12 決断
現実から逃避するように、いつの間にか寝ていた。だが、それほど時間は経っていないようで、太陽の位置は記憶していたところからさほど変化していない。眠りが中途半端だったらしく、頭痛がする。はっきり言って、最低の気分だった。肉体が精神に追随している。
無理やり立ち上がった。一瞬、よろめく。壁に肩をぶつけた。くそっ。
加治沙織は、やはり戻ってきていないようだ。
私は扉を開け、さんさんと太陽の日差しが降り注ぐ広場へと出た。外には誰もいない。まっすぐ椎名のいるログハウスに行き、扉をノックした。そして、返事が来る前に自分の名前を告げる。
「どうぞ」
フラットな声音だった。椎名が無理をしているのかもしれないし、私がいつもと同じだと思い込もうとしているのかもしれない。どちらにしろ、今この状況で私に対し出すものではない。
ログハウスに入り、奥へ向かう。一歩一歩、わざと音を立てて歩いた。そして、部屋の前で深呼吸をし、扉を開ける。
椎名が、いた。
「智之……くん」昨日は彼を何と呼んだだろうか。覚えていない。そもそも名前を呼んだのだろうか?
「ちょっと話があるんだけど」
椎名もうなずく。「僕もあります。どうぞ座ってください」
目が会ったのは一瞬で、向こうから視線を外した。彼の表情は硬い。おそらく、私も。
素直に私は座った。まず何と言えばいいのだろう。口を開きたいのだが、自己弁護以外の言葉が出てこない。
「秋津さん、まさかこんなになるとは思いませんでした」
椎名は窓の外を見ている。
「私も、知らなかった」
返事をしていいものかどうかわからなかったが、何も言わないと単なる卑怯者でしかないように感じられた。しかし、結局出てきたのは愚にもつかない言い訳である。椎名も返事しようがないだろう。喉を大きく動かしただけだった。
「智之くん」ことさら大きな声を出したつもりはないが、椎名は肩をびくつかせ、私を見た。
「こんなことになって申し訳ない」
椎名は首を振った。「そんな、謝らないでください。だって、秋津さんは知らなかったんでしょう?」
「知らなかったで済む状況じゃないことくらいはわかっているよ」
「そんな……」
「なぜ、同じ系統の家の人間が一緒にいるだけで、死ななければいけないんだろう?」
「前から決められたことだからです。根拠があるのかないのか、僕も知りません。いや、そもそも知る必要もないんです。僕たち、六人村の人間は掟を忠実に実行するだけですから」
「掟であれば、殺し合いも許容すると!」
反射的に大声になった。椎名が怯えた顔をする。「ごめん」と、口に出したが、椎名の態度は変わらなかった。
「僕だって、許容なんかできませんよ。でも、昔からそうやって生きているんです。他に選択肢を知らない。それに、お互いが掟を守っているかどうか監視し合っている。掟を破れば『家』ごと罰せられるんです。だから、理不尽だと思っていても従うしかない」
そう言ってから、椎名はこちらに顔を向けた。顎が小刻みに震えている。
「あなたが羨ましい。他の世界を知っている」
君が私の何を知っているんだ、と口にしそうになるが、ぎりぎりのところで思いとどまった。それはお互いさまだ。だとしたら、少なくとも年齢は上の私が我慢すべきだろう。
彼の顔が赤くなる。
「都会に行きたかった。こんな田舎じゃなくて、夜が遅い、人が多い場所に行ってみたかった。僕はまだ成人もしていない」
椎名は涙を流していた。
具体的な地名が一つも出てこない。年齢を考慮しても、幼い願いだった。漠然と現状から逃げたがっているだけだ。しかし、だからこそ彼の本音であることがわかった。無下にはできない。
「智之くん、一緒に考えよう。いや、一緒に考えてくれ。二人とも死なずに済む方法を探そう」
椎名は何かを喋ろうとしているが、泣いているせいで、うまく言葉がでないようだ。何かを言おうとするたびに、しゃっくりにしかならない。
私は黙って、彼が話せるようになるまで待つことにした。フォローの一つでも、と考えはしたが、結局、何も思い浮かばなかったのだ。徐々に、六人村で言葉を発することが重荷に思えてきた。なにげない一言が、自分や相手の立場を危うくさせそうな気がする。
