ユリの出口 タイムライン 交錯地点
「ユリ? 本当にユリなの?」
アカネはやっとの思いで、そう口にした。ユリもオサムも、何も言わずにアカネを見つめている。穴の中に飲み込まれ、消えたはずのオサムがそこにいて、ここにはいないはずのユリまでもが姿を現した。アカネはひどく混乱していた。それを落ち着かせるように、ユリが微笑みながら口を開いた。
「アカネ。私、戻ったわ。ううん、こっちへ来たわって言った方がいいのかもね。ありがとう、アカネ。あなたのおかげよ。」
オサムは何も言わずに、二人のやりとりを、ただ静かに聞いている。ユリが言葉を続けた。
「アカネ、いい? これで良かったの。これからここで起こることは、決してあなたのせいじゃないの。それだけは確かよ。私は取り戻せたわ。そして抜け出したの。あの街から。全てから。オサムが私を見つけてくれたから。それだけでいいの。だからアカネ、自分を責めたりはしないでね。約束よ。」
アカネはユリの言葉を、一語一語確かめてその意味を理解しようとした。しかし、歪んだ景色の残像が邪魔をして、なかなかうまくいかない。
突然、部屋の中に男が二人、駆け込んできた。どちらも片手には銃を持っている。
「死ねや!」
そう叫ぶと、男たちはオサムに銃口を向けた。
するとユリが、ユリがオサムの前に立ち、オサムの肩にそっと手を回した。
四発の銃声。
床に倒れ込むユリの口から、真っ赤な血が溢れ出してくる。オサムはユリを抱えながら、胸元のベレッタに手を伸ばす。その時、部屋の入り口に、もう一人男が姿を現した。シンイチだ。
「うわあああ!」
叫びながらシンイチは、ユリを撃った二人の男たちに、銃口を向けた。男たちは振り返って、今度はシンイチに狙いを定める。
六発の銃声。
男たち二人が、床にうつ伏せと仰向けに倒れた。ゆっくりと鮮血が床に広がっていく。二人は倒れたまま、ピクリとも動かなかった。オサムのベレッタから、硝煙が立ち上っている。シンイチは銃を投げ出し、腹のあたりを押さえながら、ドアに寄りかかって腰を落とした。じんわりと、赤い血がシャツを染めていく。
アカネは呆然と立ちすくんだまま。動けなかった。全てが一瞬の出来事だった。ユリの言葉を理解する前に、ユリは撃たれてしまった。
ただ、ユリはこうなることを知っていた。そして恐らくはオサムも。どうしてかは分からないが、二人には分かっていた。アカネはユリの元へ駆け寄った。
「ユリ! ユリ!」
オサムの腕に抱かれながら、ユリはまるで、何の痛みも感じなかったように、穏やかな顔をしていた。オサムもまた、覚悟をしていたかのように、表情を変えなかった。アカネはユリの頬に触れようと、手を伸ばした。その瞬間、不思議なことが起こった。
ユリの体が、音もなくだんだんと透け始めた。やがてユリを支えていた、オサムの手が見えるようになると、フッと、ユリの体は消えてしまった。まるで、初めからそこにはいなかったかのように、ユリはいなくなってしまった。
再び呆然としているアカネを見て、オサムが小さく首を振った。そして抱き抱える形の手を解いて、ゆっくりと立ち上がると、シンイチの方へと近づいていった。
「兄貴、すんません、兄貴たちがこ…このビルに入るのが見えて。追っかけたんです。で…でも、先を越されちまって。俺、知ってたんです。さ…斎藤が兄貴を狙ってるって、し…知ってたんです。それなのに。すんません。」
シンイチの腹から、湧き水のように、どんどん血が溢れ出している。
「しゃべるな、シンイチ。いいんだ、全部わかってる。お前は何も悪くない」
「俺、お…俺は、兄貴のようなヤクザになりたかったんです。何もい…言わなくても、誰もが一目置くような、兄貴のようなヤクザにな…なりたかったんです。」
シンイチが血を吐いた。
「で…でも俺は、濁ってるから。無理なんです。濁ってるから。」
「シンイチ、もういい。しゃべるな。」
オサムはそう言って、シンイチの肩に手をかけた。
「兄貴、も…もう何も感じない。い…痛みも、何も。あーあ、あいつ、ほ…本気で殴りやがって。母ちゃんが泣いてんじゃねーかよ。な…泣いて…。」
シンイチはそれっきり口を開かなかった。溢れたシンイチの血が、床を伝ってオサムの足元まで流れていた。オサムはシンイチの肩から手を離し、立ち上がると、ゆっくりとため息をついた。
その部屋は、また、オサムとアカネの二人だけになった。僅かな時間の間に、何人かが現れ、消えていった。アカネはまだ、何が起こったのかを理解することができなかった。
アカネはオサムを見た。オサムは泣いていた。声をたてず、まるで汗をかくように涙を流しながら、オサムは泣いていた。