14 屈辱
鏡を見る。
「ひどい顔だ」
そうつぶやかずにはいられなかった。鏡に映る私は人間とは思えない姿をしている。顔が汚れ黒い。鼻から口にかけては、血が固まったらしきものが、こびりついている。髪は砂が入り放題。ぼさぼさというよりも、生まれてから一切手入れをしたことがないといった様相だった。原始人が、こんな感じではないだろうか。
風呂に入ると、湯が黒く濁った。湯を流すと、風呂釜に黒い線が残る。手でこすりとった。念入りに身体を拭き、樋口老人にもらった服を着る。薄茶色の半袖シャツに、同じ色の長ズボン。シンプルだった。支給された履物は、サンダルである。
今まで着ていた服は、捨てることにした。各ログハウスの横に置かれたポリバケツにゴミを入れている。ぼろきれのようになった服を、そこに突っ込んだ。
部屋に戻った。椎名が死んでいた場所だ。どうしても意識してしまう。身体は清潔だが、心の澱みはそのままだった。
改めて思う。私はどう動けばいいのだろう。
「考えるまでもないな。加治を殺した犯人を見つけるしかない」
あえて誰もいない部屋で、声に出した。口にすることで、身体に沁み込んでいくような気がする。それしかない、という確信が強まった。
まず身の潔白を晴らさなければならない。
みんなは、私を犯人と疑っている。それは、彼らにとって感情的な理由だけではない。都合がいい。私が犯人であれば、今までの六人村の人間関係を破壊しなくてすむ。そうだ。真実はともかく、私が犯人であることを、ほぼ全員が願っている。そうなると、偽の証拠でも、有罪判決がくだされるかもしれない。ある程度説得力のある「何か」を持ってきた人間の主張に、みんな飛びつくにちがいないのだ。
追い詰められている状況は、昨日までと何も変わっていない。
いや、疑問は頭の中に積みあがっている。大別すれば四つ。
私の拳銃は今、どこにある?
私は本当に六人村と関係があるのか?
司馬の狙いはどこにある?
そして、そもそも殺される運命にあった加治をどうして殺す必要があったのか?
全てを明らかにしよう。それに、犯人を見つけ出せれば、私は王になる。光月に、死を与える立場になれる。
彼は人を殺したが、六人村の力によって救われた。だから今度は、六人村の掟によって命を奪ってやりたい。
武器も対抗手段もない私が、もっとも確実に仇を討てる道だろう。それに光月にとっては、自ら提案した選定方法によって死ぬことになるわけで、これ以上はないほどの屈辱となるにちがいない。痛快――
となると、結論は一つしかない。情報収集。結局、昨日と同じところに行きついたわけだ。しかし、昨日とはその内容が大きく違っている。これから私が集めるべき情報は、六人村に関するありとあらゆることだった。何がどう真相につながるかわからない以上は、どんな情報でさえもおろそかにはできない。
それは、人も同じだ。私はこの場にいる全ての人間から、話を聞くべきだった。素直に話をしてくれる者など、ほとんどいないだろう。それでも、私はあらゆる手段を使って、情報を得なければいけない。光月陽一も、例外ではない。文字通り、全員だ。
私は、容疑者を頭に思い浮かべる。
司馬――あの殺人狂。
検見川俊夫。
加治沙織。
富士見克己。
富士見和樹。
加治が生存しているときからここにいて、今も生きているのは、この五人である。純粋に真相を追及するのであれば、まだ容疑者がいる。
正丸義道。
樋口加奈子。
それに、椎名智之。
三人とも、すでに死んでいるが、加治を殺すことは可能だ。
さらにいえば、樋口老人とその同行者も忘れてはならない。彼らが夜間に、ここへ来なかった証拠がない以上は、容疑者に入れておいたほうがいいだろう。
その他の六人村の人間が関与している可能性は、今のところ脇に置く。まずは目の前のことから処理をしたい。