やがて、椎名は泣きやんだ。目の端に残った涙をぬぐいながら、苦笑した。
「すみません、恥ずかしいところを見られました」
私は首を振った。「気持ちは同じだよ。ただ私は泣かないで済んでいるだけで」
「そうですか」椎名はほっとしたように小さく笑う。
「本題に、戻ろう。まず、状況を確認したい」
「はい」椎名がうなずいた。ようやく、目に意志の光が宿る。
「私たちは親戚だった」
「らしい、ですね。ただ、正直に話せば、根拠は樋口老人の言葉でしかないところは引っかかっています。あなたを六人村の一員にすることで、どんな利益があるのかは知りませんが、偶然にもほどがある」
同意見だった。こういうたぐいの偶然は、ありえない。しかし。
「私が六人村の人間でないことを証明するのは、今の段階では不可能だ。少なくとも、君と私では無理だと思う」
「とすると?」椎名の声に、芯が生まれた気がする。
私は首を横に振った。椎名に余計な希望を与えたくない。
「だから、血縁を否定することでこの状況を切り抜けられないってことだよ。私たちは、樋口老人のルールにのっとって解決をはからないといけない」
椎名の顔に、軽い失望が浮かんだ。胸が少しだけ痛む。この少年は、大人に過大な期待をしている。
「君と私が同じ血統の親戚である、という前提で話す」
「同じ血統が二人いたら、どちらかに死んでもらう、というのも樋口老人の言葉である以上は、ルールとして受け入れないといけないんですね」
「そうだ」
「だとしたら、どうしたらいいんでしょう」
「これは例えばの話だし、図々しい案であることを承知の上で言うんだが、君が儀式を放棄することはできないのだろうか」
椎名は力なく、「はは」と笑う。「それができたら苦労しませんよ。富士見兄弟は、入る人間だけじゃなく、内部の人間も監視していて、脱走は許されません。それが儀式の掟ですから」
うすら寒い掟だ。椎名の瞳に向けていた視線をわずかに逸らす。
「わかった」私はうなずいて、立ち上がった。「一つ教えてほしい。光月陽一のログハウスはどこにある?」
「え?」椎名は面食らったようだ。それも当然か。自分でも唐突な質問だと思う。
「理由は聞かないで欲しい。光月陽一のログハウスの場所はどこか教えてくれないか」
椎名がわずかに迷った様子を見せる。しかし、すぐに首を縦に振った。
「隣です。出て右」
「ありがとう。じゃあ、樋口老人の要求の件は、私がなんとかする。君はいつもと同じようにすごしてくれ。明日の朝までに決着をつけるから」
返事を待たずにログハウスを出た。困惑した椎名の声が聞こえるが、もう関係ない。これは私の問題だ。椎名と話していて明確になったことがある。打てる手がないということ。どちらかの命を犠牲にするしかなかった。では、どちらが? 私だ。
そうなると、やるべきことははっきりする。
一人の時に考えていた選択肢の一つ。光月陽一を今日中に殺して、明日の朝までに自殺する。これを実行するだけだ。分が悪い賭けだが、来た手札で戦うしかないのなら、仕方ない。少しだけ、気持ちがすっきりした。情けない人間ではあるが、最低な人間にはならずに済んだように思う。
一度、加治のログハウスに戻った。沙織はやはりいない。
私は夜まで眠り、力を蓄えるつもりだ。
ふと思った。樋口老人の言葉が全て真実だったとして、加治はどこまで知っていたのだろう。加治が私をかくまったのは、何かを知っていたからなのか。
ただ、死者が何を知り、何を考えていたのかをわかったところで、今の私には意味がない。明日。全ては明日の朝までだ。
暗闇。目を覚ました瞬間、恐怖が私を襲った。未知の場所にいるという寂とした感情、そして自分がまっとうな道を歩んでいないことへの罪悪感からだろう。
汗が身体にまとわりつく感覚も慣れてきた。だが、徐々に精神が追い詰められているのが、わかる。まあ、いい。どうせ今日で決着がつく。覚悟ができているかと言えば嘘になるが、足を動かせないわけではない。
今の私は、それでいい。
暗い中、立ち上がった。明かりはいらないだろう。
誰もいないとは思うが、静かにログハウスを出た。何かはわからないが虫の声がする。
まっすぐに光月陽一のログハウスを目指した。
