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贄の王  作者: どんより堂
16/22

16 恋人

 結果からすれば、正丸常道との対話は私にとってマイナスだった。

 こちらは有益な情報を得られていないのに、私の目的――光月陽一の殺害は悟られている。これは、今後の私の行動を制限することになるだろう。

 かといって、現段階で彼と手を組むつもりはない。

 私の目的を当てたことからするに、彼が彩花の実の父というのは、信じてもいいだろう。しかし、その他がいけない。胸襟を開いているように見せかけて、どうにか私を支配下に置こうとしている印象しかなかった。

 決して心を許してはいけない相手だ。

 一度、頭を冷やしたくて、私は自分にあてがわれたログハウスへ戻った。

「おかえり」

 部屋では加治の妹、沙織が待っていた。座ればいいのに、立って腕を組んでいる。

 肩までの茶色がかった髪に、吊り気味の目。色白で勝気そうだったが、どこか近づきたくなるような引力がある容貌だった。

 不機嫌そうな声である。兄が死ぬ前と同じだった。

 足元に黒い袋が置かれている。

「座ったらどうだ?」勝手に入ってきたことには触れない。

「いい。すぐ帰るから」

「どこにいた?」

 彼女は私に向けた目を細めた。赤の他人に言われる筋合いではない、というところか。だが、私が次の言葉を発する前に、返答があった。

「兄さんが死んだときは、智之……椎名のところ。昨日は陽一さんと一緒。とにかく、あなたの近くにはいたくなかったから」

 そこまで嫌われるほど、話をしたとは思わないのだが。生理的なものなのかもしれない。それ自体は全く気にならない。目の前の人間に嫌われて、自分の心が動かないのも不思議な気分だ。色々ありすぎて、感覚が麻痺している可能性もある。

 お兄さんのことは申し訳ない、と言いかけて、やめた。私が謝ることではないし、彼女も兄の話題を私に出してもらいたくないだろうと思ったのだ。

 椎名のことを謝罪するのも、やめよう。無意味どころか、彼女にとっては負担でしかないはずだ。

 しかし、光月のことは別である。

「光月のそばにいて、大丈夫なのか?」

「あなたが陽一さんの何を知っているの?」

「あいつは、人殺しだ。私の恋人、正丸彩花をひき殺した」

 威圧するつもりはなかったのだが、やはり感情を抑えきれなかった。私のうなり声に、沙織は数歩後ずさる。だが、敵意をむき出しにした表情は変わらない。

「それくらい、知ってるわ」

 やはり、知っていたのか。知っていて、受け入れている。人殺しのそばにいて気持ち悪くないのだろうか。

「知っていて、どうして――」

「あなたは、陽一さんが何も感じていないと思ってるの?」

「思っているさ。何かを感じているのなら、どうして今ものうのうと生きているんだ」

 沙織は鼻を鳴らした。「人を殺したら死ねって言いたいのね」

 彼女は勘違いをしている。私は正義でもなく、公正でもない。

「そんなこと思っちゃいない。ただ、俺の恋人を殺した屑は、死ねって言いたいだけだ」

「あなたこそ、人間の屑よ」

「自覚はあるさ」

 私は、笑顔を作れたと思う。きっと、嫌らしい笑みだっただろう。

「みんなから殴られまくって、そんな風に笑えなくなればいい」

 沙織の悪態が、心地よくなってきた。しかし、彼女への憎悪は湧いてこない。大切な人を失った者として、どこかで同情しているのだ。ただ、それを素直に伝えてやる理由はなかった。

