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贄の王  作者: どんより堂
17/22

17 処刑

 翌朝は、平穏に始まった。樋口老人は異常がなかったことを確認すると、一日の食料と着替えを置いて帰っていく。着替えとして渡された服のサイズは、私にぴったりだった。

光月は、何も言わなかった。やはり、私を犯人と指摘したのには、裏があったのだろう。

私の中には、虚脱感しかない。死にたいとは思わない。しかし、生きる理由を失っていた。正丸彩花という女が、ただの薄汚い売女だと知ったときから。

 私がログハウスに戻り、黙々とまずい弁当を食べていると、誰かがドアをノックした。私に用がある人間などいないはず。あるとしても、ろくな用件ではない。無視することにした。ドアが再び叩かれる。それでも、身動きせずに沈黙を続けていたら、勝手にドアが開いた。

「なんだ、やっぱりいるじゃねえか」

 骨と皮だけのぎょろ目の五十代の男。検見川俊夫だった。私はわずかに警戒する。この男は、加治が生きていたころから、ここにいる。容疑者の一人にはちがいない。

「そんな怖い顔しないでくれよ」

 白の混じる無精ひげの顔に、媚びるような笑みが張り付いている。人から蔑まれることに慣れているような表情だった。私の前まで来て、やはり勝手に座る。

「何か、用ですか?」

「昨日は大変だったみてえだな」

「昨日?」

「陽一とだよ。だいぶ、激しくやりあってたじゃないか」

 あれだけ怒鳴っていたのだ。他のログハウスでも聞こえて当然か。

「なにかと思って、そばで聞かせてもらったよ

 そんなこと言わなければいいものを。わざわざ自分から小物であることを宣言する必要はないだろうに。

「何を、どこまで聞いたんですか?」

 検見川が口元のしわがだらしなく広げて、笑みを作る。「なに、拳銃をさ、手に入れたことだよ」

「はあ」

「で、どうするんだ?」

「どうするんだ……とは、どういうことですか?」

 ひひ、と彼は歯の隙間から息を洩らす。何かを誤解しているようだ。

「わかっているだろ?」

 わからないし、彼の意図をわかろうという気もない。

「俺は王になりたい」

 検見川は、私が何かを言う前に、話し始めた。困っているわけではない。楽しくてこらえきれないといった具合だった。

「そして、あんたは光月に復讐したい。目的は違うが、目指す道は一緒だ。手を組んで損はない。そう思わないか?」

 卑屈さが前面に出ている。昨日も小人物らしさはあったが、もう少し対等の関係を築こうとしていたはずである。彼の六人村での立ち位置がすけてみえた。王の座を求めるのも当然だろう。

 ただ、そんな人間に用はない。私は首を横に振った。

「あなたと手を組む気はありません。帰ってください」

 検見川の顎が震えた。それをごまかすように、手を添える。ゆっくり、ためらいがちに口を開いた。

「じゃあ、拳銃をくれ」

「同意すると思っているんですか?」

「力ずくでも、もらう」

 迫力のない脅し文句を聞いて、腹の底に火がともったような気がした。検見川に対してはもちろん、光月のこと、彩花のこと、六人村のこと、自分の境遇のこと、全てに対して怒りが湧いた。そして、それが闘争心へと変わっていくのを感じた。私は、ここままではいけない。何か、アクションを起こす必要がある。私は私自身の意志で生きるのだ。

 もちろん、わかっている。相手が私よりも下に見える検見川だからこそ、私の生きる力が生まれたことも。

 だが、今はそれを利用しよう。このクソみたいな状況を甘んじて受け入れる理由はない。

 私にだって好きなようにする権利があるはずだ。

 検見川よりも早く立ち上がった。

「秋津、てめえ、やる気か?」

「やる気になったのは、あなたの方でしょう」

「け、拳銃はどこだ?」検見川の額から汗がにじんでいた。

 私は彼から目を離さないようにしながら、少し後ろに下がり、足元に置いてある袋を手に持った。全てはこの中に入っている。そして、拳銃を取り出し、袋を部屋の隅に投げ捨てる。

