17 処刑
翌朝は、平穏に始まった。樋口老人は異常がなかったことを確認すると、一日の食料と着替えを置いて帰っていく。着替えとして渡された服のサイズは、私にぴったりだった。
光月は、何も言わなかった。やはり、私を犯人と指摘したのには、裏があったのだろう。
私の中には、虚脱感しかない。死にたいとは思わない。しかし、生きる理由を失っていた。正丸彩花という女が、ただの薄汚い売女だと知ったときから。
私がログハウスに戻り、黙々とまずい弁当を食べていると、誰かがドアをノックした。私に用がある人間などいないはず。あるとしても、ろくな用件ではない。無視することにした。ドアが再び叩かれる。それでも、身動きせずに沈黙を続けていたら、勝手にドアが開いた。
「なんだ、やっぱりいるじゃねえか」
骨と皮だけのぎょろ目の五十代の男。検見川俊夫だった。私はわずかに警戒する。この男は、加治が生きていたころから、ここにいる。容疑者の一人にはちがいない。
「そんな怖い顔しないでくれよ」
白の混じる無精ひげの顔に、媚びるような笑みが張り付いている。人から蔑まれることに慣れているような表情だった。私の前まで来て、やはり勝手に座る。
「何か、用ですか?」
「昨日は大変だったみてえだな」
「昨日?」
「陽一とだよ。だいぶ、激しくやりあってたじゃないか」
あれだけ怒鳴っていたのだ。他のログハウスでも聞こえて当然か。
「なにかと思って、そばで聞かせてもらったよ
そんなこと言わなければいいものを。わざわざ自分から小物であることを宣言する必要はないだろうに。
「何を、どこまで聞いたんですか?」
検見川が口元のしわがだらしなく広げて、笑みを作る。「なに、拳銃をさ、手に入れたことだよ」
「はあ」
「で、どうするんだ?」
「どうするんだ……とは、どういうことですか?」
ひひ、と彼は歯の隙間から息を洩らす。何かを誤解しているようだ。
「わかっているだろ?」
わからないし、彼の意図をわかろうという気もない。
「俺は王になりたい」
検見川は、私が何かを言う前に、話し始めた。困っているわけではない。楽しくてこらえきれないといった具合だった。
「そして、あんたは光月に復讐したい。目的は違うが、目指す道は一緒だ。手を組んで損はない。そう思わないか?」
卑屈さが前面に出ている。昨日も小人物らしさはあったが、もう少し対等の関係を築こうとしていたはずである。彼の六人村での立ち位置がすけてみえた。王の座を求めるのも当然だろう。
ただ、そんな人間に用はない。私は首を横に振った。
「あなたと手を組む気はありません。帰ってください」
検見川の顎が震えた。それをごまかすように、手を添える。ゆっくり、ためらいがちに口を開いた。
「じゃあ、拳銃をくれ」
「同意すると思っているんですか?」
「力ずくでも、もらう」
迫力のない脅し文句を聞いて、腹の底に火がともったような気がした。検見川に対してはもちろん、光月のこと、彩花のこと、六人村のこと、自分の境遇のこと、全てに対して怒りが湧いた。そして、それが闘争心へと変わっていくのを感じた。私は、ここままではいけない。何か、アクションを起こす必要がある。私は私自身の意志で生きるのだ。
もちろん、わかっている。相手が私よりも下に見える検見川だからこそ、私の生きる力が生まれたことも。
だが、今はそれを利用しよう。このクソみたいな状況を甘んじて受け入れる理由はない。
私にだって好きなようにする権利があるはずだ。
検見川よりも早く立ち上がった。
「秋津、てめえ、やる気か?」
「やる気になったのは、あなたの方でしょう」
「け、拳銃はどこだ?」検見川の額から汗がにじんでいた。
私は彼から目を離さないようにしながら、少し後ろに下がり、足元に置いてある袋を手に持った。全てはこの中に入っている。そして、拳銃を取り出し、袋を部屋の隅に投げ捨てる。
「く、くれ!」
いきなり検見川が拳銃をつかもうと飛びついてきた。とっさに脇によけ、グリップで彼の頭部を殴りつけた。
鼓膜が破れそうになるほどの破裂音。同時に手首に衝撃が走る。
検見川が床に転がった。
何が起きたか、一瞬、判断不能になる。
何も聞こえない。煙が視界に入る。
検見川が這いながら、ログハウスから出ていった。は、は、は、と叫びなのかつぶやきなのかわからない言葉を発しながら。
下半身の力が抜ける。ゆっくり、床に座った。
握っている拳銃を眺める。
銃口から煙が出ていた。
「暴発、か?」
殴りつけたとき、引き金を引いてしまったらしい。
天井を、壁を、見る。だが、弾が当たった跡は見つけられなかった。
「ははっ」なんだか、笑える。
この暴力は、私の味方だ。
四つんばいのまま、先ほど投げ捨てた袋のところへ行く。袋の中を覗いた。弾丸は、ある。かなりある。この場にいる全員に撃っても余る。樋口老人とそのお付きの男も入れても、まだ余裕がある。何発か外したって問題はない。
光月がこれを私に返したのは、失敗だった。
拳銃は、私が私の意志を通すために、有効活用しよう。
しかし、私の意志は何なのだろうか?