「それで、俺のログハウスに来た理由はなんだ?」

「ここは、あなたのログハウスじゃない。椎名のログハウスよ」

 そんなことは言われなくてもわかっている。私が傷ついていないと思っているのか。

 沙織はまだ幼く、心の余裕もない。他人の心情を想像できないのは、仕方がないだろう。とはいえ、私も自分の権利を主張しなければいけない。

「椎名のログハウスでもあり、私のログハウスでもある」

「くだらない」沙織が吐き捨てた。「そう言えば許されると思っているのね」

「思っていない」

「いいえ、思っている」

 強情な少女だった。残念ながら、この場で理解しあうのは諦めるしかない。

「それはともかく、ここに来た用件は?」

 すぐ帰るんじゃなかったのか、という嫌味は胸に収めることにした。

「これ」

 沙織は私をにらんだまま、自身が先ほどまで立っていたところにあった黒い袋を持ち上げた。

「あなたの持ち物」

 と、私の足元に置き直した。そして、そのまま出口へ向かう。

「じゃあ、渡したから」

 そう言って、そのまま出ていった。何も聞けていない。まあ、しょうがない。

 私は扉がきちんと閉まっていることを確認して、腰をおろした。

 沙織の置いていった袋を引き寄せる。口は緩く縛られているだけだった。それを開けてみると、確かに、私の持ち物が入っている。一つずつ出していった。

 財布。

 私の携帯電話。

 彩花の携帯電話。

 それぞれの携帯電話の充電器。

 そして――

「どういうことだ、これは?」

 思わず、声が出た。

 袋の中には、拳銃と弾丸が入っている。

 取り出して、眺める。

 重い。あの、重さだ。

 確かに、私の拳銃だった。

 その手の知識にはうといが、自分が購入した拳銃は判別できるようにしている。弾丸も同じだ。

 私の持ち物を返却するという意味では、拳銃と弾丸が入っていても不思議ではない。しかし、これは武器だ。沙織にとって六人村の一員とは言い切れない私に、沙織はなぜ渡したのだろうか。先ほどの態度からしても、理屈が通らない。

 私を脅威と感じていないのか。もしくは、拳銃が意味をなさないほど強力な武器があるのか。

 後者はさすがにないだろう。椎名の話によれば、娯楽になるようなものを持ち込めなかったはず。武器だってもちろん無理に決まっている。それに、加治の部屋で会った検見川俊夫は、拳銃を欲しがっていた。

 やはり、私が馬鹿にされているだけなのか。それはそれで、油断を誘える分、私が有利になるからいいのだが。

 なんにせよ、拳銃が戻ってきたのはありがたい。行動の選択肢が増えた。

 ただ、もうこれで光月陽一を殺す気はない。

 朝、決意したとおり、あいつは六人村の掟で殺してやりたい。六人村の一員として生まれたことを後悔させてから、死を与えたい。拳銃で殺してなどやるものか。

 ふふ。笑みがこぼれる。

 少しずつだが、光が見えている。誰かに踊らされていることも考えられるが、今はそれに乗ろう。最後の最後で、私の目的を達成できればいい。

 さして役に立つとは思えないが、残りの物も確認しておくべきか。

 まず財布を開けた。いくら入っていたか覚えていないが、減っていないようだ。運転免許証やクレジットカードなども、そのままだった。

 次に、私の携帯電話を手に取った。電源を入れようとしても、入らない。おそらく、電池が切れたのだろう。探す描写を入れるか、携帯電話の充電器にするか。私は部屋の隅に備えられているコンセントに充電器を差し込み、携帯電話をつなげた。充電中であることを示すランプが点灯する。

 持ち込み不可のこのログハウスに、コンセントが備わっているのは、少し気になる。ここは質素であるが、どうも意図的なものであり、さらに言えば、不自然なのである。どこかと指摘するには漠とした感覚なのだが、偽物くさかった。だが、今の私には関係ないので置いておく。

 携帯電話の電源を入れた。しばらく待ち、操作可能になる。

 圏外だった。ここでは役に立たなそうだ。

 コンセントから充電器を外し、携帯電話を袋の中に戻した。もう私の人生で、これに用はない。

 彩花の携帯電話が残っている。おそらく、これも圏外だろう。袋に戻そうかと思ったが、やはり電源を入れることにした。

 送信メールには、彼女のぬくもりが残っているような気がする。それは、私の寂しさを多少は埋めてくれるかもしれない。期待した。

 充電器につなぎ、電源を入れる。操作ができるようになるまで、携帯電話を眺めていた。

 スマートフォンではなく、いわゆる二つ折りの『ガラパゴスケータイ』である。

 ――ずっと使ってきたから、壊れてないのに買いかえるのもね。

 ピンク色がところどころ剥げてしまっているその携帯電話を私に見せながら、彼女は言っていた。それを思い出すと、ぼろぼろの携帯電話が愛おしく感じられる。これは、彩花が地球で生きていた証拠品の一つだった。