「く、くれ!」

 いきなり検見川が拳銃をつかもうと飛びついてきた。とっさに脇によけ、グリップで彼の頭部を殴りつけた。

 鼓膜が破れそうになるほどの破裂音。同時に手首に衝撃が走る。

 検見川が床に転がった。

 何が起きたか、一瞬、判断不能になる。

 何も聞こえない。煙が視界に入る。

 検見川が這いながら、ログハウスから出ていった。は、は、は、と叫びなのかつぶやきなのかわからない言葉を発しながら。

 下半身の力が抜ける。ゆっくり、床に座った。

 握っている拳銃を眺める。

 銃口から煙が出ていた。

「暴発、か?」

 殴りつけたとき、引き金を引いてしまったらしい。

 天井を、壁を、見る。だが、弾が当たった跡は見つけられなかった。

「ははっ」なんだか、笑える。

 この暴力は、私の味方だ。

 四つんばいのまま、先ほど投げ捨てた袋のところへ行く。袋の中を覗いた。弾丸は、ある。かなりある。この場にいる全員に撃っても余る。樋口老人とそのお付きの男も入れても、まだ余裕がある。何発か外したって問題はない。

 光月がこれを私に返したのは、失敗だった。

 拳銃は、私が私の意志を通すために、有効活用しよう。

 しかし、私の意志は何なのだろうか? 

 

 しばらく拳銃をもてあそぶ。弾は念のために抜いておいた。貴重な武器である。無駄遣いは避けたかった。

 拳銃の重みを味わいながら、自分の心の中を覗き込んだ。建前や保身といったクソ役にも立たない感情を捨てていき、本当の欲望を探す。

昨日まであった『王』への気持ちもない。私が王になる理由はないのだ。かといって棄権もできないし、容易に脱出もできない。儀式が終わるまで、ここに拘束されるしかない。

何をしよう?

 正丸彩花。もうあんな女のことはどうでもいい。光月陽一。憎しみはあるが、今となっては殺す根拠が薄弱だ。椎名智之。彼の死は、私の責任だ。私がだまされなければ、彼は死なずにすんだ。誰が私をだましたのか。光月の言葉が本当だとすれば、加治だ。かつての王。今は死せる王。六人村の頂点で七年間、自由気ままにふるまった男。

 ああ、そうだ。私が何をすべきなのか、見えた。

 真実。結局は、真実だ。今の私にこれ以上必要なものはない。

 私はなぜ、はめられたのか。知りたくて知りたくて、仕方がない。

 加治は何かを知っていた。だが、彼は死んだ。直接訊くことはできない。

 では、どうする? どうすれば、私は真実へ到達することができる?

 ない。道は見当たらない。進む方向さえわからない。だが、行ってはいけないところは、わかるような気がした。それは、光月陽一だ。彼のもとへは行ってはいけない。彼が善なのか悪なのか判断できないが、きっと彼は私を内と外から破壊する。

 だとしたら、一人でいるべきか? 否だ。それは、いけない。一人で行動したからこそ、私の現在の窮状があるのだ。一人では無理だ。

 ならば、答えは一つ。私だけでは道が開けない以上、誰かと手を組むしかない。光月以外の誰かと。

 もちろん、具体的に何かをするなんてことはまだ頭に浮かばない。それでも、誰かとともに動くことが大事に感じられてしようがないのだ。

 相手の思惑はともかく、誰と組めばいいのだろう。

 検見川俊夫は論外だ。手を組むのは簡単だが、あれでは使い物にならない。

 正丸常道。自称、彩花の父親。うさんくさい男だった。協力関係を築くことはできない気がする。あの、軽薄そうな顔を思い出すだけで、不信感が募る。偏見かもしれないが、自分の直感を大事にしようと思う。

 また、いくら加治の妹だとはいえ、沙織を巻き込むほど、私は鬼畜ではない。

 残ったのは、一人。

 司馬だ。人を殺すことに快楽を覚える男。私には皮肉か脅しか、曖昧な言葉しか投げてこなかった。だが、手を組むのなら、彼がいい。彼は、周囲の人間から疎まれていた。原因はほぼ確実に、その性癖だろう。私も、彼の趣味を肯定することはできない。

