断罪されましたが、最推しのいけおじ宰相を幸せにするのに忙しいので、それどころではありません
「オクタヴィア・レーンフェルト! お前との婚約を破棄する!」
夜会の真ん中で、婚約者であるルーファス王子が、高らかにそう叫んだ。
「お前は聖女を妬み、陰でいじめ抜いた! そのような女、私の妻にはふさわしくない! 罪を、償ってもらうぞ!」
会場が、しん、と静まり返る。
数百の視線が、いっせいに私へと突き刺さった。あらあらまあまあ、という囁きが、さざ波のように広がっていく。
婚約破棄。断罪。悪役令嬢の、お決まりの末路。
──で、ですよね。来ましたわ。とうとう来てしまいましたわ。
私はぎゅっと、両手を握りしめた。
ちなみに、聖女いじめなんて、ただの一度もしていない。完全な、純度百パーセントの濡れ衣である。
けれど、そんなことは、どうでもよかった。
なぜなら。
「裁定を、宰相に委ねる! ディートハルト宰相、前へ!」
──きた。
来て、しまった。
会場の奥から、ゆっくりと、一人の男が歩み出てくる。
白いものの混じった黒髪を、後ろへ撫でつけ、銀縁の眼鏡の奥に、底の知れない静かな瞳。年の頃は、四十半ば。若い攻略対象たちの華やかさとは、まるで無縁の、鋼のように冷たく、それでいて滲み出るような落ち着きと、色気。
ディートハルト・アッシェンバルト宰相。
この国でもっとも恐れられ、もっとも冷酷と噂される男。
そして──私の、最推しである。
ぶわっ、と全身の血が沸いた。
(ほ……っ、本物だああああああっ!!)
内心、私は絶叫していた。
生ディートハルト。実物。動いてる。喋ってる。歩いてる。ありがとうございます。ありがとうございます。
ああ、その隙のない歩き方。誰にも心を許さない、あの凪いだ目。書類を捌くときの、長い指。ぜんぶ、ぜんぶ解釈一致。むしろ、解釈を超えてきている。生きていてよかった。二回目の人生だけど。
ディートハルトは、私の前に立つと、ルーファスへ、静かに向き直った。
「殿下。この令嬢が聖女をいじめたという、証拠は」
「しょ、証拠だと? そんなもの、見れば分かるだろう! この女の、底意地の悪そうな顔を見れば!」
「顔は、証拠になりません」
ばっさりと、ディートハルトは切り捨てた。
「証言も、物証も、日時も、場所も──何ひとつ、示されておりませぬ。証なくして人を罪に問うは、法の埒外」
「な……っ」
「レーンフェルト嬢の沙汰は、追って下します。それまで、罪人と決めつけることは、まかりならん。──これは、裁定です」
……っ、かっこいい。
私は、不謹慎にも、うっとりしてしまった。
感情論で吊し上げようとする王子を、たった数言で、ぴしゃりと黙らせる。証拠がなければ、裁かない。流されない。ぶれない。
ああ、そうだ。これだ。これが、私の好きな、ディートハルトだ。冷たいって言われるけど、本当は、誰よりも、公正な人。
婚約は、破棄された。私の身は、宙吊りになった。
でも、構わない。
だって、推しが。私の最推しが、目の前で、私を、断罪から、守ってくれたのだから。
その彼が、ふと、私を見た。
糾弾されてなお、なぜか頬を染めてうっとりしている令嬢を、訝しげに。
ああ、その「不可解なものを見る目」も、最高ですわ。家宝にします。
◇ ◇ ◇
少し、話を整理させてほしい。
私、オクタヴィア・レーンフェルトには、前世の記憶がある。
前世の私は、どこにでもいる、しがない会社員だった。
真面目だけが取り柄で、誰よりも早く出社して、誰よりも遅くまで残って、頼まれた仕事は断らなかった。
なのに。
手柄は、いつも、要領のいい同僚に持っていかれた。失敗の責任だけが、なぜか私に回ってきた。どれだけ尽くしても、誰も、私を見てはくれなかった。
すり減って、すり減って。ある日、心が、ぽきりと折れた。
布団から、出られなくなった。
そんな真っ暗な日々の中で、たった一つ、私を生かしてくれたものがある。
乙女ゲーム。『恋する常春の宮廷』。