 両手で包むように持つ。視界が滲んでいく。私は膝を抱えて、少し泣いた。

 しばらくして落ち着き、両手で顔をこする。

 もっと彩花を感じたかった。だから、送信メールを見ようと思った。彼女が生きていれば、こんな行動は間違いなく喧嘩の原因になるだろう。そのとき彼女が言いそうなことを想像し、少し切なくなった。もういくら見ても、彼女は怒ってくれない。

こんな気持ちになるのはわかっていた。だから今まで、気にはなっていたが実際に見るまでには至らなかった。

 送信メールフォルダを開ける。ここには、彼女の感情が入っているはずだ。

 彼女が他者に送ったメールの一覧が表示される。

「元気?」「おはよう!」「うん」などといった件名が、ずらりと並んでいた。

 聞こえなくとも、彼女の声が蘇る。その表情が頭に浮かぶ。凍りついた心がやわらいでいく。

 適当に、メールを開こうとしたとき、手が止まった。

 おかしい。

 今まで送信メールの一覧の件名しか見ていなかったが、おかしなところがある。

 問題は、すぐ下にある送信者だ。

 私の名前は当然ある。

 秋津信彦。律儀な彼女らしく、フルネームだった。

 だが。

 だが。

 だが。

 その送信メール全体に対して、その量は少ない。私が想像していたよりも、はるかに少ない。

 代わりに別の名前が大量にあった。

 光月陽一。

 光月陽一。

 光月陽一。

 何度見ても、同じだった。光月陽一と読める。その他には、読めない。

「光月陽一?」

 口に出しても、送信メールの名前が変わるわけではない。

 一つ一つ、名前を確認するべきか。いや、見たくない。全く見たくない。むしろ、見てしまった事実を忘れたい。だが、見てしまったからには、先に進まなくてはならない。いやいやいや。でもでもでも。

 私は、「おはよー」という件名の、光月陽一宛てのメールを見ることにした。彼女が私へのメールで語尾を伸ばした記憶はない。早計だ。まさしく早計である。しかし、不安がふくらむ。ボタンを押す指が、震えていた。

 そして、私に事実が突きつけられる。

『今、起きたところ? 私は出勤してるところだよー。東京の電車は混んでるね…。六人村のことが懐かしいよ。また会いたいな。愛してる』

 だそうだ。

『愛してる』んだそうだ。へえ。そう。

 私は、たまたまおかしなメールを、ピンポイントでヒットさせてしまったのだろうか? 光月陽一宛てだというメールを次々に開けていった。

『風邪、大丈夫。温かくして寝てね。好きだよ』

『今日、上司に怒られた…。私を慰めてー』

『えへへ。誕生日メールありがとう。早く、いつもそばにいられるようになりたいね』

『ありがとう。私はあなたがいるから頑張れる』

『大好き。愛してる』

 どのメールも親しげで、開けっぴろげで、相手に対する愛情にあふれていた。

「どういうことだよ、これはよお!」

 感情の行き場がなく、大声として外に出した。だが、全然足りない。携帯電話を床に叩きつけた。壊れなかったのが、むかつく。蹴ると、壁にぶつかり、少しだけ跳ね返った。

 落ち着け。落ち着くんだ、秋津信彦。

 これは事実なのか? まずそこから出発しろ。

 私は自分の携帯電話の電源を再びつけた。

 操作できるようになるまでの時間が、もどかしい。不安が徐々にふくらんでいく。

「早く早く早く早く早く早く早く早く早く……」

 何かしていないと、頭がおかしくなりそうだ。震えが激しくなり、なかなか意図するボタンが押せない。くそっ。

 何度か操作ミスをしたが、どうにか自分の受信メールフォルダが開けた。

 彩花からのメールの一つを見る。

 件名は『ごめん』。内容は忘れていない。約束していたデートを当日にキャンセルされたのだ。理由は仕事。彼女は機械製造会社で経理をしていた。月末や期末はどうしても忙しくなり、休日出勤をすることさえあった。だから、このときはあまり疑っていなかった。しかし、今は違う見方が、頭にちらつく。いや、今は文面など関係ない。大事なのはこれが送られた時間だ。

