アカネ タイムライン 現在
新宿区役所の目の前の通りに、俄かに人が溢れ始める。店を出て客を捕まえようとするホストたちと、その男たちを物色する女たちが集まって、その時間帯、そこには異様な光景が広がっている。
車道の真ん中を、我が物顔で歩くホストたちは、皆が揃って同じ形のスーツに身を包み、髪型ばかりを気にしている。女たちのほとんどは、キャバ嬢か風俗嬢だ。金の捨て場所を探して、男たちに声をかけられるのを待っている。
歌舞伎町で男の下半身から吸い取った金が、また同じ歌舞伎町で男たちの下半身へと還っていく。バカみたい。この街の全部。本当にバカばっかりだ。アカネはそう思いながら、その光景を店の中から眺めている。そして後ろに一つに縛った髪をほどいて、もう一度結び直す。真っ黒な髪は、染める時間がないからそうなっただけで、一つに束ねるのは単に作業がしやすいからだ。いくらアカネが見たくないと思っていても、その時間帯には花が売れるので、店は開けておかなければならない。軒先に並べられた、ど派手な色の花束を、男たちも女たちも、ろくに見もしないで買って行く。
この街では白い花なんて売れない。真紅や、ピンク、ゴールドに、人工的に染められた花を皆が喜ぶ。それが彼らの愛の色であり、より高い金をかけることが、愛する人への礼儀だと本気で信じている。
アカネがこの店を開いて、もう五年が経つ。以前この建物のオーナーだった占い師の女と、たまたま知り合い、アカネは気に入られた。占いの店を畳むから、ここで花屋をやらないかと言われた時は、正直嬉しかった。八畳ほどの小さな敷地ではあったが、自分の好きな花を仕入れ、好きな花を飾れるというのは、魅力的だった。誰にも気を遣わず、誰の許しを得る必要もない。一国一城の主になれるのだ。
しかし店を始めて一週間で早くも、アカネはこの街の現実を突きつけられてしまった。
自分の選んだ花が売れない。作る形も色も、初めから全部決められている。
しばらくすると、オーナーだった占い師が行方不明になり、ビルの所有権が転々とした。人が突然行方不明になることも、この街では日常茶飯事だった。最終的に、この街を仕切っているヤクザの手に渡ったが、売り上げの二十パーセントを「上納」することで、アカネは商売を続けることを許された。
その頃には、アカネはもうどうでもいいと思っていた。なるようにしかならないと。失踪した占い師の女は、アカネが最後に会った時、アカネにこう言った。
「あんたには大事な役目がある。それを果たす時を、見逃すんじゃないよ。」
しかしいくら考えてみても、この街に自分の役目なんてあるとは思えない。見逃すならそれに越したことはないと、アカネはいつも思っている。
バラのオケの水を取り替えていると、常連のホストが、髪をいじりながら店に入ってきた。
「ヤッホー、アカネちゃん。元気ー? 頼んでた花束できたー?」
アカネは何も言わず、冷蔵庫から赤いバラだけで作った花束を取り出した。表面には薄く金粉が振られている。
「ヤベー、チョー綺麗じゃん。しのぶは赤いバラしか興味ないって言ってたしー、誕生日にサプライズで渡せば泣いちゃうよ、あいつ。」
「税込みで一万と五百円。」
「あ? あー、金はさ、店につけといてよ。店の名前わかんでしょ?」
「うちはツケはやってないの。払わないんなら、それ返して。『ミネルバ』のタクがバラの花束が欲しいって言ってたからちょうどいいわ。回しちゃうから。ほら、早く。」
「わかったよー、冷てーなーアカネはさ。払えばいいんだろ、払えば。ほら。」
「あんたに呼び捨てにされる覚えなんてないわよ。そのしのぶって女だけ呼んでりゃいいでしょ。」
「あいにくさー、呼ばなきゃいけない女がたくさんいてさー、忙しいのよオレも。じゃあさ、領収書だけ店にまわしといてよ。接待交際費ってね。頼んだぜ。じゃあねー、アカネー。」
アカネはまた何も答えない。
舌打ちして出て行くホストと入れ替わりに、背の高い、黒のスーツに身を包んだ男が店に入ってくる。
「あ、オサムさん」
オサムが軽く手を上げる。
「ちょっと寄っただけだ。」
「そう。まあゆっくりしてってください。って言ってもこんなに狭くちゃね。」
「いいんだ。気にするな。」
オサムは棚の上に置かれた、百合の花を一輪手に取った。
「組長さんは元気? 今度生け花を事務所に届けますって言っててね。なかなか忙しくてさ、こうやって派手な色に塗らないと売れないから、とっても手間がかかるの。花だって、まさか自分が金色に変身するとは思いもしないわよね。それが運命だって、花でも感じるのかしらね?」
オサムはそれには答えずに、百合の花をオケに戻すと、アカネの方にゆっくりと向き直った。
「アカネ。ひとつ頼みがあるんだ。」