 ただ、司馬は、孤独な人生を歩んできたはずだ。

 その一点で、私は彼と同じだ。

拳銃を持ったまま、立ち上がる。外を見ると、太陽はてっぺんを過ぎていた。ずいぶん長い間、考えていたようだ。昼食がまだであることに気づいた。しかし、腹は空いていない。それに、あのまずい味を思い出すだけで、食欲は失われる。

 食べずに、司馬のもとへ向かうことにした。

 考えてみれば、彼のフルネームを知らない。

 外は日差しが強かった。ログハウスを出た瞬間、目がくらんだ。気にせず、歩を進める。もうこの広場も慣れてきた。司馬のログハウスも、消去法でわかる。

 一応、ノックをした。

「誰だ」

「秋津信彦です」

「……入れ」

 司馬の声に皮肉が混じっていた。それもそうだろう。私だって逆の立場であれば、笑っていたはずだ。私は、間抜けに見える。

 司馬は同じスーツ姿のまま、片膝を立てて、床に座っていた。

「何の用だ」彼は目線を合わせないで言う。

「単刀直入に言います。私に協力してください」

 ここで、彼の目が、私に向く。それは、虫けらに対するものと同じに思えた。

「断る」

 わかりました、と諦めたくなる。しかし、私は首を振った。

「拳銃を取り戻しました」

「あれだけ大騒ぎをしたんだ。知ってるよ」

 取りつく島もない。今までは思わせぶりな態度で接触をはかってきたくせに、いざこちらから働きかけるとそっけなくする。覚悟していたところとは違う部分で、困惑させられた。

「司馬さん、あなたの目的はやはり、王ですか?」

「お前には関係ない」

 彼が目を外の景色へ向ける。苦し紛れの質問だったが、悪くはなかったようだ。素直に『王になりたい』と言えば、話はそれで終わった。少なくとも、私に会話を続ける力はない。だが、言葉を濁したからには、王以外の目的があるのだ。関係ない、というのは、何かある、の裏返しだ。ただ、王が目的のためには必要な手段である可能性は残っている。

「秋津」遠くを見ながら、司馬が私に呼びかける。「お前の目的は何だ」

「真実。私が何のためにここにいるのか。どうして加治が偽の恋人をあてがってまで私をだましたのか。私はそれが知りたいんです」

「わかると思うか? 加治は王だった。王は孤高だ。相談相手など誰もいない。彼の意思を誰が知っている? そして、加治は今、死者だ」

「知っている人間がいなくとも、知る方法があるでしょう。考古学のように、残された事物から、真実を再構成すればいい」

「再構成?」再び、司馬の目が私に向けられる。「それが真実である保証はないんだぞ? いくらその組み合わせがよくできていたとしても、正しいと誰が証明する? 証明できる人間がいないから、歴史に異説が生まれて、何年経っても消えないんだ」

「それでも、何も知らない今よりは、ずっとましです」

「真実でないという疑念が永遠に残ったとしても?」

 私はうなずいた。「言い出したらきりがありません。他人と交わるというのは、そういうことではありませんか」

「理屈ではある」

 司馬が気だるそうに立ち上がる。

「しかし、情報を集めるだけなら、今だってやれるだろう。お前には拳銃がある。それで脅せば大抵の人間は口を開くと思うがな」

「本当にそう思いますか?」

「ああ」

 司馬はうなずくが、口には薄笑いを浮かべている。私を試しているようだ。それが、協力するために力量を量っているからか、ただ遊んでいるだけか、判断がつかない。まあ、後者であったとしても、その確信が持てない以上は、真剣に応答しないわけにはいかないのだが。