 五月三十日午後二時四十分。

 そして、彩花の送信メールの同時刻のものを見る。

 あった。同じ件名、同じ文面。

 別のメールも付け合わせる。別のメールも。別のメールも。別のメールも。別のメールも。別のメールも。別のメールも。別のメールも。別のメールも。別のメールも。別のメールも。

 ボタンを強く押しすぎたせいで、指が痺れて動かなくなってきた。

 もう認めるしかない。

 これは、彩花の携帯電話である。また、正丸彩花は光月陽一と親しい仲だった。それも、メールを読む限り、私よりも深い関係だ。

 五月三十日は、やり取りがない。ただ、その前日にはこうある。

『明日が楽しみだね(はーと)』

 彩花がこんなことをしていた理由はともかく、この事実は私をクソみたいな結論へと導く。

 私が今、職を捨て、法を犯し、人生を失う覚悟でやろうとしていることは、全くの無駄であった。

 壁を思い切り殴る。骨がきしむように痛んだ。それでも、何度も殴った。壁はなんともなく、皮膚が破け、血がにじむ。だが、こんなもので気が済むわけがない。

 私は彩花の携帯だけを手に、ログハウスを出た。

「光月陽一、どこだ!」

 広場の中央へ行き、再び同じことを叫ぶ。すぐに、視界の隅にあったログハウスの扉が開いた。

「叫ばなくても聞こえる」

 光月陽一が姿を現した。ふてぶてしい顔をして、こちらを見ている。私は彼をにらみつけながら、近づいていった。

「秋津信彦さんは、随分とお怒りのようだ」

 短髪で筋肉質のスポーツマンらしき風体には、似合わないセリフだ。爽やかな風貌ならば、それに似合う浮ついたことでも口にしていればいいものを。

「俺に何か用か?」

「用がないのに、お前など呼ぶか」

「ああ、怖い怖い。さあ、中に入ってくれ。外で話すことでもないだろう?」

 むかつく。こいつは、知ってやがる。きっと、沙織だ。彼女は智之の死後、光月と一緒にいたと言っていた。彼女が全部光月に話したのだ。

 光月のログハウスに入ると、案の定沙織もいた。部屋の隅に立ち、冷めた目で私を見ている。

「やっぱり、来たんだ」

「これを見せられてこないと思ったか?」

 彩花の携帯電話をかかげた。

「秋津。お前に届けるよう頼んだのは、俺だよ。拳銃も含めてな」

 光月は沙織のそばに立った。見ようによっては、私が二人を部屋の隅に追い詰めたように見えるかもしれない。バカな。

 私は彼の足元に、彩花の携帯電話を投げつけた。頑丈なのか、壊れてくれない。携帯電話は光月の足にぶつかり、止まった。彼はそれを拾い、ズボンのポケットに入れる。そして、二度ズボンの上から叩いた。それを見て、私の中の何かが弾けた。

「これはどういうことだ!」

「どうもこうもない。お前の知った通りだ。何も知らずに、ここへ怒鳴り込んできたわけじゃないだろう?」

「彩花はお前の恋人だったのか」

「そうだ」

 光月はうなずいた。射抜くような目には、偽りのかけらも感じられない。

「本当か?」

「嘘をつく理由があるか?」

 もう今の私には、疑う理由がなかった。やはり、そうなのか。彩花の姿が脳裏に浮かぶ。しかし、かつての恋情はない。彼女のことを考えるだけで、どす黒い感情が私の全身を駆け巡る。まさか、彩花を憎悪することになるなど、想像もしなかった。この衝動を、どうぶつければいいのだろうか!

