19 拷問
三食のまずい飯を食べ終え、気だるさを引きずったまま目を閉じると、翌日の朝である。退屈も暑さも居心地の悪さも、数日で慣れようとしている自分が愚かしく思えた。いささかの空しさを覚えながら、広場へ行く。
すでに全員がそろっていた。そして、皆が緊張の面持ちで佇んでいる。私も無言で彼らから少し離れたところで立ち止まった。誰も私に目を向けなかった。興味の対象はこの儀式の場と下界とをつなぐ一本の道。今まで、樋口の来訪がこれほど注目を浴びたことはなかっただろう。ということは、彼らが気にしているのは、次の候補者だ。
拷問者。
司馬はその人物をそう表現した。
正直、実感は湧かない。現代日本で、そんなあだ名を持っている人間など、よほど阿呆が集まった集団にしかいないと思う。世間知らずで幼稚な不良が、自分の仲間を過大評価するような印象だった。
もうそろそろ来てもいい頃だ。樋口老人は、時間に正確だった。それが来ない。何かが、あったのだ。しかし、なんだろうか。大した理由は思いつかない。寝坊、準備に手間取った、車にガソリンを入れた、道が渋滞した、それくらいだろう。ぼんやりとそのようなことを考えていたら、樋口老人の車が到着した。
中には、三人乗っている。
やはり杞憂だったようだ――という私の考えは、車から人が降りてきたときに、覆された。
樋口老人。彼はいつものように厳めしい顔で私たちの前に立ちふさがる。
そして、候補者が降りてきた。
背が低く中肉中背で、鼻の下に八の字のひげがある男だ。髪を七三を分け、気味が悪いほど色が白い。四十を超えているのは間違いない。ただ、五十にも六十にも見える。五十にしては老けており、六十にしては若い。印象を一言で表現すると「ぬめっとしていた」。スーツを着込み、夏にもかかわらず手袋さえしている。
一瞬、目が合った。
「ふふん」と、彼が楽しげに鼻を鳴らす。
なぜか、恐怖を感じた。
そして、いつも樋口老人の隣にいる中年の小男が車から降りる。彼の姿を見て、沙織が悲鳴をあげた。その他の者は、かろうじて堪えたようだ。私も同じだった。
名前を知らない小男は、上半身裸だ。
そして、胸のところで両腕が骨がないかのように絡み合っている。関節が赤く腫れているところから察するに、無理やりのようだ。しかも、それが胸からまったく離れようとしない。なんだ、これは?
「これはねえ! 僕の自己紹介なんだよ!」
甲高い、鼓膜を直接傷つけるような声。ヒステリックなスズメがいたら、このように鳴くのではないだろうか。新規の候補者が発したものだ。
彼は私たちを得意げに見回す。
「どうなっているかわかるかな? こいつは、彼の指と腕の骨を全部折って、ぐちゃぐちゃって組み合わせて、取れないように」
と、ポケットから何かを取り出す。チューブだ。
「瞬間接着剤で固定したんだよ」
男が微笑んだ。背筋が凍った。
「どうしてこんなことを……」
沙織が怯えた様子で言う。
男が眉間にしわを寄せ、首を振った。
「沙織ちゃん、今言ったじゃないか。自己紹介だって。僕がどんな人間か、みんなに知ってもらいたいんだよ」
「ごめんなさい」
沙織は謝っていたが、恐怖による反射的なものだろう。数歩、後ずさっていた。
「まあ、謝らなくてもいい。わかってくれれば、それでいいんだ」
もう沙織は何も言わない。
「ここにいる連中は、あなたのことを知っています。わざわざ改めて紹介していただかなくてもいいんですよ」
正丸常道だった。意外である。こんなときに口を挟むとは思わなかった。アロハシャツを着ている彼がまともなことを言い、スーツに身を固めた男が狂人としか思えない言動をする。これが、六人村なのだろうか。
「正丸ぅ」やや不快そうな音を紛れ込ませながら、男は正丸に近づく。
――と。かしゃり、という音とともに、
「痛っ!」
正丸の悲鳴がした。手の甲を押さえたと思うと、何かをつまみ、男にかざす。
「どういうつもりだ、これは」
抗議にしては弱々しい声である。正面から戦いたいわけではないようだ。あくまでも疑問の提出にとどめたいらしい。