あと、加治自身も。彼が自殺をして、何らかの理由で首が斬り落とされた、ということもないわけではない。動機が不明であるからには、無視することのできない仮説である。
全ては茫洋としている。考えてみれば、私は加治の死体が発見されたときのことを知らない。とにかく情報の不足が問題である。
思考を続けながら、私はくそまずい弁当を食べることにした。
すでに弁当は冷えている。米の飯と、見たこともないような豆を煮たものしか入っていない。粘土を食べているような気分だ。死なない程度の最低限の栄養補給というコンセプトなのかもしれない。次期王を決める儀式にしては異様なメニューであるような気がする。この食事といい、最低限のものしかないログハウスといい、儀式は質素にできていた。誰が得するのだろう。
拷問に等しい食事を終えた私は、正丸常道のログハウスを探すことにした。彼は、今ここにいる候補者の中で、加治殺しの容疑から最も離れている男だ。もちろん、私の次に、だが。もしも犯行が「家」単位で計画されたものだったとしても、彼が実行犯である確率はかなり低い。
それに正丸常道は、名前からして三日前に死んだ義道と近しい間柄であり、従って彩花とも血縁にある人物だった。
会わない理由がない。いや、会わなければいけない相手である。
ただ、そう簡単にはいかないようだ。
ログハウスを出ると、山を下りる道の入り口に立つ富士見兄弟が見えた。目が合う。弟が、近づいてきた。面倒だな。私はため息をつく。兄弟との遭遇が避けられないとしたら、せめて兄のほうがよかった。弟は、兄に引っ付いて勝手なことをいうだけの愚か者だ。時間の無駄以外の何物でもない。
「君、候補者になったからって、いい気になってないよね?」
富士見和樹の言葉は、案の定くだらないものだった。兄は遠くで腕を組んでいる。私はやむを得ず、首を振った、
「混乱しています。どうして私がこんなことになっているのか」
「殊勝だね……といってほしいのかな?」和樹も手を組んだ。
「事実を述べたまでですよ。まさか、自分が六人村出身だったなんて」
「どうだか。信用できないよ。全部、狙ってたんじゃないのかい」
彼は、自分が気の利いたことをいっていると信じているらしい。わざとらしく、口元を吊り上げた。意地の悪さだけは伝わってくるが、それだけでしかない。
「まさか。狙うつもりなら、もっとスマートにやりますよ」
「スマートにやろうとして失敗したと考えているんだ、兄さんは」
和樹も、容疑者の一人である。間抜けな会話を続けるしかないのなら、せめて何か情報を引き出してやりたい。
「お二人は、六家に入っていない。でも、見張りの役目を引き受けている、と聞きました」
「へえ、誰から?」
和樹は眉間にしわを寄せた。目つきが厳しくなる。
「加治さんです」
「……詮索は、いい趣味じゃないよ」
彼はさらに声を低くする。兄がいないと、感情が抑えられないのかもしれない。暴力をふるわれる可能性はあるが、うまく彼の怒りを誘導すれば使える情報が手に入るのではないだろうか。やってみる価値はありそうだ。
「詮索ではなく、現状把握です」と、私は答えた。反論のニュアンスは入れず、努めて何気ないふうを装う。
「言葉を変えたって、やってることは同じじゃないか」
不機嫌そうな表情はそのまま、和樹が返事をする。悪くない。話し合いが続く程度に腹を立てている。あとは、これを維持すればいい。
「私は六家の人間で、儀式の参加者です。情報を集めることは、正当だと思っています」
気を抜くと、呼吸が乱れそうだ。
「いい気になるなよ」
彼は先ほどと同じ言葉を繰り返した。やはり、語彙は貧しいらしい。
「いいか、秋津。俺たちはお前が犯人だと思っている。後は証拠だけだ。証拠さえあれば、お前をリンチしてやるからな。覚えていろよ」