「光月。お前は、俺のことを……いや、彩花が俺と会っていたことを知っていたのか?」

 沙織が鼻を鳴らした。私の態度の変化についてだろう。笑いたければ笑えばいい。今の私は、これ以上落ちようがないところまで落ちている。何も、持っていない。

 気づけば、光月の目にも違う色が浮かんでいた。それは――憐み。

 発作的に、光月に殴りかかっていた。一歩、足を踏み出しながら、右手を前に突き出す。だが、私の弱々しい拳は、たやすく彼に受け止められてしまった。

「惨めだな」

「ああ、本当に」

 強がって笑ったつもりだが、彼らの目にはどう映っただろう。私は殴られて、背後の壁にぶつかった。ごついガタイは伊達ではないようだ。

「最初から納得づくの行動だったってわけか」

 ふてぶてしい声色にしたかったが、思った以上に全身の痛みが強く、ただただ言葉にするだけで精一杯だった。

「納得づく、ではないな。思惑があってのこととはいえ、自分の恋人を他人に差し出して平気な男がいると思うか」

「お前なら大丈夫かと、な」

 光月の顔が憐みから怒りに変わった。憐れまれるよりは、何倍もましだ。殴られることを覚悟したが、彼は動かなかった。くそっ。

「彩花が私に近づいた理由は何だ? お遊びか? 財産狙いか?」

「遊んで楽しいほど社交的ではなく、ぜいたくできるような財産も持っていないじゃないか」

「あの女からの情報か」

「情報というほどでもない。ただの彼女の愚痴だ。退屈だったそうだよ、お前は」

 ふふ、と自分でも意識せず、笑ってしまった。光月と沙織は、一瞬だけだが驚いた顔をする。退屈か。自覚はあるので否定はしない。ただ、彼女だけは私の退屈さに価値を見出してくれた、と思っていた。そんな都合のいいことはなかったらしい。当たり前か。退屈はそんなものだ。

「じゃあ、私が六人村の人間だと知っていたのか」

「わからない。彼女がお前のところに行ったのは、全て加治の指示だ」

 横目で沙織を見た。彼女は、私の方を見てはいない。無表情で窓の外を眺めている。

「王の命令は絶対。だからこそ、俺も彩花を手放さざるをえなかった。この手で命を奪うことにもなったんだ」

「どういうことだ」

「だから、わからないと言っている。それに、お前はそんなことを心配している場合じゃないと思うがな」

「わかるように言え」

「秋津信彦。お前は、加治を恨んでいた。恋人だと思っていた彩花が、加治の差し金で近づいてきた女だったからだ。彩花の死をきっかけに、それを知り、加治に復讐するために、ここへ来た」

「違う。私は先ほど沙織から渡されるまでは携帯電話の中身を見なかった。あの女がお前と交際していたことも今知ったくらいだ。加治が関わっていたこともそうだ。そんな情報が携帯にあったとしても、俺は何も知らない。知らないのに、恨みようがない」

 さきほど中を見たとき、加治の名はなかった。しかし、絶対とは言い切れない。そして、もう携帯は光月の手にある。どちらにしろ、確認はできない。

「やれやれ」

 言葉とは裏腹に、光月の眉間にしわが寄った。

「それを証明することはできないと思うんだがな。考えてみろ。彩花の携帯電話をここに持ち込んだのは誰だ? 秋津信彦。お前だ。充電器も持っていたのに、今まで中を見なかったなんてどうやって他人に納得させられる?」

「携帯電話を後生大事にここまで持ってきたのは証明になる」私は強く言い切った。私に一片の偽りも存在しない。潔癖なのは私が知っている。

「いいや、ならない」

 だが、光月を崩すことはできなかった。

「お前は、それを証拠として、加治に突きつけようと思っていたんだよ。銃で断罪するためにな」

「詭弁だ」

「詭弁はお前の説明のほうさ」

 光月が口の端を上げた。遅まきながら、彼の意図に気づく。

 この男は、私を告発しようとしている。

 光月陽一は、秋津信彦を加治殺害の犯人として、追及しているのだ。恋人に裏切られた上に、殺人犯にさせられてたまるか。道化者にも意地がある。しかし、懸念もあった。私には反証ができない。

