『黒い小人』
俺には子供の時から不思議な力があった。こんなことを言うと頭がおかしいと思われるのも仕方がない話だが、少なくとも俺の中では真実だった。で、肝心のその不思議な力というのは、ふとした時に小さな人が見えるんだ。人って言っても俺がそう形容しているだけで、正確を期すなら白い紙粘土で作ったような不恰好な人型だな。人間らしい身体の起伏だってない。だから手のひらサイズのそいつには当然顔や指もなくて、縁起の良さそうな真っ白なヒトデにも見えた。でも、触れようとして手が当たるとすぐに消えてしまうんだよ。実体がないんだろうな。
初めてそいつを見た時の記憶はないが、多分昔母親によく連れて行ってもらっていた児童公園だった気がする。それでな、最初は公園の内にだけにいたそいつも、気が付くと家の中にまで見かけるようになっていた。でも子供の頃っていうのは不思議なもので、明らかに異物であるそいつの存在も当たり前のように受け入れていたんだ。同時に残虐性も際立つ時期であって、俺はそいつを踏みつけて遊んでいた。踏んでも踏んでもすぐに別の所から湧き出てくるのが楽しくて、夢中になって踏みつけていた。母親曰く、踊っているように見えたらしい。
大学生になって一人暮らしするようになってからも、そいつを見かければとりあえず踏んだり蹴ったりしていた。癖になっていたんだな。そんな虐げるようなことをし続けながらも、自分の身に危険が迫ったりとか特にそういう実害はなかった。
そんなある日、とうとうと言うべきなのか、いつもとは違うことが起こった。大学に行くため家を出ると、玄関のすぐ前に小人がいたんだが、なにやら様子がおかしかった。何がおかしいかって言うと、全身真っ黒なんだよ。一瞬石ころと見紛えたくらいだ。
でも遅刻気味で焦っていたから色の違いなんか気に留める余裕もなくて、それでも半ば身に付いたルーチンワークのようにそいつ踏むことだけは忘れなかった。後から思えば、この時のちょっとした出来事が悪夢への引き金を引いたんだろうな。
その日は何もなかった。異変に気付いたのはその翌日のことだった。風呂で身体を洗っている際、右の足首に黒い円形のアザを見つけたんだ。大きさは10円玉より一回り大きいくらいで、初めはゴミか何かが付着していると思った。それでタオルで擦ってみても全く落ちないものだから、身に覚えはないけどこれはアザか出来物の類なんだなと漠然に思うことにした。目立たない部位だから、特に気にすることもなかった。
それから何日か経って、靴下を履く時にふと気になって足首を見たんだ。どうなったと思う? なんと、例の黒アザはすっかり消えていた。まあそれで話が終わればいいんだけど、治ったと思ったその日に、今度は太ももにアザができているのを見つけたんだ。これがまた足首にあったものと同じような形のアザで、しかも同じ右側ということで、さすがに鈍感な俺でも何かの感染症だろうかと疑い始めたくらいだ。一応その日はオロナインを塗って寝ることにした。
翌朝、思いのほかオロナインが効いたのか、太ももにあったアザは消えていた。けれど内心喜んだのも束の間、服を着替えている際に今度は右のわき腹に見つけてしまった。またかと思いながらも、もしかしてこの謎のアザはこれ一箇所だけではないんじゃないかという疑念が沸いた。それで洗面所の鏡の前で服を脱いで見たりもしたんだが、わき腹に出来たアザ以外のものはどこにも見られなかった。
次の休みにでも病院の先生に見てもらおうと決め、その日は普通に大学に行くことにしたのだが、帰宅後の脱衣所で驚愕することになる。わき腹にあったアザが消え、代わりに胸の辺りに出来ていたんだ。ここまで来て初めて思い知ったよ。身体にあった黒いアザ、これは出来たり消えたりを繰り返していたんじゃなくて、上へ上へと移動しているんだ、って。
初めに足首、それから太もも、わき腹、胸と上がってきて、そして次は?と考えると恐ろしくて居ても立ってもいられなかった。医者に見せてどうにかなるようなものなのか分からなかったが、病院には次の休みとは言わず、明日の朝一にでも行こうと決めた。
その夜は早めに布団に入った。けれど心が妙にそわそわして中々寝付けなかった。代わりに頭に浮かぶのは不思議とあの黒い小人のことばかりだった。
夜中、首元に妙な熱と息苦しさを感じてぼんやりと目が覚めた。無意識に熱源へと手を伸ばすと、硬い何かに当たった。それで異変を感じてハッと目を見開くと、黒い何かが布団の上にうずくまっていたんだ。あまり思い出したくはないが、真っ黒な子供だった。その黒さゆえに少年か少女かの判別は付かなかったが、幼い子供が俺の首をペタペタと触っていた。恐怖と意味不明さで頭の中はいっぱいいっぱいで、俺の意識は一瞬でショートしてしまった。
起きると寝汗でびっしょりで、喉もカラカラで痛いほどだった。近年稀に見る最悪の目覚めだった。だけどそんなことよりもアザの方が気になって、すぐに洗面所に駆け込んだ。上半身裸になって鏡に向き直ると、胸のアザは消え、それだけじゃなくて首や顔にもなかったんだ。念のためスッポンポンになってみたりもしたけど、黒いアザはどこにもなかった。
それから最初の数日は警戒もしていたが、一週間も経った頃にはあの夜のことを思い出すことも少なくなっていた。あの夜の出来事は俺に強烈な恐怖心を植え付けてくれたが、それ以外にも変化はあった。あれ以来、俺は小人を踏むことはやめた。
俺にはどうも黒い小人があの子供を引き寄せたように思えてならないのだ。それを考えると、あの黒い小人とは、今までに俺に踏み潰されてきた小人たちの怨嗟の集合体だったのかもしれない。
そう言えば、俺が黒いアザに苛まれている間、一度も白い小人を目にしたことはなかった。