「司馬さん。あなただって、そんなこと信じてないでしょう」

「ほう? なぜそう思う」

 私は肩をすくめてみせた。似合わなくとも、余裕があるところを見せたい。

「人は銃を怖がるのではなく、撃たれるかもしれないと思うから、脅しに応じるんです。子供でもわかります」

「お前が子供だとは知らなかった」

 くだらないやり取りだ。司馬の本心も全く見えてこない。次の言葉を必死に探しているとき、外で何かが聞こえた。

 悲鳴だ。

 誰かが、叫んでいる。何かが潰れたような、短くはかない悲鳴だった。低い。男のものだ。

 司馬は、ログハウスを飛び出していった。私も後を追う。

 他の連中も、外に出ていた。

 広場の中央に三人の男がいる。富士見兄弟が左右に立って、膝をついている検見川を取り押さえていた。

「何をしている」

 光月が三人に近づく。私も含めて、他の面々は少し離れたところで立ち止まり、光月の行動を見ている。司馬も同じだった。

「処刑だ」

 兄の富士見克己が、光月に答えた。

「なぜだ」

 光月が吼えた。しかし対照的に富士見兄弟がそろって薄笑いを浮かべている。

「この男は儀式から脱走を図ろうとした。逃亡は死刑だ。俺たちは間違っているのか」

「確かに儀式の掟では、逃亡者には死が与えられることになっている。その意味では、お前たちは間違っていない」

「ほら、やっぱり」

 富士見の弟が、鼻で笑う。しかし、光月の怒気が収まる様子はなかった。

「ただし、人としては間違っている。人が人の命を安易に奪っていいわけがない」

 理屈はともかく、あれだけ光月に殴られた私としては、彼が言っているという点により、素直にうなずけない。また賛成にしろ反対にしろ、ここで横槍を入れるほどの気力はなかった。

「光月ぃ」克己だった。「お前、正気か? 自分が何を言っているのか、わかってるのか?」

「俺は正気だ」光月が力強く言い切った。

「はははは! その意見に同意する人間が他にいると思うか?」

 克己が周囲を見回した。誰も何も言わない。それどころか、動こうともしない。私も同じだった。

「ほら見ろ。お前が正気だと思っているのはお前だけだ」

 光月がわざとらしくため息をついた。「人の命がかかっている状況で、誰がそんなくだらない質問に答えると思っているんだ」

 数歩、彼は富士見兄弟に近づいた。

「検見川さんを解放しろ」

「拒否する」弟だった。

「解放してもいいが、代わりにお前が死ぬか?」今度は兄が落ち着いた様子で問いかける。

「戯言を抜かすな」

「違う、取引だ」

「こんな取引があってたまるか」光月が吐き捨てた。

「あるだろう、ここに」

 弟が大地を指さした。光月は唇、いや顎全体を震わせるが、反論をしない。言えないのか。なぜ? こんなくだらないからかいなど、笑ってやればいいのに。

「さあ、この処刑に異論がある者はいないか」

「異論がある者は前に出ろ」

 富士見兄弟が、私たちに問いかける。

「いないのか?」

「いなければ、検見川俊夫は死ぬことになる」

 やはり、動く者はいなかった。――私以外は。

 正義感や勇気ではなかった。しかも、私にとって得なことは一切ない。勝手に足が動いていただけだ。私は、四人のそばまで近づいた。富士見兄弟と光月は私を見るが、検見川はうつむいて動きもしない。もう全てを諦めているのかもしれない。

「異論はあるようだな」と、富士見克己が言った。

 私はわざとため息をついた。「どうも、そうらしいですね」

「何をかっこつけてるんだか」弟の和樹が私を嗤う。

「秋津、部外者が口を挟むな」光月が怒りを向ける。

「部外者ではない」

 兄と弟が同時に反論した。損得を考えず、私もうなずく。

「秋津」光月は目を見開いた。しかし、続けて言葉を発しようとした彼を、克己が手で遮り、首を横に振る。

「光月陽一。仏心を出すんじゃない。秋津信彦は、六人村の人間、次代の王の候補、儀式の参加者だ。断じて部外者ではない」

「だが、何も知らない」

 よくわからないが、光月はなぜか私のために食い下がっている。特にありがたみは感じない。それよりも、私をにらむのをやめてほしいものだ。

「そう、知らない」克己は光月に言い放つ。「秋津信彦は、掟を知らないだけだ。しかし、それがどうした? 知らなくとも資格者には、同じように適用される。それは、日本の憲法だって同じだろう?」