「秋津、お前の行動は実に単純だ。彩花の携帯を手に入れ、自分が裏切られていること、その背後に加治がいることを知った。当然、復讐を考える。だろう? そして、拳銃を手に入れ、ここへやってきた。誤算は、途中で事故を起こし捕まってしまったことだ。武器を取り上げられ、身動きが取れなくなった。でも、悪いことばかりじゃない。なんの気まぐれか、加治がお前を一緒のログハウスに寝泊まりさせることにした。後はもう、殺す機会を待ち、実際に来たので手を下したわけだ」

 くだらない。

 光月の告発は、解釈の一つにすぎないし、これが真実でないのを私は知っている。だが、やはり客観的に証明できるものがない。

「ありがたいご高説だが、おかしな点が一つある」

「ほう、ぜひ聞かせてくれ」彼は私を小馬鹿にするような調子で言った。話ではなく、殴りかかるべきか。

「お前の解釈だと、加治は私を知っていたことになる。おそらく、私がここに来た理由も知っていたと考えるほうが自然だ。それなのに、彼は私を同じ部屋にした。不自然にもほどがあるな」

「そうでもないさ」

 光月は余裕の態度を崩さない。

「武器は取り上げている。沙織もいる。短絡的なことはしないと考えたんだろう。加治のミスだよ」

「加治が軽卒な人間だったと言いたいわけか」

 王への冒涜。私には、そうとしか思えなかった。沙織は黙っている。なぜ、光月に好き勝手なことを言わせているのだろう。

「結果としては、そういうことになる。王であろうと死者であろうと、事実の追及に手心を加えるわけにはいかない」

「なにが手心だ。最初から最後までねつ造じゃないか」

 怒鳴るように反論しても、光月の動揺は微塵も誘えなかった。嘘を吐いているくせに、自信に満ちている。もしかして、この男は自分の説を信じているのか。いや、惑わされてはいけない。信じている人間が、わざわざ彩花の携帯電話を私に届けさせるものか。

 全ては、光月の作戦。

 恨みの相手である私に罪を着せ、さらに、真相を明らかにしたことで、王となる資格を得る。一石二鳥というやつだ。いらつく。

 やはり、ここで光月の仮説を覆すのは難しい。別の突破口が要る。しかし、それがなんなのか思いつかない。人を呼ばれたりしたら、私の敗北が確定してしまう。それは避けなければ。

 光月の目をにらみながらも、私の心は怒りよりも焦りが優勢になっていた。

 どうすればいい。どうすればいい。どうすれば……。

 光月も私の出方を待っているのか、何も喋らない。少し不思議だった。今は私を追い詰めるときではないのか。なぜ、それをしない。

 待てよ。脳に何かが閃いた。逆なのではないだろうか?

 本当にこの説で私を追い詰めることができるのなら、明日の朝、みんなが集まっているときに、告発すべきではないか。わざわざ、今のような予行練習みたいなことをする必要などないだろう。

 二つの可能性が導かれる。

 一つは、光月が自分の説に自信を持っていない場合だ。明日の朝、ぶっつけ本番で私を告発しても、追い詰められるかわからない。光月にしてみれば、私は憎むべき相手。犯人であってほしいという気持ちも強い。彼も自覚しているのだ。物証がないのは、お互い様である。私がそれを武器に、しらばっくれれば、彼の敗北になる。特に、他にも王になりたい人間がいる。一度の負けで、彼らの突き上げを食らうのは間違いない。慎重にも慎重を重ねても不思議ではなかった。

 もう一つは、私に何か別のことを期待している可能性である。告発されることを知った私が、この一夜の間に起こす『何か』を期待している。例えば、自暴自棄になって拳銃を乱射し誰かを殺す。もしくは、私が自死を図る。

