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5 新しい魔法を練習する


 アリア・フランベールの朝は早い。


 朝五時に起きると、寝ぼけ眼をこすりつつ洗面台に向かう。


 冷たい水で顔を洗って眠気を飛ばす。


 マフラーを巻いて、口元を覆う。


(目が合った使用人さんが恋に落ちちゃうといけないから)


 真面目な顔でそんな風に思う。


 小柄で木の台に乗らずには洗面台を使えないアリアだ。


 目が合った使用人が恋に落ちる確率は極めて少ないのだが、本人は真面目に気をつけないといけないと思っている。


 満足してから、自室に戻って魔法の練習に取りかかる。


 ストレッチと準備体操をする。


 素早く魔法式を描くメニューをこなす。


 朝早く起きて練習するのはアリアのこだわりだった。


 優秀な魔術師になるために何をすれば良いのか、たくさん本を読んで得たひとつの答えだ。


 その時間が最も創造性が高まり、誰にも邪魔されず存分に質の高い練習ができる。


 集中してメニューをこなす。


 次第に息が上がってくる。


 集中力が切れたら手を止めて少し休む。


 気の抜けた練習は逆効果だ。


 重要なのは回数や時間よりも、どういう姿勢で取り組むか。


 飽きないように、少しずつやり方を変えながら続ける。


 集中力が切れたら少し休む。


 これを三時間繰り返す。


 傍目には地味で味気ないように見えるこの練習が、アリアは好きだった。


 無心で繰り返しているといつの間にか時間が過ぎていく。


 自分がなくなっている、不思議な感覚が心地良い。


 加えて、毎日繰り返していると今まで気づけなかった発見に出会うことがある。


 一日か二日練習しただけでは気づけないものが、一ヶ月毎日続けたことで見えてきたりする。


 そんな小さな発見がアリアは好きだった。


 ささやかな宝物を噛みしめて、大切に頭の中に仕舞う。


 八時になると、自室の出窓を開ける。


 出窓の向こうでは、近所の猫たちが行列を作っている。


 腰をマッサージする魔法をかけると、気持ちよさそうに鳴いて、軟体動物のようにとろけている。


 屋根の上で気持ちよさそうに転がる猫たちを見て、一仕事終えたみたいな気持ちで汗を拭う。


 九時になると、両親と一緒に朝ご飯を食べる。


 朝食の後は、興味のある魔法の勉強。


 今日は、自分に使える新しい魔法を考えてみることにした。


 昨日、初めて成功した高出力の魔法。


 欠けているものへの願いをイメージするというアドバイスはすごくしっくりくるもので、自分でも驚くほどの魔法を使うことができた。


(思えば、マッサージの魔法だけうまく使えたのは振動に関する魔法だったからだったんだ)


 納得する。


 振動に関する魔法なら、自分は他の魔法よりもうまく使うことができるのかもしれない。


 声が出せなくて、出力の弱い無詠唱魔法しか使えない自分だけど。


 振動魔法なら、他の人に負けない魔法が使えるのかもしれない。


 期待があった。


 無限の可能性が広がっているような、そんな気持ちになる。


(いけないけない。期待しすぎは失敗したとき悲しくなっちゃうからほどほどに)


 こういう気持ちにアリアは何度も裏切られていた。


 人生はなかなか簡単にはいかない。


 七年間毎日練習したのに、簡単な子供向けの魔法もほとんど使えなかったアリアなので、本能的に予防線を張る習慣ができている。


 心を落ち着けつつ呼吸を整える。


 問題は、振動をどうやって魔法として形にするか。


 最初に思いついたアイデアはとてもシンプルなものだった。


 振動数を上げて爆発を起こすことができるなら、その逆ができればまた別の魔法が使えるかもしれない。


 目を閉じて、意識を集中する。


 欠けているものへの願いをイメージする。


 気持ちを声にしたくて。


 届けたくて――


 できなくて。


 そういう気持ちを全部乗せる。


 見えない何かの振動数を減らすように意識する。


 静かにすることは得意中の得意で。


 だから、わたしはこの魔法が使える。


《減振》


《減振》


《減振》


 見えない何かの振動数が減っていく。


 魔法式が鮮やかに光を放つ。


《振動停止》


 触れる空気がしんと冷えている。


 目を開けると床が一面凍っていた。


(すごい! 氷魔法だ!)


 魔法が成功した喜びに、しばしの間飛び跳ねてから我に返る。


(いけないいけない。世界一かわいいわたしの隠れファンたちをがっかりさせないためにも大人でクールな感じの振る舞いをしないと)


 余裕ある大人の魅力を醸し出せるように意識しつつ髪をかき上げたところで気づいた。


(この凍った床どうしよう)


 それから、一時間の間アリアは溶け出した氷を水拭きし続けていた。


 魔法を使うときは加減も必要であることをアリアは学んだ。






 それから一週間、アリアは寝る間も惜しんで魔法の練習に励んだ。


 多分、本当はどこかで不安だったのだと思う。


 声が出せない自分に、魔法の道を進むことはできないかもしれないって。


 だからこそ、ちゃんとした魔法が使えるという事実が何よりもうれしい。


(わたし、魔法が使える……! 使えるんだ……!)


