聖女の奇跡を調律していただけの僕は追放されたけれど、隣国の冷酷公爵令嬢に溺愛(?)されて救国の英雄に——その頃、僕を失った聖女は静かに壊れ始めていた
「レイン・グレイヴ。聖女の神聖術式への介入による妨害、および聖女への不敬罪により、貴様をここに断罪する!」
多くの貴族が夜会で集う王宮の広間で、ヴァレンティア王国王太子アルベルトが宣告した。
貴族たちがざわめく中、レインはその宣告を静かに聞いていた。
「王国を保護する結界構築の妨害の上、貴様は聖女の心を惑わしてもいるのだ。これは、王国の、そして王国民の安定を脅かすような行いだ。貴様は追放だ!」
「追放」という言葉が重くのしかかる。
自分は王国のためと思って精一杯やってきたつもりだった……。しかし、それが逆に聖女の足手まといだったと思われたのなら仕方ない。
「お待ちください、アルベルト殿下! それは誤解です!」
エリシアが前に出る。
「黙れ、エリシア!」
アルベルトがエリシアを一喝するが、エリシアは怯まない。
「レインのおかげで私は魔法が使えているんです。彼がいなければ、王国の守護結界の管理はできません。それどころか、私だけではまともに治癒もできません……」
「エリシア、おまえの魔力は本物だ。俺が保証する。しかし、この男のつまらん補助魔法で、おまえの魔力は抑制されているのだ。宮廷魔術師も上級神官も確認している。本来はもっと強い力を持って、王国をさらに繁栄させられるはずなのだ」
アルベルトが再びレインに向き直る。
「このように聖女に誤った考えを吹き込み、王国を乗っ取るつもりだったのか? 男爵令息ごときが身の程知らずの野心を持つのではない。貴様のような者が王都にいる資格はない。出ていけ!」
レインはうなだれ、ひと言だけ絞り出す。
「わかりました……」
それだけ答えてレインは王宮を去っていった。
※
レインは少ない荷物をまとめ、旅立とうとしていた。
生まれてからずっと過ごした王都の門の前で立ち止まり、感慨に耽るが、やがて諦めたように足を進めた。
門を出ようとしたところで、後ろから呼び止める者があった。
「レイン……」
レインが振り向くと、そこに聖女エリシアが立っていた。その表情は暗く、今にも泣き出しそうだった。
「エリシア様……お見送りに来てくださったんですね。でも……もう僕にはあまり近づかないほうがよいのでは?」
レインの言葉など聞いていないかのようにエリシアは答える。
「どうしても行くの?」
「……追放された身ですからね。留まったところで王国騎士団に捕まって無理やり追い出されるだけですよ」
「でしたら……私も連れて行ってください」
レインはその申し出に驚き、一方でどこか嬉しい気持ちもあった。
しかし、もしエリシアが自分と一緒に王都を出るようなことになれば、エリシアの立場がより悪くなるのは明らかだった。
エリシアを自分の不遇に付き合わせるわけにはいかない。
「あなたはここに残らないといけません」
その言葉にエリシアは目を伏せ、言う。
「王太子殿下が婚約を申し込んできたの。あなたに追放の宣告をした後すぐに」
「え?」
王太子とエリシアが婚約——それを聞いて、レインは胸に痛みを、頭に熱を感じた。
そのとき、レインはエリシアに恋心に近い感情があったのだということに気づいた。いつからかはわからない。しかし、確かに特別な感情がそこにあった。
ふと、王太子が自分を追放したのは、それが理由ではないかと邪推してしまう。聖女エリシアと婚約するのに、レインが邪魔だったのではないか……。
「私が他の方と婚約しても何とも思わないの?」
エリシアがレインに尋ねる。
思うところはある。しかし、自分は終わった人間だ。王太子と聖女が結ばれたほうが、王国のためにも、エリシア自身のためにもよいのは間違いない。たとえ聖女としてうまくいかなかったとしても王太子妃として安泰な人生を送れるはずだ。
「おめでとう……ございます」
エリシアの体が震える。
そしてレインに歩み寄り、思い切り平手打ちをした。
「なんでそんなことを言うの?」
「レインがいなくなったら、やっていけるわけがないじゃない」
エリシアは類い稀な量と質の魔力を持ち、辺境の貧しい村の平民の出自ながら、聖教会に見出され、聖女候補となったのだが、魔力制御が昔から苦手で、思ったとおりの魔法を発動するのに苦労していた。聖女候補としての修行時代に、そのことに気づいたレインが補助魔法で制御を支援することで、エリシアはその才能を開花させ、ついには聖女にまで上り詰めたのだ。
エリシアの魔力に触れた時のあの胸の高鳴り、そして二人で魔法の制御を成功させたときの喜び……エリシアとの間には、いくつもの美しい思い出があった。
