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声なき令嬢と心を聴く公爵~無能と蔑まれた私、実は国を守る結界魔法の使い手でした~  作者: 九葉


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第1話

壁にかけられた魔法の光球が、大理石の床を白く照らし出している。

磨き上げられた床には、着飾った貴族たちの姿が万華鏡のように映り込み、弦楽四重奏の優雅な調べが、彼らの楽しげな囁きと混じり合っていた。


王宮で最も豪奢なこの大広間の空気だけが、なぜか今、ひどく冷たく、重い。


「セレスティア・フォン・クラウゼル。そなたとの婚約を、これより破棄する!」


高く、張りのある声が、音楽を無慈悲に断ち切った。

私の婚約者、アルフォンス皇太子殿下の声。

その声に含まれた苛立ちと侮蔑の色を、この場にいる誰もが感じ取ったことだろう。


視線が、痛い。

好奇、憐憫、そして嘲笑。幾百もの針のような視線が、私一人に突き刺さる。

私はただ、背筋を伸ばし、そのすべてを無表情に受け止める。


(ああ、やはり、この日が来てしまったのですね)


心の内で静かに呟き、ぎゅっと拳を握りしめた。ドレスの上質な絹地が、汗ばんだ手のひらでぐしゃりと音を立てる。

冷静にならなくては。

感情を乱せば、魔力が揺らぐ。私の魔力が揺らげば、この国を覆う大結界に、ほんのわずかな亀裂を生んでしまうから。


「理由は分かっているな? この私、次期国王となるアルフォンスの妃が、声も発することのできぬ『声なし』であってはならない。魔力の一つも持たぬ『出来損ない』であってはならないのだ!」


殿下の言葉が、追い打ちをかけるように広間に響き渡る。

『声なし』『出来損ない』。

幼い頃から、ずっと投げつけられてきた言葉。投げられる石つぶてよりも、ずっと鋭く心を抉る刃。

痛みには、とうに慣れているはずだった。

それなのに、今宵のその言葉は、まるで鉛のように重く、私の胸の奥にずしりと沈み込んでくる。


(違います、殿下。わたくしには、魔力があります。この国を、そこに住まう人々を、闇に蠢く魔物から守るための、膨大な力が……)


けれど、その真実を伝える術を、私は持たない。

私の魔力は、そのすべてが声になることなく、この国の安寧を保つための結界へと変換され続けている。それは、我がクラウゼル公爵家に代々伝わる、あまりに重い宿命。


ふと、アルフォンス殿下の隣に立つ、華やかなドレスをまとった妹のフローラの姿が目に入った。

不安げに殿下を見上げながらも、その瞳の奥には、隠しきれない勝利の色が浮かんでいる。


「そして、セレスティアに代わり、私の新たな婚約者を紹介しよう。彼女こそ、次期国母にふさわしい! 類まれなる美貌と、強大な攻撃魔法を操る、フローラ・フォン・クラウゼルだ!」


殿下がフローラの肩を抱き寄せると、広間から、先ほどまでとは打って変わって、祝福のどよめきが湧き上がった。

フローラがはにかみながら優雅に一礼すると、彼女の指先から、挨拶代わりの魔力の光が蝶のように舞い、きらきらと広間を飛び交う。

目に見える、分かりやすい才能。人々が称賛し、求める力。


私には、それがない。


「セレスティア。ここにサインを」


差し出されたのは、婚約の破棄を証明する羊皮紙。

私は静かに一礼し、侍従が持つインク壺と羽根ペンを受け取った。震えそうになる指先に、ぐっと力を込める。

ここでみっともない姿を晒せば、クラウゼル家の、そして何より、この役目を授けてくれた今は亡きお母様の名を汚すことになる。


サインをしようと身をかがめた、その瞬間だった。

ふと、広間の隅に立つ一人の男性と、視線がかち合った。

ナイトレイ公爵家の、リアム様。

黒い軍服に身を包み、他の貴族たちの輪から外れ、まるで氷の彫像のように静かに佇んでいる。

人の心の声が聞こえるという特殊な能力を持つがゆえに、人を寄せ付けない──そう噂される彼の瞳は、夜の湖のように深く、底知れない色をしていた。


誰もが私に侮蔑の視線を向ける中で、彼の瞳だけは、違った。

そこには憐憫も嘲笑もなく、ただひたすらに静かな光が宿っている。まるで、私の魂の奥底までを見透かそうとするかのように。

ほんの数秒。

けれど、それは永遠にも感じられる時間だった。


私はすぐに視線を逸らし、羊皮紙の上に、よどみなく自分の名を綴った。

セレスティア・フォン・クラウゼル。

インクが乾く前に、そっと羊皮紙を殿下の方へ押し返す。


これですべて、終わり。


私は誰にも表情を読み取らせぬよう、完璧な淑女のカーテシーを一つだけ残し、ゆっくりと踵を返した。

背中に突き刺さる、フローラを称賛する声と、私への嘲笑。

そのすべてを雑音として聞き流し、一歩、また一歩と、大理石の床を踏みしめる。


もう二度と、この場所に戻ることはないだろう。

それでも、いい。


(どうか、皆さまが、末永く平和でありますように)


大広間の重厚な扉に手をかけた時、きつく握りしめた拳の中で、左腕にはめられた腕輪が、ひんやりとした感触で私の存在を肯定してくれているような気がした。

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