しばらく拳銃をもてあそぶ。弾は念のために抜いておいた。貴重な武器である。無駄遣いは避けたかった。
拳銃の重みを味わいながら、自分の心の中を覗き込んだ。建前や保身といったクソ役にも立たない感情を捨てていき、本当の欲望を探す。
昨日まであった『王』への気持ちもない。私が王になる理由はないのだ。かといって棄権もできないし、容易に脱出もできない。儀式が終わるまで、ここに拘束されるしかない。
何をしよう?
正丸彩花。もうあんな女のことはどうでもいい。光月陽一。憎しみはあるが、今となっては殺す根拠が薄弱だ。椎名智之。彼の死は、私の責任だ。私がだまされなければ、彼は死なずにすんだ。誰が私をだましたのか。光月の言葉が本当だとすれば、加治だ。かつての王。今は死せる王。六人村の頂点で七年間、自由気ままにふるまった男。
ああ、そうだ。私が何をすべきなのか、見えた。
真実。結局は、真実だ。今の私にこれ以上必要なものはない。
私はなぜ、はめられたのか。知りたくて知りたくて、仕方がない。
加治は何かを知っていた。だが、彼は死んだ。直接訊くことはできない。
では、どうする? どうすれば、私は真実へ到達することができる?
ない。道は見当たらない。進む方向さえわからない。だが、行ってはいけないところは、わかるような気がした。それは、光月陽一だ。彼のもとへは行ってはいけない。彼が善なのか悪なのか判断できないが、きっと彼は私を内と外から破壊する。
だとしたら、一人でいるべきか? 否だ。それは、いけない。一人で行動したからこそ、私の現在の窮状があるのだ。一人では無理だ。
ならば、答えは一つ。私だけでは道が開けない以上、誰かと手を組むしかない。光月以外の誰かと。
もちろん、具体的に何かをするなんてことはまだ頭に浮かばない。それでも、誰かとともに動くことが大事に感じられてしようがないのだ。
相手の思惑はともかく、誰と組めばいいのだろう。
検見川俊夫は論外だ。手を組むのは簡単だが、あれでは使い物にならない。
正丸常道。自称、彩花の父親。うさんくさい男だった。協力関係を築くことはできない気がする。あの、軽薄そうな顔を思い出すだけで、不信感が募る。偏見かもしれないが、自分の直感を大事にしようと思う。
また、いくら加治の妹だとはいえ、沙織を巻き込むほど、私は鬼畜ではない。
残ったのは、一人。
司馬だ。人を殺すことに快楽を覚える男。私には皮肉か脅しか、曖昧な言葉しか投げてこなかった。だが、手を組むのなら、彼がいい。彼は、周囲の人間から疎まれていた。原因はほぼ確実に、その性癖だろう。私も、彼の趣味を肯定することはできない。
ただ、司馬は、孤独な人生を歩んできたはずだ。
その一点で、私は彼と同じだ。
拳銃を持ったまま、立ち上がる。外を見ると、太陽はてっぺんを過ぎていた。ずいぶん長い間、考えていたようだ。昼食がまだであることに気づいた。しかし、腹は空いていない。それに、あのまずい味を思い出すだけで、食欲は失われる。
食べずに、司馬のもとへ向かうことにした。
考えてみれば、彼のフルネームを知らない。
外は日差しが強かった。ログハウスを出た瞬間、目がくらんだ。気にせず、歩を進める。もうこの広場も慣れてきた。司馬のログハウスも、消去法でわかる。
一応、ノックをした。
「誰だ」
「秋津信彦です」
「……入れ」
司馬の声に皮肉が混じっていた。それもそうだろう。私だって逆の立場であれば、笑っていたはずだ。私は、間抜けに見える。
司馬は同じスーツ姿のまま、片膝を立てて、床に座っていた。