「エリシア様の魔力は本物です。エリシア様の魔力制御も間違いなく上達しています。自信をもってください。それに守護結界は構築した魔法陣にエリシア様の魔力を注ぎ続けていくだけで維持できます。王国も安泰ですよ」
「そんなことを言ってるんじゃない!」
エリシアの目には涙が溜まっていた。
レインには思い当たるところがあった。おそらくエリシアは自分に依存しすぎているのだと。それは魔法制御補正だけではなく、精神的な依存……。そしてそれはレイン自身にも言えることだった。
——王都を出るだけではだめだ。
この王国を出よう、とレインは決意した。
そうしなければ、エリシアも自分も、前に進むことができない気がした。
「エリシア様、どうかお元気で……」
レインはエリシアに力なく笑顔を作った。
※
レインが向かったのは隣国のブリットモア王国だった。
聖女の誕生によって急速に国力を高めたヴァレンティア王国と異なり、ブリットモア王国は魔物災害に長年苦しめられ、土地が痩せ、困窮を極めていた。
レインには、王都の外に知り合いなどいなかった。しかし、ただ一人だけ、頼れるかもしれない人物が、ブリットモア王国にいた。
——気品の漂う美しい容貌ながら、「冷酷」と言われる公爵令嬢クラウディア・レーヴェンハイト。
一年ほど前、彼女は、ヴァレンティア王国を訪問してきたことがあった。
ヴァレンティア王国を急速な繁栄に導いた聖女エリシアの噂を聞きつけ、彼女はブリットモア王国のために聖女を貸し出すように言ってきたのだ。
聖女の補助魔導士として同席したレインは驚いた。クラウディアは平身低頭しお願いするのではなく、涼しい顔で、さも聖女を差し出すのが当然だろうという態度だったのだ。
ブリットモア王国を代表して来ている以上、クラウディアが優れた能力を持っていることは間違いないのだろう。
しかし、交渉を行うには、いささか駆け引きの能力には長けていないのかもしれなかった。
「よほど人材がいないのだろう。国が落ちぶれる理由も知れるというものだ」
接見の後に、王太子アルベルトがそんなことを言っていた。
王国で対外的な対応を担当しているアルベルトは、当然のようにそのクラウディアの依頼を断った。
「見返りもなく、なぜ無条件に王国の宝とも言える聖女を差し出すことができようか?」
「聖女は無条件に民を救う者だと考えますが、違うのでしょうか?」
そう言い放つクラウディアに、アルベルトは鼻で笑って答えた。
「聖女が無条件で救うのはヴァレンティア王国の民であって、それ以外の民にはそれ相応の対価を求めるのが当然であろう」
「そんな者が聖女とは呼ばれるべきではないと思いますわ」
「では、ここにあなたの求める聖女はおらん。お帰りいただこう」
アルベルトはクラウディアに向けて、手で払う仕草を見せた。
エリシアは「せっかく遠いところからお越しいただいたのに申し訳ございません」と、クラウディアに言葉をかけた。そして、せめてこれくらいはさせてください、と「回復」の魔法をクラウディアに施した。そのときも、もちろんレインが補助魔法を添えていた。
「回復」を受けたクラウディアはわずかに片眉を動かした。
「これは驚きましたわ。疲労が抜けたどころか強化の効果も添えられているのでしょうか? これなら帰路は疲れずに済みそうです」
にこりともせずにクラウディアは言った。
「何かあれば、ブリットモア王国を訪れてください」
去り際にクラウディアはそう言い残した。
おそらくはエリシアへの言葉だったのだろうが、なぜか、レインは、その目が自分を見ているような気がしていた。
それが自分の勘違いかもしれないことは十分わかっていた。しかしそれでも、レインには他に行くべき場所が思いつかなかった。
※
「聖女のほうではなく、あなたのほうがいらしたのね」
長旅の末、訪れた先の公爵令嬢クラウディアの反応は、予想したとおりのものだった。
「申し訳ございません……この国に必要なのは聖女だということはわかってはいたのですが……」
「いえ、私がいらして欲しかったのはあなたのほうですから、よかったわ」
「え?」
レインは耳を疑った。
期待していたのは「レインでも構わない」程度の言葉だったのだが、クラウディアは確かにレインに来てほしかったと言ったのだ。聖女よりも補助魔導士が必要などということがあるだろうか。
「どういうことでしょう」
「いらしたからには、たくさんお仕事をしていただくわ。もちろん、この公爵家の屋敷に滞在していただいていいわ。しばらくは外出が多くなると思うけれど」
レインはクラウディアの目の奥に何か狂気じみたものを感じたが、それが何なのかはわからなかった。
