13 結末
一睡もせずに夜が明けた。
広場のざわめきが聞こえる。
気だるい。頭がぼうっとするし、身体中がきしむように痛い。ここ数日でどれだけ殴られ、蹴られ、床に叩きつけられたのだろう。着替えもせずシャワーも浴びず横になったため、服は血で汚れ、黒くなっている。ある意味、私にふさわしい恰好だ。
どうせ、顔も鼻血でひどいに違いない。髪も梳いておらず、他人から見ればゾンビに見えるのではないだろうか。生きている屍。実に私らしい。喜びさえ湧いてくる。その感情を維持して、ログハウスを出た。私の姿をみんなに見せてやろう。
広場に集まっている生者が、一斉に私を見る。
違和感を覚えた。脳裏で描いていた今朝の風景と異なっている。
彼らのもとへ近づくにつれ、違和感の正体がはっきりした。
椎名がいない。彼らの輪の中に、椎名智之がいなかった。
足早になる。
彼らは汚物のように私を見ていた。言いたいことがあるようだが、何も言おうとしない。
樋口老人の前が空いていた。私にそこへ行けということだろう。そして、何かを告げるとしたら、きっと樋口老人なのだ。
椎名がいない理由をいくつか想像する。どの考えもろくなものではなかった。ただ、最悪の状況は避けていてほしい。私はもう泣きつくした。
「秋津信彦」
目の前まで来た私に、樋口老人が語りかける。その目は、何も表していなかった。変だ。周囲の人間は、私に刺すような視線を向けているにもかかわらず、樋口老人だけが違う。白でもなく黒でもない灰色の瞳。公平な裁定者なのか。もしくは、単に虚無が彼を支配しているのか。どちらもありえる。
樋口老人の唇がゆっくりと動き出す。
耳を塞ぎたい欲求にかられた。
だが、遅かった。
「生き残ったのはお前だ。椎名は昨夜死んだ」
聞こえた。
私がここに立っていられる理由を聞いた。
樋口老人が言い終えた瞬間、周囲から一斉に怒号が飛んできた。あまりの激しさに、声は合わさり、意味を失っている。何を言われているのか、わからなかった。しかし、何が言いたいのかはよくわかる。私も同じ気持ちだ。
聴覚が破壊されそうだが、それでもいいと思えてくる。そんな自虐的な快楽は唐突に終わった。
「黙れ」
光月陽一だった。周囲が一瞬で静まる。
「秋津信彦、椎名智彦のログハウスへ行け。行って、あいつの死を見てこい。そして、ここまで連れてこい」
光月に対する憎しみは少しも減っていないが、今は言うとおりにするしかなかった。私はうなずき、椎名のログハウスへ行く。
扉を開けた瞬間、匂いがした。加治のときと同じ匂い。死の匂いだ。
居間で、椎名が横たわっていた。目を開いたまま、自分の身に何が起きたのか自覚できていないような顔をしている。ただ、首がありえない方向に曲がっており、すでに命が失われていることは間違いない。
「どうだ?」
横に、司馬が立っていた。やはりオールバックだ。この快楽殺人者は、どうしてまともなふりをし続けているのだろうか。
「何が、どうだというんです」
「これは俺がやった」
とっさに、彼の胸倉をつかんでいた。
「死なずにすんだのに、怒るなよ」司馬は笑う。
「俺が死ぬつもりだった。椎名にもそう話していた」
「嘘をつくな、秋津。お前は、自分に任せろとしか言ってない。死ぬ気なんてなかった」
「違う」
「違わない。少なくとも、椎名はお前が死ぬつもりだとは思わなかった」
「根拠はなんだ」胸倉をつかんだ手を、司馬ごと引き寄せる。彼は微塵も動揺しなかった。
「俺は、椎名に頼まれた。昨日の夜中、寝ている俺を叩き起こして、あいつは『自殺する勇気がないから、殺してください』って俺に言ったんだ」
「それで、お前は実行したのか」
「そうだ」
力が抜けた。彼の言葉は私の中にあっさり侵入し、隅々まで満たした。
「秋津、これはお前の罪だ」
私はうなずいた。
「椎名君を追い詰めたのは、私だった」
こんなことをこの男に言いたくはない。しかし、言わなければ、押しつぶされてしまいそうだった。私の弱さが椎名を殺したのは、事実だ。椎名は優しく、純粋。自分が引けばいいと思ってしまった。もう少し年を取っていれば、利己的に動けたはずだ。
私は、生きていられることにほっとしている自分が、たまらなく悔しかった。
だから、自分の罪を口にせざるをえなかったのだ。
出しきったはずの涙が、また流れた。
それに対し、司馬が嘲笑を返す。
「認めたところで罪が軽くなるわけじゃない」
