ヒトラー総統とXXI型Uボート
史実より早くXXI型Uボートが登場する架空戦記です。
ドイツ第三帝国、初代総統であったアドルフ・ヒトラー。
彼の軍隊経験は、第一次世界大戦での前線での陸戦であり、海戦の経験はなく、専門的な海軍教育も受けたことはありません。
しかし、現在にまで通じるドイツ海軍の戦略を築いたのは、海軍には素人であるはずの彼でした。
ヒトラーは、ドイツ総統になると、ドイツ海軍の軍備に大きな方針転換をしました。
それは、「Uボート優先主義」と言うべきものでした。
大型水上戦闘艦の建造を中止し、ドイツ語で潜水艦を意味する「Uボート」の大量建造に踏み切ったのでした。
シャルンホルスト級戦艦・ビスマルク級戦艦は、建造中止となりました。
当然、ドイツ海軍の大艦巨砲主義者からは反対がありましたが、ヒトラーは総統としての権力で押し切りました。
そして、大量建造されることになったUボートがXXI型でした。
このXXI型は、水中高速艦であり、数年時代を先取りしていたと、現在では評価されています。
このXXI型ですが、謎の多いUボートでもあります。
XXIはローマ数字で「21」ですが、当時建造されていたUボートの型式番号をかなり飛ばしています。
それに、誰が設計したのかが、現在でも不明です。
ヒトラーが自ら設計図を海軍に提供したとされていますが、ヒトラーかどこから設計図を手に入れたのかが分からないのです。
海軍から「どこから設計図を手に入れられたのですか?」と質問された時、ヒトラーは自分の頭を指差して「未来への戦略の一部として私の頭の中にあるのだ」と答えたと言われています。
もちろん、冗談でしょうが、ヒトラーは的確に未来を予言したとしか思えないことがいくつもありました。
ヒトラーが総統になってからの再軍備宣言・ラインラント進駐・オーストリア併合・チェコ併合、とドイツは武力を背景に勢力を拡大しましたが、その実体は薄氷を踏むものでした。
もし、この時点で、イギリスやフランスが直接武力介入したらドイツは敗北していたと、晩年の回顧録でヒトラー自身が認めています。
ですが、ドイツ政府や軍部の上層部が英仏の介入を怖れている状況で、ヒトラーは過去に同じ体験をしたように落ち着いた態度だったそうです。
1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻すると、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告したので、ドイツ政府・軍部は戦々恐々としましたが、ヒトラーは「落ち着け、イギリスもフランスも本格的な武力介入はまだだ」と言って、現実もその通りになりました。
アルデンヌの森を突破したドイツ軍のフランス侵攻作戦は順調に進展し、英仏連合軍はダンケルクに追い詰められました。
ダンケルクでドイツ軍に包囲された英仏連合軍は、海から撤退しようとしました。
ドイツ軍では酷使された装甲部隊を温存し、空軍に任せるという案も出ましたが、ヒトラーは「ぐずぐずしてないで、装甲部隊をダンケルクに突っ込ませろ!」と興奮気味に命令しました。
ダンケルクでの英仏連合軍の包囲殲滅に成功し、フランス政府は降伏、イギリス政府は戦争継続の意思を示しましたが、本土防衛用の兵力すら不足するありさまでした。
イギリスは、アメリカに援助を求めました。
しかし、アメリカ政府はともかく、アメリカ国民の世論は避戦の意見が多く、アメリカ軍の欧州への派遣は難しかったのです。
アメリカはイギリスへは低利での資金の貸し付けと物資の提供が精一杯でした。
アメリカが提供する物資は、イギリスが自国の船舶で輸送しなければなりませんでした。
そこをヒトラーは狙いました。
アメリカからイギリスへ向かうイギリス船籍の商船を狙うようにドイツ海軍に命令したのでした。
同時に、アメリカの船は、軍艦も商船も絶対攻撃しないよう厳命しました。
ヒトラーはアメリカの参戦を怖れていました。
「あの物量は我々から見たら無限大だ。欧州と太平洋の両方に戦線を持っても支えられる」
とヒトラーは発言しています。
ドイツ・イタリア・日本で結ばれた日独伊防共協定を正式な軍事同盟にすることには、ヒトラーは断固反対していました。
特に日本がアメリカと開戦することで、ドイツもアメリカと戦争しなければならなくなるなことを怖れていました。
しかし、ヒトラーは日伊に気を遣わなかったわけではありません。
ドイツ軍のオランダ侵攻時、ヒトラーは空挺部隊を投入し、オランダ王室メンバーを全員保護し、カナダに避難したオランダ亡命政府は正統性が薄くなりました。