「どうでしょうか。場合に寄ると思うんですが、日本の法律の場合は」

 彼が私と目をあわせたので、つい言ってしまった。怒り出すかと思いきや、彼はにやりと笑いかける。

「じゃあ、ここは日本じゃない。お前はたとえ何が罪かを知らなくても、自らの行為の責任は取らされるんだ」

「そうですか。それで、私はどんな罪を犯したんですか」

「規則を破った人間をかばった。それは、同じ罰を受けるということだ」

 身体が強張った。

「つまり、私も処刑すると?」

「そうなるな」弟は検見川を忘れたかのように、私を見ながら腕を組んだ。

 富士見兄弟が処刑を実行できるのか、正直なところ半信半疑ではある。しかし、光月の様子からすれば、ただのはったりではなさそうだ。少なくとも、真実だという観点で考えたほうがいいに決まっている。何かあったとき、後悔はしたのでは遅い。

 富士見兄弟の立ち位置が見えてきた。彼らは六人村に住みながら、王になる資格を持たず、永遠に門番であることを強いられる。候補者からは蔑まれ、一族は滅びようとしている憐れな存在。六人村の最下級にいることは間違いない。

 だが、それだけではなかったのだ。

 恵まれない家だからこそ、大きな権利を持っている。

 六人村の人間に、罰を与える役目――いわば、処刑人である。

 だから、私が部外者かどうか問題にしたのだ。彼らの力は、六人村の外にはない。

 そして、その力はおそらく儀式の間限定なのだろう。というのも、それだけの権限があれば、富士見兄弟がコンプレックスを抱くことはなかったはずだ。

 七年に一度だけ、彼らには力が与えられる。

 その事実に至り、全身の毛が逆立った。富士見兄弟にとって、儀式は他人に優越できるとき。そして今、彼らは検見川俊夫という獲物を手に入れた。彼らが検見川を殺さないわけがない。私が彼らなら、やる。絶対にやる。やめてしまったら、自分がここにいる理由、生きている理由がなくなってしまう。富士見兄弟には、殺さなければいけない動機がある。

「申し訳ありませんでした」と、頭を下げた。

「秋津、どういうつもりだ」

 富士見克己の声に、顔を上げる。ほんの少し安堵をした。彼は私に怒りを向けていない。まだ私を獲物だとは感じていないようだ。あとは、私が無様な姿を見せればいい。

 私はまだ死にたくない。

「二人の邪魔をして、申し訳ありませんでした。口を挟みたかったのではなく、ただ足が勝手に前に出てしまっただけなんです」

 先ほどまでは私をかばおうとしていた光月の顔に、嫌悪が表れた。

「秋津、恥を知れ」

 低く、しかし皆に聞こえるようにつぶやく。やはりこの男の器は、こんなものなのだろう。正義感ぶりながら、潔癖で押しつけがましい。彼は怒りながらも、検見川を助けようとはしないのだ。

「光月、別にいいじゃないか」

 克己だった。弟の和樹が、それにあわせてうなずいている。光月は、私をにらみながらも何も言おうとはしない。さすがに、ここで私にとどめを刺すのは本意でないのだろう。まあ、光月が私を追い詰めようというのなら、私はそれ以上に生に執着するだけだ。

「じゃあ、秋津」克己の対象が再び私になる。

「はい」

「検見川俊夫がこれから殺されることに、文句はないんだな」

「はい」

 自分でも拍子抜けするくらい、抵抗なく返事ができた。無様な命乞いは、計算でやったつもりだったが、実のところただの本心だったらしい。それもいい。光月を罵れないくらい、私は恥知らずなのだ。

 私が検見川の死を許容したとき、検見川は顔を上げ、私を見た。一瞬、笑ったような気がしたが、確証はない。彼が私に何を言いたかったのかも、わからない。すぐにまた、彼はうつむいてしまった。