正丸のつまんでいるものを見つめる。
わかった。
ホッチキスの芯だ。
「どういうつもりって?」男は急にとぼけた。
「手にホッチキスを刺したんじゃないか」
そういうことか。よく見れば、正丸のもう一方の手からは血が流れていた。
しかし、男に悪意は一切見られない。
「そうだよ」
「だから、なぜ?」
男は再び正丸に近寄り、耳元でささやいた。正丸は怯えた表情で「わかった」と言い、何度もうなずく。それで満足したのか、男は正丸から離れ、みなを見た。
「僕は自己紹介をしなければならなかった」
唐突に、男は私を指差した。
「君だ。秋津信彦。君に自己紹介をする必要があったんだ」そして、私に向く。「どうだった? 僕の自己紹介」
男が笑顔になった。年齢にふさわしく、しわが顔中に生まれる。
私は返答に困った。正直に言えば同じことをされそうだが、おもねってしまうと取り返しのつかないことになりそうだった。
「は、はあ」と、曖昧に答え、曖昧に笑った。笑っているとぎりぎり思われる程度の表情。成功したかはわからないが、笑顔にはなったらしい。
「そう、よかった」と男はうなずいた。
複雑な気分だ。しかし、男は一歩、私に近づいた。
「僕の名前は、斉門斎。もうすぐ赤いちゃんちゃんこを着る年齢だよ」
そう言って、ウインクをする。
何か言わないといけない気分にさせられた。無理やり絞り出したのが「あなたの目的は、なんですか?」という問いかけだ。
「なにって、そりゃあ王になるためだよ」
斉門は、私を怪訝そうに見る。それに気圧された。
「王になっても、七年後には死ぬんですよ」
「うん、そうだよ。でも、いいじゃない。それまで好き勝手にできるんだからさ。僕もいい歳だし、七年以内にぽっくりいく可能性があるからね」
ひどくあっけらかんとしている。
「しかし」と、私は斉門に腕を折られた小男を見た。彼はあぶら汗を流しながらも、いつもと同じように樋口老人の横に立って、じっとしている。
「あなたは今も十分好き勝手にやっているように思うんですが」
反射的に返してしまったが、一歩間違えれば挑発と受け取られかねない。さすがに声が震える。言ったことに後悔した。私もホッチキスでやられるのだろうか。
斉門がさらに近づいた。手を伸ばせば、届く距離である。
「君ぃ」
肩に手を置かれる。私は身体を硬くした。
「君が思うほど、僕は好き勝手やっていないんだよ。司馬君と同じように、こらえきれない衝動を持っているだけでね」
痛みはなかった。新参者だからか、私には何もしなかったようだ。
「あなたと一緒にはなりたくありませんね」
司馬が吐き捨てるように言った。ただ、声に覇気はない。主張はするが、斉門を刺激しないように気を使っているのだろう。
「えっ、違うの?」
心底驚いた声を出して、斉門が司馬のほうを向いた。
「違います」司馬が苦々しげに答える。
「でも、楽しいでしょ?」
「快楽ではありますが、楽しくはありません」
変な物言いだが、言いたいことは何となくわかる。楽しいのは事実なのだ。しかし、それを素直に認めてしまえるほど、人間が腐っていないと主張しているのだ。
ただ、他の面々に伝わったかはわからない。とにかく、誰も表情を変えようとしない。樋口老人でさえ、今は傍観者だった。
「ふーん」斉門は不服そうだ。「まあ、違うなら違うでいいけどさ。なんか、あまり気持ちのいい感じがしないんだよね」
一瞬で彼は司馬との距離を詰め、首に手を伸ばした。そして、司馬が首を押さえる。指の間から、血があふれた。
「何をするんですか」
司馬の目に殺意が宿った。首から何かを引き抜き、投げ捨てた。目を凝らして見る。釘だった。
「釘。昨日、急いでホームセンターで買ってきたんだよ」
「それは、すごいですね」
司馬は闘志を失っていないものの、それ以上何かをしようとはしなかった。にらむだけで精一杯なのかもしれない。
そこへ、樋口老人は咳払いをした。
「では、各人食事を取れ。わしらは戻らねばならん」