「何の用だ」彼は目線を合わせないで言う。
「単刀直入に言います。私に協力してください」
ここで、彼の目が、私に向く。それは、虫けらに対するものと同じに思えた。
「断る」
わかりました、と諦めたくなる。しかし、私は首を振った。
「拳銃を取り戻しました」
「あれだけ大騒ぎをしたんだ。知ってるよ」
取りつく島もない。今までは思わせぶりな態度で接触をはかってきたくせに、いざこちらから働きかけるとそっけなくする。覚悟していたところとは違う部分で、困惑させられた。
「司馬さん、あなたの目的はやはり、王ですか?」
「お前には関係ない」
彼が目を外の景色へ向ける。苦し紛れの質問だったが、悪くはなかったようだ。素直に『王になりたい』と言えば、話はそれで終わった。少なくとも、私に会話を続ける力はない。だが、言葉を濁したからには、王以外の目的があるのだ。関係ない、というのは、何かある、の裏返しだ。ただ、王が目的のためには必要な手段である可能性は残っている。
「秋津」遠くを見ながら、司馬が私に呼びかける。「お前の目的は何だ」
「真実。私が何のためにここにいるのか。どうして加治が偽の恋人をあてがってまで私をだましたのか。私はそれが知りたいんです」
「わかると思うか? 加治は王だった。王は孤高だ。相談相手など誰もいない。彼の意思を誰が知っている? そして、加治は今、死者だ」
「知っている人間がいなくとも、知る方法があるでしょう。考古学のように、残された事物から、真実を再構成すればいい」
「再構成?」再び、司馬の目が私に向けられる。「それが真実である保証はないんだぞ? いくらその組み合わせがよくできていたとしても、正しいと誰が証明する? 証明できる人間がいないから、歴史に異説が生まれて、何年経っても消えないんだ」
「それでも、何も知らない今よりは、ずっとましです」
「真実でないという疑念が永遠に残ったとしても?」
私はうなずいた。「言い出したらきりがありません。他人と交わるというのは、そういうことではありませんか」
「理屈ではある」
司馬が気だるそうに立ち上がる。
「しかし、情報を集めるだけなら、今だってやれるだろう。お前には拳銃がある。それで脅せば大抵の人間は口を開くと思うがな」
「本当にそう思いますか?」
「ああ」
司馬はうなずくが、口には薄笑いを浮かべている。私を試しているようだ。それが、協力するために力量を量っているからか、ただ遊んでいるだけか、判断がつかない。まあ、後者であったとしても、その確信が持てない以上は、真剣に応答しないわけにはいかないのだが。
「司馬さん。あなただって、そんなこと信じてないでしょう」
「ほう? なぜそう思う」
私は肩をすくめてみせた。似合わなくとも、余裕があるところを見せたい。
「人は銃を怖がるのではなく、撃たれるかもしれないと思うから、脅しに応じるんです。子供でもわかります」
「お前が子供だとは知らなかった」
くだらないやり取りだ。司馬の本心も全く見えてこない。次の言葉を必死に探しているとき、外で何かが聞こえた。
悲鳴だ。
誰かが、叫んでいる。何かが潰れたような、短くはかない悲鳴だった。低い。男のものだ。
司馬は、ログハウスを飛び出していった。私も後を追う。
他の連中も、外に出ていた。
広場の中央に三人の男がいる。富士見兄弟が左右に立って、膝をついている検見川を取り押さえていた。
「何をしている」
光月が三人に近づく。私も含めて、他の面々は少し離れたところで立ち止まり、光月の行動を見ている。司馬も同じだった。
「処刑だ」