一年中、春のように暖かい国を舞台にした、古い、けれど名作と名高い一本。私は布団の中で、それを何度も、何度も繰り返しプレイした。すり切れるほどに。
攻略対象は、五人。王子、騎士団長、近衛、文官、神官。みんな、きらきらの美形だ。
でも、私が好きになったのは、その五人の、誰でもなかった。
攻略対象ですら、なかった。
宰相、ディートハルト・アッシェンバルト。
ゲームでは、悪役令嬢を断罪し、ときにヒロインの前に立ちはだかる、冷たい脇役。攻略不可。専用ルート、なし。立ち絵すら、わずか数枚。
でも、私は彼が好きだった。狂おしいほど、好きだった。
なぜなら、彼ほど、報われないキャラはいなかったから。
設定資料で語られる、彼の過去。若き日に、たった一人愛した人を喪い、それから感情を殺して、国に尽くしてきたこと。誰にも理解されず、冷酷と恐れられ、その有能さで国を支えながら、手柄はすべて、王家に持っていかれること。
……ねえ、それ。
それ、前世の、私じゃないか。
尽くしても、報われない。見てもらえない。ぜんぶ、誰かに、持っていかれる。
私は、彼に、自分を重ねた。
そして、どのルートを選んでも、彼は最後、誰にも看取られず、たった一人で死ぬ。
幸せになるエンドが、一つも、ない。
私はそのたびに、布団の中で、泣いた。報われなかった彼を、何度も、何度も、看取った。
せめて。せめて、この人だけは、報われてほしかった。
報われなかった、私の代わりに。
ただ一つだけ、噂があった。
誰も解法の分からない、幻の隠しエンド。「トゥルーエンド」。そこでだけ、ディートハルトが、報われるという。
でも私は、ついぞ辿り着けなかった。何周しても、条件すら、分からなかった。攻略本にも、載っていなかった。
そして、私は。
その幻のエンドに辿り着けないまま、ある朝、過労で倒れて──そのまま、死んだ。
────だから。
転生して、この世界に来て、彼が実在すると知ったとき。私は、誓った。
今度こそ。今度こそ、私が、あの人を、幸せにする。
幻のトゥルーエンドに、辿り着いてみせる。
報われなかった彼を。報われなかった、私を。今度こそ、報わせてやるんだ。
それが、二度目の人生をもらった、私の、使命だ。
ただし、一つだけ、どうしようもない問題がある。
私は、トゥルーエンドが「ある」ことは知っているが、「どうすれば辿り着けるか」は、知らない。
幻のエンドだ。前世でも、誰も、解法を見つけられなかった。
完全に、手探りである。
しかも、もっと恐ろしいことがある。
このゲームには、最悪の分岐がある。
ディートハルトが、無実の罪を着せられ、失脚し、破滅する。そういう筋書きが、存在する。
彼が、誰にも信じてもらえないまま、すべてを奪われて、終わる。
それだけは。それだけは、何としても、避けなければならない。
幸い──いや、幸いと言っていいのか分からないが。
私は今、断罪を保留された、執行猶予の身だ。罪人と決まったわけではないが、無実が晴れたわけでもない。宙吊り。
放っておけば、いずれ「証拠」がでっち上げられて、私は断罪される。猶予は、長くは、続かない。
だったら。
その猶予のあるうちに。
黒幕を暴いて、自分の潔白を示して、ついでに──いや、ついでじゃない。本命だ。最推しを、破滅から救って、トゥルーエンドに、辿り着く。
タイムリミットは、そう長くない。
さあ。やってやろうじゃないの。
◇ ◇ ◇
まず私が疑ったのは、聖女だった。
婚約破棄の、発端。私を断罪に追い込んだ、女。怪しい。どう考えても、怪しい。
というわけで、私は、聖女を、お茶に誘い出した。
……正直に言う。会う前は、警戒していた。腹の探り合いになるだろうと、身構えていた。
ところが。
現れた聖女は、私の顔を見るなり、ぼろぼろと、泣き出した。
「オクタヴィア様……っ! わ、わたし、ずっと、謝りたくて……っ!」
「は……?」