このいかれたやり取りから逃げたくなったのだろう。樋口老人は厳めしい顔をそのまま、車に戻ろうとした。だが。
「樋口さん、そんな寂しいこと言わないでよ」
斉門が、どこかからトンカチを取り出し、樋口老人の膝をおもいきり叩いた。それも何度も。老人は、地面に倒れ込んだ。あまりの痛さで、悲鳴もあげられないようだ。
「これも、ホームセンターで買ったんだ」
うずくまる樋口老人を見下ろしながら、斉門は嬉しそうに凶器を自慢した。
「多分、折れたよ。僕、経験豊富だからわかるんだ」
そして目を細めて笑う。そのまま車に近づき、トンカチを振るった。
サイドミラーを叩き割り、窓という窓を破壊する。上半身を運転席に押し込み、「こいつめ、こいつめ」と楽しそうに叫びながら、ハンドルやシフトレバーを叩き壊していた。
終わったのか、しばらくして上半身を戻し、私たちを見回す。肩を上下させているが、顔には達成感で満ちていた。
「これで誰も簡単には帰れない。仲良くやろうよ」
「わしらをどうするつもりだ」
樋口老人は、立てはしないようだが、身体を起こしていた。汗が全身から浮いている。そんな彼に、斉門は気安く肩をすくめた。
「別に。たださ、偉そうな顔をして帰られるのも癪だから、儀式が終わるまでいてもらおうと思っただけだよ」
「こいつはどうする。貴様のせいで大けがをしてるじゃないか」
樋口老人は、無残な姿のまま立っている小男を指した。
「ああ、こいつね。司馬君、こいつを殺していいよ」
斉門以外の全員の息を呑む音が聞こえた。
司馬は、唇がいかにも重そうに返答する。
「お断りです。他人の命令で人を殺したら、ただの殺人者ですよ。本人の意思でやるのが、俺の最低限のプライドです」
「今だって殺人者じゃないか。ちえっ、しょうがないなあ。じゃあ、君」斉門が小男のもとへ行き、肩を叩く。小男は大きく前進を震わせた。
「司馬にお願いをしなさい。痛くて痛くてしょうがないので、殺してくださいって」
小男は黙ってうつむいている。
「言えないの? 君もいい歳をしたおっさんでしょ? 自分でそれくらいのこと言えないと駄目だよ?」
斉門が小男の顔を覗き込む。すると、すぐに小男が目をそむけた。そちらの方向に、斉門は移動する。再び、小男は顔の向きを変えた。それを何度か繰り返し、斉門がため息をついた。
「あーあ。全部、君のためだったのにな」
斉門は小男の背後に回り、頭と肩をつかんだ。小男に抵抗する隙さえ与えない。両手を動かせなかったので、大した抵抗はできなかっただろうが。斉門の「えい!」という場違いな明るい声とともに、小男の首が百八十度回った。漫画か何かを見ているようだ。首に走る何本もの深い横皺が、私にこれが現実だと訴える。小男は「あが、あが」とうめいたあと、倒れた。目を見開いたまま。
死んだ。
「僕は、殺人があまり上手くないからねえ。多分、痛かったと思うよ、彼」
斉門が司馬を責めるように言う。
「なにも、殺さなくても……」沙織が青ざめている。
「沙織ちゃん、彼はね、今死んでよかったんだよ」斉門は子供を教え諭すような口調だった。「彼の手は骨折しまくっていたんだ。しかも、治療しようにも、腕は瞬間接着剤で身体に引っ付いているし、車が壊れて病院にも行けない。このまま生きていても、衰弱死したんじゃないかな。そういう意味では、僕は良いことをした。そう思わないかな」
斉門の問いかけに、沙織は口を戦慄かせた。彼女の命が危険だ。対応を少しでも間違えれば、彼女が殺される。光月は? とっさに彼の様子を窺うが、彼も恐怖で震えているようだった。なんと使えない男なのか。
私は、頭に浮かんだ言葉をそのまま、斉門にぶつけた。
「斉門さん。あなたが言ったこと、全部あなたがやったことじゃないですか。あなたが何もしなければ、彼は死ななかったのでは」
斉門の顔と正面からぶつかった。息が止まりそうになる。斉門の口の両端が上がった。心臓を鷲づかみにされた気分だ。彼の言葉を待つ。それは非常に長い時間に感じられた。
「そうだね。確かにその通りだね」