「よろしい。反対者はいないようだな」

 和樹が、光月を見ながら言った。光月は顔をそむけている。立ち去ればいいものを、そのまま佇んでいるのは、最後のプライドだからなのか。

 光月の反論がないのを見て、克己がうなずいた。

「では、検見川俊夫。お前は、儀式から逃亡しようとした罪により、ここで処刑される。何か言うことはないか」

「死にたくない。助けてくれ」

 検見川は顔を上げなかった。声に力はないが、震えていない。枯れていた。彼の本音なのは間違いない。だが、それが不可能であることも知っているのだ。

 諦めは、候補者たち全員が共有していた。空気は重く、真夏にもかかわらず、暑さを感じない。意識は、今まさに消されようとしている検見川に向けられる。

「では、処刑する」

 心の準備ができる前に、克己が宣告する。

 富士見兄弟は、わずかに検見川と距離を置いた。

 検見川俊夫は、膝をついた状態のまま、動こうとしない。

 先に動いたのは、弟の和樹だった。

 足を振り上げ、検見川の頭を蹴る。検見川が「ごう」と呻いて、大地に伏した。そこへ、克己の足が飛んでくる。二人が、足で検見川の身体中を蹴り始めた。彼をサッカーボールと勘違いしているかのように。

 せめて一思いに殺してやれ。言いたかった。しかし、言えなかった。

 検見川は抵抗らしき動きを一切見せない。彼の血だらけの顔が、富士見兄弟の足の間から見えた。恍惚としているように感じたのは、気のせいだろうか。目が合う。これも気のせいかもしれない。

 死の匂いがした。

 和樹が、検見川の頭を思い切り蹴る。ぼき、という音がした。首がありえない方向に曲がる。曲がりっぱなしである。動かない。いや、一瞬、全身が震えた。痙攣だ。ああ、と誰かが叫ぶ。ふん、と和樹が不快そうに鼻を鳴らす。痙攣が止まった。何者かがため息をつく。検見川がもう二度と動かないのは、誰の目にも明らかだった。思ったよりも早かった。

「さあ、散れ。見世物は終わりだ」

 克己が私たちを見ながら、告げた。彼らだけに与えられた力を行使したにもかかわらず、その表情は暗い。――違う。例外が一人。

「みなさん、ご苦労さん」

 司馬が寒々しい拍手をした。

「なあ、何が面白いんだ」

 克己の声には、疲れが滲んでいた。

「俺はお前に聞きたい。どうして、楽しそうにしていないんだ?」

「人が死んで笑っていられるほど、俺は狂っちゃいない」

「でも、殺したのはお前じゃないか」

「それが、俺の与えられた役割だからだ」

「見逃すって選択肢もあったんじゃないか」

 司馬は笑っている。それを見ている光月の目が細まり、眉間にしわが寄った。この正義漢には気に食わないようだ。しかし、会話には加わろうとしない。司馬に答えたのはやはり富士見の兄だった。

「儀式から逃亡する者には、富士見家が死を与える。六人村の掟だ。お前は掟を破れるのか?」

「俺の話をしているんじゃない。富士見兄弟、お前たちの話をしているんだ」

 稚拙な返しだった。理屈も何もない。まともに取り合うのもおかしいと思うのだが、克己も和樹も、司馬をにらんだまま黙ってしまった。

 司馬は二人を見て、肩をすくめる。

「そんなに怒るなよ。お前たちは念願のお役目を果たしたんだ。同じ人殺しとして、喜びをわかち合ってやろうと思っただけさ。もっと楽しそうにしろよ」

 なるほど。この男に比べれば、富士見兄弟のほうがまだ、まともな感性を持っていたということなのだろう。

 二人は、与えられてきた力を行使することで、自分たちの存在意義を実感できると考えていた。だが、実際にやってみると、人を殺すことは楽しいものではなかったというわけだ。私をいたぶっていたときとは、勝手が違ったのかもしれない。

 手をくだしたのかはともかく、彼らの親族はみな、同じ感想を抱いたのではないか。他者の死を弄ぶのは虚しいということに。ゆえに、その血筋は滅びようとしているのではないか。推測にすぎないが、私の中で、ぴたりと収まった。なんとも、救われない兄弟だ。

「司馬、お前とは違うよ」

 克己は疲れたように言うと、検見川の死体の腕をつかんだ。和樹が無言で検見川のもう片方の腕をつかむ。二人はそのまま死体を引きずりながら、自分たちの持ち場へと帰っていった。

