8.
「え、王?」
それは、まるで互いの身分を知っているような口ぶりであった。
「いや、お前何故そのような偽装をして…」
「ゃえ?鳥羽さん?この子の事知って―――」
「―――solve.」
振り上げられる右手は、古見の頭に直撃し鈍くも軽い音が響く。
「…やはりお前バフォメットだな?その狭義錬金術の右手、それ、左も見せてみろ。」
「…君には隠せないね、ほら。」
"solve et coagula"
鳥羽と名乗る者の右腕にはsolveと、左腕にはcoagulaと、明確に紋様が記されていた
「溶解し、凝固せよ…ラテンの語で書かれた黒山羊の二相教理。」
「うん、合ってるよ、バレると結構面倒だから彼女には眠ってもらった…それよりも」
王の目の前で語る声は女性的、しかし体付きは起伏の少なく、それでいて肩幅は狭い。
「どうして君がここに?」
「それはこちらの句だ、何故お前が人間界に…そもそも、異端審問で死んだのでは無かったのか?」
瞳孔が横に長くなり、その黒い髪は風が無いというのに靡いている。
「…まぁ、そもそもの役割が均衡だからね、死ぬとか言う概念が無いんだよ」
「成程?では何故力の名を冠した組織に?」
「均衡を保つためにはね、力が必要なんだよ。」
繰り広げられる質疑応答の場は、4人中二人が人外でもう二人が入眠している不可思議な状況であった。
「それで?君は…まぁどうせ回収かな?」
「是、お前ここの指導層かそこらだろう、ならば話は早い、彼の半島に余を遣わすが良い。」
「いや〜…そもそも君、人権無いし渡航出来ないんだよねぇ…」
無情かな、やはり人の身に堕ちるそれ即ち数多の弊害が迫りくると同義。
「であれば余をテットへ編入させよ、即刻にも彼が半島へ行かねばならない」
「おっ、丁度その話をしようと思ってたんだよ…」
薄い鞄は地に置かれ、寝息と共に紙の擦れる音が王の前に立つ
「君、イタリアで任務してきてよ。」
「…ほう?」
それは、怪異発生報告書、イタリアの語で書かれ解像度の荒い写真にはローブを着た肉がぐちゃぐちゃの恐ろしい怪物が映る。
「ここテットでは、ある程度の任務をこなすと階級が与えられ正式に一員となって、階級が上がると自由行動が出来る、良い条件じゃないかな?」
「…なるほど、お前が何を考えていようがどうでもよい、その条件、呑もう。」
「ありがとね、訓練とかそういうのは僕が工面しておくからさ。」
その締結の握手は、左手で行われた。
「ちょっとここじゃなんだし、少し歩こうか。」
「うむ、お前の配下に着くとは思わなんだ、がお前程度に頭を垂れる余だとは思うなよ。」
「…ぁー、はいはい、君はそういうんだったね。」
開く扉は光を迎え、歩む二人は其々の話を始める
「20分後にイタリアを案内してくれる人が航空機で来るんだけど…ちょっと癖が強くてね」
「お前とは別行動か、全く侘びしいものだ。」
「ああそうだ、気付いてるとは思うけど、君ちょっと人間社会では気難しい性格だから均衡を取らせてもらったよ。」
目覚めから数十分、あれほど憤っていた雨眠の所業を許し、もう良いとまで言った王、それには理由が付着していた。
「なるほど、人の身という矮小な物に余の精神が耐えられない、であれば余の魂を縮め均衡を図った、だな?」
「まぁね、でも濃度や本質は変わってないからさ、許してよ。」
テットの施設は意外にも、観葉植物立ち並ぶ無機物感を消した穏やかな雰囲気が漂っていた
「怪異の情報はさっき渡した報告書にある、それで…」
「…余の身なり、そうだろう?」
「うん、君何故か幼児の見た目だし、その冠も、洗ったほうが良いんじゃない?」
短き手足、余った袖、汚れた冠…
その全ての要素が、王の威厳を欠いていた
「見た目のみで王の尺度を…と言いたい所だが、あるに越したことはない」
「じゃランドリールームはそこの角を曲がったらあるから、僕ちょっと仕事が多くてね…ここで退場させてもらうよ。」
後ろ姿は遠く、歩く姿勢は均等な力配分
その違和感が、均衡の黒山羊たる由縁だ。
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「………」
「………?」
妙な静けさが漂うランドリールームは、洗濯槽の揺れる音だけが白い壁に反射していた
「………」
顕現せし、この場において最もの不和を纏った異物。
「貴様、何奴だ。」
全身が包帯に巻かれ、封じられた関節はぎこちない動きを余儀なくされていた
「………ん゛」
白き帯の隙間から見える肌は全て赤く火傷跡、頭頂部からぴょこっと顔を覗かせる赤毛の浮毛は可愛らしく、その違和感を増幅させている
「二度は同じ問いをしない、答えろ、貴様は誰だ?」
「………み゛っ゛た゛」
焼けた喉から発せられる声は枯れ、掠り、地獄の番人のような発音を可能としていた