この冷酷と言われる公爵令嬢のもとで、おそらくこの国でも自分は冷遇され、ただひたすら働かされ、使い潰されるのだ。
レインはそう予感し、自分の運命を呪いたい気分になった。
しかし、こうなった以上、なるようにしかならないだろう。
「わかりました。受け入れてくださった以上、何でもやります。公爵家の執事だと思ってどんな雑用でもお申し付けください」
「……何を言っているの?」
「いや……ですから、どんな雑用でも……」
「何をふざけたことを仰っているのかしら。……まあいいわ。今日はもう遅いから食事にしましょう」
屋敷の小食堂に通され、レインとクラウディアは小さなテーブルに向かい合って座った。
「公爵にも紹介したかったのだけれど、今日は出払っているの」
それだけクラウディアが言い、それ以降は何も話さなかった。
やがて給仕が料理の皿を持って来た。
「ブリットモアの料理がお口に合うかわからないけれど、どうぞ」
ヴァレンティアの上級貴族の食事と比べると、肉片と野菜を煮込んだだけのかなり質素な料理のように見えた。どちらかというと庶民が食べるような郷土料理のように思えた。
レインはフォークを手に取り、肉片を口に入れる。それは今まで味わったことのないスパイスの風味のついた、控えめな塩味だった。その絶妙な加減は、美味と言ってよかった。
「おいしいです」
「そう」
冷たい表情を崩さず、クラウディアは言った。
レインは少し気まずくなりながらも、おいしく食事をいただいた。
ときおり監視するかのようにレインをチラッと見てくるのが少し気にはなったが、食事にはとても満足した。
「今まで食べたことのない、とてもおいしい食事でした。ありがとうございます」
「明日から死ぬほど働いてもらうから、今日はしっかり体を休めておくことね」
無感動な様子でクラウディアが言った。
レインにあてがわれた部屋は来客用のものと思われたが、立派な部屋であった。調度品は古いもので、必ずしも高価なものではないのかもしれなかったが、しっかりと整備が行き届いており、居心地のよい部屋だった。
倉庫でもあてがわれるのではと考えていたが、まさかこんなまともな部屋で寝られるとは思っておらず、レインは拍子抜けしていた。
クラウディアは明日から過酷な仕事になると言っていた……。最後の温情というわけか。
※
翌朝、クラウディアについてくるように言われ、馬車で外出することになった。
クラウディアはドレスではなく身動きが取りやすそうな旅装だったので、おそらく畏まったような行先ではないのだろうとレインは察した。
馬車を引く馬が貧相で、ちゃんと歩けるのか不安に思ったが、動き始めると足取りはしっかりしていた。
ブリットモア王国には活気と呼べるような雰囲気は皆無であった。公爵令嬢の屋敷はブリットモア王国の王都内なのだが、王都という割に露店も少なく、わずかな店で扱っているものも、購買意欲を一向にそそられないような、うまくもなさそうな食材や、薄汚れた中古品のような道具類ばかりだった。
すれ違う人々も一様に痩せ細り、元気がなかった。
ただ、露店の少なさの割に教会は点在し、信仰心は強い国民性なのかもしれなかった。
「ここは本当に王都なのですか?」
レインはクラウディアに尋ねる。
「そうよ。ヴァレンティア王国とはずいぶん違うでしょう?」
クラウディアはやはり表情も変えずにそう答えた。
ほどなく馬車は王都を出た。
王都を出てからの道中は、植物も少ない、土と石ばかりの殺風景なものだった。
レインはまるで魔界にでも紛れ込んでしまったような気分だった。
と思うと、突然、馬車の横を並走する三匹ほどのワーウルフが見え、レインは慌てた。
「クラウディア様、魔物です!」
「わかっているわ」
そう言って、クラウディアは馬車の車室内にかけられていた剣を手に取る。
「剣が扱えるのですか?」
レインが尋ねると、クラウディアは黙って頷く。
「黙って見ているといいわ。絶対にそこから動かないことね」
「それならば微力ながら僕も手助けします」
そう言ってレインは詠唱を始める。
「防御力強化」「速度強化」「攻撃力強化」
淡い三色の光がクラウディアを包む。
馬車が減速すると、クラウディアが颯爽と飛び降りた。
地面に着地すると同時に、三匹のワーウルフがこぞってクラウディアに飛びかかった。
「クラウディア様!」
思わずレインが叫んだその刹那、ワーウルフ三匹の首がほぼ同時に宙を舞った。
「え?」
レインには何が起きたのかまったくわからなかった。
しかし、状況から考えて、クラウディアの剣がワーウルフたちの首を斬ったのはまず間違いなかった。
