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断罪されましたが、最推しのいけおじ宰相を幸せにするのに忙しいので、それどころではありません

作者: 中身無男
掲載日:2026/06/27

「オクタヴィア・レーンフェルト! お前との婚約を破棄する!」


 夜会の真ん中で、婚約者であるルーファス王子が、高らかにそう叫んだ。


「お前は聖女を妬み、陰でいじめ抜いた! そのような女、私の妻にはふさわしくない! 罪を、償ってもらうぞ!」


 会場が、しん、と静まり返る。


 数百の視線が、いっせいに私へと突き刺さった。あらあらまあまあ、という囁きが、さざ波のように広がっていく。


 婚約破棄。断罪。悪役令嬢の、お決まりの末路。


 ──で、ですよね。来ましたわ。とうとう来てしまいましたわ。


 私はぎゅっと、両手を握りしめた。


 ちなみに、聖女いじめなんて、ただの一度もしていない。完全な、純度百パーセントの濡れ衣である。


 けれど、そんなことは、どうでもよかった。


 なぜなら。


「裁定を、宰相に委ねる! ディートハルト宰相、前へ!」


 ──きた。


 来て、しまった。


 会場の奥から、ゆっくりと、一人の男が歩み出てくる。


 白いものの混じった黒髪を、後ろへ撫でつけ、銀縁の眼鏡の奥に、底の知れない静かな瞳。年の頃は、四十半ば。若い攻略対象たちの華やかさとは、まるで無縁の、鋼のように冷たく、それでいて滲み出るような落ち着きと、色気。


 ディートハルト・アッシェンバルト宰相。


 この国でもっとも恐れられ、もっとも冷酷と噂される男。


 そして──私の、最推しである。


 ぶわっ、と全身の血が沸いた。


(ほ……っ、本物だああああああっ!!)


 内心、私は絶叫していた。


 生ディートハルト。実物。動いてる。喋ってる。歩いてる。ありがとうございます。ありがとうございます。


 ああ、その隙のない歩き方。誰にも心を許さない、あの凪いだ目。書類を捌くときの、長い指。ぜんぶ、ぜんぶ解釈一致。むしろ、解釈を超えてきている。生きていてよかった。二回目の人生だけど。


