6 王宮魔術師の訪問
王宮魔術師。
それは、王国に仕える優秀な魔術師に与えられる称号だ。
国内最難関の試験を合格した彼らの能力は高く、魔法界の上位1パーセントである二級以上の魔術師たちによって占められている。
門番さんとお父様に連れられて入った応接室には四人の大人がソファーに腰掛けていた。
その中に知った顔を見つけて、歩み寄る。
特級魔術師ローレンス・ハートフィールド。
弟子にしたいと言ってくれた、アリアにとっては念願の魔法のお師匠様。
隣に座って、いつも持ち歩いている手帳に文字を書く。
〈ローレンスさんも王宮魔術師なんですか?〉
アリアの問いに、ローレンスは首を振った。
「三年前まではそうだったけど今はフリーランス。いろいろと手続きとか書類仕事とかが面倒でね」
(ふりーらんす……! なんかかっこいい響き……!)
大きくなったら自分もふりーらんすになろう、と思っていると、視界の端で動いたのは片眼鏡の女性王宮魔術師さんだった。
ゆるふわなボブヘアーの彼女は身を乗り出して言う。
「興味深い。実に興味深いです。この子が聖壁を……」
片眼鏡に手を当て、観察するように見つめてから言った。
「すみません、不躾でしたね。私はリズベル・ミストレル。王宮魔術師団に所属する一級魔術師です」
にこりと目を細めるリズベルさん。
アリアは、手帳を取り出して最初のページを開く。
〈わたしはアリア・フランベールです〉
驚いた様子はなかった。
多分、アリアが話せないことはローレンスさんから聞いていたのだろう。
「綺麗な字。たくさん魔法式を描いてきたからですね」
手帳を見つめて言うリズベルさん。
(良い人だ……!)
優しい大人の女性。
早くも好きになってしまいそうなアリアに、右側のソファーに座った赤髪ピアスの男性魔術師さんが言った。
「この子にできるとは思えないですけど。何かの間違いじゃないですか」
「いけませんよ、エリオットくん。王宮魔術師として、外部の人に接するときは尊敬の気持ちを持って丁寧に接さないと」
「フランベール公爵家の令嬢だからって気を使ってるんですか。魔法の技術がすべてなのが俺たちの世界でしょ」
赤髪ピアスさんはツンツンしているようだ。
楽しみにしていたいか焼きを誰かに食べられたみたいな、すごく嫌なことがあったのかもしれない。
(とはいえ、男性である以上世界一かわいいわたしの色香に惑わされちゃう可能性は十分にある)
アリアは気を持たせないように注意しようと思った。
「百聞は一見にしかず。議論するのはこの子の魔法を見てからにするべきじゃないかな」
穏やかな声に、向かいのソファーに座った三人がぴしりと姿勢を正す。
「君の魔法を見せてもらっていい?」
ローレンスさんの言葉に、アリアは瞳を輝かせた。
手帳に文字を書き込む。
〈任せてください!〉
「それじゃ、外に行こうか」
立ち上がるローレンスさんの袖を、アリアはつかんだ。
「ん? 何かな?」
手帳にペンを走らせる。
〈新しい魔法を開発しました! この部屋でできるので見てもらいたいです!〉
ローレンスさんはじっと手帳を見つめてからアリアの肩を掴む。
「見せて。すごく見たい」
視界の端で、声をあげたのはリズベルさんだった。
「新しい魔法!? 私も見たいです!」
子供のように目を輝かせる二人。
「所詮子供の魔法でしょう、くだらない」
「おい、やめとけって」
冷めた顔で言う赤髪ピアスさんを、ポニーテールの男性魔術師さんが諫めている。
しかし、アリアの頭の中は既に魔法のことでいっぱいだった。
大好きな魔法。
ずっと一人で続けてきた魔法。
評価してもらえる魔法が使えることが奇跡みたいにうれしく感じられる。
胸の中にあたたかいものを感じつつ、無詠唱で魔法式を起動する。
わずかな誤差も許されない超高難度の技術を、十二歳の少女は寸分の狂いもなく完遂する。