クラウディアは相変わらず冷徹な表情で馬車に向かって歩いてくる。レインはその様子を見て、クラウディアが「冷酷」公爵令嬢と言われる理由がわかった気がした。
「必要はなかったのだけれど……良い魔法でしたわ」
それだけ言って、クラウディアは馬車に乗り込んだ。
馬車が到着したのは閑散とした村だった。
ところどころに点在する家屋は廃墟のように朽ちかけていたが、人は住んでいるようだった。
村の田畑の土壌は石のような灰色で、申し訳程度の痩せ細った苗が植えられていたが、とても実をつけそうにはなかった。
数少ない牛などの家畜も痩せ細り、今にも倒れそうだった。
そして、ときおり、痩せ細った人の死体が地面に転がっていた。
レインはこの村に連れてこられた意図がわからず、クラウディアの目がわずかに潤んでいるように見えた。
「ブリットモア王国では、どの村もこんな有り様よ」
レインが尋ねる前にクラウディアが口を開いた。
「レインさん……。この国の人々を助けて……」
あの「冷酷」なクラウディアの声がわずかに震えていた。
つい先日まで他国ではあったものの、人が苦しんでいる様子にレインの心も痛みを感じていた。
「……もちろん見ただけで惨状はわかります。ですが、僕もどうしたらいいのか……」
「この村に守護結界を張ってもらえない?」
クラウディアの言葉にレインは驚いた。やはりクラウディアが望んでいたのは「聖女」の方だったのではないか……。
「大きいものはいらないの。この村の一部だけでも」
「ですが……」
「聖女の守護結界ができてから、ヴァレンティア王国領内に侵入できなくなった魔物たちがブリットモア王国に殺到して土地を荒らしてしまったの。特に『魔物の森林』からの魔物が大量に来て……」
「魔物の森」……ヴァレンティア王国の辺境にある森で、王国はここから大量発生する魔物に長年苦しめられて来た。聖女エリシアの守護結界により魔物を締め出し、それが王国繁栄の大きなきっかけになったのだが……。それが隣国に被害を与える結果になっていたとは……。
その災いは、隣国のブリットモア王国に転嫁されていただけだったというのか……?
「瘴気も蔓延してしまって土地が痩せて作物もすぐに弱ってしまうの。見てのとおり、魔物に襲われるだけではなくて、食べるものも満足になくて死んでいく人もたくさんいるのよ」
そうなのであれば……昨日公爵家で出された食事は、この国でできる最大限のもてなしなのだとレインは気づいた。そのありがたさを十分に感謝しなかった自分が恥ずかしかった。
「魔物を完全に締め出すような大きな結界はいらないの。そんなものはまた他のところで歪みを生んでしまうから……」
「お話を伺って、僕にも責任の一端があることはわかりました。僕にできることなら、そうしたいのですが……僕の無属性の魔力では、魔物の侵入を防ぐ結界を作ることはできないと思います。それに結界は継続的な魔力注入が必要ですから……」
「神官ならいるわ。ブリットモアには聖女はいないけれど、女神信仰は熱心なの」
「神官? 聖属性魔法は使えるのですか?」
「簡単な治療くらいなら、どの村の神官でもできるわ」
「なるほど……。それならばやってみましょうか」
クラウディアに連れられ、村の教会を訪れると、一人の痩せた女性神官に迎えられた。健康そうには見えなかったが、愛想の良い、穏やかな若い女性だった。
レインは神官の胸の辺りに手をかざし、魔力器官から出る属性と魔力量を検知した。
「確かに聖属性の魔力ですね。できるかもしれません」
レインは教会の礼拝堂を見回した。木造の造りではあったが、祭壇の周りだけ、祭壇を安定させるための石板が埋め込まれていた。
レインはそこを最適な場所と見極め、「少し時間をください」と言って作業を始めた。
まず石灰のチョークで魔法陣の下書きをし、その上をタガネと小槌を使って丁寧に彫っていった。
ほどなく、石板に刻まれた魔法陣が完成した。
それから女性神官に、詠唱内容を教え、魔法陣に魔力を流すように促した。
「でも結界なんて初めてで……」
女性神官は自信なさそうに言う。
「大丈夫です。僕がサポートしますから」
躊躇いながらも、女性神官がたどたどしく詠唱を始める。
「詠唱補正」
レインが補助魔法を使うと、詠唱の誤りが正され、韻律が整う。
「魔力調律」
続けて魔力出力を最適化する補助魔法。
魔法陣の結界術式が発動し、光が広がった。
「うまくいきました。成功です!」
レインがクラウディアに告げる。
「村の全域は覆えないかもしれないですが、それなりの範囲の広さにはなっていると思います」
村を見回ると、魔物の姿はどこにも見当たらなかった。
それだけでなく、土壌の色も灰色から土らしい色に変わっていた。