「わたし、あなたが断罪されるなんて、望んでいませんでしたっ……! ルーファス様が、勝手に、わたしのために、って……! 止めようとしたんですけど、わたしの言うことなんて、聞いてくださらなくて……っ!」
ずびずびと、鼻をすすりながら、聖女は言い募った。
「わたし、田舎の生まれで、こんな宮廷のこと、なにも分からなくて……っ。気づいたら、あなたが、悪者にされていて……。わたしのせいです、本当に、ごめんなさい……っ!」
……えーと。
私は、しばし、固まった。
これは。
嘘をついている、目では、ない。
私を陥れる気も、ディートハルトを害する気も、これっぽっちもない。ただ純粋に、王子に見初められて、流されて、おろおろしているだけの、善良な、田舎の娘。
はい。見当違いでしたー。
私は心の中で、自分の頬を、引っぱたいた。推しを救うどころか、無実の女の子を疑うとは。オタク、失格である。
「……いえ。あなたは、悪くないわ」
私は、ハンカチを差し出しながら、そう言った。聖女は、ふぇぇ、と泣きながら、それを受け取った。なんだ、この子。可愛いな。妹にしたい。
だが──このとき。
私の脳内に、ばちっ、と、電流が走った。
待て。待て、落ち着け、オクタヴィア。
このゲームで、全ルートを通して、最後まで幸せに生き残るキャラは──たった、二人だけだ。
一人は、ヒロインである、聖女。これはいい。ヒロインだから、当然だ。
そして、もう一人。
いつも、するりと責任を逃れ、どのルートでも、なぜか、美味しいところだけを、持っていく女。
……聖女が、シロ。
なら。
消去法で、黒幕は──あいつしか、いない。
全ルートで幸せに生き残る、もう一人の、あの女。
◇ ◇ ◇
その女のことを、ここでは、黒幕と呼ぶ。
名前を出すのも、惜しい。とにかく、世渡りだけは天才的に、うまい女だった。
誰にでも取り入り、誰かが失敗すれば素早く責任をなすりつけ、おいしい話には真っ先に飛びつき、いつのまにか、一番得をしている。
そして、ゲームのどのルートを見ても──この女だけは、絶対に、罰されない。最後まで、ぬくぬくと、幸せに生き残る。
今回も、そうだ。
ルーファス王子を裏で焚きつけ、私を断罪させたのも、この女。
そして、私が前世の知識で知っている、最悪の、筋書き。
この女が、ディートハルトに濡れ衣を着せ、失脚させる。
……そして、それを確かめるように。
宮廷から、不穏な噂が、流れてきた。
ディートハルト宰相に、横領の疑いがかけられた、と。
◇ ◇ ◇
来た。来て、しまった。
ディートハルトの裁きは、近いという。猶予は、ない。
私は、その夜、屋敷で、必死に頭をひねった。
あの女を、どうにかしなければ。でも──相手は、全ルートで、絶対に勝つ女だ。正攻法では、逆立ちしても、勝てない。証拠を掴もうとすれば握り潰され、訴え出れば、するりと逃げて、返り討ち。
負けない女。チートみたいな女。
……でも。
待てよ。
あの女は、勝ち続けている。一度も、負けたことが、ない。
罠にかかったことが、ない。裏切られたことが、ない。痛い目を見たことが、ただの一度も、ない。
だから──きっと、警戒の仕方を、知らない。
いつも美味しい話が、向こうから転がり込んでくる人生だ。「裏があるかもしれない」なんて、本気で疑ったことが、ないだろう。
そして、あの女には、もう一つ、どうしようもない癖がある。
手柄を、自分のものにしたがる。
誰かが成したことでも、おいしい成果は、ぜんぶ「自分がやった」と、しゃしゃり出て、かっさらう。
……見えた。
勝ち筋が、見えた。
あの女を引きずり出すには、あの女自身の、その性根を、餌にすればいい。
私は、一晩かけて、筋書きを、組み上げた。
◇ ◇ ◇
翌日。私は、二人の協力者を、集めにかかった。
まず、元婚約者である、ルーファス王子。
婚約を切られた身ではあるが、執行猶予中の令嬢が申し開きをしたい、と言えば、面会は、断られなかった。
通された一室で、ルーファスは、腕を組んで、ふんぞり返っていた。