オランダ本国政府は、オランダ領東インドの蘭印総督府に石油を日本に売却するよう指示しました。
もちろん、裏にはヒトラーの圧力がありました。
日本との関係が悪化していたアメリカ政府からの抗議はありましたが、蘭印総督府は日本に石油を売却しました。
日本はアメリカから石油が輸入できなくなったことで、対米戦を考えていましたが、蘭印からの輸入が可能となったことで、取り止めました。
アメリカ政府は対日戦を考えていましたが、日本から奇襲攻撃でも受けなければ、国内世論が納得しませんでした。
蘭印の石油は、イタリアにも輸出され、イタリアはエジプト侵攻を考えていましたが中止しました。
ヒトラーは、日伊が戦争を拡大することで、それに巻き込まれることを怖れていました。
ヒトラーがイギリスを降伏に追い込むための作戦は、当時の日本の新聞が報じたように「飢え殺し」でした。
日本の戦国時代に、敵の城を完全に包囲し、補給線を絶ち、敵が城の中の食糧を食べ尽くし、降伏させるという作戦がありました。
ヒトラーはイギリス本土をUボートにより、「飢え殺し」したのでした。
XXI型Uボートはイギリスの商船攻撃に大活躍しました。
水中を高速で動き、魚雷を放つXXI型Uボートは、低速の対潜護衛艦では、ほとんど対応不可能でした。
ヒトラーはXXI型Uボートの存在を極秘とし、数の上での主力は旧式のUボートだったので、イギリスはXXI型Uボートの存在そのものになかなか気づきませんでした。
結局、国民に大量の餓死者を出したイギリスは降伏しました。
ヒトラーは、ポーランドの西半分からイギリスまでを征服した欧州の覇者となりました。
ドイツ国民の大多数は、ドイツの周囲に敵はなくなったので、「ドイツによる平和」の到来を心から喜びました。
しかし、戦火は去ってはいませんでした。
1941年6月、ソ連が不可侵条約を破り、ポーランド分割線を突破して、ドイツに攻め込んだのです。
ソ連の独裁者であったスターリンは、欧州の覇者となったドイツを怖れて、武力による打倒を決意したのでした。
独ソ戦における陸戦はあまりにも有名で、本題であるXXI型Uボートとは話が外れるので省略します。
あまり知られてはいませんが、独ソ戦でもXXI型Uボートは活躍しています。
苦戦したソ連はアメリカに援助を求めました。
アメリカ政府は、ソ連がドイツに敗北し、ドイツが今以上に強大化するのを阻止したかったのですが、国内世論の反対により、直接的な武力介入は不可能でした。
そこで、アメリカ政府は、ソ連政府に借款し、その資金で、食糧・医薬品・トラックを購入させました。
問題は輸送方法でした。
ソ連の保有する船舶では数が足りず。
アメリカの船員は、Uボートに攻撃される可能性のあるソ連への航海を拒否しました。
アメリカ政府は船舶もソ連に売却し、ソ連が船員を用意することになったのです。
対潜用護衛艦も非武装でソ連に売却し、ソ連で武装することで、「民間船舶の売却」として、アメリカは表向きは「中立」を守りました。
とても中立とは言えないアメリカの行動でしたが、アメリカとの戦争を避けていたヒトラーは黙認しました。
結論から言うと、ソ連の船団は、XXI型Uボートにとっての「狩りの獲物」でした。
ソ連もアメリカもXXI型Uボートの存在に気づいておらず。
イギリスから対潜戦術も伝わっていなかったので、ソ連海軍の対潜戦は稚拙でした。
必要な物資が届かなかったソ連はドイツに敗北し、モスクワにはハーケンクロイツの旗がひるがえり、スターリンは自殺しました。
戦後、ヒトラーは、ドイツ・イタリア・日本との間に正式な軍事同盟を結びました。
直接的な軍事介入はしなかったアメリカとの「冷戦」が始まっていたからです。
旧ソ連領まで併合したドイツでも一国ではアメリカと対抗するのは、難しかったからです。
ドイツは、軍事技術をイタリア・日本に供与し、占領地の食糧・資源を格安で売却しました。
イタリア・日本はドイツからの軍事技術と食糧・資源が不可欠のものとなり、ドイツの盟主としての地位は確定しました。
2026年現在も、独伊日同盟とアメリカとの冷戦は続いています。
イタリア海軍と日本海軍は、巨大戦艦と巨大空母を主力とし、大西洋と太平洋でアメリカ海軍とにらみあっています。
ドイツ海軍は、現在も大型水上戦闘艦は保有せず。原子力Uボートが主力となっています。
ヒトラー初代総統の「Uボート優先主義」は今も生きています。
核ミサイル搭載原子力Uボートは、いつの日かアメリカに鉄槌を下すために海中で待機し続けています。
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