斉門は、私に死刑を執行することもなく、かといって己に恥じることもなく、ただ照れくさそうに頭をかいた。こいつ、やばい。
その後、斉門の提案により今ある弁当を人数で分けた。用意されていたのは、候補者六人と富士見兄弟の分。朝昼晩で合計二十四食分である。これを、帰れなくなった樋口老人を入れた人数、九で割ると、各人二食、あまり六食。その六食は、斉門が、
「これは捨ててしまおう。僕たちは平等でなければいけない」
と言って、地面にばらまいてしまった。
まずくとも貴重な食料である。捨ててしまうくらいなら、中身を九等分すべきだと、提案したほうがよかったのかもしれない。だが、斉門を刺激して「じゃあ、一人死ねばいいんだね」と、また誰かが殺されるくらいなら、空腹を我慢することにしたのだ。おそらく、他の者も同じ気持ちだったにちがいない。
そんな私たちの感情を知ってか知らずか、斉門は晴れ晴れとした表情でこう言った。
「さあ、諸君。それで食事は最後だ。王が決まるまで救援は来ないし、出ていくことも許されない。そろそろ、覚悟を決めたまえ」
樋口老人は、正丸のログハウスへ行った。私と司馬は、私のログハウスへ戻る。弁当はまだ食べない。補給がないと思うと、簡単には食べられなかった。
「あの男は、何者なんです?」
部屋で腰をおろすなり、司馬に訊いた。
「見てのとおり、ナチュラルに人を傷つける人間だ」
「何を考えているんですか、あの男は?」
「俺にも、いや俺たちにもわからない。性格だけじゃない。あいつの過去も、わからないんだ」
「どういうことですか? あいつは、六人村の人間じゃないんですか?」
「斉門は、七年前に六人村にやってきて、斉門家の養子になったんだ。五十を過ぎて、他人の家に養子に行くんだぜ、まともなわけないわな」
司馬は面白くもないだろうに、笑った。
「婿養子ではなく、文字通りの養子なんですか?」
「そうだ。子供のいない爺さんの養子になった」
「よくそんな人間が村に受け入れられましたね」
「上の連中は、了承した。正式な手続きを取ったからかもしれないな。見たろ、樋口老人だって、あいつのことを候補者として認めていた」
「でも、脅されたのかも」
「それはない」司馬は強く首を振る。「ああいう爺は、掟を守ることに命を懸けている。もし斉門がルール違反でここにいたとしたら、あいつは死んでも阻止しようとしたはずだ。だから、斉門が候補者であることに問題はない」
なるほど、とうなずきながら、私は先ほどの光景を思い出していた。一つだけ気になったことがある。斉門が正丸をホッチキスで刺したあと、正丸の耳元でささやいた。正丸は「わかった」と言った。あれは、なんだったのだろうか。その疑問を念頭に置きつつ、私は意識を『これから』に向けた。
「それで、斉門はどうすればいいと思いますか?」
「秋津、君はどう思う」
「少なくとも、王にしたくはないですね」
「同感だ」
「となると、先に誰かを王にするか……」
司馬が期待をこめた目で、私を見つめていた。意図が察せられる。私は、彼の期待に応えることにした。
「斉門を殺すか」
司馬は大きくうなずいた。やはりそうか。彼は私の口から、殺すという言葉を聞きたかったのだ。同類が増えた気分になれるのだろう。
「秋津は、どちらがいいと思っているんだ?」
さらに試すように司馬が問いかける。さすがに、それ以上は彼の期待に応えてはやれない。
「別のものを王にすべきでしょう」
失望をさせたと思った。だが、司馬は表情を変えない。「当てはあるのか?」と、訊く。
「残念ですが、私はまだ真相にたどり着いていません。知れば、誰を上に頂くか選択できるのですが……。今から、正丸と光月から話を聞いてこようと思います。そのあとでどうするか、相談させてください」
「わかった。じゃあ、あとでな。俺は俺でやれることをやってみる」
司馬はあっさり私の言葉を受け入れ、ログハウスを出ていった。彼を見送り、私は弁当を半分だけ食べる。相変わらずまずい。まずいが、貴重な食料と考えると、ありがたさが増してくる。皮肉なものだ。残り一つも、この暑さではすぐに傷んでしまうだろう。時間はない。