 ディートハルトは、私の前に立つと、ルーファスへ、静かに向き直った。


「殿下。この令嬢が聖女をいじめたという、証拠は」


「しょ、証拠だと? そんなもの、見れば分かるだろう! この女の、底意地の悪そうな顔を見れば!」


「顔は、証拠になりません」


 ばっさりと、ディートハルトは切り捨てた。


「証言も、物証も、日時も、場所も──何ひとつ、示されておりませぬ。証なくして人を罪に問うは、法の埒外」


「な……っ」


「レーンフェルト嬢の沙汰は、追って下します。それまで、罪人と決めつけることは、まかりならん。──これは、裁定です」


 ……っ、かっこいい。


 私は、不謹慎にも、うっとりしてしまった。


 感情論で吊し上げようとする王子を、たった数言で、ぴしゃりと黙らせる。証拠がなければ、裁かない。流されない。ぶれない。


 ああ、そうだ。これだ。これが、私の好きな、ディートハルトだ。冷たいって言われるけど、本当は、誰よりも、公正な人。


 婚約は、破棄された。私の身は、宙吊りになった。


 でも、構わない。


 だって、推しが。私の最推しが、目の前で、私を、断罪から、守ってくれたのだから。


 その彼が、ふと、私を見た。


 糾弾されてなお、なぜか頬を染めてうっとりしている令嬢を、訝しげに。


 ああ、その「不可解なものを見る目」も、最高ですわ。家宝にします。



   ◇ ◇ ◇



 少し、話を整理させてほしい。


 私、オクタヴィア・レーンフェルトには、前世の記憶がある。


 前世の私は、どこにでもいる、しがない会社員だった。


 真面目だけが取り柄で、誰よりも早く出社して、誰よりも遅くまで残って、頼まれた仕事は断らなかった。


 なのに。


 手柄は、いつも、要領のいい同僚に持っていかれた。失敗の責任だけが、なぜか私に回ってきた。どれだけ尽くしても、誰も、私を見てはくれなかった。


 すり減って、すり減って。ある日、心が、ぽきりと折れた。


 布団から、出られなくなった。


 そんな真っ暗な日々の中で、たった一つ、私を生かしてくれたものがある。


 乙女ゲーム。『恋する常春の宮廷』。


 一年中、春のように暖かい国を舞台にした、古い、けれど名作と名高い一本。私は布団の中で、それを何度も、何度も繰り返しプレイした。すり切れるほどに。


 攻略対象は、五人。王子、騎士団長、近衛、文官、神官。みんな、きらきらの美形だ。


 でも、私が好きになったのは、その五人の、誰でもなかった。


 攻略対象ですら、なかった。


 宰相、ディートハルト・アッシェンバルト。


 ゲームでは、悪役令嬢を断罪し、ときにヒロインの前に立ちはだかる、冷たい脇役。攻略不可。専用ルート、なし。立ち絵すら、わずか数枚。


 でも、私は彼が好きだった。狂おしいほど、好きだった。


 なぜなら、彼ほど、報われないキャラはいなかったから。


 設定資料で語られる、彼の過去。若き日に、たった一人愛した人を喪い、それから感情を殺して、国に尽くしてきたこと。誰にも理解されず、冷酷と恐れられ、その有能さで国を支えながら、手柄はすべて、王家に持っていかれること。


 ……ねえ、それ。


 それ、前世の、私じゃないか。


 尽くしても、報われない。見てもらえない。ぜんぶ、誰かに、持っていかれる。


 私は、彼に、自分を重ねた。


 そして、どのルートを選んでも、彼は最後、誰にも看取られず、たった一人で死ぬ。


 幸せになるエンドが、一つも、ない。


 私はそのたびに、布団の中で、泣いた。報われなかった彼を、何度も、何度も、看取った。


 せめて。せめて、この人だけは、報われてほしかった。


 報われなかった、私の代わりに。


 ただ一つだけ、噂があった。


 誰も解法の分からない、幻の隠しエンド。「トゥルーエンド」。そこでだけ、ディートハルトが、報われるという。


 でも私は、ついぞ辿り着けなかった。何周しても、条件すら、分からなかった。攻略本にも、載っていなかった。


 そして、私は。


 その幻のエンドに辿り着けないまま、ある朝、過労で倒れて──そのまま、死んだ。


 ────だから。


 転生して、この世界に来て、彼が実在すると知ったとき。私は、誓った。


 今度こそ。今度こそ、私が、あの人を、幸せにする。


 幻のトゥルーエンドに、辿り着いてみせる。


 報われなかった彼を。報われなかった、私を。今度こそ、報わせてやるんだ。


 それが、二度目の人生をもらった、私の、使命だ。


 ただし、一つだけ、どうしようもない問題がある。


 私は、トゥルーエンドが「ある」ことは知っているが、「どうすれば辿り着けるか」は、知らない。


 幻のエンドだ。前世でも、誰も、解法を見つけられなかった。


 完全に、手探りである。


 しかも、もっと恐ろしいことがある。


 このゲームには、最悪の分岐がある。


 ディートハルトが、無実の罪を着せられ、失脚し、破滅する。そういう筋書きが、存在する。


 彼が、誰にも信じてもらえないまま、すべてを奪われて、終わる。


 それだけは。それだけは、何としても、避けなければならない。


 幸い──いや、幸いと言っていいのか分からないが。


 私は今、断罪を保留された、執行猶予の身だ。罪人と決まったわけではないが、無実が晴れたわけでもない。宙吊り。


 放っておけば、いずれ「証拠」がでっち上げられて、私は断罪される。猶予は、長くは、続かない。


 だったら。


 その猶予のあるうちに。


 黒幕を暴いて、自分の潔白を示して、ついでに──いや、ついでじゃない。本命だ。最推しを、破滅から救って、トゥルーエンドに、辿り着く。


 タイムリミットは、そう長くない。


 さあ。やってやろうじゃないの。



   ◇ ◇ ◇



 まず私が疑ったのは、聖女だった。


 婚約破棄の、発端。私を断罪に追い込んだ、女。怪しい。どう考えても、怪しい。


 というわけで、私は、聖女を、お茶に誘い出した。


 ……正直に言う。会う前は、警戒していた。腹の探り合いになるだろうと、身構えていた。


 ところが。


 現れた聖女は、私の顔を見るなり、ぼろぼろと、泣き出した。


「オクタヴィア様……っ! わ、わたし、ずっと、謝りたくて……っ!」


「は……?」


「わたし、あなたが断罪されるなんて、望んでいませんでしたっ……! ルーファス様が、勝手に、わたしのために、って……! 止めようとしたんですけど、わたしの言うことなんて、聞いてくださらなくて……っ!」