彼は、わざわざわかっていることを口にした。
「それが言いたくて、わざわざここまで追いかけてきたんですか?」
「さすがに広場でこんな話はできないからな」
「では、やらなければいいのでは」
「そうはいくか。正直言って、椎名の殺しは楽しくなかった。これくらい駄賃をもらってもばちは当たらないさ」
「へえ、あなたでも楽しくない殺しがあるんですか」
罪から逃れたかったわけではない。だが、このまま司馬の思うとおりには動きたくなかった。手が汚れているのは、こいつも一緒だ。
「首を折る直前に、ありがとうと涙を流しながらにつぶやかれたら、楽しいものも楽しくなくなる。まあ、苦しまずに逝ったはずだ」
不思議なことに、このときだけ司馬は無表情だった。それを見ているうちに、私の涙が引いていく。かがんで、椎名の目を閉じた。首をまっすぐに整える。硬くなっていたが、歪んだままよりはましだろうと、少し強引に直した。冷たかった。
「椎名君を、運び出しましょう。司馬さん、あなたもここに来たんだ。手伝ってくれるでしょうね」
「ああ。でも、その前に一つ言いたいことがある」司馬は薄ら笑いに戻っていた。
「手短に願います」
「秋津信彦、俺と手を組まないか」
意味不明だ。
「あなた、何を言ってるんですか」
「言葉通りの意味なんだが、日本語が通じなかったか」わざとらしく、彼は肩をすくめる。
「お互いに何をどう協力できると言うんです」
急な申し出に内心とまどった。昨日、加治の部屋での会話を思い出す。彼は私にゆさぶりをかけていた。私という存在に、何かしらの怪しさを感じていたのは間違いない。そして、私の光月に対する憎悪にたどり着いたのではないだろうか。光月自身が昨夜のことを喋っていないとも限らない。とすれば、手を組むというのは、光月殺害に協力してくれることなのか。考えがうまくまとまらない。
私が黙っているのをどう勘違いしたのか、司馬は探るような目で見てきた。
「お前はここから出ていきたくはないのか? 六人村の権力が欲しくなったんじゃないだろうな?」
言葉から察するに、光月のことは杞憂のようだ。安堵しつつも、どこかがっかりしている自分に気づいた。悪くはない。正面から光月を殺すことは難しそうだし、持ち物が全て没収されている以上は、罠もしかけられない。現状、司馬と手を組むのは、目的を達するのに最適なのだろう。向こうにその意図がなくても、こちらから提案するのもいい。
ただ、そこまで決断するには、まだ時間が必要だ。快楽殺人者への生理的な嫌悪がぬぐえない。それに、気になることが一つある。
「あなたは私に、何を期待しているんですか? 私に何ができると?」
「何かを期待しているわけじゃない」と、司馬は首を振る。「ただ、これからは協力できるやつが必要になってくる。『仲間』って言葉は大嫌いだが、そういうことだ」
「あなたの目的は?」
「生。俺は人を殺すのが好きだが、死にたくない。勝手だと思うか」
「もちろん。そして、異常だと思います」
「否定はしないさ。だが、俺の感情は正しい。理屈や公平さに縛られて、自らの気持ちに背を向ける理由がどこにある。どんな状況であろうと、どんな人間であろうと、生きようとする欲望を持つのは自由だ」
馬鹿馬鹿しい。要は、どう思うと俺の勝手だ、ということではないか。反論しようがない。それこそ、勝手にすればいい。私は首を振った。
「それは拒絶と受け取っていいんだな」
冷静な声音。怒りか絶望か、それとも他の何かか。司馬の真意を推し測るのは難しい。ならば、私も自分の感情に従うまでだ。
「どう解釈しようと、それはあなたの好きにしてください」
「わかった。そうさせてもらおう」司馬の表情に変化はなかった。
椎名を樋口老人に引き取ってもらうために、広場へ連れていく必要がある。司馬に手伝えと言ったものの、私は自分で椎名を背負うことにした。死の重さを実感することで、椎名の死そのものも多少は背負えるかもしれないと思った。
動かなくなった椎名智之は、想像以上に重い。
「死体は重い。よく言われていることだ」
司馬が押さえているのか、背中の椎名は安定していた。
広場に行くまで、重みで下を向きがちな顔を、無理やり上げる。光月たちの冷ややかな目が私に集中していた。
沙織もいる。彼女の表情からは、喜怒哀楽が消失していた。そばに来ても彼女は何も言わない。ただ黙って私を見た。私が目を逸らす。耐えられなかった。彼女の沈黙がつらい。兄と椎名はあなたが殺した、と泣きわめいてくれたほうが、かえってありがたい。