武器になるようなものは何も持っていない。丸腰だった。準備をする時間も方法もなかったのだから、当たり前ではある。拳銃があれば違ったのだが。
拳銃は加治の部屋になかった。金庫にもなかったのだから、考えられる可能性は一つ。
加治の妹、沙織だ。
加治が死んでからまともに彼女の顔を見ていない。加治のログハウスに戻ってきた形跡もない。
拳銃と彼女。ログハウスになくなったものは、同じ場所にあると考えたほうが自然だろう。どこにいるのか。彼女も、儀式が終わるまでは、ここから出られないはずだ。とすれば、誰かのログハウスにいるにちがいない。
わざわざ探す理由はない。光月陽一のところにいなければ、それでいい。
ただ、彼女がわざわざ拳銃を持ち出した理由は引っかかる。
「あ」
もう一つ思い出した。私の私物もない。富士見兄弟が持っているのかもしれないが、とにかく加治のログハウスにはなかった。私は息を大きく吸い、吐く。考えても無意味だ。目の前は光月のログハウスである。思考はいらない。いるのは覚悟だけだ。入り口のドアノブをゆっくり回す。鍵はかかっていない。
私はログハウスのドアを開けた。暗闇。誰かの呼吸が聞こえる。誰かではない。光月陽一の呼吸だ。まっすぐ進む。心臓の鼓動の激しさに、身体が吹き飛ばされそうだった。荒くなる息を必死でおさえる。全身から汗が出ている。てのひらも例外ではない。足が滑りそうだ。部屋に入る――。
突然、顔に圧力と痛みを感じた。その勢いで、後ろの壁にぶつかる。朝と同じだ。誰かに、殴られたのだ。背中の衝撃で、一瞬だけ呼吸が止まる。その分を取り戻すように、今度は咳が出た。なんとか、倒れず、前を見ていられる。
暗黒から人が現れた。朝に見た、若く巨大な男だった。スポーツマンというよりも、格闘家といったほうがしっくりくる、筋骨隆々の肉体の持ち主である。大きいアーモンド形の目を見開いて、私をにらみつけていた。こいつは、人間のクズだ。
「光月陽一だな」
「そうだ」
光月の喉が上下し、言葉を押し出した。よく響く声だ。
怒りと憎しみが私を満たす。同時に、心地よさを感じた。ためこんでいた負の感情を、今ようやく吐き出すことができる。これは、快楽だった。顔の痛みも消えていく。立ち上がり、胸を張る。
「お前を殺しに来た」
光月の顔がどす黒くなった。こいつも、怒ったようだ。
「なんという恥知らずな男だ」阿呆が吠える。
「それはこちらのセリフ――」
言い終わる前に左ほおを殴られた。フックだ。ボクシングでもやっていたのだろう。今度は踏ん張れなかった。私は無様に床に転がった。
「立て」
怒りを押し殺した声だ。むかつく。どうしてこいつが怒っているのか。膝の震えをこらえながら、私は立ち上がった。
「お前は人殺しだ」
歯茎がむき出しになっているはずだ。光月の表情がほんの一瞬だけ、陰る。
「それを言いに、ここまで来たのか? 自分の置かれている立場はわかっているのか?」
「少なくとも、お前よりかはな」
言い終えるか否かのタイミングで、再び光月のパンチを鳩尾にくらった。両膝から力が抜け、うずくまる。うめき声だけは出さないようにしている。息ができないのは、つらい。
「椎名を死なせるつもりか」
追い打ちはしないようだ。人殺しのくせに、良心があるのだろうか。だとしたら、さっさと自死すべきだ。
私はじゅうぶん光月を待たせたあと、顔を上げた。
「お前には関係ない」
今度はかかとが落ちてきた。顔が床にぶつかる。鼻に猛烈な痛みを感じた。どろり。暗くてわからないが、感触から察するに、鼻血が出たのだろう。くそっ、服が汚れてばかりだ。
「関係ないわけがあるか。生まれたときから知っていて、弟と思っている」
実にくだらない男だ。身内を大事に思う気持ちがあるのなら、なぜひき逃げ死亡事故を起こしてのうのうと生きている。
起き上がって、手の甲で鼻をぬぐう。やはり出血している。わずかに、顔を上に向けた。光月からしたら、見下されているように見えることも期待した。
「俺は、正丸彩花の恋人だ」
この男に、正体を隠す必要などない。罪を自覚させてやりたい。そして、この男の命でその罪を償わせてやりたい。
「その恋人が、俺に何のようだ」