兄の富士見克己が、光月に答えた。
「なぜだ」
光月が吼えた。しかし対照的に富士見兄弟がそろって薄笑いを浮かべている。
「この男は儀式から脱走を図ろうとした。逃亡は死刑だ。俺たちは間違っているのか」
「確かに儀式の掟では、逃亡者には死が与えられることになっている。その意味では、お前たちは間違っていない」
「ほら、やっぱり」
富士見の弟が、鼻で笑う。しかし、光月の怒気が収まる様子はなかった。
「ただし、人としては間違っている。人が人の命を安易に奪っていいわけがない」
理屈はともかく、あれだけ光月に殴られた私としては、彼が言っているという点により、素直にうなずけない。また賛成にしろ反対にしろ、ここで横槍を入れるほどの気力はなかった。
「光月ぃ」克己だった。「お前、正気か? 自分が何を言っているのか、わかってるのか?」
「俺は正気だ」光月が力強く言い切った。
「はははは! その意見に同意する人間が他にいると思うか?」
克己が周囲を見回した。誰も何も言わない。それどころか、動こうともしない。私も同じだった。
「ほら見ろ。お前が正気だと思っているのはお前だけだ」
光月がわざとらしくため息をついた。「人の命がかかっている状況で、誰がそんなくだらない質問に答えると思っているんだ」
数歩、彼は富士見兄弟に近づいた。
「検見川さんを解放しろ」
「拒否する」弟だった。
「解放してもいいが、代わりにお前が死ぬか?」今度は兄が落ち着いた様子で問いかける。
「戯言を抜かすな」
「違う、取引だ」
「こんな取引があってたまるか」光月が吐き捨てた。
「あるだろう、ここに」
弟が大地を指さした。光月は唇、いや顎全体を震わせるが、反論をしない。言えないのか。なぜ? こんなくだらないからかいなど、笑ってやればいいのに。
「さあ、この処刑に異論がある者はいないか」
「異論がある者は前に出ろ」
富士見兄弟が、私たちに問いかける。
「いないのか?」
「いなければ、検見川俊夫は死ぬことになる」
やはり、動く者はいなかった。――私以外は。
正義感や勇気ではなかった。しかも、私にとって得なことは一切ない。勝手に足が動いていただけだ。私は、四人のそばまで近づいた。富士見兄弟と光月は私を見るが、検見川はうつむいて動きもしない。もう全てを諦めているのかもしれない。
「異論はあるようだな」と、富士見克己が言った。
私はわざとため息をついた。「どうも、そうらしいですね」
「何をかっこつけてるんだか」弟の和樹が私を嗤う。
「秋津、部外者が口を挟むな」光月が怒りを向ける。
「部外者ではない」
兄と弟が同時に反論した。損得を考えず、私もうなずく。
「秋津」光月は目を見開いた。しかし、続けて言葉を発しようとした彼を、克己が手で遮り、首を横に振る。
「光月陽一。仏心を出すんじゃない。秋津信彦は、六人村の人間、次代の王の候補、儀式の参加者だ。断じて部外者ではない」
「だが、何も知らない」
よくわからないが、光月はなぜか私のために食い下がっている。特にありがたみは感じない。それよりも、私をにらむのをやめてほしいものだ。
「そう、知らない」克己は光月に言い放つ。「秋津信彦は、掟を知らないだけだ。しかし、それがどうした? 知らなくとも資格者には、同じように適用される。それは、日本の憲法だって同じだろう?」
「どうでしょうか。場合に寄ると思うんですが、日本の法律の場合は」
彼が私と目をあわせたので、つい言ってしまった。怒り出すかと思いきや、彼はにやりと笑いかける。