「瘴気も薄れてますね」
レインがそう言うと、クラウディアがわずかに笑みを浮かべた気がした。
村の結界の境界付近にいくと、結界の外から恨めしそうに村の中を見る魔物たちがいた。
クラウディアは結界を飛び出し、剣を振り、瞬時に魔物を倒した。
「他の場所に行かないように駆逐しておかないと」
その姿はやはり「冷酷」な公爵令嬢だった。
それからクラウディアに連れられ、レインはブリットモア王国の各村を回り、魔法陣を刻み、結界術式を発動し、クラウディアが周囲の魔物を討伐する旅となった。
「これからも定期的に魔物を狩らないといけないわね。国が回復して、兵士を編成できるようになるまでは定期的に魔物を狩らないと……。レインも手伝ってくれる?」
「もちろんです」
レインは笑顔で答えた。久しく感じていなかった充実感を感じていた。
ブリットモア王国の各地を巡る旅は二ヶ月ほどで終わり、その一ヶ月後には作物が実り始め、それは王国中の歓喜をもたらしたのだった。
※
ブリットモアの王都に戻ってしばらくしたある日の夕方、クラウディアが普段とは違う雰囲気のドレスを纏っていた。
黒に近い濃紺の質素なデザインで、裾にだけ銀糸で刺繍がされていた。
「今日は一段とすてきですね」
レインの口から素直にそんな言葉が出た。
「そうかしら」
クラウディアはやはり表情を変えずに答えた。
「どこかにお出かけですか?」
「レイン、あなたもよ」
「え?」
「これから夜会に行くの。準備なさい。お父様の礼服を貸してあげるわ。私のドレスと同じ色だけど構わないわよね?」
「夜会」と聞いて、レインは自分がヴァレンティア王国からの追放を宣告されたあの夜会を思い起こしていた。
「どうしたの? 顔色が悪いわね」
「『夜会』は苦手なんです」
クラウディアが小さく笑みを浮かべる。
「それでは貴族としては生き残るのが難しいでしょうね」
クラウディアに無理やり連れられ、レインは夜会が開かれるブリットモアの王城へと向かった。
ブリットモア王国でのレインには、男爵令息という下級貴族の身分すらなく、王族や貴族が参加する夜会で、どれだけ蔑まれるか、想像するだけで気が重くて仕方がなかった。
「少し遅れてしまったわね。レインがぐずるからよ」
非難する言葉のわりに、クラウディアの口調はどこか嬉しそうでもあったのがレインに違和感を与えた。
一方のレインは、余所者の元男爵令息が遅刻までしたと考えただけで、胃の痛みがいっそう重くなるのだった。
王城の王広間の扉から、室内の人々の話し声が聞こえた。
レインはいよいよいたたまれなくなり、本気で引き返して逃げようと考えたが、その考えを見透かしたかのように、クラウディアが腕を組んできた。
「行きますわよ」
扉が軋んだ音を立てて開くと、中に何十人もの王侯貴族らしき人々がおり、視線が一斉にクラウディアとレインに集中し、夜会の会場が静まり返った。
レインにはその視線が余所者の貴族崩れを品定めし、蔑もうとする視線のように思えた。
それは突然のことだった。
わずかな間の静寂の後、暴風のような歓声と雷のような拍手の音が広間に響きわたった。
レインはその熱気に圧倒された。
「ついに英雄レイン様の登場だ!」「救国の英雄だ!」「ありがとう!」「感謝してもしきれぬ!」
夜会の参加者たちが口々にするのは、レインへの賛辞と謝辞だった。
レインは状況が理解できず、クラウディアの顔を見る。
「聞いてのとおり、王国中があなたに感謝しているのよ」
レインにはそれが信じられなかった。
ヴァレンティア王国では、常に聖女の陰にいる地味な補助魔導士で、聖女がいかに偉業を成し遂げようとも、自分が賛辞を受けることなど一度としてなかった。聖女ですら、どのような偉業も「聖女ならば当たり前」のことだと捉えられ、ここまで感謝されているのを見たことがなかった。
「何なんですか、この国は……?」
「気に食わないの? 助けてもらったら謝辞を示すのは当然のことじゃない」
「僕はただ各地の神官を補助しただけです。うまくいったのは僕の力ではなく、国を想う神官たちの魔力のおかげです」
クラウディアはため息をついた。
「私は初めてあなたにお会いしたときから、ずっとあなたが欲しいと思っていたの。
ヴァレンティア王国の聖女の魔力がすばらしいのは言うまでもないのだけれど……あのとき聖女の『回復』を受けて、私が本当に感心したのは、あなたの補助魔法のほうだったのよ。
聖女の魔力には、変な話だけれど、少し暴力的な気配があったわ。でもそれを繊細に制御して、とても優しい魔法にしてくれていたのはあなたの補助魔法だとすぐにわかったの」
「そうは言ってもただの補助魔法ですよ……」