光月の表情は驚きでも戸惑いでもない。怒りが継続している。彩花のことを知らないふりをしているわけではなかった。自己愛の強い人間なのだろうか。よく、被害者の恋人を前にして、図々しくも怒っていられるのか。さっぱり意味がわからない。腹が立つのは、こちらのほうだ。
「恋人を殺した責任を取ってもらう」
光月の首に手を伸ばした。彼は上体をそらす。私が一歩踏み込む。手が、届いた。力をこめる。その間も、彼は私の目をにらみ続けていた。
「俺も同じように殺す、ということか」
「そうだ」
さらに力をこめた。光月の首は太く硬い。腕がつりそうだった。
「これで、絞めているつもりか」
光月が私の腕をつかんだ。彼の腕に血管が浮き出た。折られそうなほど、強い。私の手から力が抜けていく。だが、これでは終われない。彼の顔に向かって、頭突きを狙う。当たった。代わりに腹を蹴られた。私の手にはすでに力がなく、彼は私の腕を放していた。
またも、腰を折って床に転がされた。屈辱だ。
「秋津信彦。弱いな」
屈辱だった。弱いか強いかの問題ではない。仇を前にして何もできない自分が悔しかった。くそっ。おまけに私は泣いている。
「秋津、お前は自分のことばかりだな」光月が吠えた。
「自分のことしか考えていないのは、お前のほうだろうが!」
中腰くらいまで立ち上がったところで、光月に身体ごとぶつかった。うっ、と光月がうめく。だが、受け止められた。体勢もほとんど崩れていない。足を踏み込み、組み合ったまま、床に転がそうとするが、力負けをしているせいで、全く動かない。
「いい加減にしろ。何度やっても、結果は同じだ。諦めて自殺をしろ」
光月は両手で私を突き飛ばした。もう床に尻をつけるのも慣れたものだ。気づくと、私は肩で息をしていた。それなのに、やつは怒っているものの、疲れた様子が一切なかった。
「彩花の仇を討つ前には、死ねない」
言い終わるや否や、光月が私の脇腹を蹴った。何度も執拗に蹴る。つま先が食い込み、私は悲鳴を上げた。我慢できなかった。光月も何かをわめいているのだが、聞きとれない。
涙が止まらなくなっていた。
光月がいるのに、立ち上がれない。怒りも恨みも治まっていなかった。それなのに、身体が動いてくれない。痛い。体中が痛む。そして、体勢を直そうとしても、光月の蹴りが続くせいでその時間が作れない
声を出して泣いていた。
泣きじゃくっていた。
頭の片隅で、私は自分を罵倒している。
恋人の仇も取れず、返り討ちにあった。相手が強かったなど、見苦しい言い訳だ。偉そうに椎名にかっこつけて期待を持たせたくせに、このていたらくである。馬鹿で愚かでくだらない人間だと、今日ほど思い知らされたことはない。憎き光月陽一はのうのうと明日を生きるだろう。それに比べて、私は明日死ぬことになる。彩花に会わせる顔がない。
どうすればよかったのだろう。どうしたら、私は光月を殺せたのだろう。わからない。これまでもこれからも、目的に至るまでの道筋が全く頭に浮かんでこない。
元々、無理な望みだったのか。自分の全てと引き換えにしても、復讐は過ぎた願いだったというのか。それほど私は無力な存在だったのか。
涙はすでに尽き、私は声だけで泣いていた。だが、その声もまた枯れようとしている。おうおう、と動物の鳴き声のようだ。
いつの間にか、光月は私を蹴っていなかった。違う。やつはここからいなくなったのだ。自分のログハウスを出て、どこかへ行ってしまった。
もう光月がどこにいるのかわからない。
ログハウスを一つ一つ探したとしても、そこには光月の他にもう一人はいるはずだ。二人を相手にはできない。私は手も足も出ないだろう。
今夜、私ができることはない。いや、本当はあるのかもしれない。しかし、私には思いつかない。感情だけでは太刀打ちができなかった。それでも、対策など立てようがない。
もはや、朝に賭けるしかなかった。
樋口老人が現れたときに、私は自らが死ぬことを宣言しながら、光月の目をつき、首を折る。
我ながら実にくだらない。
阿呆の考えだ。
こんなもの成功するわけがない。
だが、これにすがるしかなかった。
こんなものしか残されていないのだ。
私は朝まで、彩花に謝った。
彩花は何も言わなかった。