「人殺し」
小さな声が聞こえた。心が軋む。彼女かどうかはわからない。少なくとも、視線の先にいる樋口老人の唇は動いていなかった。
彼の前には、白いシーツが用意されている。私はそこに椎名の身体を横たえた。まだ彼を背負っているような感覚がある。この重さが、私の精神を地上に押さえつけていた。
「椎名智之は死んだ。秋津信彦、お前は代わりに儀式を引き継げ」
樋口老人は、私の返事など待ちもせず、先ほどまで私がいたログハウスを指差した。「お前が儀式のあいだ住むのは、あそこだ。もう加治のところに戻る必要はない」
椎名の代わりなのだから、私の居場所がそこなのは当然だろう。しかし、あまり気持ちのいいものではない。加治のログハウスがいいというわけでもないが。
樋口老人は、脇に立っているお付きのものらしい小太りの男に、目で合図をする。小太りの男はうなずき、背後に置いていた袋を手に取った。それを私に差し出す。素直に受け取った。軽い。
「服が入っている。加治のものではない。お前のものだ。その前に風呂に入れ。今のお前は見苦しい」
私は黙ってうなずいた。
「樋口さん」と、光月が呼びかける。
「どうした」樋口老人は、面倒そうに返答した。「今、お前が喋る時間ではないぞ」
「いえ、おうかがいしたいことと、提案したいことがあるんです」
「手短にな」
「もちろんです」光月は樋口老人の脇に立った。みんなの視線が、彼に集中する。「まず、確認しておきたい。今は、次代の王を決める儀式の最中だ。本来ならば、今の王が儀式の期間に候補者を審査し、儀式の最終日に後継者を指名する」
なぜか、ここで言葉を切った。光月の表情に一瞬、影が差す。
「だが、今回は違う。王はいない。王がいない。何も決められない。後継者を決めるすべがない。全て、俺たち候補者が決めなければいけない。混沌のただなかにあって、秩序を生み出さなければいけない」
光月は、自分の言葉に酔っているようだ。当たり前のことを、さも特別なことのように話している。くだらない。
「何か、案があるものはいるか」
反応するものはいない。おそらく、光月も提案する人間がいることを想定していなかったようで、さっと見回すと、一人で勝手にうなずいた。
「いないな」
時間を与えた、とは言い難い。あえて言うなら「隙」だ。即答できるのは、すでに野心があり、道筋を見つけている者だけである。そして、そんな人間がいないことが今、はっきりした。光月は王の座を欲する。検見川のように裏で姑息に動くわけではない。正面から堂々と取りに来ている。目が、合った。
「人殺し」
気づいたときには、口にしていた。「ああっ?」と凄む声が聞こえる。富士見兄弟か。行動には移さないようで、情けない話だが、ほっとする。
「放っておけ」光月だった。「この男の真意はともかく、奇しくも俺が言いたいことも同じだ。この中に、人殺しがいる」
視線が、司馬に集中する。彼は苦笑して、光月をあごで指した。
「おいおい、問題になっているのは、俺のことじゃないだろう?」
「今は、だ」
光月が司馬に対して嫌悪を露わにした。理不尽な男である。彩花のことを棚に上げ、よくもそんな態度が取れるものだ。腹が立つ。怒鳴りつけてやりたいが、私には無理である。
司馬はわざとらしく、肩をすくめた。これで、自分の話題はおしまい、というつもりらしい。光月は渋々、うなずいた。
「俺が言いたいのは、加治を殺した人間のことだ。加治は他殺。これは疑いようがない。自殺で首が切断できるのか?」
無理だろう。機械的な装置? そんな発想は馬鹿げている。そこまでして首を斬らなければいけない理由は考えられない。道具だってない。
加治の首を斬り落としたのは、この場にいる人間であることは間違いない。
「そこで、提案だ」
光月が声を張り上げる。
「加治を殺した人間を見つけ、証明できた者を、次の王にするのはどうだろうか?」
「そんな簡単に行くのかねえ」
陽気そうな小麦色の中年男性――昨日、光月と一緒にここに来た人物だった。そういえば、存在を忘れていた。
「陽一君、本当の意味で証明なんかできるんだろうか? それに、もしどうしても証明ができない状況だったとしたら、王も決められなくなってしまう」
「では、みんなを納得させられたら、ではどうでしょうか」光月が素直に応じる。