富士見兄弟の弟は、怒ると口数が増えるタイプだった。今となっては彼だけが私のところに来てくれたのが、幸運だった、と思えてくる。
「忘れはしません。ですが、暴力はよくないですよ」
「お前!」彼は私の胸倉をつかんだ。「その上から目線の態度がむかつくんだよ。何が候補者だ! 六人村のこともろくに知らないくせに!」
もうひと押しだ。
「候補者になれないことが、そんなにコンプレックスですか」
和樹は手を振り上げた。目が血走っている。ああ、殴られるな。私は覚悟をした。しかし、予想に反して彼の拳は動かない。代わりに、口が動いた。
「その通りだ」
言葉というよりも、爆発音と表現したほうがいいくらい、一瞬でしかも激しい返答だった。私の胸倉をつかんでいた手を放す。
彼のことが、少しわかったような気がする。
彼は六人村に縛られている。それも、心の深い部分、おそらく魂まで六人村の掟に支配されている。昨日まではあれほど簡単に暴行を加えた私を、今は侮辱されてなお、手出しができない。感情を凌駕するほど、掟に支配されているのだ。
和樹の顎がかすかに震えている。
「俺たちは、お前にさえ馬鹿にされている。俺たちが好きで門番なんかに甘んじていると思っているのか? 生まれた時から、俺たちは差別されている。それもこれも、会ったこともない先祖とやらが、中途半端な権力を手にしたいがために、門番になることをかって出たからだ。アホか。誰がこんな立場で妥協できる。一生、下っ端。下っ端だよ。しかも、俺たちは引っ越しさえ許されない。六家でも富士見でもない、六人村が嫌になった連中は、みんな出ていった。どこにでもいける。東京だってな。だが、俺たち富士見家だけは許されていない。六人村の掟に縛られているんだ」
一度流れ出た本音は、止められないようだ。
和樹は一息でまくしたてた。そして、一旦、言葉を切り、肩で息をしながら呼吸を整えている。彼が再び口を開こうとしたとき、彼の肩に手が置かれていた。
「和樹、お前らしくないな。こんなクズを相手に、感情的になるんじゃない」
兄の克己だった。低く、落ち着いた声である。
和樹は私を一瞬だけにらむと、兄に向ってうなずいた。そして、脇に退く。選手交代というわけか。正直、もう退散したいところだが、二人ともそうはさせてくれないだろう。
ならば、話を続けるだけである。
「逃げられないのは、六家も同じでしょう?」私は肩をすくめた。
「どこまでも冷静であろうというわけか。ま、それもいいさ」
克己は冷笑する。それはお互い様だろうに。
「秋津信彦。お前は誤解をしている」
「何をでしょうか」
「六家は逃げられる。知ってのとおり、死んでも死んでも候補者が現れるくらいだ。六家に連なる者は数が多い。それはそうさ。ここ一帯の富と権力が彼らに集中しているんだ。みんな喜んで親戚になろうとする。だから逃げても許される。そもそも、お前の親がそうじゃないか」
心臓が跳ね上がった。私の知らない、私の情報だ。全身が熱くなるのを感じる。
「私の両親のことを知っているのですか?」
反射的に声が出た。知りたい。私の出自が知りたい。私が何者なのか、なぜここでこうしているのか、知りたい。知りたくてたまらない。呼吸が荒くなるのを抑えるのに、必死だった。
しかし――
「だが、俺たちは違う」
克己はあっさり無視をした。彼の凍りついた目を見ているうちに、私も心も元に戻っていく。知る知らない関係なく、彼から私に関する情報は聞き出せない。それが、はっきりとわかった。
「富士見家は門番。誰も代わりをやりたくない。だから、俺たちは逃げられない。たとえ逃げても連れ戻される」
「逃げたことがあるんですか」
「当たり前だ!」
弟の和樹が叫んだ。克己は鼻を鳴らす。
「俺たちの身体にはたくさんの傷がある。ガキの頃から脱走を繰り返し、そのたびに折檻されたんだ。鞭で棒で素手で。……あやうくマゾヒストになるところだったな」