 ただ困ったことに、こちらが本命だとすると、圧倒的に情報が足りない状況では、彼の意図をつかむことが不可能に近くなってしまう。例えば、私が退場した後にやってくる次の候補者に用があるのかもしれない。ただ、その人物は犯人ではないはず。王になる道にはつながっていない。なぜその人物を必要とするのか知りようがなかった。

 どちらにしろ、光月が私を罠にかけようとしているのは間違いない。私の内部で、それが事実として確定される。罠は危険だが、罠だと知っていれば、怖くもなんともない。

 焦りが体から放出されていくのを感じた。

 私の取るべき行動は一つ。光月に屈せず、このログハウスを出て、夜が明けるまで自分のログハウスで大人しくしていることだ。どのような理由があろうとも、それで光月の罠は回避できる。拳銃は護身用にさせてもらおう。

 方針が決まれば、ここにいるべきではない。光月は、私を私でなくそうとしている。

 では、どうやって出ていこうか?

 正面突破は難しそうだ。今はまだかろうじて理性を保てているが、光月が彩花に対する決定的な何かを告げることだってありうる。そうなったときは、私の負けになる。暴れるにしろ沈むにしろ、私はもう何もできなくなるだろう。だから、聞いてはいけない。少なくとも、まだ。

 ならば、脇から行くしかない。道筋はついている。それはひどく気が乗らないものだった。しかし、こんなところで死ぬ気はない。彩花にも義理がないのだとしたら、なおさらだ。

ただ私は、自分が汚れていくのを感じた。

「光月、本当は気づいているんだろう?」

「何が言いたい」

「俺よりも犯人にふさわしい人間がいる」

 私の意図を察したようで、ずっと窓の外を眺めていた沙織の目が、私に向いた。

「そうだ、沙織、君にも犯行は可能だ」

「お前は、子供に罪を着せようと言うのか」

 光月が怒鳴り、私の胸倉をつかんだ。

「俺は犯行が可能か不可能かという話をしている。年齢は関係ない」

「沙織は実の兄の首を切ったわけか」

「そういうことになるな」

 目の前が一瞬暗くなり、よろめいた。ほんのわずかに遅れて、頬の痛みを感じる。ああ、また殴られたのか。なんという直情型だ。

「秋津、お前は頭がおかしい。いくら自分の命が惜しいからといって、こんな幼い子に罪を押し付けるのかよ!」

 詰問なのか懇願なのか、よく読み取れない口調だった。沙織が不満そうな顔をしている。目線は、私ではなく光月に向いていた。口を動かしているが、秋津の怒号が続いているので、聞き取れない。

 顎にもう一撃くらい、私は尻餅をついた。いつの間にか光月は私の胸倉から手を放していたようだ。

「お前は異常だ」

 光月が吐き捨てる。つい、鼻で笑ってしまった。

「何がおかしい!」

「異常なのはお互いさまだ。お前の話が全て事実だったとしてだが、お前は理由も聞かずに自分の恋人を俺に譲った。あまつさえ彼女を殺した。これがまともな人間のすることか?」

「うるさい」

 足で腹を踏みつけられた。これはきつい。我慢できずに、悲鳴が出る。それに気をよくしたのか、何度も繰り返される。内臓が直接揺さぶられた。吐き気がこみあげてくる。えずきたいが、そんな余裕も与えられない。肺から空気は次々と出ていくが、供給は追いついていない。なんとか身体を横に傾け、手足を縮めて腹を守る。今度は背中を蹴られるが、先ほどよりはましだった。少しずつでも呼吸はできる。

「もうやめて!」

 沙織の声が突然聞こえた。光月の攻撃は止まる。私は痛みに耐えながら、立ち上がった。光月と目を合わせる。まだ物足りない、という顔である。

「出ていけ」

 光月は顎で出口を指し示した。私は一瞬だけ沙織を見る。彼女は私と目が合うと、すぐさま逸らした。私は無言で、光月のログハウスを出た。

 夏の夜。外の空気は、からみつくように暑い。

 私は一つのことを成し遂げた気分になりつつ、それは何か大切なものが欠けただけなのではないか、とも考えていた。おそらく、結論は出ない。

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