 ずびずびと、鼻をすすりながら、聖女は言い募った。


「わたし、田舎の生まれで、こんな宮廷のこと、なにも分からなくて……っ。気づいたら、あなたが、悪者にされていて……。わたしのせいです、本当に、ごめんなさい……っ!」


 ……えーと。


 私は、しばし、固まった。


 これは。


 嘘をついている、目では、ない。


 私を陥れる気も、ディートハルトを害する気も、これっぽっちもない。ただ純粋に、王子に見初められて、流されて、おろおろしているだけの、善良な、田舎の娘。


 はい。見当違いでしたー。


 私は心の中で、自分の頬を、引っぱたいた。推しを救うどころか、無実の女の子を疑うとは。オタク、失格である。


「……いえ。あなたは、悪くないわ」


 私は、ハンカチを差し出しながら、そう言った。聖女は、ふぇぇ、と泣きながら、それを受け取った。なんだ、この子。可愛いな。妹にしたい。


 だが──このとき。


 私の脳内に、ばちっ、と、電流が走った。


 待て。待て、落ち着け、オクタヴィア。


 このゲームで、全ルートを通して、最後まで幸せに生き残るキャラは──たった、二人だけだ。


 一人は、ヒロインである、聖女。これはいい。ヒロインだから、当然だ。


 そして、もう一人。


 いつも、するりと責任を逃れ、どのルートでも、なぜか、美味しいところだけを、持っていく女。


 ……聖女が、シロ。


 なら。


 消去法で、黒幕は──あいつしか、いない。


 全ルートで幸せに生き残る、もう一人の、あの女。



   ◇ ◇ ◇



 その女のことを、ここでは、黒幕と呼ぶ。


 名前を出すのも、惜しい。とにかく、世渡りだけは天才的に、うまい女だった。


 誰にでも取り入り、誰かが失敗すれば素早く責任をなすりつけ、おいしい話には真っ先に飛びつき、いつのまにか、一番得をしている。


 そして、ゲームのどのルートを見ても──この女だけは、絶対に、罰されない。最後まで、ぬくぬくと、幸せに生き残る。


 今回も、そうだ。


 ルーファス王子を裏で焚きつけ、私を断罪させたのも、この女。


 そして、私が前世の知識で知っている、最悪の、筋書き。


 この女が、ディートハルトに濡れ衣を着せ、失脚させる。


 ……そして、それを確かめるように。


 宮廷から、不穏な噂が、流れてきた。


 ディートハルト宰相に、横領の疑いがかけられた、と。



   ◇ ◇ ◇



 来た。来て、しまった。


 ディートハルトの裁きは、近いという。猶予は、ない。


 私は、その夜、屋敷で、必死に頭をひねった。


 あの女を、どうにかしなければ。でも──相手は、全ルートで、絶対に勝つ女だ。正攻法では、逆立ちしても、勝てない。証拠を掴もうとすれば握り潰され、訴え出れば、するりと逃げて、返り討ち。


 負けない女。チートみたいな女。


 ……でも。


 待てよ。


 あの女は、勝ち続けている。一度も、負けたことが、ない。


 罠にかかったことが、ない。裏切られたことが、ない。痛い目を見たことが、ただの一度も、ない。


 だから──きっと、警戒の仕方を、知らない。


 いつも美味しい話が、向こうから転がり込んでくる人生だ。「裏があるかもしれない」なんて、本気で疑ったことが、ないだろう。


 そして、あの女には、もう一つ、どうしようもない癖がある。


 手柄を、自分のものにしたがる。


 誰かが成したことでも、おいしい成果は、ぜんぶ「自分がやった」と、しゃしゃり出て、かっさらう。


 ……見えた。


 勝ち筋が、見えた。


 あの女を引きずり出すには、あの女自身の、その性根を、餌にすればいい。


 私は、一晩かけて、筋書きを、組み上げた。



   ◇ ◇ ◇



 翌日。私は、二人の協力者を、集めにかかった。


 まず、元婚約者である、ルーファス王子。


 婚約を切られた身ではあるが、執行猶予中の令嬢が申し開きをしたい、と言えば、面会は、断られなかった。


 通された一室で、ルーファスは、腕を組んで、ふんぞり返っていた。


「なんだ。今さら、許しでも乞いに来たか」


「いいえ。一つ、お伝えしに来ました。──殿下を、ずっと利用してきた者がいます」


 私は、まっすぐに、彼を見た。


「私を断罪しろと、しつこく殿下に勧めたのも。聖女様を、殿下にあてがったのも。あの女ですね。そして今、宰相どのに、濡れ衣を着せようとしている。ぜんぶ、同じ女の、仕業です」


