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ウサギの夢  タイムライン 現在

「穴は見つからないよ。いくら探したって無駄さ。あんた一人じゃダメなんだよ。」


 ウサギは、夢の中でオサムにそう言った。オサムは何かを言い返そうとしたが、どうしても声が出てこない。夢の中で喋れるのは、ウサギだけというルールらしい。

 ヤクザだって夢くらいは見る。オサムとそのウサギは、夢の中で誰もいない街を歩いている。土曜日にオサムが、一人で歩き回る西新宿のビル街に、似ているような気もするし、それとは違う、全く知らない街のような気もする。遠くの景色は、ひどく輪郭がぼやけていて、灰色に見える。ただそれが灰色なのかどうかは定かではない。夢の景色なんて、そんなものだ。

 オサムとウサギが歩いている道だけが、霧を晴らすように、灰色らしき世界を一直線に区切っている。一つだけはっきりしているのは、街の信号がすべて赤のままだということだけだ。色の判別が難しい世界にあって、信号の赤色だけが、やけにくっきりと、灰色らしき世界に点灯している。

 それはまるで、ウサギの眼のように見える。無数のウサギの眼に、オサムは見られているような気がする。このところ毎日のように、オサムはウサギの夢を見る。


「穴は入り口でもあり、出口でもあるんだよ。もちろん、穴の先には出口がある。でも向こうから見たら、そこは入り口なんだ。」

 ウサギはどうしてか分からないが、声を殺して小さな声でそう囁いた。オサムにはウサギの言っている意味が、全く理解できなかったが、それを聞き返すことができないので、黙って次の言葉を待った。

 ウサギは二本足で歩き、タキシードのような服を着ていた。左の耳が、右よりも少し短い。首に時計さえ掛けていたら、「不思議の国のアリス」のウサギそのままなのだが、あいにく時計は持っていない。

 それが理由かどうかは分からないが、ウサギはとてもゆっくりと歩いた。決して慌てたりはしない。言葉と言葉の間隔も長いので、オサムは次の言葉を聞き逃さないように、集中し続けていなければならなかった。

「別に穴なんて探しちゃいないって、あんたは言いたいんだろう? あんたにとってはこの世界で起こること全てに、意味はない。そういう風にしか考えられないと信じてる。間違いだとは言わないよ。そういう側面だってある。ウサギが『側面』なんて言葉使うなんて、可笑しいねえ。あのさ、おいらだって、好きでここに来たわけじゃないんだ。あんたがおいらを呼んだんだよ。そうなんだ。自分で認めようが認めまいが、あんたは土曜日に、街を歩き回る理由を知りたいと思ってる。そこに答えがあるってことが分かってる。だからおいらを呼んだんだ。」

 オサムは、ウサギの言葉の意味を、しばらく考えてみた。そして、これはただの夢だ、夢の言葉に意味なんてあるわけがない。そう思った。ましてや俺は、こんなウサギを呼んだ覚えはない。目が覚めるまでの辛抱だ。ベレッタがあれば、このウサギを撃ち殺して目を覚ますのだが、あいにく夢の中には、銃を持ち込めなかったようだ。

「あんたの考えてることは分かるよ。おいらの言葉を、信じる気もないんだろう? これは夢で現実ではないって。でもさ、現実の世界で見る夢だけが、その世界に含まれないっていうのは、ちょっと不公平な考えじゃないのかな。そこに境界線みたいなものはないんだよ。ただその割合が変わっていくだけなのさ。仮に、夢の世界が景色の大半を占めたって、ほとんどの人は気付きもしないだろうよ。なぜって、そのどちらもが現実の範疇にあるからさ。『範疇』だって。ウサギが『範疇』なんて可笑しいね。」

 ウサギはそう言って軽くスキップを踏んだ。

「ともかく、あんたは穴を探している。それも、とても熱心にね。そしておいらに助けを求めてきた。おいらが言えるのは、それは一人では見つけられないってことだけだ。目が覚めたら冷静になって考えてみなよ。もっとも、あんたはいつだって冷静だから、すぐに気付くはずさ。一緒に探さないといけない相手が誰かをね。よく考えるんだ。間違いは許されない。失敗したら、あんたは永久に半分のままだ。意味が分かるかい? あんたはどんなことをしてでも、ユリを取り戻さないといけないんだよ。そのために穴はあるんだ。」  ウサギの言葉を合図にするように、オサムの足下が揺れ始めた。ぼやけていた風景が渦になって、ウサギのタキシードの胸ポケットに吸い込まれていく。やがて全てが消えると、暗闇の中に、オサムとウサギだけが、宙に浮かんでいた。

「いいかい、忘れるんじゃないよ。失敗は許されないんだ。」

 ごうっという音がして、ウサギが目の前から消えてしまった。オサムは目を閉じた。やがて音が消え、再び目を開けると、部屋のベットで天井を見ていた。やはり夢だったのだ。

 オサムは、ベットの傍にある時計に目を向けた。「3:50」と赤く表示されたデジタルの時計。真ん中の「:」が、オサムにまるで警告を与えるように点滅し続けている。午前か午後の区別もつかなかったが、部屋が暗いところをみると、午前なのだろう。オサムはゆっくりと起き上がると、キッチンへと向かう。コップに注がれていく水を見ながら、オサムはウサギの言葉を思い出してみた。

 穴? ユリを取り戻す? 何のために?

 くだらないと思いながらも、オサムの頭の中では、ウサギの言葉がいつまでも反芻している。自分が、これまでとは違う生き物になったように感じる。俺はヤクザだ。ウサギの指図なんて受けない。いくらそう考えても、ユリのことばかりを考えてしまう。

 オサムはカーテンを開けて、下を走る道路を眺めてみた。この時間に道を走っているのは、タクシーか大型のトラックだけだ。日付けはもう変わっている。水曜日だ。土曜日まではあと二日ある。それまでに俺は、誰かに頼まないといけない。一体誰に? オサムは、はっと気が付いた。そうか、あいつしかいないか。

 「失敗は許されない。しくじったらあんたは、永久に半分のままさ。」

 半分というのは、いったいどういう意味なのだろうか? 考えてみたところで、オサムには見当もつかなかった。分からないが、オサムは穴を探すしかないのだろう。オサムは両手で顔を覆うと、深くため息をついた。夜明けはまだ訪れない。


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