「これだけ言っても謙遜するのね」
「謙遜ではなく事実……」
「そういうところも好きだわ」
クラウディアがうっすらと笑みを浮かべる。
「え?」
「……ごめんなさい。何を言っているのかしら、私。さあ、ご挨拶に回りましょう」
クラウディアは国王をはじめ、王族や貴族の面々にレインを紹介して回った。誰もレインを見下し、蔑もうなどとはせず、ただただ称賛し、感謝してくるのだが、慣れない状況にレインは戸惑うばかりだった。
その中の一人の貴婦人がクラウディアに声をかけた。
「あら、お揃いの礼服で……クラウディア様はレイン様のことが本当にお好きなのよね。冷酷無比の『剣姫』と呼ばれるクラウディア様が、まさか男性にご興味を持つようになるとは想像もしませんでしたわ」
そう言われたクラウディアが婦人を睨む。
「あら、怖い。でも皆、存じてますわよ。レイン様、クラウディア様はお会いするたび、あなたのお話ばかりするの」
レインがどう応じたものかわからず戸惑っていると、クラウディアがぐいっと手を引いた。
「もうその方は放っておいて次に行くわよ」
そう言いながら、クラウディアが足を止めた。
「……気になる?」
クラウディアがレインに尋ねた。
「何がです?」
「その……私があなたを……す、好きかどうか……」
そんなたどたどしい話し方をするクラウディアを見るのが初めてで、レインは衝撃に近いものを感じた。
「いえ……僕のようなつまらない人間が、クラウディア様のようにお美しく優れたお方にご好意を受けるなど想像もつきません……」
「本当につまらない人ね」
クラウディアが口を尖らせ、拗ねたように言った。
※
慣れない夜会の翌朝、レインは疲れで昼頃まで眠ってしまっていた。
「レイン……」
部屋の外から声がして、レインは目が覚めた。
ベッドから起き上がり、返事をした。
「どうされました?」
「ちょっと話したいことがあるの」
レインはその緊迫した声に胸騒ぎを覚えた。
「実はヴァレンティア王国から、何度か使者が来ていたようなの。もし、レイン・グレイヴという男が来ていたらヴァレンティア王国に返せって」
「え?」
レインは耳を疑った。
——あれだけの辱めを与えて追放した王国が戻れと?
「……にわかには信じ難いことです」
「もし、レインに戻りたいという気持ちがあったのなら、とても申し訳ないと思って……」
エリシアの顔がレインの脳裏に浮かんだ。それと同時に、自分のことを「聖女の邪魔」と言い放った王太子アルベルトのこともよぎった。
「いくら請われても、今さら帰りたいとは思いませんよ」
「そう……。それならよかったわ。私もあなたを奪われると思うと……」
「僕もクラウディア様といるのが心地よくなってしまって。甘えてばかりなのも申し訳ないのですが」
「……そんなの……ずっと甘えていたらいいじゃない」
「はい?」
クラウディアは慌てたように話題を変えた。
「もう一つ不審なことがあって……。ヴァレンティア王国がブリットモアに攻め込んでくる気配があったの……」
「何ですって?」
「私たちがあなたを匿っているとでも思ったのかもしれないわ。いなくなって初めてあなたという存在の大きさに気づいたのでしょうね……。そこまであなたは大事な存在なのよ」
「そんなことはあり得ません! 僕がどれだけの侮辱を受けて追放されたと思っているんです?」
突然怒鳴り声を上げたレインにクラウディアが唖然とした。
「申し訳ございません……。それで、彼らは攻め込んでくるのですか? 何とかしないと……。交渉して止められないでしょうか? 無益な争いなどすべきではありません。せっかくブリットモアも復興を始めたところなのに……」
「交渉の必要はないわ」
「なぜです? まさか戦うおつもりですか?」
「ヴァレンティア王国の軍は、消えたの」
「は?」
「攻め込んでくるはずの軍が消滅したの。だから戦う必要はないし、昨晩、夜会を設けることもできたの」
レインはわけがわからず混乱した。
しかし、すぐに一つの可能性に行き着いた。
——もしそんなことがありうるとしたら……
「エリシア様……」
レインは久しく口にしていなかったその名を呟いた。
※
レインはすぐに旅の準備を始めた。
一人で行くつもりだったが、クラウディアもついていくと言い張った。
ヴァレンティア王国に到着するなり、レインは異変に気づいた。
——瘴気……
「なぜだ……」
守護結界の魔法陣は王都の大聖堂の大理石にしっかり刻まれ、簡単に磨耗するはずはなかった。エリシアはただそこに定期的に魔力を注ぐだけで結界を維持できたはずだった。
だが、明らかに結界は壊れていた。
そして、異変は結界だけではなかった。
——人が少なすぎる。