 検見川の顔が一瞬、目に入る。血まみれで虚ろで、どこか幸福そうだった。

 他の連中は、自分たちのログハウスへと戻るようだ。誰も互いを見ようとせず、この場から逃げるように去っていく。

 光月の様子を目で追った。検見川が転がっていた場所をじっと見つめているらしい。うつむいていて、顔は見えない。見たいとも思わない。

 私も戻ろう。そう思ったとき、「秋津」と声をかけられた。司馬の声。まだここにいたようだ。

「秋津」

 私が反応をしなかったからか、もう一度呼びかけてきた。だが、今回も無視をする。光月の様子が気になっていたのだ。

「聞こえているのか」

 声に怒気が混じる。これ以上は面倒そうだ。

「なんです」

 返事はする。目線は光月に向けたままだが。彼はまだ何もない地面を見つめていた。首をかたむけたので、私にも光月の表情が見えた。痛みをこらえるような顔である。急に彼を観察しているのが、馬鹿馬鹿しくなった。他人のことで、それほど長く苦痛を覚えることなどできない。できるのは、自分にも嘘をつく偽善者くらいだろう。そして、光月は偽善者なのだ。

 私は司馬の顔を見た。目が合う。彼は、私が自分を見るのを待っていたらしい。

「秋津、俺のログハウスに来い。話がある」

 私がうなずくと、彼は背を向けてログハウスに戻ろうとした。私もその後を追う。横に並ぼうと思わないし、話しかけたくもない。ただ、音で私が付いてきていることがわかるよう、気持ち荒々しく歩いた。

 司馬のログハウスに着くなり、彼は本題を切り出す。

「手を組もう」

「いきなりなんです? さっきは拒絶したのに」

「状況が変わった。元々はお前の提案だ。損はないと思うが」

 冷静に見える司馬だったが、よく見ると額に汗をかいている。少なくとも罠ではないようだ。しかし、公平なものかはわからない。

「司馬さん、状況が変わったとは?」

「検見川俊夫が死んだ」

「正直、あなたが人の死にショックを受けるとは思えない。それとも、富士見兄弟が怖くなったとでも?」

 司馬はしばし黙って私を見つめる。そして、首をわずかに振った。

「検見川の死は、明後日に違う意味を持つ。検見川の家の候補者が補充される。問題はそこだ」

「というと?」

「あそこの次の候補者は、危険だ」

 嘘を言っているようには見えない。そうなると、私の覚悟も決まる。

「もっと詳しく情報が欲しい。いいでしょう。あなたと手を組みます。ただし、対等の関係ならば」

 対等な関係については、あまり期待していない。拒絶されれば、すぐに撤回するつもりだった。だが、言っておくとおかないでは、後々違ってくるような気がしたのだ。

 しかし司馬の返答は、私の予想と違った。

「わかった」

 気持ちが悪いほど素直に、彼は私の要求は受け入れる。何がどう関係が変わるかは、私も漠然としていたが、その姿勢を認められるとは思いもしなかった。それほど、危険な相手ということか。人殺しが恐れる相手とは、どのような人間なのだろう。

「それで、次の候補者はどんな人なんですか」

「一言で言えば、拷問者だ」

 拷問者? どういうことだ?

「富士見兄弟のように、儀式で役割を与えられた存在、ということですか」

「違う。拷問者ってのは、いわばあだ名だ。俺の殺人鬼のようにな」

「サディストということですか?」

「そう、そうなんだが、それだけでは、あいつの危険さは伝えられない」

「具体的には」

「ない。ないとしか言えない。具体的な危険性が『ない』んじゃない。虚無なんだ。あいつの心には、何もない」

「――全くイメージできません」率直な感想だった。

「それもそうだな。まあ、あいつが来るまでにどうこうできるものでもない。それに、明後日にはいやでも見るんだ。楽しみに待っててくれ」

 司馬が薄笑いを浮かべた。ようやく、いつもの彼に戻ったらしい。良いことなのかどうかは、あえて考えないことにする。

「じゃあ、とりあえず話はお終いってことでいいのか?」

「いえ、まだ聞きたいことがあります」

 司馬は肩をすくめた。「わかった。こうなれば、なんでも話してやる。だがなあ、お前の出自やここに連れてこられた理由は、本当に知らない」

「信じましょう。それは自分で見つけます」

「ありがたいことだ。もう一つ頼みがあるんだがな」

「なんですか」

「食事がまだなんだ。質問攻めは、その後にしてくれ」

 私は了承した。人殺しも食事が必要。当たり前すぎることなのに、私には意外に思えた。特に、この男が人間らしさを自分からさらけ出すことに。

 他人の食事風景など見たくもないので、私は自分のログハウスに戻った。司馬には、用意ができたら、そちらから訪ねてくれと言ってある。期待はしていないが、時間はまだある。協力は取り付けたのだ、無理をすることはない。