そして、正丸のログハウスへ向かった。
扉を開け、夏の日差しに目を細める。広場に誰かがいた。二人。富士見兄弟だ。無視したかったのだが、彼らは私を見るなり、近寄ってきた。
「よお」
「やあ」
いつもと同じく、私を小馬鹿にしたような態度だ。私もやむなく軽く頭を下げる。通り過ぎようとするが、弟が立ち塞がった。
「話がある」
「私にはありません」
「俺たちにはあるんだよ」兄の克己が言った。
「なんですか。早くしてもらえるとありがたいんですが」
「なに、すぐすむさ」
と、ここで二人は意外な行動に出た。二人とも頭を深々と下げたのだ。私に対して。
「今まで、申し訳なかった」
「許してほしい」
突然のことに、うろたえた。予想外である。これに何の意図があるのだろうか。私が黙っていることに困ったのか、二人は頭を上げた。
「斉門にだけは、王の座を渡さないでくれ。そのためなら、なんでも協力する」
そういうことか。「許すも許さないも、あまり気にしていません」と言ったが、本当のところ、面倒だとは思っていたが、彼らの行く末についてはさほど興味もなかった。ただ、それを口にして敵を増やすこともない。
「しかし、斉門はそれほど危険な人間なんですか」
富士見兄弟は同時にうなずき、シャツを脱いだ。たくましい筋肉で飾られた二人の上半身は、傷だらけだった。切り傷、刺し傷、火傷の跡。具体的にどうされたのかはわからないが、むごいものだ。無事なところが一つもないと言っていい。
「これは?」答えを予測しつつ、訊く。
「俺たちが斉門につけられた傷だ。あいつは俺たちが六家でないからと、いつもこんなことをしていた。もうあんな毎日は嫌だ。頼む。お前が王になって、俺たちを救ってくれ」
昨日まで見せていたプライドを捨ててしまえるくらい、斉門を嫌悪している。ただ、ならば検見川を殺すべきではなかったのではと思ったが、あのときは冷静ではなかったのと、プライドを優先させてしまったのだろう。愚かだ。
しかし、態度が変わりすぎである。私は、それを指摘した。富士見兄弟は私の質問を想定していたらしく、動揺することなく返答する。
「頼れるのがお前しかいないとわかった。光月を当てにしていたが、あいつは駄目だ。肝心なときに何もできなかった。所詮、六人村で生きてきた人間だ。もちろん、俺たちも屑だ」
和樹が苦々しげに言った。悔しさが滲んでいる。私に頭を下げるのも、不本意なのだろう。なるほど。そちらのほうが、私も納得しやすい。
「秋津、頼む。俺たちを助けてくれ」
もう一度、克己が頭を下げ、少し遅れて和樹も頭を下げる。
「二人とも、頭を上げてください」
「じゃあ、承知してくれるのか?」
克己の声に希望が宿っていた。私も覚悟を決めるしかないようだ。
「はい。私がどうにかします」
何も道筋が立っていないにもかかわらず、言ってしまった。重圧が両肩に伸しかかる。この場をおさめるにはしょうがないことだ。そう言い訳することにした。
「ありがとう」と、二人は何度もうなずく。
「お礼と言ってはなんだが、一つだけ情報がある。加治さんが死んだ次の日、俺たちは草むらの中で、血のついたのこぎりを見つけた。きっと、加治さんを殺した凶器だ。まだ俺たちの部屋にある。指紋なんかも消さないように注意して運んだ。必要なら言ってくれ」
「わかりました」
凶器の発見。大事なものを、今まで誰にも言わずに隠していたのか。彼らは切り札にしたかったのか。助けてくれそうな人間がいなかったのか。あまりいい選択肢だとは思わない。それに、指紋を採取するためには、ここから出なければいけない。しかし、ここから出るためには、真相を暴かねばならない。矛盾している。ただ、何かの武器にはなるかもしれない。
ここで一つ気が付いた。二人は親指以外の手の指をぴったりつけたまま、動かそうとしないのだ。嫌な予感がしつつ、克己の腕を指さした。彼は私の意図に気づく。