 ルーファスの眉が、ぴくり、と動いた。彼も、薄々、感じていたのだろう。


 しばらく、彼は、黙っていた。やがて、ぎり、と奥歯を噛む音がした。


「……あの女。確かに、やたらと、私に取り入ってきた。聖女を勧めたのも、お前を悪く言ったのも、あいつだ」


 ばん、と、ルーファスが机を叩いた。


「私を、いいように、操っていたというのか。あの女ァッ!」


 うん。釣れた。


 プライドの高い男だ。女一人にいいように使われていたと知って、腹の底が、煮えくり返っているのだろう。


「殿下。その悔しさ、晴らしませんか。──手を、貸してください」


 ルーファスの目に、ぎらり、と火が点った。


「……話せ。何を、すればいい」


 よし。一人。


 それから私は、聖女にも、こっそり一役、頼んだ。あの子は「オクタヴィア様のためなら!」と、健気に、力こぶを作ってみせた。可愛い。やっぱり妹にしたい。


 二人、確保。



   ◇ ◇ ◇



 最後は、ディートハルト本人だ。


 彼は今、横領の疑いで、宮廷の一室に、留め置かれているという。


 私は、執行猶予の身を使って、面会を願い出た。「断罪を保留してくださった御礼を」という名目は、不自然ではなかった。


 通された、薄暗い一室。ディートハルトは、窓辺に座り、静かに、外を眺めていた。


「……あなたは。先日の、レーンフェルト嬢か」


「宰相どの。この横領は、濡れ衣です。仕組んだ者に、心当たりもあります」


 ディートハルトが、わずかに、目を細めた。


「あなたは、横領なんて、する人じゃない。──毎晩、誰にも知られず、国境の難民の救済を、私財を削ってまで、手配していたような人が。手柄にもならないのに。誰にも、言わずに」