最後は冗談のつもりなのかもしれないが、氷のような口調ではとても笑えない。それどころか、反応もできない。私は静かにうなずいた。
「だから、我らが富士見家は、その任を逃れる場合、死を選ぶことになる。俺たちは死ぬまで門番なのさ。教えてやる。俺たちは養子だ。富士見と結婚して子をなしたい奴などいない。でも、六人村としては、家は存続させなければいけない。で、金で連れてこられたのさ。悲惨な養父はすでに死んで、富士見家は二人ぼっちだ」
哀れではある。しかし、同情はできない。彼らの悩みに共感してやれるほど、私は善人ではない。それに、彼らが私にしたことも忘れない。
富士見兄弟は、門番であることを楽しんでいた。少なくとも、門番を務めることで得られる快楽を知っている。侵入者として手荒な扱いをされたことを思えば、儀式において彼らが門番以外に担っていた役割も透けて見えてくる。
彼らは看守なのだ。この儀式の場は牢獄である。二人は、牢獄から囚人が逃げ出さないようにしており、逃亡者には容赦のない暴力をふるっているに違いない。
明確な証拠はない。主観的な印象であることは認める。それでも、私は自分が正しいと確信していた。
「返す言葉もない、か」
私が黙っていたせいで、克己が勝ち誇ったように言った。弟と同じように、ガキくさい物言いだ。私の想像していた富士見克己にひびが入った。私は、彼が分別のある人間で弟である和樹をコントロールしていると考えていた。しかし、実際のところは本質的に二人とも同じくらい幼稚な人間で、克己は単に背伸びをしているだけのようだ。沈黙に耐えきれず、つい子供じみたことを言ってしまったのも、そのせいなのだろう。
「行こう、兄さん。こいつはもういいよ」
飽きたのか、気が済んだのか、和樹が言った。
「そうだな、時間の無駄だな」と、克己は嬉しそうだった。弟にうなずいたあと、私を再び見る。
「秋津信彦。残り少ない時間を楽しむといい。俺たちが見ていてやる」
もはや、哀れでしかない。こんな形でしか虚勢を張れないのだ。笑っている和樹を見ると、二人とも自分たちの態度が破綻していることに気づいていない。
そのまま二人は、自分たちの居場所へと帰っていった。
彼らの無防備な背中を見ているうちに、ある可能性が頭に浮かんだ。
富士見兄弟が、加治を殺したのかもしれない。
不可能なことではない。
ログハウスに鍵はかからないから、侵入は容易だ。私は寝ていた。沙織がどうしていたのかはわからないが、何かしら手はあるはずだ。できる。十分に、加治を殺せる。
そう考えると、加治の死のあとに私を暴行したのも、自分たちが疑われないようにするための工作と解釈ができる。
残りは動機だが、これもないことはない。
憎悪だ。自分たちの運命に対する憎悪。
富士見兄弟は、死ぬまで不本意な人生を送らなければならない。その原因は六人村にある。六人村を象徴するのは誰か。神である加治だ。六人村の憎しみが加治へと転化され、彼の殺害に至る。
ただ、この推理には問題がある。
これまで見てきた富士見兄弟は、骨の髄まで六人村の人間だった。
憎しみも深いが、帰属意識も深い。
彼らの加治に対する態度を思い出せば、彼らがいかに六人村のルールに従順だったのかわかる。六人村の一員と強く思っているからこそ、富士見兄弟は己の境遇を憎むのだ。
神を殺すことは、六人村の掟から最も外れた行為である。
富士見兄弟が、その禁忌を犯すことができたのか?
私は首を振った。今の私には、肯定する材料がない。
いい仮説だと思ったが、でかい穴があった。一から考え直しである。大きくため息をつき、当初の目的通り正丸常道のところへ向かうことにした。
彼がいるのは、三日前に死んだ正丸義道のログハウスにちがいない。
果たして、彼はいた。