「そうだ。さっき、あの男の死体を片付けているときに、斉門に瞬間接着剤でやられた。まあ、斉門はいつものことだ。今さらこれくらいどうということはない。だがなあ」
克己は犬歯をむき出しにして、笑った。怒りによる笑みだ。
「光月はそれを見ていながら、何もしなかった。斉門を止めろとは言わない。そんなことができるのは王だけだ。けれど、あいつは目を逸らしやがった。いつもは正義漢ぶっておきながら、自分の手に余ることが起きると、何も言えなくなる。あいつはただの口だけだ」
私もそれには同意だ。ただ、口だけの男よりも、私のほうが腕っぷしが弱いだけで。しかし、富士見兄弟と光月の悪口を言い合うだけの時間を過ごしたくはない。非生産的な作業だ。そんなものは、ここから出ればいくらでもできる。
「わかりました。食料の問題もあります。真相がわかったら言いに行きますから、みなさんを集めてください」
「わかった。いつでも言ってくれ」
二人は安心したらしく、頭を軽く下げ、自分たちの住処へ戻っていった。ふと湧いた疑問をその背中に投げかける。
「指が使えなくて、食事はどうするつもりですか?」
二人は立ち止まり、克己だけ私に目を向けた。
「口で食べるよ。犬みたいにな。俺たちにはお似合いだろ?」
その自嘲に、悲しみと怒りが感じられた。
正丸のログハウスでは、正丸と樋口老人が厳しい顔つきで座っている。樋口老人は、入ろうとする私を見るなり、怒鳴った。
「なぜここへ来た!」
「話を聞きに伺いました」
「話すことなどない」
正丸も困ったように手を挙げた。「ごめん、僕も話せない」
「まだ私は何を聞くかもお話ししていませんよ」なんとか会話をつなぐべく、言葉を吐き出した。
「どうせ、斉門のことだろう」
樋口老人は、足に手を当てながら、私をにらんでいる。骨が折れているのだろうが、気づかっても迷惑にちがいない。
「そうです。私は斉門のことが知りたくてきました」
「ならば、同じだ。話すことなどない。常道も同じだ」
正丸もうなずく。
「なぜですか? 脅されているんですか?」
「脅し? 馬鹿を言うな。あんな若造相手に屈する理由がどこにある」
骨を折られたじゃないですか、とは言えない。とにかく彼から目を逸らさないようにした。
「司馬さんは言いました。斉門は過去がない。しかし、掟には従っている、と」
「司馬が正しい。わしらには、それ以上今のお前に話す必要はない」
「今? 今でなければいつ話してもらえるんですか」
「儀式が終われば話してもいい」
不思議なものだ。頑なに話さないと言いながら、秘密があることは明かしている。
「僕は儀式が終わっても言えないなあ」
正丸は肩をすくめる。元気そうで少しほっとする。残念だが、ここで粘っても意味はないだろう。私は頭を下げてログハウスを出た。
収穫はない。だが、斉門斎という歪な存在が、六人村では公認されていることだけは確かだ。
その足で、光月のもとへ赴く。拒絶されるかと思ったが、「入れ」と気だるげな声が返ってきた。座っている彼の表情も、挫折の連続で心が壊れかかっているような陰りが見られる。
「お前も俺を笑いに来たのか」
「陽一さん、誰もそんなこと思ってないよ」
隣にいる沙織が必死で慰めるが、光月は彼女を見ようともしない。
哀れだった。昨日までの力強さが失われ、自暴自棄になっている。しかし、考えようによっては、チャンスかもしれない。今なら、私の質問にも答えてくれるだろう。
「笑うつもりはない。いくつか聞きたいことがある」
「好きにしろ」
光月の腕に、沙織は自分の腕を巻きつけていた。それも、彼にはどうでもいいことのようだ。
「斉門のことで知ってることがあれば教えてほしい」
光月はしばらく中空に視線をさまよわせると、何度か首を振った。
「知らない。七年前にいきなりやってきて、斉門の養子になった。サディストで、司馬と同じく人を傷つけることが好きな人間。それくらいしか知らない」