「じゃあ、ここは日本じゃない。お前はたとえ何が罪かを知らなくても、自らの行為の責任は取らされるんだ」
「そうですか。それで、私はどんな罪を犯したんですか」
「規則を破った人間をかばった。それは、同じ罰を受けるということだ」
身体が強張った。
「つまり、私も処刑すると?」
「そうなるな」弟は検見川を忘れたかのように、私を見ながら腕を組んだ。
富士見兄弟が処刑を実行できるのか、正直なところ半信半疑ではある。しかし、光月の様子からすれば、ただのはったりではなさそうだ。少なくとも、真実だという観点で考えたほうがいいに決まっている。何かあったとき、後悔はしたのでは遅い。
富士見兄弟の立ち位置が見えてきた。彼らは六人村に住みながら、王になる資格を持たず、永遠に門番であることを強いられる。候補者からは蔑まれ、一族は滅びようとしている憐れな存在。六人村の最下級にいることは間違いない。
だが、それだけではなかったのだ。
恵まれない家だからこそ、大きな権利を持っている。
六人村の人間に、罰を与える役目――いわば、処刑人である。
だから、私が部外者かどうか問題にしたのだ。彼らの力は、六人村の外にはない。
そして、その力はおそらく儀式の間限定なのだろう。というのも、それだけの権限があれば、富士見兄弟がコンプレックスを抱くことはなかったはずだ。
七年に一度だけ、彼らには力が与えられる。
その事実に至り、全身の毛が逆立った。富士見兄弟にとって、儀式は他人に優越できるとき。そして今、彼らは検見川俊夫という獲物を手に入れた。彼らが検見川を殺さないわけがない。私が彼らなら、やる。絶対にやる。やめてしまったら、自分がここにいる理由、生きている理由がなくなってしまう。富士見兄弟には、殺さなければいけない動機がある。
「申し訳ありませんでした」と、頭を下げた。
「秋津、どういうつもりだ」
富士見克己の声に、顔を上げる。ほんの少し安堵をした。彼は私に怒りを向けていない。まだ私を獲物だとは感じていないようだ。あとは、私が無様な姿を見せればいい。
私はまだ死にたくない。
「二人の邪魔をして、申し訳ありませんでした。口を挟みたかったのではなく、ただ足が勝手に前に出てしまっただけなんです」
先ほどまでは私をかばおうとしていた光月の顔に、嫌悪が表れた。
「秋津、恥を知れ」
低く、しかし皆に聞こえるようにつぶやく。やはりこの男の器は、こんなものなのだろう。正義感ぶりながら、潔癖で押しつけがましい。彼は怒りながらも、検見川を助けようとはしないのだ。
「光月、別にいいじゃないか」
克己だった。弟の和樹が、それにあわせてうなずいている。光月は、私をにらみながらも何も言おうとはしない。さすがに、ここで私にとどめを刺すのは本意でないのだろう。まあ、光月が私を追い詰めようというのなら、私はそれ以上に生に執着するだけだ。
「じゃあ、秋津」克己の対象が再び私になる。
「はい」
「検見川俊夫がこれから殺されることに、文句はないんだな」
「はい」
自分でも拍子抜けするくらい、抵抗なく返事ができた。無様な命乞いは、計算でやったつもりだったが、実のところただの本心だったらしい。それもいい。光月を罵れないくらい、私は恥知らずなのだ。
私が検見川の死を許容したとき、検見川は顔を上げ、私を見た。一瞬、笑ったような気がしたが、確証はない。彼が私に何を言いたかったのかも、わからない。すぐにまた、彼はうつむいてしまった。
「よろしい。反対者はいないようだな」
和樹が、光月を見ながら言った。光月は顔をそむけている。立ち去ればいいものを、そのまま佇んでいるのは、最後のプライドだからなのか。