 ディートハルトの、表情が、止まった。


「……なぜ、それを、知っている」


 その瞳が、初めて、揺れた。


 誰にも、言ったことのない、隠し事だったのだろう。


「知っています。あなたが、どれだけこの国に尽くしてきたか。ぜんぶ。──だから、こんなところで終わらせるわけには、いきません」


 ディートハルトは、長いあいだ、私を、見つめていた。


 そして、ふ、と、目を伏せた。


「……買いかぶりだ。私は、もう、いい。長く、生きすぎた」


「よくありません! あなたは、まだ、何にも、報われてない!」


 ディートハルトが、息を、呑んだ。


 諦めきっていた、その目に。ほんの少しだけ、温かいものが、差した気がした。


 私は、声を潜めて、組み上げた筋書きを、囁いた。


 あの女が、自分の口で、自分の罪を、白状するように、仕向ける。だが、それは賭けだと、正直に告げた。失敗すれば、あなたの破滅は、早まるかもしれない、と。


 ディートハルトは、静かに、頷いた。


「……妙な娘だ。だが──久しぶりに、誰かを、信じてみよう」



   ◇ ◇ ◇



 そして、三日後。


 舞台は、整った。


 私は、ルーファスを通じて、こう宮廷に、触れ回らせた。


「宰相ディートハルトの横領を暴いた者には、褒美として、爵位と領地が下される」と。


 あの女が、長年、欲しがっていたもの。爵位。領地。


 国王臨席のもと、横領を暴いた「功労者」が、その経緯を申し述べ、褒美を賜る──そういう場が、設けられた。


 ここに、罠がある。


 ディートハルトの横領なんて、そもそも、存在しない。ぜんぶ、あの女の、捏造だ。


 だから、その「暴いた経緯」を、詳しく語れる人間は、ただ一人。捏造を、仕組んだ、本人だけ。


 あとは、あの女が、得意げに、語ってくれれば──それで、詰む。


 私は、執行猶予の身ゆえ、その場には、出られない。続きの間の、扉の陰で、息を潜めて、見守っていた。


 果たして、あの女は、しゃなりしゃなりと、進み出た。勝ち誇った、笑みを浮かべて。


「宰相の横領を暴きましたのは、このわたくしでございます」


「ほう。して、いかにして、暴いた」


 国王が、問う。


「……ええ。怪しいと思い、調べさせましたところ、証拠が、出てまいりましたの」


 ……っ。


 あの女は、それだけ言って、すっ、と口をつぐんだ。


 ……賢い。


 私は、扉の陰で、唇を噛んだ。


 さすが、全ルートで勝つ女だ。経緯は、語らない。「証拠が出た」と、それだけ。墓穴を掘らない、ぎりぎりの線で、止めてみせた。


 このままでは、爵位だけ、せしめて、逃げ切られる。


 ──でも。


 こんなこともあろうかと、もう一手、仕込んである。


 私の合図で、ルーファスが、すっ、と前に出た。


「ふむ。だが、横領を暴いたのは、お前一人ではあるまい」


 ルーファスが、よく通る声で、言った。


「実は、私のもとにも、宰相の不正を暴いたと申し出た者がおってな。経緯も、すべて詳細に語ってみせた。爵位は、そちらに下すのが、筋というものではないか?」


 もちろん、そんな者は、いない。はったりだ。


 でも──あの女の顔色が、さっと、変わった。


「お、お待ちください!」


 あの女が、声を、張り上げた。


「わたくしの、手柄を、横取りされるなんて……っ!」


 あ。


 来た。


 手柄を、奪われる。それだけは、この女に、耐えられない。


「証拠ですって? その者は、どこで、どうやって、見つけたと言うのです!? わたくしは、違います! わたくしは、ちゃんと──宰相の私室の、執務机の、三番目の引き出しに、裏帳簿が見つかるよう、自分で仕込んで! 国庫の記録も、辻褄が合うよう、日付を三箇所、書き換えさせて! 署名だって、わざわざ筆跡を真似られる者を雇って……っ」


 ……言った。


 言って、しまった。


 手柄を、横取りされまいとして。一気に、ぜんぶ。


「見つかるよう、仕込んで」。


「記録を、書き換えさせて」。


「筆跡を、真似させて」。


 ぜんぶ。ぜんぶ、捏造した本人にしか、語れないことを。


 国王臨席の、その場で。


 しん、と。部屋が、静まり返った。


 あの女の顔が、みるみる、青ざめていく。今、自分が、何を口走ったのか。ようやく、気づいたのだ。


「……い、いえ、今のは……っ」


「面白い」


 国王の声が、低く、響いた。


「横領などという裏帳簿を、そなたが『仕込んだ』とな。記録を『書き換えさせた』とな。署名を『真似させた』とな。──ありもせぬ罪を、そなたが、すべて、こしらえたわけだ」