光月と司馬が知らず、樋口老人と正丸が知っている。おそらく、斉門は過去に何かがあったのだ。七年、いや、もっと前、彼らが知らないほどの昔に。ただ、その先に推理を進める材料はないので、それは置いておくしかない。
「聞きたいことは済んだか?」
「いいや、まだだ」私はわずかに緊張し、舌で唇を舐めた。
「光月、お前は王になり何がしたかったんだ。お前は昨日、明らかに焦っていた。それは斉門の到着だけが問題だったのか?」
光月はまたも、黙ってしまった。窓を何度か眺め、ようやく口を開く。
「半分はそうで、半分は違う」
「詳しく話してほしい」
私は座った。それを見て、光月はため息をつく。
「まあ、いいだろう」そして、さらに深く息を吐いた。
「秋津、俺は……いや、俺や加治や彩花は、六人村の儀式をなくしたかったんだ。この七年ごとに王を決めることも、その度に王が死ぬことも、何より、王がいるということを、なくしたかった」
「でも、加治は王だった」
「それは苦肉の策だ。加治は気づいたんだ。王にならなければ、六人村の掟を変えられないことに」
「でも、変えられなかった」
「掟ってのは、それだけすごかったんだ。いくら王でも、王の権力の源泉である掟を破壊することはできなかったってわけさ」
「妨害されたとか?」
「樋口老人とか、あの辺の古株は俺たちの動きに気づいただろうが、特に何もしちゃ来なかったよ。それはそうかもな。村とはいえ、何人もの人間が従っているものを、徒手空拳の若者が変えられるわけがないんだ」
光月の言動に、虫唾が走った。こいつは自分に酔っている。加治のことはともかく、この男は肝心なときに何もしなかった。それなのに、自分の無力に浸っている。かっとして、殴りつけてやりたい衝動にかられた。だが、やめた。そこまでの価値もない。情報をもらったら、とっとと出よう。
「加治が彩花を使って俺を陥れたのも、その一環か」
「多分。俺は詳しく教えてもらえなかった」
それはそうだろう。光月は役に立たない。会って数日しか経っていない私でさえそう感じるのだから、幼馴染の加治や彩花だって、同じ結論に至っていておかしくない。
そしてもう一つ強く感じることがある。
司馬の話した通り、彩花は光月の恋人ではなかった。私の恋人でも、もちろんない。やはり彩花は加治の恋人なのだ。それが相思相愛であったかはわからない。ただ、彩花の心が加治に向いていたと考えるのが自然だろう。
だから、彼女は加治の指示で私に近づき、恋人のふりをした。光月へも同じなのだ。あのメールもそう。光月には、私と付き合っているふりをして光月こそ本命であることを強調していたのだ。彼もまた利用できるように。
それは、気づいてみれば至極当たり前の結論だった。私は認めたくなかったのだ。自分の人生のよりどころが、他人の意図のもとで演じていただけだったということに。しかし、腑に落ちる。悲しくはあるが、立ち上がれないほどでもない。ここ数日で大きなものを失いつつも、別の何かを手に入れようとしているからだ。まだはっきりとはわからない。それは、私に生きる力と理由を与えてくれる。
彩花の心に光月がいなかったことを、今の彼に伝えるつもりはない。無意味だ。
「加治とはどんな風に話をしていたんですか」
「話って?」
「詳細を教えてもらえなかったにしても、儀式を潰すことは話していたんでしょう? 他にも話はしていたんじゃないですか?」
「どうだったかなあ」光月は首をひねっているが、真剣に考えている様子はない。もう駄目だ。思考力さえ失ったらしい。自分が何のためにここへ来て、何をしようとしているのか考えたくもないのだろう。
「斉門が王になってもいいんですか?」
わざと挑発めいたことを言ってみるが、彼の心に届いた様子はない。
「それは困る」
「なら、あなたはどう動くつもりなんですか?」
「わからない」
間髪を入れずに返答が来た。頭を動かすこともせず、ただ不幸な自分に酔いしれたいのか。この男が後ろ盾にしていた正義感は何だったのだろう。馬鹿らしくて全身の力が抜けそうになる。これ以上関わると、こちらまで愚かになりそうだ。