魔術師たちが目を見張る中、アリアの前髪が浮き上がり、魔法式が鮮やかに部屋を染めた。
《――振動》
十分後、王宮魔術師たちはソファーにもたれかかって意識を失っていた。
王国が誇る最も優れた魔術師たちでさえ耐えられない魔法。
(まさかここまでとはね……)
部屋の中で意識を保っていられたのはローレンスだけ。
それも、一歩間違えれば特級魔術師である彼さえ意識を持って行かれていた。
(恐ろしい……なんという威力……)
唇を引き結ぶローレンス。
力なく横たわる王宮魔術師たち。
〈やめた方がいいですか?〉
少女の問いかけにローレンスは首を振る。
「とんでもない。続けてくれ」
社会性のある大人としては誤った判断かもしれない。
しかし、ローレンスは躊躇いなくその誤りを選択した。
時に社会の規範や倫理よりも自らの興味を優先する。
優れた魔術師が持つ性向を彼は持っている。
〈こんな感じとかどうですか?〉
「そう。そこ。もっと圧して」
振動魔法によるマッサージに、声をふるわせながら言うローレンス。
筋肉を直接振動させるその感覚は、肌を介しての刺激では到達できない悪魔的な心地よさ。
血流が促進され、心地良い熱が全身を包む。
まず最初に陥落したのはリズベルだった。
真っ先に体験したいと名乗り出たリズベルは、心地良いマッサージを堪能すること一分で意識を喪失。
次に魔法を受けることになったポニーテールの男性魔術師が五十秒で陥落したのを見て、赤髪ピアスの魔術師は侮蔑の目を向けた。
「なにやってるんですか。こんなので」
「君は耐えられる?」
ローレンスの問いかけに表情を変えずに赤髪ピアスは言った。
「当然でしょ。子供の魔法で意識を失うような三流とは鍛え方が違うんで」
三十秒後、赤髪ピアスは気持ちよさそうに爆睡していた。
どうやら、一番疲れが溜まっていたようだ。
ツンツンしてるのも、疲労とストレスが原因だったのかもしれない。
アリアはローレンスに手帳の文字を見せる。
〈この人たち、どうしましょう〉
「みんな疲れてたみたいだし、寝かせとけばいいよ。身体的には急速に回復してるし、そこまで長くはならないだろうから」
〈やっぱり、王宮魔術師って大変な仕事なんですか?〉
「それは人によるかな。大変だと感じる人もいれば、楽だと感じる人もいる。部署やその人の生き方にもよるだろうし」
〈生き方が関係あるんですか?〉
「大ありだよ。何のために生きてるか、人によって違うからさ。仕事のために生きてる人にはやりがいでも、他の何かのために生きてる人にとっては苦しみかもしれない」
〈ローレンスさんは何のために生きてるんですか?〉
手帳の文字を見て、ローレンスさんは少しの間考えていた。
自分の中にある形のない答えを探しているみたいに見えた。
「……僕は約束のために生きてるかな」
〈約束?〉
「昔、ある人と約束したんだ。その約束を守るために僕は生きてる」
〈なんだか素敵ですね〉
アリアの言葉にローレンスは目を細める。
「ありがとう。君も考えてみてもいいかもしれないね。何のために自分の命を使うのか」
アリアは手帳にペンを走らせた。
〈わたしは世界一の魔法使いになりたいです〉
少し恥ずかしそうに言葉を続けた。
〈無理かもしれないけど、志は一番を目指したいなって。そうすれば、こんなわたしでも活躍できる魔術師になれるかもしれないから〉
「なれるよ。大丈夫」
ローレンスの言葉に、少女は照れくさそうに目を細める。
ポニーテールの男性魔術師が目を覚ましたのはそのときだった。
気だるげなゆっくりとした動きで、眠たそうに周囲を見回す。
「……寝てる」
隣で同僚二人が気持ちよさそうに寝ていることを確認したポニーテールの男性魔術師は、真面目な顔で言った。
「マッサージ魔法、もう一回お願いしていいですか?」