レインは王都の大聖堂に急いだ。
瘴気にあてられた土地は灰色になり、植物は枯れていた。それだけではない。王都に近づくほど、地面にうずくまり、あるいは倒れている人々が多く見られた。
ようやくたどり着いた大聖堂にも、やはり人の気配が感じられなかった。
「クラウディア様……ここまで一緒に来ていただいて大変申し訳ないのですが、ここで待っていただいてもよいでしょうか?」
「えっ?」
「おそらく、ここに、ヴァレンティア王国で僕が唯一大切に想っていた方がいます。そして、この異変の原因も、その方と僕自身が関係していると思います。
あなたにはご迷惑をかけることができない。僕ひとりで決着をつけなければならないのです」
「レインの大切な人……? 聖女エリシアのこと? 私は邪魔だということなの?」
「どうか……。お願いします」
普段は温厚なレインが、厳しい表情をしていた。
クラウディアは、それ以上異論を唱える余地がないことを悟り、唇を噛んだ。
「必ず帰ってくるのよ……」
それだけ言うのが精一杯だった。
※
神官も信者もいない大聖堂の中は薄暗く、静寂に包まれていた。
レインには、そうした人がいないことで、大聖堂がより厳かに、神聖な場所になっているような気すらした。
レインは進み、かつて自分が魔法陣を刻んだ石板のある礼拝堂の祭壇へたどり着いた。
魔法陣は変わらず、そこにあった。
そして一人の女性がその魔法陣の上に座っていた。
「エリシア様……」
レインが声をかける。
エリシアがレインの方を見る。その目は、レインではなく、レインの体を透かして、その後ろを見ているように思えた。
「礼拝にいらした方ですか?」
エリシアがレインに言った。
「僕です。レインです。ご無沙汰しております」
「……レイン」
エリシアが口にした名前が、レインにはなぜか自分のものではないように思えた。
「どこかでお会いしたことがあるかしら? 何か懐かしい感じがするわ」
「ご冗談を……。少し前まで、僕たちはずっと一緒に……」
言いかけて、レインは気づいた。
エリシアのその目は、以前、自分に向けられていたものと違う。
——エリシアは、自分を認識していない。
「何があったのですか……?」
レインの問いに、エリシアは小さくため息をついた。
「王国が消えてしまったわ……。どうしましょう……」
「どういうことですか?」
そのとき、レインの背後で足音がした。
レインが振り返ると、一人の老人が立っていた。
「大司教様……?」
老人が目を大きく開け、レインを見た。
「レイン……か?」
レインは頷いた。
「僕がわかりますか?」
「もちろんだ。よく戻ってきたな。……王国はこんな有り様になってしまったが」
「いったい何が起きたんです? 僕が知っている王国から、あまりに変わりすぎている……」
大司教が、大きく息を吐き、そして口を開いた。
「レイン、おまえが追放されて間もなくのことだ……。聖女はおまえを失って、悲しみに暮れていた。聖女にとっておまえはただの補助魔導士以上の存在だった……。わかるな?」
レインは何も答えず、大司教をまっすぐ見つめた。
「それでも王国のため、聖女は守護結界の維持に努めておった。わしにはおまえの刻んだ魔法陣と、おまえとの思い出を守ろうとしているようにも見えた」
大司教が一度口を止め、間をおいた。
「……だがな、ある日、アルベルト殿下が、聖女に守護結界の拡張と増強を要求したのだ。王太子妃ならば、王国にもっと貢献しなければならない、と言いおってな」
「拡張と……増強?」
レインには、そのアルベルトの要求の意図が理解できなかった。
「そうだ。アルベルト殿下には、ずっと野心があったようだ。ヴァレンティア王国の領土を広げるというな。そのためには、王国民を守り、他国の勢力を斥けるような結界が必要だったのだ。それで、聖女の力を兵器のように使うことを考えたのだ」
「結界は魔物を斥けるためのものです。いくら他国の勢力だろうと、同じ人間を斥ける結界など聞いたこともない。……それに、聖女様がそんな魔力制御できるはずがない……」
「わしもだが、そんなことは誰も知らんかったのだ。おまえの補助魔法が、聖女には不可欠なものだったなどとは。せいぜい聖女の負担を軽減する程度のことだと思っておった。
わしらは聖女の数々の奇跡を目にしすぎて、聖女なら、王国に敵意を持つものを浄化することくらいのこともできるのではないかと盲信しておった。
その誤った認識が、この悲劇を生んだと言ってもいいだろう……」
「聖女様は……魔法陣に、必要以上の、それも膨大な魔力を注いだのですね?」
大司教は頷いた。