「そうだね、そちらのほうが良い。でも――」
彼が、私を横目で見る。なるほど、そういうことか。光月も理解したようだ。
「正丸常道さん、だから俺は『見つけた者』とは言わなかったんですよ。そんなのは、簡単すぎる。でも、知っているだけでは、どうにもならない。本人も含めて、きちんとその人物が何をどうやったのか明らかにしなければ、この『儀式』が汚れてしまう」
正丸と呼ばれた中年の男は、満足そうにうなずいた。「わかった。僕は賛成だよ」
正丸義道の代わりはこの男か。〝正丸〟と聞くだけで、心はざわめく。
「他のみんなはどうだろう?」
光月は、今度はゆっくりとみんなを見回す。私には、怒りを向けていた。
「一つ、いいか?」司馬が再び口を開いた。「本当に、俺たちがやったと思っている人間が、犯人なんだろうか?」
「何が言いたい」
「言った通りさ。別に真犯人がいる可能性はあるんだ。俺は『見つけた』くらいにしておかないと、後悔すると思うな」
先ほどと全く変わらない、ふてぶてしい口調である。この男は、居心地が悪い経験をしたことがないのではないだろうか。神経が太い。
光月は、このような場でなければ、顔を見るのもうんざりだといった表情をしている。
「お前は、別に犯人がいると思っているのか?」
「さあね、俺は自分で見たもの以外は信じないだけだ。あと、自分たちが偉いと思っているお前たちが大嫌いなだけだ」
「嫌っているのは、こちらも同じだ。お前の提案なんか受け付けない。犯人は一人に決まっている」
「ぼかす必要はないと思いますが」
もう黙っていられなかった。周囲の視線が、私に突き刺さる。
「私を疑っているのなら、はっきり言えばいい。秋津信彦が神を殺した、と」
「自白と受け取っていいのか?」光月が静かに問う。
私は首を横に振った。「まさか。あなた方が遠慮していることを言っただけのことです。これを自白と考えられては、何も喋れない」
「俺が名指ししないのは、お前が候補者の一人だからだ。これでも一定の譲歩はしてるんだ。感謝してもらいたいね」
私が反撃を試みようとしたとき、先に樋口老人が口を開いてしまった。
「陽一、余計な言葉はつつしめ。時間の無駄だ」
「はい、申し訳ありませんでした」
即座に光月が深々と頭を下げた。気持ち悪いぐらいに聞き分けがいい。しかし、顔を上げた光月の表情には、従順さなど微塵も感じられなかった。
「もう一度言う。加治を殺した犯人を見つけ、それを証明した者を次の王と認める。これが、今回の儀式での継承方法だ。文句があるか」
誰も何も言わない。司馬をうかがうと、一瞬だけ目が合った。不快だ。彼は小さく首を振った。やれることはもうないのだろう。
光月も確認したらしい。
「反対がないのなら、これで確定とする。樋口さん、下の者にも伝えてください」
樋口老人はうなずいた。「わかった。みなに話しておこう」
その後、今日の分の食料を受け取ると、樋口老人とお付きの者は山をおり、候補者たちはログハウスへと帰っていった。光月は私を見ることはなかった。沙織も、沈黙したまま加治のログハウスに戻る。
最後に残ったのは、私と司馬の二人だけだった。彼の薄笑いから察するに、このタイミングを待っていたようだ。
「秋津、大事なのは犯人探しじゃない。その状況をどう逆手にとって戦うかだ」
「意味がわかりません」
「そのうちわかるさ」
「本当に、あなたはどこまで何を知っているんですか?」
「何も。ただ、俺は六人村がどんなところか知っている。光月陽一のことも」
私はため息をついた。核心に触れるようで触れない会話に疲れたのだ。
「問答はたくさんだ。全てを話すつもりがないのなら、黙っていてもらえませんか」
「隠し事があるのはお互い様さ」
「どうでしょう」
私は肩をすくめて、自分のログハウスへ戻ることにする。
「一つだけ、教えてやろう」
まだ続ける気か。もう相手にしてられない。それでも構わず、司馬は話を進める。
「六人村で社長を『王』と呼ぶ理由。それは、社長ではありえないことが行われるからだ。六人村の『王』は、ある一点において呪術が支配していた時代の『王』と同じ扱いを受ける」
生温かい風が通り抜けた。司馬の声が広場全体に響く。
「王は、次代の王を指名した後、死ぬ。殺されることになっていた。理由は俺も知らない。だがそれは、昔から変わらない六人村の掟だ――」
とっさに私は振り返る。
しかし、すでに司馬の姿はなかった。




