オサム タイムライン 現在
組の事務所は、新宿と大久保とのちょうど真ん中くらいの、マンションの一室にあった。若者が集う東口の喧騒とは、全く違う種類の空気が、そのマンション一帯には流れている。時折迷い込む、ラブホテルを探すカップル達も、さすがにその異質な空気を感じ取り、そそくさと、もと来た道を引き返して行った。
通りを挟んで向こう側の大久保は、オサムが仕切っているシマだ。そこは韓国人街だったが、元々そこにいたコリアンマフィアの連中を、何年か前に、オサムが追い出した。もっともそいつらは、自分達のシマを渡せと言われて、「はい、そうですか」と大人しく譲るようなタマではなかったが、オサムはオサムのやり方で、そいつらを街から締め出した。
「兄貴、一体どうやってあいつらを追い出したんですか? あいつら、日本のヤクザも手に負えないくらい凶暴だって、有名じゃないですか? ねえ、兄貴、教えてくださいよ。」
いつかシンイチが、オサムにそう尋ねたことがある。しかしオサムは、「うるせえよ」と一言言っただけで、何も教えてはくれなかった。
きっと兄貴だけの、特別なやり方があるんだろう。いつか、いつかきっと俺も兄貴みたいなヤクザになるんだ。シンイチは心の中でそう誓った。
駐車場から、組のマンションに歩いていた二人に、公園から一人のホームレスの男が、何かを叫んでいる。何を言っているのかは、まったく分からなかった。
「うるせえ! ジジイ! どっかに消えやがれ! 汚ねえツラを向けてんじゃねーよ! いつも訳のわかんねえことばっか言いやがってよ!」
そのホームレスは、マンションの前の公園を寝床にしていて、いつも意味不明なことばかりを、視界に入った者に向かって叫んでいる。この界隈に生息できるのは、ヤクザか、そのホームレスのように、気の触れた人間だけなのだ。
「まったく、あいついつか撃ち殺してやりましょうよ、兄貴! その方が絶対世の中のためですよ。まあ、ヤクザ者の俺が、世の中のためとか言うのも変ですけどね。あは。」
エレベーターに乗り込み、事務所の階を押したシンイチの腹を、いきなりオサムが何も言わずに蹴った。
「痛え! どうしたんすか? 兄貴。」
「おい、シンイチ、覚えとけ。死にたくなかったら相手の挑発に乗って、大声で自分の居場所を叫んだりするな。いいか?」
オサムがそう言ってシンイチの目を睨みつけた。シンイチは蛇に睨まれたような気持ちになり、自分の過ちを恥じた。
「すいません、兄貴。つい、調子に乗っちゃって。気を付けます。」
それっきり、オサムは何も言わなかった。シンイチはその時、大久保のマフィア達がオサムに屈した理由が、何となく分かったような気がした。
「おう、オサム。来たか。まあこっちに座れや。シンイチ、お前は出てろ。何かあったら呼ぶからよ。」
組長がソファに座ったまま、入ってきた二人にそう言った。オサムは言われた通りに組長の目の前に座り、シンイチは入ってきたドアを閉めて外に出た。出る間際に、ちらっとオサムの方を見たが、オサムが振り返る筈もない。
「オサム、お前も何か食うだろ? 今、適当なものを取らせたからよ。」
「はい。ありがとうございます。」
「それはそうと、お前、土曜日の午前中、どこで何してんだよ? まあ聞いてもお前は言わねえだろうけどな。」
「はい。言いません。」
「わはは! やっぱりな。まあいいさ。ところで最近は大久保も落ち着いてるみたいだが、何か問題はないか?」
「ないと思います。コリアンの残党まがいの奴が、時々街に現れるみたいですが、対処してますからご心配なく。」
「へえー、『対処』ねえ。お前のその対処法とやらを知りてえが、どうせお前は俺が聞いても言わねえんだろ?」
「はい。言いません。言い触らされても困るので。」
「いい度胸だぜ、お前はよ。他の奴なら、組長に言われたってだけで、ペラペラ喋っちまうのになあ。まあ、そこがお前を見込んでるとこなんだがな。さあ、食うか! おい! もう来てんだろ? こっち持ってこいや!」
「はい!」
ドアの外から返事がして、下っ端の連中が店屋物を運んで来た。シンイチもその中に混じっている。テーブルの上に器を置く時、もう一度シンイチは、ちらっとオサムを見てみた。しかしオサムはシンイチのことなど、まるで目に入らないのか、じっと組長の足元あたりを見つめている。
「失礼します!」
そう言ってドアを閉めたシンイチは、考えていた。いつか、いつかきっと、兄貴みたいなヤクザになるんだ。それまで何があっても、兄貴について行こう。そして脇腹のあたりを押さえた。さっきオサムに蹴られた場所が、鈍い痛みを持っていた。