 夢中で魔法の練習に励んだ。


 夜遅くまでアリアが練習を続けているので、お母様は心配して言った。


「アリア。魔法の練習も大事だけど、しっかり寝ることも今は大切よ」


〈でも、魔法が楽しくてやめられなくて〉


「……参ったわね。これは難しい選択だわ」


 お母様はこめかみをおさえる。


「がんばってるアリアをこのまま見ていたい気持ちもあるけど……ダメよ私、ここで止めないとアリアの身体に深刻な問題が起きる可能性がある……」


〈深刻な問題?〉


 アリアは瞳を揺らす。


「ええ。すごく深刻な問題よ」


 お母様はかすかに声をふるわせながら言った。


「身長が伸びなくなるわ」


 アリアは稲妻に打たれたように立ち尽くした。


 少しの間動けなくなってから、ペンを走らせた。


〈問題ありません。オーラを含めればわたし、身長三メートルあるので〉


「アリア、目を背けても現実は変わらないのよ」


〈目を背けてなんていません。股下も二メートルあります〉


「化物みたいな体型ね」


〈大きいんです、わたしは〉


 アリアは強く主張を続けた。


「がんばりすぎちゃダメよ」と言うお母様に見送られつつ自室に戻ったアリアは鏡で自分の姿を確認した。


 事実として、アリアの身長は低い。


 同世代に比べても際だって低いのは、魔法の勉強が好きすぎてつい睡眠時間が少なくなってしまうことと、両親からの遺伝が原因だった。


(魔法の勉強はいっぱいしたい。でも、そういえば最近同い年の子たちにどんどん離されてる感じがする……)


 オーラを含めれば身長三メートルなので何も問題はないのだが、しかし悲しいかな世間の人たちはオーラを見ることができない。


 本当の身長が伝わらない以上、現実世界の肉体の持つ仮初めの身長で測られてしまうのはままならない世界の現実である。


(そもそもオーラっていうのもわたしが悲しすぎる現実をごまかすために作り出した謎概念……いや、いけない。これ以上考えるとわたしがわたしでなくなってしまう)


 実存的危機に陥ったアリアは、不本意ではあるものの現実世界の身長を伸ばす方法を考えることにした。


(そういえば、魔法によるマッサージで身体の成長を促進できる可能性があるって書いてる本があったような)


 アリアは書庫の本をひっぱりだして視線を落とす。


 しばしの間読みふけってから、本を閉じた。


(猫をマッサージする魔法が得意だったのは振動を使うものだから。それなら人間に対するマッサージもできるかも)


 失敗したら大変だから、と使わないでいた自分に対するマッサージの魔法を試してみる。


 危ないかもしれないので最初はほんの少しだけ。


 魔法式を展開して、右脚のふくらはぎのあたりを振動させるようにイメージする。


(何も感じない……? いや、振動が小さすぎるのかも)


 警戒しすぎて振動が弱くなりすぎていた。


 筋肉を傷つけないように、少しずつ慎重に振動を強くする。


 未知の感覚がアリアの全身をふるわせた。


(これ、気持ちいいかも……)


 身体が芯からぽかぽかするような感覚。


 筋肉がほぐれて伸びていく。


 まるでふかふかの犬に抱きしめられているみたい。


 気づいたとき、アリアはそのまま床で眠っていた。


 まどろみの中から意識が戻ってくる。


 やわらかい絨毯に手を添えつつ、身体を起こす。


(マッサージってすごい……)


 ぼんやりとしたまま天井のシャンデリアを見つめる。


(気持ち良かったし、お母様とお父様にもやってあげよう)


 アリアは広間に降りていって、お母様とお父様に新しい魔法について話した。


〈マッサージの魔法ができるようになりました!〉


 手帳の文字を見て、二人は目を丸くする。


「それは興味深いな」

「どんな魔法なの?」


 やさしい言葉に目を細めつつ、アリアは張り切って魔法式を起動した。


「こ、これは――」


 三十秒後、お父様とお母様はぐっすり眠っていた。


 折角なので使用人さんたちにもかけてあげることにした。


 使用人さんたちもぐっすり眠っていた。


 誰かが部屋をノックしたのはそのときだった。


 扉を開ける。


 そこに立っていたのはフランベール公爵家の門番を務める男性だった。


「旦那様、お客様が――」


 門番の男性は広間の床に転がる主人夫妻と使用人たちの姿を見て息を呑んだ。


「し、死んでる……!?」


 まるで大量殺人の現場を見たかのような顔で絶句する門番の男性。


 アリアは紙片にペンをはしらせる。


〈大丈夫。眠ってるだけです〉


「な、何がどうなったらこんな事件現場みたいな状況になるんですか……?」


 門番さんは戸惑っていた。


 お父様を揺さぶって起こす。


「ん……? 転生した先で出会う大きなもふもふケルベロスはどこ?」


(どこにもいないです)


 アリアは静かに首を振ってから、門番さんを示してお父様に状況を伝える。


 お父様は首を振ってから真面目な顔で言った。


「どうした? 何かあったか?」

「お客様がお越しになってまして」

「客人?」

「はい」


 門番さんは言った。


「王宮魔術師の方々が、アリア様の魔法を見たいとのことで」




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