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ただの少女

魔物に襲われ、もう喰われる寸前。恐怖に身を震わせ、死を覚悟し、目をぎゅっと瞑った。


だが、いつまで経っても痛みは襲って来ず、恐る恐る目を開ける。


「…もう大丈夫ですよ、安心なさってください」


そこには一人の少女が立っていた。


亜麻色の緩やかに波打つ髪は低い位置で一つに結われ、ガーネットのような赤い瞳は優しげに細められ、こちらをしっかりと捉えている。この場に全く相応しくない、か弱い少女に見えることと同時にどこか異質さを感じられた。


ただその後ろには腹を貫かれた魔物が横たわっており、それが現実に引き戻してくる。血みどろになった一帯とは裏腹に、裾に金糸の刺繍を施した少女のケープには返り血一つ付いていなかった。


「その傷は塞がる前にしっかりと消毒なさってください。魔物は衛生面で最悪ですから、病気になってしまうかも。」


そう言って携帯していた小さな瓶を取り出すと、差し出される。呆気にとられたまま無意識に受け取ると、彼女は笑った。


「怪我や病気を治せる夢のような魔術があれば便利ですけど、お医者様の仕事の問題もありますしね」


我々も手を出しづらい分野でして…と言ったところで次には包帯を手渡される。相槌すら打っていない私に嫌な顔一つしなかった。


「手当てまでして差し上げるべきところですが、申し訳ありません、別の場所へ行かなくては。お気をつけてご帰宅ください」


綺麗な所作で頭を少し下げると、気が付いたら彼女はもういなかった。もしかしたら魔術か何かを使っていたのかもしれないが、当時の私の記憶は曖昧であり、確信はない。ただ覚えているのは黒いローブの人間たちがどこからか現れ、魔物を回収していったことだけだ。やはり魔術師とは不思議なものである。


後から知ったことだが、その少女の名前はアベリア・ティアード、最年少で王家直属魔術師と呼ばれる最高位の魔術師になった有名な人物だった。


・・・


チェスナットブラウンのブーツを鳴らし、洗練された廊下を歩く。すれ違う人間はその場に立ち止まると、彼女に頭を下げた。その様子にいつも少し困ったように眉を下げる彼女は、まだ齢十七の娘だった。


「おはよう、アベリア」


「おはようございます、ノアさん」


自身の割り振られた仕事部屋に着くと、ノックをして入る。先に居た上司は、入って右側の席でカップを片手に書類と向き合っていた。さらりとした黒い髪と、透き通るセレストの瞳。スラリとした体躯がよく映える黒いシャツには、ボタンの間隔を埋めるように金糸の精巧な刺繍が施されている。


美形とは、このような人のことを指すのだろう。


彼、ノア・アイビーは椅子から立ち上がると、戸棚へと爪先を向ける。


「わざわざありがとうございます」


「どういたしまして。今日は寒いからね」


ポットに入った珈琲を慣れたように魔法で温めると、カップに注ぎアベリアの机の上に置いた。瞳の色によく似た魔石が付いた杖は、およそ手首から肘までの長さで、枝のように細い。


王家直属魔術師と呼ばれる魔術師は、名の通り王命により動く少数部隊である。実力は桁違いで、現在の人数は僅か六人。エリート中のエリートだ。


そして王家直属魔術師である証として、仕事着には金糸で特別な刺繍が施されている。精巧なその刺繍は、魔術師なら誰もが憧れるものであった。


大きな部屋の窓から覗くのは、美しい緑と上品な庭園。王宮の敷地内にあるのだから、整備されていて当然といえば当然なのだが、やはりその風景は素晴らしく、アベリアは珈琲を口にしながらほっと息を吐いた。


「今日は任務もお互い無いし、肩の凝る書類業務だ。もっと小さな任務でも良いから回してほしいよね…」


そんな優雅なアベリアを見て、遠い目をしたノアが不満を溢す。始業時間までには余裕があり、毎日この時間は、他愛もない言葉がポツポツと交わされる。アベリアはそんな時間が好きだったりもする。


魔術を使うのは決して綺麗なことだけではない。元より、魔術は戦闘に使うものではない。例えば人の力では足りない、瓦礫の撤去や物資の運搬、家屋の保温や大衆向け、貴族向けの芸道。残念なことに、それらに駆り出されることは殆どなく、魔物や悪人に向けて放つ攻撃ばかりだ。


「…私たちがもうずっと幼い頃には、美しい魔術がありましたね」


「…そうだね」


一瞬、少しだけ目を丸くしたノアが、懐かしむように微笑んだ。


「ネルシェリーンの花祭には、両親に連れて行ってもらいました。私はあの祭りを見てから魔術を好きになったんです」


広大なネルン公爵領の中にある一つの町、ネルシェリーンでは、毎年伝統的な祭りが行われていた。腕利きの魔術師が集い、町を走り抜けるような柔かく暖かい風を起こし、花弁をその風に乗せて町中へと届けるのだ。


時期で言うと、今の寒い冬を越して雪が溶け始める頃だろうか。


「もうあの祭りが行われることはないんでしょうか」


十二年前のある出来事を境に、ネルシェリーンで花祭は一度も行われていない。


「ネルン公爵の御子息が亡くなってから、もうずっとネルシェリーンは暗がりの中だ」


「養子を迎えたと聞きましたが、あまり上手く行っていないとか…それすらも噂でしかないですけれど」


すると、ノックが三度鳴る。二人の会話はぴたりと止まり、ドアの方へと注目する。


「失礼します、お二人にお話が…」


・・・


「噂をすれば」


「何だ、噂って」


司令部のマーヴィン・エイダンはかっちりとスーツを着こなしネクタイを結んだ長身の女性だ。仕事の出来る有能な人であり、実は甘い物好きの可愛らしい人であることをアベリアは密かに知っている。


「いやーさっきアベリアと話してたんですよ」


「そうか。まぁそれはどうでもいいんだが…取り敢えず内容は会って直接聞く方が早いと思う。隣の応接室に向かってくれ」


「誰がいらしてるんですか?」


アベリアは問う。依頼自体、基本的に書類で送られてくることが多く、対面で話を聞くにしてもこちらが出向く場合が殆どだ。ネルン公爵家も過去に依頼してきたことがあるが、前者であった。


「…エルシャ・ネルン公爵令嬢だ」


「え、ネルン公爵令嬢って…養女の?まだ十歳とかじゃありませんでしたっけ」


ノアが聞き返す。


「…御者を一人そのまま連れて来たようだ。馬は王宮付きに見させている。」


二人とも面倒事は避けたい主義ではあるが、同時に書類作業よりも任務のほうが断然好きだった。


















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