「なんだ。今さら、許しでも乞いに来たか」
「いいえ。一つ、お伝えしに来ました。──殿下を、ずっと利用してきた者がいます」
私は、まっすぐに、彼を見た。
「私を断罪しろと、しつこく殿下に勧めたのも。聖女様を、殿下にあてがったのも。あの女ですね。そして今、宰相どのに、濡れ衣を着せようとしている。ぜんぶ、同じ女の、仕業です」
ルーファスの眉が、ぴくり、と動いた。彼も、薄々、感じていたのだろう。
しばらく、彼は、黙っていた。やがて、ぎり、と奥歯を噛む音がした。
「……あの女。確かに、やたらと、私に取り入ってきた。聖女を勧めたのも、お前を悪く言ったのも、あいつだ」
ばん、と、ルーファスが机を叩いた。
「私を、いいように、操っていたというのか。あの女ァッ!」
うん。釣れた。
プライドの高い男だ。女一人にいいように使われていたと知って、腹の底が、煮えくり返っているのだろう。
「殿下。その悔しさ、晴らしませんか。──手を、貸してください」
ルーファスの目に、ぎらり、と火が点った。
「……話せ。何を、すればいい」
よし。一人。
それから私は、聖女にも、こっそり一役、頼んだ。あの子は「オクタヴィア様のためなら!」と、健気に、力こぶを作ってみせた。可愛い。やっぱり妹にしたい。
二人、確保。
◇ ◇ ◇
最後は、ディートハルト本人だ。
彼は今、横領の疑いで、宮廷の一室に、留め置かれているという。
私は、執行猶予の身を使って、面会を願い出た。「断罪を保留してくださった御礼を」という名目は、不自然ではなかった。
通された、薄暗い一室。ディートハルトは、窓辺に座り、静かに、外を眺めていた。
「……あなたは。先日の、レーンフェルト嬢か」
「宰相どの。この横領は、濡れ衣です。仕組んだ者に、心当たりもあります」
ディートハルトが、わずかに、目を細めた。
「あなたは、横領なんて、する人じゃない。──毎晩、誰にも知られず、国境の難民の救済を、私財を削ってまで、手配していたような人が。手柄にもならないのに。誰にも、言わずに」
ディートハルトの、表情が、止まった。
「……なぜ、それを、知っている」
その瞳が、初めて、揺れた。
誰にも、言ったことのない、隠し事だったのだろう。
「知っています。あなたが、どれだけこの国に尽くしてきたか。ぜんぶ。──だから、こんなところで終わらせるわけには、いきません」
ディートハルトは、長いあいだ、私を、見つめていた。
そして、ふ、と、目を伏せた。
「……買いかぶりだ。私は、もう、いい。長く、生きすぎた」
「よくありません! あなたは、まだ、何にも、報われてない!」
ディートハルトが、息を、呑んだ。
諦めきっていた、その目に。ほんの少しだけ、温かいものが、差した気がした。
私は、声を潜めて、組み上げた筋書きを、囁いた。
あの女が、自分の口で、自分の罪を、白状するように、仕向ける。だが、それは賭けだと、正直に告げた。失敗すれば、あなたの破滅は、早まるかもしれない、と。
ディートハルトは、静かに、頷いた。
「……妙な娘だ。だが──久しぶりに、誰かを、信じてみよう」
◇ ◇ ◇
そして、三日後。
舞台は、整った。
私は、ルーファスを通じて、こう宮廷に、触れ回らせた。
「宰相ディートハルトの横領を暴いた者には、褒美として、爵位と領地が下される」と。
あの女が、長年、欲しがっていたもの。爵位。領地。
国王臨席のもと、横領を暴いた「功労者」が、その経緯を申し述べ、褒美を賜る──そういう場が、設けられた。
ここに、罠がある。
ディートハルトの横領なんて、そもそも、存在しない。ぜんぶ、あの女の、捏造だ。
だから、その「暴いた経緯」を、詳しく語れる人間は、ただ一人。捏造を、仕組んだ、本人だけ。
あとは、あの女が、得意げに、語ってくれれば──それで、詰む。
私は、執行猶予の身ゆえ、その場には、出られない。続きの間の、扉の陰で、息を潜めて、見守っていた。
