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オサム タイムライン 現在

〈オサム  タイムライン 現在〉

 

 土曜日。人気のない西新宿のビル街は、女が出て行ったばかりの部屋を連想させる。しかし日曜になれば、街は次の週の日常に向けて動き始め、たちまちそのイメージは掻き消されてゆく。

 

 オサムはその限られた土曜日という日を、街を歩いて過ごす日に充てている。新宿からの多少の人並みを除けば、オフィスばかりが入っているビルの群れは恐ろしく静かで、ほとんどの店が、シャッターを閉じている。

 週に一度だけ訪れる、その束の間の静寂の中を、オサムは一人きりで歩く。それは「散歩」と呼ぶには、余りにも個人的過ぎる行為であったし、「観察」と呼ぶには、余りにも集中力を欠いていた。

 一種の「儀式」のように、ビルの周りを徘徊するオサムに、声をかける者は誰もいなかった。オサムから誰かに、声をかけることもない。

 もっとも、オサムの外見を見ただけで、すれ違う人々は自然と道を開け、目を合わせようとしない。濃い色のサングラス。その上からでも窺える、鋭い眼光。仕立ての黒のスーツ。背の高さも凄みを加えている。オサムのような中堅のヤクザが、こうやって街を一人で歩くことは、珍しいことだ。

 堅気のような格好をすれば、いくらかは違ったかもしれない。犬でも連れて歩けば「犬の散歩をするヤクザ」に見えたかもしれない。しかし、あいにくオサムはそんな服を一つも持っていなかったし、犬だって飼ってない。そもそも、この「儀式」に相応しいのがどういう格好なのかも、よく分からない。

 結局オサムは、毎回「お仕事」と同じ格好で歩き回ることになった。二、三時間ほどそれを続けてから、オサムは成子坂にある自分のマンションに戻る。いつからかは思い出せないが、随分長いこと、それが毎週土曜日の習慣になっている。

 

 どうしてそんなことを続けるのか? オサム自身にもわからない。しかし、歩かない訳にはいかないのだ。

 つい一日前まで、活気に満ち、「流れ」の中にあった街が、ふいに立ち止まる。そのときに生まれる慣性のような力が、女が出て行った後の部屋を、思い起こさせるのかもしれないなと、オサムはなんとなく考えている。

 ただいつもオサムのイメージの中で、出て行く女は、決まってユリだった。ユリは二年前に、オサムの前から消えて行ってしまった。消えた女なんて、数えきれない。中には名前も思い出せない女や、存在していたことすら忘れている女だっている。忘れていることさえも、忘れ去っている。

 オサムはユリが出て行くのを、直接見た訳ではない。ある日部屋に戻ると、テーブルの上に置き手紙があった。そこにはつらつらと、オサムを非難する言葉が書かれていた。一体どうやったら、こんなにも沢山の言葉を選べるのかと、感心した程だ。しかし、手紙の中のどの言葉も、意味するものは皆同じだった。

「あなたの心が、もう見えない。」

 いくらそう言われたところで、オサムにはユリの気持ちが理解できなかった。知る必要もないと思った。

 心というものが何処かに存在しているとして、その繋がりを重要だと考えているならば、繋がれない相手と離れるのは、ひどく自然なことのように思えた。繋ぎ止めておく努力をする必要が、どこにあるのだ?

 そう頭では考えていても、出て行く女のイメージが、毎回ユリだという事実だけをみると、ユリを愛していたのではないかとも思う。ただそれは、状況がそう思わせるだけであって、オサム自身がそう思っていたという確証はない。だいたい「愛」なんてものを考えていられるほど、ヤクザの世界は悠長なものではなかったし、オサム自身も、それについて深く考えようとしたことはない。

 「愛」に何か重要な意味があるとして、土曜日に、意味もなくビル街を歩き回る理由が分かるのだろうか? あいにくそれは知らなくてもいいと、オサムは考えている。

 熱いシャワーを浴びて、数時間分の汗を洗い流す。これから「お仕事」だ。この世界に定休日なんてない。無理を言って、土曜日の決まった時間をもらえるのは、オサムが組長に一目置かれている存在だからだ。そのことで、オサムを妬んでいる幹部の奴らも何人かいたが、オサムにとって、そんな奴らは、出て行った女たちと大して変わりはしない。ただ、繋がれないだけなのだ。誰もが、誰とも繋がれない世界で生きている。


 「真珠貝」

  ヤクザの世界で、オサムはそう呼ばれている。どんなに脅されても、泣きつかれても、オサムは何も言わず、ただじっと相手の目を睨む。殴られても、ただ相手を睨み続ける。そのうち、わめき散らしていた相手は、次第に我を失っていき、最後には逃げ出すか、大人しくなってしまう。そうしているうちに、いつしかオサムに、そのあだ名がついていた。 周りからは恐れられ、組長からは一目置かれるようになった。どんどんオサムは出世して、今では組の幹部にまでのし上がった。他の組とのいざこざや、誰にも手に負えないような問題が持ち上がると、必ずオサムが呼び出された。そしてそのほとんどを、オサムは解決することができた。最後はいつも、相手が根負けして折れてしまうのだ。問題を解決する度に、オサムの名は、さらに恐れられるようになっていった。

 しかしオサムは、そんなことも、どうでもいいことだと考えている。自分の才能が活かせる場所が、たまたまヤクザの世界だっただけのことだ。

 ソファの真ん中に座り、タバコに火をつける。もうすぐシンイチから電話がかかってくるだろう。

「兄貴、下に車つけましたんで! いつでも降りてきてください!」

 シンイチは、ユリが出て行く少し前から、オサムの下についている舎弟だ。東北の生まれで、いまだに訛りが抜けないところがある。中学もろくに行っていないようなチンピラ風情だが、オサムのことを神のように尊敬し、周りの下っ端たちにも自分のことを言いふらしているらしい。オサムはそのことを特に咎めもしなかった。好きなようにさせていた。

 オサムが何も話さなくても、シンイチは機関銃のようにいつも喋り続けた。昨日どこどこのシマでいざこざがあったとか、新しい女が店に入ったから、見に行ったらとんでもなく美人で、いつかモノにしたいんだとか、こっちが聞いているか聞いてないかなんて、お構いなしのようだった。ラジオでも聞くように、オサムはシンイチの言葉をいつも黙って聞いていた。なぜか、シンイチの声はオサムを落ち着かせた。

 一度でも嫌だと感じていれば、「黙れ」と言ったに違いない。シンイチの声を通してのみ、オサムはヤクザの世界と、それ以外の世界の近況を知ることができた。まるで瓦版を読んで聞かせるように、シンイチはいつまでも喋り続けた。江戸時代ならば、シンイチはヤクザにならずに済んだろうに。オサムは時折そう思った。

 テーブルの上の携帯が、振動と発光を同時に繰り返す。

「兄貴、下に車つけましたんで! いつでも降りてきてください!」

 シンイチの声が瓦版を読む。これから事務所に行って、組長と昼食をとる。煩わしさなんて、会社勤めもヤクザも、そう変わらない。ただ違うのは、スーツの裏に銃を持ってるか持ってないかだけだ。オサムは、携帯の側に置いたベレッタを手に取り、安全装置を確かめる。次の土曜日の徘徊までには、やらなきゃいけないことが、まだ山ほどある。




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