「ち、違……っ」


「手柄を惜しむあまり、自ら、白状したではないか」


 あの女は、口を、ぱくぱくと、させた。


 生まれて初めて、追い詰められた、顔だった。負けたことのない人間の、負け方を知らない、無様な、顔。


 いつもなら、ここで、誰かに罪をなすりつけて、するりと、逃げるのだろう。


 でも、今日は。逃げ場が、ない。誰に押し付けることも、できない。たった今、自分の口で、国王の前で、洗いざらい、白状して、しまったのだから。


 常勝の女は──自分の、手柄への執着に、足を、すくわれた。


 ……勝った。


 私は、扉の陰で、へなへなと、座り込んだ。


 勝って、しまった。賭けに。最推しの命運を懸けた、大博打に。



   ◇ ◇ ◇



 それから、ことは、早かった。


 あの女の悪事が、芋づる式に、明らかになった。ディートハルトの横領が、捏造だったことも、すぐに、証明された。


 彼を糾弾していた貴族たちは、手のひらを返して、黙り込んだ。現金なものだ。


 操られていたルーファスは、憑き物が落ちたように、大人しくなった。聖女とのことも、これから、丸く収まっていくだろう。あの子なら、きっと、いい王妃になる。


 そして、私の冤罪も、晴れた。執行猶予も、解かれた。


 何より。


 最推しの、破滅する未来が──消えた。


 ずっと閉ざされていた、トゥルーエンドへの扉が。いま、確かに、開いた。



   ◇ ◇ ◇



 すべてが、片付いた、ある日の、夕暮れ。


 ディートハルトが、私の屋敷を、訪れた。


 最推しが。私の、家に。来た。情報量が多すぎて、心臓が、もたない。


「オクタヴィア嬢」


 彼は、いつもの静かな声で、私を、見た。


「一つ、聞かせてほしい」


「は、はいっ。なんなりと」


「あなたは、断罪されかけ、宙吊りの身でありながら、命がけで、私を救った」


 彼の、底の知れない瞳が、まっすぐに、私を射抜く。


「誰も気づかなかった、あの女の企みを、なぜ、あなただけが、見抜いた。そして──誰も知らないはずの、私の孤独を。私の労苦を。なぜ、あなたは、知っていた」


 ……ばれていたか。


 前世のことは、言えない。ゲームのことも、トゥルーエンドのことも、言ったところで、信じてもらえまい。


 だから私は、ただ、本当のことだけを、言った。


「……あなたに、報われてほしかったんです」


 声が、震えた。


「あなたは、ずっと、誰にも分かってもらえないまま、この国を支えてきた。冷たいだなんて言われて、手柄も全部、よそに持っていかれて。それでも、文句一つ、言わずに。……そんな人が、報われないなんて。そんなの、絶対に、間違ってます」


 ディートハルトが、わずかに、目を、見開いた。


「あなたは、誰よりも、幸せになっていい人なんです」


 彼は、しばらく、黙っていた。


 長い、長い、沈黙のあとで。


「……私は」


 彼は、ぽつりと、こぼした。


「若い頃に、たった一人、大切な人を、喪った。それから、誰も愛さず、誰にも愛されまいと、心を、決めた。感情を殺して、ただ、国に、尽くしてきた」


 夕日が、彼の、白いものの混じった髪を、赤く染めていた。


「この歳まで、誰にも必要とされず、生きてきた。今さら、幸せなど──私には、分不相応だと、そう、思っていた」


 ──ぶちっ。


 私の中で、何かが、切れた。


「分不相応なんかじゃ、ありませんっ!!」


 気づけば、私は、叫んでいた。


 令嬢が、宰相に向かって、絶叫である。


「あなたは、誰よりも、愛されていい人です! 幸せになっていい人です! わたしが、保証します! だって、わたしは──!」


 言ってしまえ。もう、いい。


「わたしは、あなたの、いちばんのファンなんですからっ!!」


 応接間が、しん、と、なった。


 ……あ。


 やってしまった。


 最推しを前に、オタクの本性が、ダダ漏れて、しまった。穴があったら、入りたい。掘ってでも、入りたい。


 ところが。


 ディートハルトは。


 あの、冷酷と恐れられた、誰にも心を開かなかった男は。


 ふ、と。


 笑った、のだ。


 今まで見た、どんな立ち絵にも、なかった。本当に、やわらかい、顔で。


「……ファン、か」


 彼は、立ち上がり、私の前に来て、そっと、私の手を、取った。


「妙な娘だ。本当に」


 手。手を。握られて。待って。供給。供給が、過ぎる。


「だが──そうだな。あなたに、これほど想ってもらえるのなら」


 彼の瞳が、夕日の中で、やわらかく、細められた。


「私を、幸せにする責任は──あなたに、あるな。オクタヴィア」


 ……は。


 はい?


 いま、なんと?


 陰で支える、ただのファンで、いるつもりだった。推しが幸せになってくれれば、それで、よかった。私が、隣に立つなんて。畏れ多くて、考えたことも、なかった。


 なのに。


 最推しが。いま。私の手を、握って。


 報われなかった、私の手を。


 ゲームでは、誰にも看取られず、一人で死ぬはずだった人が。


 今、確かに、誰かを、愛そうと、している。


 私を。


「……っ、せ、責任、とらせて、いただきます……っ」


 涙で、ぐしゃぐしゃに、なりながら。私は、そう答えるのが、精一杯だった。


 あの夜会で、遠くから、ただ拝むことしか、できなかった人が。


 今、私の、すぐ目の前で、私の手を、握っている。


 ああ。


 たどり着いた。


 幻の、トゥルーエンドに。


 報われなかった、最推しが。報われなかった、わたしが。二人とも、幸せになる、ただ一つの、結末に。


 ──ちなみに。


 そのトゥルーエンドで、彼を幸せにする相手が、まさか、この私だったなんて。


 そんな結末、攻略本のどこにも、書いていなかったの、だけれど。


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