果たして、あの女は、しゃなりしゃなりと、進み出た。勝ち誇った、笑みを浮かべて。
「宰相の横領を暴きましたのは、このわたくしでございます」
「ほう。して、いかにして、暴いた」
国王が、問う。
「……ええ。怪しいと思い、調べさせましたところ、証拠が、出てまいりましたの」
……っ。
あの女は、それだけ言って、すっ、と口をつぐんだ。
……賢い。
私は、扉の陰で、唇を噛んだ。
さすが、全ルートで勝つ女だ。経緯は、語らない。「証拠が出た」と、それだけ。墓穴を掘らない、ぎりぎりの線で、止めてみせた。
このままでは、爵位だけ、せしめて、逃げ切られる。
──でも。
こんなこともあろうかと、もう一手、仕込んである。
私の合図で、ルーファスが、すっ、と前に出た。
「ふむ。だが、横領を暴いたのは、お前一人ではあるまい」
ルーファスが、よく通る声で、言った。
「実は、私のもとにも、宰相の不正を暴いたと申し出た者がおってな。経緯も、すべて詳細に語ってみせた。爵位は、そちらに下すのが、筋というものではないか?」
もちろん、そんな者は、いない。はったりだ。
でも──あの女の顔色が、さっと、変わった。
「お、お待ちください!」
あの女が、声を、張り上げた。
「わたくしの、手柄を、横取りされるなんて……っ!」
あ。
来た。
手柄を、奪われる。それだけは、この女に、耐えられない。
「証拠ですって? その者は、どこで、どうやって、見つけたと言うのです!? わたくしは、違います! わたくしは、ちゃんと──宰相の私室の、執務机の、三番目の引き出しに、裏帳簿が見つかるよう、自分で仕込んで! 国庫の記録も、辻褄が合うよう、日付を三箇所、書き換えさせて! 署名だって、わざわざ筆跡を真似られる者を雇って……っ」
……言った。
言って、しまった。
手柄を、横取りされまいとして。一気に、ぜんぶ。
「見つかるよう、仕込んで」。
「記録を、書き換えさせて」。
「筆跡を、真似させて」。
ぜんぶ。ぜんぶ、捏造した本人にしか、語れないことを。
国王臨席の、その場で。
しん、と。部屋が、静まり返った。
あの女の顔が、みるみる、青ざめていく。今、自分が、何を口走ったのか。ようやく、気づいたのだ。
「……い、いえ、今のは……っ」
「面白い」
国王の声が、低く、響いた。
「横領などという裏帳簿を、そなたが『仕込んだ』とな。記録を『書き換えさせた』とな。署名を『真似させた』とな。──ありもせぬ罪を、そなたが、すべて、こしらえたわけだ」
「ち、違……っ」
「手柄を惜しむあまり、自ら、白状したではないか」
あの女は、口を、ぱくぱくと、させた。
生まれて初めて、追い詰められた、顔だった。負けたことのない人間の、負け方を知らない、無様な、顔。
いつもなら、ここで、誰かに罪をなすりつけて、するりと、逃げるのだろう。
でも、今日は。逃げ場が、ない。誰に押し付けることも、できない。たった今、自分の口で、国王の前で、洗いざらい、白状して、しまったのだから。
常勝の女は──自分の、手柄への執着に、足を、すくわれた。
……勝った。
私は、扉の陰で、へなへなと、座り込んだ。
勝って、しまった。賭けに。最推しの命運を懸けた、大博打に。
◇ ◇ ◇
それから、ことは、早かった。
あの女の悪事が、芋づる式に、明らかになった。ディートハルトの横領が、捏造だったことも、すぐに、証明された。
彼を糾弾していた貴族たちは、手のひらを返して、黙り込んだ。現金なものだ。
操られていたルーファスは、憑き物が落ちたように、大人しくなった。聖女とのことも、これから、丸く収まっていくだろう。あの子なら、きっと、いい王妃になる。
そして、私の冤罪も、晴れた。執行猶予も、解かれた。
何より。
最推しの、破滅する未来が──消えた。
ずっと閉ざされていた、トゥルーエンドへの扉が。いま、確かに、開いた。
◇ ◇ ◇
すべてが、片付いた、ある日の、夕暮れ。
ディートハルトが、私の屋敷を、訪れた。