沙織に目を向けた。
今も変わらず、光月の腕に手を回している。彼女は光月を心配そうに見つめていた。しかし、私の視線に気づいたのか、光月の無反応に飽きたのか、こちらを向いた。
「ねえ、聞いていい?」
私は無言でうなずいた。
「椎名はあなたに何か話した?」
「何かって?」
「将来のこととか……」
椎名の顔を思い出し、胸が苦しくなった。私が命を奪った少年。椎名智之。いつか、償いをしなければいけない。いや違う。いつか私は、彼を殺した報いを受けねばならないのだ。彼のことを思えば思うほど、心の痛みが広がる。だが、それを無理やり押し殺す。今死んでも、椎名はきっと喜ばない。それは、椎名の死を無価値なものにするだけだ。
私は二人に気づかれないよう、深呼吸をした。
「彼は、東京を見たいって話していたよ」
「そう、やっぱり」
「やっぱりって?」
「六人村は、息苦しいのよ。でも、悪いことばかりでもないけど」
沙織は、そのまま窓の外を見た。話しかけられる雰囲気ではない。そして、私も話しかけようと言う気力を失った。沙織の意識は、光月と椎名、どちらに向いているのだろう。
私は「ありがとう」と二人に声をかけて外へ出たが、返事は聞こえなかった。
加治の意図。それが加治の死と深くつながっているのは間違いない。材料は出そろっている。しかし、私はまだ真相にたどり着いていない。何かがまだ足りない。それは、情報ではなく、視点に思える。私が知らない六人村の見方があるのだ。
自分のログハウスへ戻る途中、進路に誰かが立っていた。私を待ち構えていたようだ。
「秋津君、こんにちは」
斉門だ。彼だと気づいた瞬間、背筋が凍った。スーツを着込み、手袋をしているのに、汗をかいていない。不気味で人間離れしている。
「君と話したかったんだ」
明るく微笑みかけるが、それが余計に恐ろしい。
「そうですか」なるべく無難に、声の調子も淡々としたものになるよう注意を払う。
「樋口さんみたいな老人が、必死に守っている六人村って、どれくらいの歴史があるか知ってる?」
唐突な質問だ。今の状況と関係があるようで、ない。
「いいえ」
斉門は目を見開いて驚いて見せた。わざとだろう。クイズ番組の司会者でも気取りたいのか。私が知るわけないだろうに。新参者だと知っているじゃないか。
「なんとねえ、たった七十年しかないんだよ! 戦前戦中はなかったのさ! すごいよね、こんな苦しい儀式に、伝統も根拠もないんだから」
「根拠がないかはわかりませんよ。何か必要があったのかもしれない」
「必要はあったよ! 六人村が六人村という権力を保持するためにね。密儀って知っているかい?」
「さあ」斉門の思うように動くことで、話を早く終わらせようと思った。
「密儀とは、資格者だけが参加できる秘密の儀式だ。そうやって神秘性を確保することで、儀式そのものの価値を高めるんだ。儀式の価値を高めると、どうなる?」
「どうなるんですか?」
「保持していた権力もまた、強くなる。実体はないけど、誰もが欲しがれば、値段が高くなる。世の中もそんなもんだよね」
ひどく例えが曖昧で子供っぽい。この男は本当に還暦手前なのだろうか。
「六人村はそうやって、伝統がないことをごまかして、地域に号令する権力を手にしたんだ。
樋口老人が隠していたことは、これだったのだろうか? たかだか七十年しか行っていない行事に、人の生き死にを懸ける愚かしさを隠していたかったのか。正丸の言動を思うと、違うように思える。
私が悩んでいる間に、斉門は勝手に話を進めた。
「では第二問。僕はどこから来たか?」
「どこからですか」
「ばーん、正解は司馬君のログハウスです。続けて第三問。僕は何しに司馬君のログハウスに行ったのでしょうか」
全身の毛が逆立った。「まさか」とつぶやくと、斉門が笑顔でうなずく。
「拷問するためでーす。でも、ちょっとやりすぎちゃいました。てへっ」
私は斉門を置いて駆け出した。背後で彼が何か叫んでいるが、聞こえない。聞きたくもなかった。




