『人形テロ』
ある午後の昼下がり、親戚を名乗るオバサンが俺の家を訪れた。見知らぬ人で、初めこそ俺は詐欺を疑って警戒心を顕にしていたものだが、実家の母親の名前を出したことに加え、何やら深刻そうな顔で「家のことで相談があるの」と言われれば、いつまでも玄関に立たせておくわけにもいかなかった。
しかしその態度と言葉とは裏腹に、ろくに会話もせず、お茶の一杯を飲んだらすぐに用事があるからと帰っていった。その一連の行動に怪訝な思いを抱きながら湯飲みの片付けをしていると、つい先ほどまでオバサンが座っていた場所に手のひらサイズの人形が置かれているのを見つけた。
すぐに忘れ物だと思って、今ならまだ間に合うんじゃないかと急いで玄関を出たものの、通りには人っ子一人いなかった。横道に入ったか、その用事とやらによほど急いでいたのだろう。まあ、忘れ物に気付いたらいずれ戻ってくるかもしれないと、人形を紛失しないように目に付きやすい棚の上において置くことにした。
置物としての見栄えも良かった。真っ赤な木製の人形で、上部が細くて下部につれて太くなっていく山型であった。そんな雑貨屋で売っていそうな至って普通の人形であったが、違和感を禁じえなかった部位が一箇所だけあった。いや、違和感どころのレベルではない。俺の常識下では異常とも呼べるものだった。
・・・人形の背中にいくつかの字が掘り込んであったのだ。その不恰好な崩れた文字が物語るのは、素人が刃物なんかで掘り込んだという事実だった。多分あのオバサンが掘ったものだろう。しかしただ文字を掘り込んだ、それだけのことならば俺もここまで大騒ぎしないが、俺を特に不安にさせたのがその文字自体にあった。難しい漢字が散りばめられていたため読み解くことはできなかったものの、『呪』や『鬼』、『憎』という不吉な字が見て取れた。素人目に見ても、明らかに呪術的な施しだった。
怪現象に見舞われるようになったのは、その日の夜からだった。風呂から上がって居間に戻ると、あの赤い人形が何故かテーブルの上にあったのだ。俺の他に住人はいない。テーブルからこちらを見上げるように鎮座するソレに俺は心底気味が悪くなって、入浴後の一杯やるよりも先に人形を片付けた。視界に入るのも嫌だったため、今度は引き出しの中に仕舞った。その夜はビクビク怯えながら眠りについた。
翌朝、目覚めた直後、俺は悲鳴にもならない声を上げた。枕元にソレがいたのだ。何かを思考するより早く、それを掴んで壁に叩きつけた。だが思いのほか頑丈だったのか、強い力を込めた割りに、欠損一つしなかった。その事実すらも汚らわしく思えた。
すぐに実家に電話を掛けた。オバサンと繋がりのある母親ならば、電話番号くらいは知っているんじゃないかと期待してのことだった。しかし、その期待は斜め上の方向で裏切られることになる。母親は電話番号を知らないどころか、オバサンの素性すら知らないと言う。逆に詐欺を心配されたくらいだった。
その瞬間、やられたと思った。あのオバサンの目的は、俺から金を引き出すことでも、宗教の勧誘でもない、あの人形にこそあったのだと悟った。オバサンが家に訪れた状況を思い返せば、それ以外には何も思いつかなかった。
呪われた人形を俺の家に置き去ることで、持ち主に霊的な被害を与える。人形が移動する、ただそれだけのことを被害と言うのは大仰かもしれないが、それでも俺は恐怖した。それが一日だけのことではなくこの先、十日、一ヶ月と続くことを思えば、それはもはや恐怖を通り越して、呪いに他ならない。そして、そんな呪いを見知らぬ人間に振りまくオバサンの行為は、もはやテロである。
俺は人形を川に捨てることにした。人形がらみのよくある話として、捨てたのにまた戻ってくるのがお決まりのパターンである。だから二日三日は金属バットを手に身構えたものだが、結局あの人形が戻ってくことはなかった。
人形との縁?というか繋がりが断ち切れたんだと思い、安堵した。しかし唯一の手掛かりを失ったことで、あのオバサンのことは結局分からずじまいだ。あのオバサンの正体とは一体何だったのか。その目的は何だったのか。他の人にも同じようなことをしているのか、ただ俺だけが恨みを買っただけなのか。何故俺の母親の名を知っていたのか。あの人形をあのまま捨てずに手元に置いていたら、俺はどうなっていたのか。・・・疑問は尽きないが、今ではもうそれを知る術はない。
あの日以降、少し不思議に思うことがある。あの印象深い日からまだ半年しか経っていないというのに、俺はあのオバサンの顔を思い出せなくなっていたのだ。だからこの文章の中でも、オバサンの容姿や格好について語らなかった、否、語れなかったのだ。
もし、見知らぬオバサンが君の家を訪れ、人形を置いていったのなら、注意したほうがいい。