最推しが。私の、家に。来た。情報量が多すぎて、心臓が、もたない。
「オクタヴィア嬢」
彼は、いつもの静かな声で、私を、見た。
「一つ、聞かせてほしい」
「は、はいっ。なんなりと」
「あなたは、断罪されかけ、宙吊りの身でありながら、命がけで、私を救った」
彼の、底の知れない瞳が、まっすぐに、私を射抜く。
「誰も気づかなかった、あの女の企みを、なぜ、あなただけが、見抜いた。そして──誰も知らないはずの、私の孤独を。私の労苦を。なぜ、あなたは、知っていた」
……ばれていたか。
前世のことは、言えない。ゲームのことも、トゥルーエンドのことも、言ったところで、信じてもらえまい。
だから私は、ただ、本当のことだけを、言った。
「……あなたに、報われてほしかったんです」
声が、震えた。
「あなたは、ずっと、誰にも分かってもらえないまま、この国を支えてきた。冷たいだなんて言われて、手柄も全部、よそに持っていかれて。それでも、文句一つ、言わずに。……そんな人が、報われないなんて。そんなの、絶対に、間違ってます」
ディートハルトが、わずかに、目を、見開いた。
「あなたは、誰よりも、幸せになっていい人なんです」
彼は、しばらく、黙っていた。
長い、長い、沈黙のあとで。
「……私は」
彼は、ぽつりと、こぼした。
「若い頃に、たった一人、大切な人を、喪った。それから、誰も愛さず、誰にも愛されまいと、心を、決めた。感情を殺して、ただ、国に、尽くしてきた」
夕日が、彼の、白いものの混じった髪を、赤く染めていた。
「この歳まで、誰にも必要とされず、生きてきた。今さら、幸せなど──私には、分不相応だと、そう、思っていた」
──ぶちっ。
私の中で、何かが、切れた。
「分不相応なんかじゃ、ありませんっ!!」
気づけば、私は、叫んでいた。
令嬢が、宰相に向かって、絶叫である。
「あなたは、誰よりも、愛されていい人です! 幸せになっていい人です! わたしが、保証します! だって、わたしは──!」
言ってしまえ。もう、いい。
「わたしは、あなたの、いちばんのファンなんですからっ!!」
応接間が、しん、と、なった。
……あ。
やってしまった。
最推しを前に、オタクの本性が、ダダ漏れて、しまった。穴があったら、入りたい。掘ってでも、入りたい。
ところが。
ディートハルトは。
あの、冷酷と恐れられた、誰にも心を開かなかった男は。
ふ、と。
笑った、のだ。
今まで見た、どんな立ち絵にも、なかった。本当に、やわらかい、顔で。
「……ファン、か」
彼は、立ち上がり、私の前に来て、そっと、私の手を、取った。
「妙な娘だ。本当に」
手。手を。握られて。待って。供給。供給が、過ぎる。
「だが──そうだな。あなたに、これほど想ってもらえるのなら」
彼の瞳が、夕日の中で、やわらかく、細められた。
「私を、幸せにする責任は──あなたに、あるな。オクタヴィア」
……は。
はい?
いま、なんと?
陰で支える、ただのファンで、いるつもりだった。推しが幸せになってくれれば、それで、よかった。私が、隣に立つなんて。畏れ多くて、考えたことも、なかった。
なのに。
最推しが。いま。私の手を、握って。
報われなかった、私の手を。
ゲームでは、誰にも看取られず、一人で死ぬはずだった人が。
今、確かに、誰かを、愛そうと、している。
私を。
「……っ、せ、責任、とらせて、いただきます……っ」
涙で、ぐしゃぐしゃに、なりながら。私は、そう答えるのが、精一杯だった。
あの夜会で、遠くから、ただ拝むことしか、できなかった人が。
今、私の、すぐ目の前で、私の手を、握っている。
ああ。
たどり着いた。
幻の、トゥルーエンドに。
報われなかった、最推しが。報われなかった、わたしが。二人とも、幸せになる、ただ一つの、結末に。
──ちなみに。
そのトゥルーエンドで、彼を幸せにする相手が、まさか、この私だったなんて。
そんな結末、攻略本のどこにも、書いていなかったの、だけれど。




