Happiness in the Balance
「誰かの不幸の上に成り立つ幸せなんて間違ってる」
僕の友人である彼は、俯いてそう呟いた。
そして、ゆっくりと顔を上げて僕を睨み、叫ぶ。
「そんな幸せは本当の幸せなんかじゃない!」
僕も彼を睨み返した。
どうしてこんな状況になってしまっているのか、今の僕には思い出すことはできない。
けれどそのときの彼の瞳はこの上なく真剣で、僕の記憶に強く焼きついている。
だからかもしれない。ここからの記憶は何故か明瞭で、はっきりと思い出すことができる。
「なあ。違うのか? 俺が言っていることは間違ってるのか? 誰かを不幸にして幸せになったところで、それは本当に幸せになったって言えるのか?」
彼はとても悲しそうな瞳で僕のことを見つめている。
「誰かを不幸にして幸せになったとして、本心から喜べるのか? お前の心の中には百パーセントの幸せだけが残るのか?」
彼はそうやって僕に問いかける。
けれど僕は、できるだけ表情を変化させないようにして、無感情な視線を返すだけに自分をとどめる。
無言のままの僕に、泣きそうな表情の彼は怒った声色で続ける。
「少なくとも俺は違う。俺は誰かを不幸にしてまで幸せになろうとなんてしない。するはずがない。だって、そんなこと、できないんだよ……」
そこで彼は唇を噛み締めて、俯く。
つらそうな表情をしていた。
それを見ていると、僕までつらくなってくる。
彼にこんな表情をさせてしまっているすべての原因は僕にあるのだ。
「なあ」
僕は低い声で言葉を紡ぐ。
そして彼の名前を呼ぶ。「―――」
その声に、目の前で俯いていた彼は顔を上げた。
「僕は、それでも――」
その先を言うことは許されなかった。
突然、僕の頬に鈍い衝撃が走った。
刹那の間、僕の身体は地面を離れ、そしてすぐに引き寄せられる。
今度は身体の側面に衝撃が来た。
味覚が鉄っぽい味を捉える。口の中が切れていた。
脳が揺さぶられ、何が起こっているのか分からなかった僕は、このときになって初めて自分が殴られたんだと理解した。
僕を殴った張本人、友人である彼は僕を見下ろす。
反対に、僕は彼を見上げる。
視線が交錯すると、彼の目からは数粒の涙が零れ落ちた。
固く結んだ口が小さく開かれる。
「ごめん……」
怒鳴ってほしかった。
殴るのなら、もっと殴り倒してほしかった。
彼の気が済むまで抵抗せず、殴られ続けるつもりでいた。
けれど彼はそれ以上僕を殴らなかった。
いや、殴れなかったんだと、思う。
彼は涙を堪えて、唇を噛んで嗚咽を漏らさないように耐えていた。
それでも時折聞こえてくる音が、僕にも悲しみの感情を生みだす。
彼は平和主義者だ。
争うのが嫌いなだけの、平和主義者の仮面をかぶっただけの偽善者なんかとは違う。
世界中の人が笑って過ごせる日がくるといいな、と打算もなしに素で言えてしまう、正真正銘の平和主義者だ。
だから今も彼の中では後悔と罪悪感が渦巻いているのだろう。
友人を殴ったという事実が彼を苦しめている。
たとえその友人が、どんなに最悪な人間だったとしても、事実は変わらない。
口に広がっている血の味を飲み込む。
「僕はそれでも」
意識を彼の瞳だけに集中させる。
鼻をすする音が小さく聞こえた。
「それでも、幸せになるって決めた」
視界に映し出されるものは彼だけになる。
「誰かが僕のために不幸になったとしても、その結果を受け入れようと思った」
彼は口を小さく開いたが、言葉を発する前に涙が溢れ、また固く閉ざした。
僕は続ける。
「僕のために不幸になった人がいる。それは紛れもない事実で、僕の過ちだ。でもその人たちは僕が幸せになることを望んでくれた」
そこで僕はいったん話すことをやめる。
彼が小さく口を動かしたから。
音も小さくて、僕の耳までは届かなかった。
彼は僕から視線をはずし、俯いて呟く。
音は届かず、口元を読み取ることもできない。
僕はただ、彼を見つめた。
「違う」
声が聞こえた。
そして彼は勢いよく顔を上げて僕を睨む。
「違う!」
今度は叫び声。
「誰かが不幸になっているのなら、そんなもの本当の幸せなんかじゃないっ……」
彼はまた口を閉ざして、僕の言葉を待つ。
ゆっくりと、言う。
「僕に幸せになってほしいと、そう思ってくれた人たちの気持ちを無視することなんてできない。僕にはそんなこと、できなかった」
彼が何かを言おうとしたが、僕は強引に言葉を続ける。
「迷ったよ。本当に正しいのかどうか。僕はどうするべきなのか。散々迷っていたよ。
でもそんな僕に言葉をかけてくれる人がいた。
『正しいことが一番大切なのかい。正しいことを選ばなければならないのかい』
僕に言ったんだ。
『正しいことがすべてではない。もっと大切にしなければならないものはないのかい』って。
思ったんだ。
正しくなくてもいい。間違っていたとしても、僕は、僕の幸せを願ってくれた人たちの気持ちを無駄にしたくない、って」
彼が口を開く。
「それでもお前は、幸せではないんだろ。幸せになれなかったんだろ? そんなものに何の意味があるんだよ………」
そう吐き捨てて、彼は重い足取りで去っていった。
僕は誰もいない場所に寝そべったまま、独り呟く。
「分かってるよ。そんなこと。初めから分かっていたさ。こんなことをしたって、僕は幸せになれない、なんてこと。
だから、僕は罪悪感を背負って、これからも生きていくんだ」
読んでいただき、ありがとうございます。
麻道が夢で見た話、第2弾だったりするわけですけど……。
今回の描写はアレンジなしです。
台詞に関しては、思い出しながら書いているので、実際と異なる部分はあると思いますが、ほとんどそのままだと思います。
本当は、この夢の話を文章化するつもりはなかったんですが、夏休みの現国の宿題に作文がありまして。
読書感想文とかの課題の中からひとつ選択して書いてこいってヤツだったんですけど、その中に、
『わたしのこころを動かしたもの』
について1600文字程度で作文を書けって課題があったので、ちょうどいいな、と思ってこの夢の話を書くことにしたんです。
いちいち考察したりするのは面倒だったので、
「夢の描写だけで、1600文字全部使ってしまおう」
と考えたわけです。
実際書いてみたら2000文字超えてしまったので、これから余分な部分をカットしていくつもりですが、
「せっかく書いたんだから載せてみよう」
ってことで、ここに投稿してみました。
ま、どうせ入賞なんて夢のまた夢ですから、問題ないでしょう。
注意事項に「未発表の作品に限る」とか書いてなかったですし。
それに、明らかに喧嘩売ってますからね。
作文を応募するとこに、不完全ながら小説の類を応募するわけですから。