 しばらくすると、扉をノックする音が聞こえた。私が返事をする前に、扉が開かれる。

「来てやったぞ」

 司馬だった。勝手に上がってきて、私の前に座る。

「さあ、聞きたいことを早く言え」

 押しつけがましい口調だが、今までの敵意が感じられない。なるほど、確かに私たちは協力関係になったようだ。向こうから歩み寄っていることに、違和感を覚える。私が考える司馬の姿が間違っているのだろうか。まあ、私にとって悪いことではない。

「最初に、もう一度確認させてください。私がここにいる理由を、本当に知らないんですね」

「ああ。悪いな、本当に知らない」

 何となくだが、嘘ではないと思う。少なくとも、今は彼の言葉を信じよう。

「わかりました」

「それで質問は全部か?」

「いいえ、まだあります」

「わかった」

 司馬が素直にうなずく。やりやすい。気持ちが悪いくらい、やりやすい。

「検見川俊夫についてです。薄情な言い方ですが、儀式からの逃亡に失敗した時点で、富士見兄弟のリンチがあるのはわかっていたはず。自殺を図るのも、一つの手だったのではないかと思うのです」

「ひどい物言いだな」

「違う言い方をするのなら、死ぬ気で抵抗することもできたのではないか、と思うんです」

 気になっていたのは、検見川の態度である。富士見兄弟の暴行になすがままだった。そしてその時の目。あれは、生を諦めたものだった。だが、思う。殴られている段階で、身体に痛みがある状態で、諦めてしまえるのだろうか。人間の本能として、もう少しあがいてもいいのではないか。彼は命乞いをしていた。生への執着は確かにあったのだ。

「お前の言いたいことはわかる。だが、それは不可能だ」

「断定とはまた極端ですね。理由は何です?」

「儀式の場において、自殺を禁じられている」

「なぜ」反射的に訊いていた。意味不明である。

「わからない」

 司馬の目の奥を見る。気味が悪いほど透き通っていて、虚無的だった。

「ずっと昔からそういうことになっている」

「しかし、決まっているからといって従ってしまうものですか? 理性で本能を抑えられるとは思えない」

「抑えられるさ。自分のためならともかく、家族のためならな」

「どういうことですか?」

「儀式の最中に自殺をすると、その家は王になる資格を失う。そして、権利は分家に移る」

「……異常ですね」

「異常だよ。でも、そんなのはとうにわかっていたことだろう」

 司馬は軽く言う。私は頭を振った。親兄弟、親類が人質に取られているのか。それは、死ねない。いや、死なせないためのルールなのだ。六人村は、人を縛ることで存続している。

 検見川は、掟の犠牲になった。絶望をしても、自ら死を選ぶ自由を与えられなかったのである。急に両肩が重くなった気がした。検見川の死の一端を担ったように思えてきたのだ。私が彼に協力すれば、もしかしたらそんな死に方をせずに済んだのかもしれない。でも、できることは何もない。これまでも、これからも。

 ふいに、司馬に自分の気持ちを吐露したくなった。しかし、寸前で踏みとどまる。無意味だ。目の前の男は、人を殺すのが好きな人間。共感し合えるはずがない。

 私は大きく息を吐いた。それが感情表現の限界だ。

「他に質問はあるか?」

「今のところ、ありません」

「そうか、まあ、明後日の朝までは余裕がある。聞きたいことがあれば、来ればいい」

 司馬は出ていった。彼と手を組んだことに後悔はない。ただ、気持ちが追い付かない。私は、どこへ向かおうとしているのだろう。見えたはずの道が、いつの間にか消えていた。


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