が出続ける。もう自分を抑えられなかった。

 私は子供のように泣く。頭の片隅で、ここは見ず知らずの人間の家だと意識しつつも、感情の昂ぶりに従うしかなかった。

 ありがたいことに、部屋にいるはずの正丸義道は何も言わない。

 しばらくして、話すことができる程度には落ち着いた。ハンカチで涙をぬぐい、彼に謝罪をする。彼は困った顔をして、手を振った。

「いいんです。彩花を愛してくださっていたんですね」

「はい」とうなずいた。愛していたと認める気恥ずかしさと、この男に彩花の何がわかるのかという反発を、同時に感じる。ああ、これは嫉妬だ。用件を早く終わらせよう。怒りに任せて、おかしなことを言い出しかねない。彼の目を見て、私はおそるおそる口を開く。

「彩花の身に何が起きたんですか?」

 正丸は、眉間にしわを作った。

「二週間ほど前の一月十五日に、自動車に轢かれました。即死だったそうです」

「そうですか」

 聞きたいことが多すぎて、すぐには次の言葉が出てこない。逡巡している間、正丸は黙っている。私のペースにあわせてくれているらしい。ありがたいが、なぜだろう。違和感を覚える。彼にとっては彩花も大事だったからか。彩花への想いを共有したいのか。だとしたら、相当深い愛情である。だが、それにしては、この親類の話を彩花から聞いたことはなかった。両親も含めて、彼女はどこか自分の親戚の話を禁忌としていたように思える。

 そう伝えると、正丸はため息をついて、うなずいた。

「そうかもしれませんね。あの子の育った環境は、決していいとは言えませんでしたから」

「というと?」

「事情があって、生まれてすぐに生みの親と別れ、私が引き取ったのですが……」正丸は自嘲気味に鼻を鳴らした。「ただ、私たち夫婦の仲もよくなく、子供も荒れていました。結局、妻とは離婚、子供は学校を中退して家出し、今はどうしているのか……。ともかく、彩花も居心地が悪かったでしょうね。高校を卒業すると、上京して就職しました。それからは、数年に一回、彼女の両親についてのことで連絡する他は、私も彼女も交流はありません」

 彩花の話していたことと違うが、彼の話が嘘とは思えない。彩花はこの複雑な事情を言いたくなくて、両親はすでに亡くなったと話したのではないだろうか。

正丸は、口にするのさえ、つらそうである。後悔の顔だった。彩花の死よりも、彼の過去の行いのほうが、心に傷を負わせているようだ。

「彩花の遺体は今どこに?」

「申し訳ありません。病院から引き取ってすぐに葬式をして、火葬しております。そこに」と、正丸は仏壇の横を指さした。

 確かに、桐の箱がある。その中に骨壷が入っていて、さらにその中に、彩花がいるのだ。いや、彩花なのだろうか。かつて彩花だったもの、もしくは彩花が地上で使用していた肉体の残骸のどちらか、なのかもしれない。ただ、私の前に彩花が現れないのであれば、いずれであろうと意味はない。

「失礼だとは思いますが、中を改めてもよろしいでしょうか。彩花が死んだこと、信じられなくて……」

 正丸は少し困ったような顔をしたが、やがてうなずいた。

「どうぞ。気の済むようにしてください」

 私は頭を下げて、桐の箱を手に取った。中を開けると、エメラルドグリーンの骨壷がある。彩花の好きな色だ。骨壷を箱から取り出し、蓋を取る。本当に骨が入っていた。すぐに蓋を閉める。桐の箱に骨壷を戻し、元の位置に置き直す。

 一連の動作を黙って見守っていた正丸が、口を開いた。

「死に顔も写真におさめています。事故後と死化粧、どちらも」

「いいえ、それは大丈夫です」

 念押しされなくても、もう充分だ。逆に、決定的な証拠を見たら、まともな精神ではいられなくなりそうに思えた。

「代わりに、どんな状況で彩花が轢かれたのか、もっと詳しく教えてください」

「夜、仕事帰りに青信号を渡っているとき、信号無視をした自動車に轢かれたそうです。彼女に非はありません。悪いのは自動車のほうです」

「運転していたのは、どんなやつだったんですか」自然と声がうわずる。

「若い男、だそうです」

「名前は?」

「知りません」

「なぜ?」

「警察が教えてくれなかったんです」

「あなたは、気にならないんですか?」

 急に、正丸が私を憐れむような目で見た。返答するまでに少しだけ間があく。これについては、頭で練ってから言葉を発するようだ。

「警察が教えてくれない、というのは教えるつもりがないということだよ。いくら食い下がったところで、態度が変わるわけじゃない。言えないことは、どこまでいっても言えない。君も社会人なら、わかると思うんだけど」

 正論。正丸の道理は社会の正論だ。普段の私も、うなずくしかないものだった。だが、今ここで納得してはいけない。

「なぜ、引き下がれるんですか。親類が死んだんです。もっと感情的になってもいいんじゃないですか」

 正丸は大きくため息をついた。首を回す。そして、もう一度ため息をつく。

「君には悪いが、私を動かしているのは彼女への憐憫だ。愛情ではない」

 怒りで大声を出しそうになった。寸前で思いとどまる。無意味だ。正丸義道は己の境遇に後悔をしており、償おうとしている。しかし、方向は常に自分自身に向いており、決して他人には向いていない。昔からこうなのだろう。だからこそ、家族は離れ、今も一人なのだ。彩花や私に対する行動も、その延長線上にある。私が何を言っても無駄だ。彼には永遠にわからないし、彼の幸福も永遠に訪れない。

 私は持ち上げかけた腰をおろした。怒号の代わりに何を言おうか悩んでいるうちに、正丸が私の人生を変える事実を告げた。

「犯人は不起訴、罪に問われないそうです。すでに釈放され、日常生活に戻っています。これも、私には理由がわかりませんが……」


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