「守護結界の拡張も増強もうまくいかなかった。それどころか、結界が崩れ始め、魔物も発生し始めた。聖女はついに根を上げ、レイン、おまえを呼び戻さなければ、結界は直せないと言い始めた。それで、王国も必死でおまえを探したのだが……。
やがて、アルベルト殿下は聖女を叱責し始め、追い込んでいった。聖女も必死に魔力を注ぎ続けたのだが、ついにその巨大な魔力が暴発したのだ」
「そんな……」
「それは、とても美しい魔力だったのだよ。とても人に害をなすものだとは思えなかった。しかし、それは巨大な『浄化』として、王国中に広がり、本当に人間まで消してしまった」
「なぜ大司教様はご無事なのですか? 大司教様以外にも生き残った人はいらっしゃるようですが……」
「おそらく、あの娘が無意識に浄化すべきと思った存在が消えてしまったのではないかと思う。王都に来た頃から、辺境の田舎娘だったあの娘は、聖女になるまでひどい差別を受け、聖女になってからは王都外の者から妬まれもした。心にずっと深い傷を抱えて生きていたのだ。そこに、唯一の心の支えだったおまえを失ったのだ。もう聖女の暴走を抑えるものなどなかったのだ。多くの人間が消えてしまった。王太子を含め、王家の人々、王太子の兵士、多くの神官……。聖女を利用し、縛り、傷つけようとした者たち。あるいは、あの娘の心に深く刻まれていた恐怖や憎しみと結びついた者たちが、浄化の対象になったのだろう。
おそらく、聖女自身を苛む記憶も、その浄化の対象になってしまったのだろうな。もうおまえのことも覚えていないようだ」
レインの記憶が浄化によって消されたのだとしたら……もし浄化範囲内にいたら、自分も消されていたのだろうか……。
「わしも浄化はされなかったものの、罪を背負わなければならない一人だと思っておる。聖女のそばにいながら、あの娘がどれほど傷ついていたのか見ようともしなかった。むしろ、生き残ってしまったことが罰のように思えるのだ」
「ねえ、大司教様、私、どうしたらいいのかしら?」
大司教の姿を認めたエリシアが声を上げるが、大司教は悲しげにエリシアを見るだけで何も答えなかった。
「私、魔力にだけは自信があるのよ。どなたか少し補助していただければ、何でもできる気がするわ」
エリシアの言葉にレインが反応した。
——魔法陣はまだ生きている。術式は壊れ、結界は崩れているが、術式の再発動は可能なはずだ。
「エリシア様、僕が補助します。魔法陣の術式を発動しましょう」
「あら、補助してくださるのね。それはありがたいわ」
エリシアがおもむろに立ち上がり、予告もなく詠唱を始める。
——相変わらず、下手くそな詠唱だ。
不意にレインの目から涙が溢れた。
レインが「詠唱補正」で詠唱の補正をすると、その詠唱は美しい歌のように響いた。
続けて、「魔力調律」で必要な魔力の流れを整えると、魔法陣の術式が発動し、大きな優しい魔力が勢いよく広がっていった。
ヴァレンティア王国を包み込むのに十分な強さだろう。
「何だか懐かしいような……。あなた……レイン……さん? とてもお優しい魔力をお持ちなのね」
エリシアが微笑み、そして微笑みながら涙をこぼした。
「私、何かとても大事なものを失ってしまったような気がするの。いったい何かしらね……?」
「あなたは何も失っていませんよ。大丈夫です。王国もきっと元通りになります」
そう口にしながら、レインは強い罪悪感と悔恨に襲われていた。
※
大聖堂から出ると、クラウディアが扉の横でうずくまっていた。
「クラウディア様……」
レインが声をかけると、クラウディアが顔を上げた。
いつも冷静で、表情すらほとんど変えないあの「冷酷」公爵令嬢のクラウディアが、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
「うぅ……レイン……行かないで……」
その様子を見たレインも、抑えようとしていた涙が溢れてきてしまった。
「クラウディア様……。僕はもうどうしたらいいのかわかりません……。一人で決着をつけると言っておきながら、申し訳ございません……。お力をお貸しいただけませんでしょうか……?」
「レインのためなら……うぅ……何でもするわ」
「この国を救いたいのです」
レインは泣きながら、クラウディアに首を垂れた。
クラウディアが、そのレインの腕を掴んだ。
「いいわ……。二人で、ブリットモアもヴァレンティア王国も救いましょう」
クラウディアが無理に笑顔を作って言った。
「でも、あなたは私とずっと一緒にいないといけないわ」
そう言うクラウディアの手を、レインは黙って握り返した。
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