光月の反論がないのを見て、克己がうなずいた。
「では、検見川俊夫。お前は、儀式から逃亡しようとした罪により、ここで処刑される。何か言うことはないか」
「死にたくない。助けてくれ」
検見川は顔を上げなかった。声に力はないが、震えていない。枯れていた。彼の本音なのは間違いない。だが、それが不可能であることも知っているのだ。
諦めは、候補者たち全員が共有していた。空気は重く、真夏にもかかわらず、暑さを感じない。意識は、今まさに消されようとしている検見川に向けられる。
「では、処刑する」
心の準備ができる前に、克己が宣告する。
富士見兄弟は、わずかに検見川と距離を置いた。
検見川俊夫は、膝をついた状態のまま、動こうとしない。
先に動いたのは、弟の和樹だった。
足を振り上げ、検見川の頭を蹴る。検見川が「ごう」と呻いて、大地に伏した。そこへ、克己の足が飛んでくる。二人が、足で検見川の身体中を蹴り始めた。彼をサッカーボールと勘違いしているかのように。
せめて一思いに殺してやれ。言いたかった。しかし、言えなかった。
検見川は抵抗らしき動きを一切見せない。彼の血だらけの顔が、富士見兄弟の足の間から見えた。恍惚としているように感じたのは、気のせいだろうか。目が合う。これも気のせいかもしれない。
死の匂いがした。
和樹が、検見川の頭を思い切り蹴る。ぼき、という音がした。首がありえない方向に曲がる。曲がりっぱなしである。動かない。いや、一瞬、全身が震えた。痙攣だ。ああ、と誰かが叫ぶ。ふん、と和樹が不快そうに鼻を鳴らす。痙攣が止まった。何者かがため息をつく。検見川がもう二度と動かないのは、誰の目にも明らかだった。思ったよりも早かった。
「さあ、散れ。見世物は終わりだ」
克己が私たちを見ながら、告げた。彼らだけに与えられた力を行使したにもかかわらず、その表情は暗い。――違う。例外が一人。
「みなさん、ご苦労さん」
司馬が寒々しい拍手をした。
「なあ、何が面白いんだ」
克己の声には、疲れが滲んでいた。
「俺はお前に聞きたい。どうして、楽しそうにしていないんだ?」
「人が死んで笑っていられるほど、俺は狂っちゃいない」
「でも、殺したのはお前じゃないか」
「それが、俺の与えられた役割だからだ」
「見逃すって選択肢もあったんじゃないか」
司馬は笑っている。それを見ている光月の目が細まり、眉間にしわが寄った。この正義漢には気に食わないようだ。しかし、会話には加わろうとしない。司馬に答えたのはやはり富士見の兄だった。
「儀式から逃亡する者には、富士見家が死を与える。六人村の掟だ。お前は掟を破れるのか?」
「俺の話をしているんじゃない。富士見兄弟、お前たちの話をしているんだ」
稚拙な返しだった。理屈も何もない。まともに取り合うのもおかしいと思うのだが、克己も和樹も、司馬をにらんだまま黙ってしまった。
司馬は二人を見て、肩をすくめる。
「そんなに怒るなよ。お前たちは念願のお役目を果たしたんだ。同じ人殺しとして、喜びをわかち合ってやろうと思っただけさ。もっと楽しそうにしろよ」
なるほど。この男に比べれば、富士見兄弟のほうがまだ、まともな感性を持っていたということなのだろう。
二人は、与えられてきた力を行使することで、自分たちの存在意義を実感できると考えていた。だが、実際にやってみると、人を殺すことは楽しいものではなかったというわけだ。私をいたぶっていたときとは、勝手が違ったのかもしれない。
手をくだしたのかはともかく、彼らの親族はみな、同じ感想を抱いたのではないか。他者の死を弄ぶのは虚しいということに。ゆえに、その血筋は滅びようとしているのではないか。推測にすぎないが、私の中で、ぴたりと収まった。なんとも、救われない兄弟だ。
「司馬、お前とは違うよ」
克己は疲れたように言うと、検見川の死体の腕をつかんだ。和樹が無言で検見川のもう片方の腕をつかむ。二人はそのまま死体を引きずりながら、自分たちの持ち場へと帰っていった。
検見川の顔が一瞬、目に入る。血まみれで虚ろで、どこか幸福そうだった。
他の連中は、自分たちのログハウスへと戻るようだ。誰も互いを見ようとせず、この場から逃げるように去っていく。
光月の様子を目で追った。検見川が転がっていた場所をじっと見つめているらしい。うつむいていて、顔は見えない。見たいとも思わない。
私も戻ろう。そう思ったとき、「秋津」と声をかけられた。司馬の声。まだここにいたようだ。
「秋津」
私が反応をしなかったからか、もう一度呼びかけてきた。だが、今回も無視をする。光月の様子が気になっていたのだ。
「聞こえているのか」
声に怒気が混じる。これ以上は面倒そうだ。
「なんです」
返事はする。目線は光月に向けたままだが。彼はまだ何もない地面を見つめていた。首をかたむけたので、私にも光月の表情が見えた。痛みをこらえるような顔である。急に彼を観察しているのが、馬鹿馬鹿しくなった。他人のことで、それほど長く苦痛を覚えることなどできない。できるのは、自分にも嘘をつく偽善者くらいだろう。そして、光月は偽善者なのだ。
私は司馬の顔を見た。目が合う。彼は、私が自分を見るのを待っていたらしい。
「秋津、俺のログハウスに来い。話がある」
私がうなずくと、彼は背を向けてログハウスに戻ろうとした。私もその後を追う。横に並ぼうと思わないし、話しかけたくもない。ただ、音で私が付いてきていることがわかるよう、気持ち荒々しく歩いた。
司馬のログハウスに着くなり、彼は本題を切り出す。
「手を組もう」
「いきなりなんです? さっきは拒絶したのに」
「状況が変わった。元々はお前の提案だ。損はないと思うが」
冷静に見える司馬だったが、よく見ると額に汗をかいている。少なくとも罠ではないようだ。しかし、公平なものかはわからない。
「司馬さん、状況が変わったとは?」
「検見川俊夫が死んだ」
「正直、あなたが人の死にショックを受けるとは思えない。それとも、富士見兄弟が怖くなったとでも?」
司馬はしばし黙って私を見つめる。そして、首をわずかに振った。
「検見川の死は、明後日に違う意味を持つ。検見川の家の候補者が補充される。問題はそこだ」
「というと?」
「あそこの次の候補者は、危険だ」
嘘を言っているようには見えない。そうなると、私の覚悟も決まる。
「もっと詳しく情報が欲しい。いいでしょう。あなたと手を組みます。ただし、対等の関係ならば」
対等な関係については、あまり期待していない。拒絶されれば、すぐに撤回するつもりだった。だが、言っておくとおかないでは、後々違ってくるような気がしたのだ。
しかし司馬の返答は、私の予想と違った。
「わかった」
気持ちが悪いほど素直に、彼は私の要求は受け入れる。何がどう関係が変わるかは、私も漠然としていたが、その姿勢を認められるとは思いもしなかった。それほど、危険な相手ということか。人殺しが恐れる相手とは、どのような人間なのだろう。
「それで、次の候補者はどんな人なんですか」
「一言で言えば、拷問者だ」
拷問者? どういうことだ?
「富士見兄弟のように、儀式で役割を与えられた存在、ということですか」
「違う。拷問者ってのは、いわばあだ名だ。俺の殺人鬼のようにな」
「サディストということですか?」
「そう、そうなんだが、それだけでは、あいつの危険さは伝えられない」
「具体的には」
「ない。ないとしか言えない。具体的な危険性が『ない』んじゃない。虚無なんだ。あいつの心には、何もない」
「――全くイメージできません」率直な感想だった。
「それもそうだな。まあ、あいつが来るまでにどうこうできるものでもない。それに、明後日にはいやでも見るんだ。楽しみに待っててくれ」
司馬が薄笑いを浮かべた。ようやく、いつもの彼に戻ったらしい。良いことなのかどうかは、あえて考えないことにする。
「じゃあ、とりあえず話はお終いってことでいいのか?」
「いえ、まだ聞きたいことがあります」
司馬は肩をすくめた。「わかった。こうなれば、なんでも話してやる。だがなあ、お前の出自やここに連れてこられた理由は、本当に知らない」
「信じましょう。それは自分で見つけます」
「ありがたいことだ。もう一つ頼みがあるんだがな」
「なんですか」
「食事がまだなんだ。質問攻めは、その後にしてくれ」
私は了承した。人殺しも食事が必要。当たり前すぎることなのに、私には意外に思えた。特に、この男が人間らしさを自分からさらけ出すことに。
他人の食事風景など見たくもないので、私は自分のログハウスに戻った。司馬には、用意ができたら、そちらから訪ねてくれと言ってある。期待はしていないが、時間はまだある。協力は取り付けたのだ、無理をすることはない。
しばらくすると、扉をノックする音が聞こえた。私が返事をする前に、扉が開かれる。
「来てやったぞ」
司馬だった。勝手に上がってきて、私の前に座る。
「さあ、聞きたいことを早く言え」
押しつけがましい口調だが、今までの敵意が感じられない。なるほど、確かに私たちは協力関係になったようだ。向こうから歩み寄っていることに、違和感を覚える。私が考える司馬の姿が間違っているのだろうか。まあ、私にとって悪いことではない。
「最初に、もう一度確認させてください。私がここにいる理由を、本当に知らないんですね」
「ああ。悪いな、本当に知らない」
何となくだが、嘘ではないと思う。少なくとも、今は彼の言葉を信じよう。
「わかりました」
「それで質問は全部か?」
「いいえ、まだあります」
「わかった」
司馬が素直にうなずく。やりやすい。気持ちが悪いくらい、やりやすい。
「検見川俊夫についてです。薄情な言い方ですが、儀式からの逃亡に失敗した時点で、富士見兄弟のリンチがあるのはわかっていたはず。自殺を図るのも、一つの手だったのではないかと思うのです」
「ひどい物言いだな」
「違う言い方をするのなら、死ぬ気で抵抗することもできたのではないか、と思うんです」
気になっていたのは、検見川の態度である。富士見兄弟の暴行になすがままだった。そしてその時の目。あれは、生を諦めたものだった。だが、思う。殴られている段階で、身体に痛みがある状態で、諦めてしまえるのだろうか。人間の本能として、もう少しあがいてもいいのではないか。彼は命乞いをしていた。生への執着は確かにあったのだ。
「お前の言いたいことはわかる。だが、それは不可能だ」
「断定とはまた極端ですね。理由は何です?」
「儀式の場において、自殺を禁じられている」
「なぜ」反射的に訊いていた。意味不明である。
「わからない」
司馬の目の奥を見る。気味が悪いほど透き通っていて、虚無的だった。
「ずっと昔からそういうことになっている」
「しかし、決まっているからといって従ってしまうものですか? 理性で本能を抑えられるとは思えない」
「抑えられるさ。自分のためならともかく、家族のためならな」
「どういうことですか?」
「儀式の最中に自殺をすると、その家は王になる資格を失う。そして、権利は分家に移る」
「……異常ですね」
「異常だよ。でも、そんなのはとうにわかっていたことだろう」
司馬は軽く言う。私は頭を振った。親兄弟、親類が人質に取られているのか。それは、死ねない。いや、死なせないためのルールなのだ。六人村は、人を縛ることで存続している。
検見川は、掟の犠牲になった。絶望をしても、自ら死を選ぶ自由を与えられなかったのである。急に両肩が重くなった気がした。検見川の死の一端を担ったように思えてきたのだ。私が彼に協力すれば、もしかしたらそんな死に方をせずに済んだのかもしれない。でも、できることは何もない。これまでも、これからも。
ふいに、司馬に自分の気持ちを吐露したくなった。しかし、寸前で踏みとどまる。無意味だ。目の前の男は、人を殺すのが好きな人間。共感し合えるはずがない。
私は大きく息を吐いた。それが感情表現の限界だ。
「他に質問はあるか?」
「今のところ、ありません」
「そうか、まあ、明後日の朝までは余裕がある。聞きたいことがあれば、来ればいい」
司馬は出ていった。彼と手を組んだことに後悔はない。ただ、気持ちが追い付かない。私は、どこへ向かおうとしているのだろう。見えたはずの道が、いつの間にか消えていた。




