49 裏切りの魔術師
「ねえ、聖女を憎んでいる【裏切りの魔術師】――フレデリック・アレンハウス」
その言葉は、アリアから一切の考える力を奪い去った。
頭の中が真っ白になっている。
自分が何をしているのか。
どこにいるのかもわからなくなる。
(いけない。落ち着いて、冷静に)
深く息を吐く。
早鐘をうつ心臓を落ち着ける。
〖嘘ですよね。そんなことあるわけないですよね〗
アリアは氷文字を浮かべた。
〖ローレンスさんが聖女を憎み、旧王朝の宮殿を壊滅させた【裏切りの魔術師】だなんてそんな〗
「…………」
ローレンスさんは何も言わなかった。
目を伏せ、唇を引き結んでいた。
アリアは呆然と瞳を揺らした。
止血の魔法が霧散する。
止まりかかっていた血があふれ出し、傷口をおさえるアリアの手をあたたかく濡らす。
「否定しないでしょう。事実だからです。各地の研究施設を襲撃して《反動魔法》を世界から隠し、使い手になり得る可能性がある子供たちをこの世界から消した。魔法技術を二千年間後退させてきた大悪党なんですよ」
魔人は言う。
「彼が貴方の傍にいた理由がわかりましたか。《反動魔法》の存在が気づかれないように、貴方だけの特別な魔法であると思わせるように誘導していたんです」
はっとする。
初めて会ったときも使っていた得意とする変身魔法。
誰かに姿を変えてアリアを見張ることは難しいことでは無かったはず。
《天泣の結晶》が封印された地下室に迷い込んだときも、『大魔導祭』で悪い人に連れて行かれそうになったときも、まるで見ていたみたいにすぐに助けに来てくれた。
ありえない、と思いたいのに。
アリアは何かが繋がったような感覚を感じている。
「彼は貴方に裁かれることを望んでいます。罪悪感をずっと感じているみたいでしたから。長く生きすぎたんですよ。本当はもう生きていたくない。ずっと後悔し続けているんですよね。貴方が終わらせてくれるなら、彼はそれを受け入れますよ」
〖違いますよね。全部嘘ですよね〗
動揺が氷文字を歪ませていた。
ローレンスさんが別人のように見える。
信じていた人は嘘を吐いていた。
怖い。
何を考えてるのかわからない。
何を信じればいいのかわからない。
泣きそうな顔のアリアに、ローレンスは言った。
「僕は君を騙していた。君には、僕を裁く権利がある」
感情のない目でアリアを見つめて言った。
「君が望むなら、僕の人生はここで終わりで良い」
魔人の言葉は間違っていないのだろう。
だから、ローレンスさんは否定しない。
否定して欲しいのにしてくれない。
アリアの心の一部がローレンスさんを助けたくない、と言っていた。
怖いから。
聞きたくないから。
人の心には外からではわからない何かが隠れている。
裏切りや嘘に立ち上がれないくらい深く傷つくこともある。
逃げたい。
終わりにしたい。
関係の糸を断ち切りたい。
(糸――)
そのとき、頭をよぎったのはリオンくんの言葉だった。
『偽物じゃなくて本物のつながりがほしい』
文書館で教えてくれた秘密の話。
つながりたいという願いが作る魔法。
ヴィクトリカとコンテストに出たときもそうだった。
聞かせてくれた本音と弱音。
なんだか心の中に入れた気がしてうれしくて。
でも、二人とだって最初からずっと仲が良かったわけじゃなかった。
大事にしてたのは自分だけか、と感じて悲しくなった日があった。
心が通じ合わない時間もあった。
それでも、一緒に居続けたから仲良くなれた。
『本当の俺を見てくれる。本音で誠実に向き合ってくれる。その上で、絶対に俺を不当に貶めたりはしないって信じられる。そういうつながり』
リオンくんが本物と呼ぶつながり。
アリアもいいなって心から思う。
だけど、それは簡単なことじゃなくて。
きっと欲しがってるだけでは手に入らない。
関係は、一緒に作るものだから。
だからこそ、簡単にあきらめてはいけないと思った。
あきらめたくないって思った。
アリアは目を開けた。
〖わたしはローレンスさんに生きていてほしいです〗
アリアは振動魔法による治療を再開する。
ローレンスの身体で魔法式が白い光を放つ。
「彼は貴方を騙していたんですよ」
魔人の声が響く。
「大罪人です。その上、裁かれることを望んでいる。助ける理由なんてどこにもない。愚行以外の何物でもないとわからないのですか」
〖いけないことをしたことなら、わたしにもあるから。間違えたらごめんなさいすればいいんです。そうやって、許し合いながら生きていきたいって思うんです〗
アリアはローレンスを見つめて言う。
〖ローレンスさんは声が出せないわたしに魔法を教えてくれました。ずっと欲しかったものをくれた大切な人なんです。それがわたしにとってどんなにうれしかったか。きっと他の人にはわからない〗
アリアは言う。
〖誰が何と言おうと。たとえ悪い人だったとしても、わたしはローレンスさんの味方です。悪いことをしたなら、一緒にごめんなさいして償いましょう〗
ローレンスは目を見開く。
瞳を揺らす。
泣きそうな顔をしてから、顔を伏せた。
近くにあった追憶石の結晶を拾った。
「言葉で伝えるより、直接見てもらった方がいいと思う」
結晶をアリアに差し出して続けた。
「君に裁いて欲しい。ずっと後悔している間違いばかりの僕の人生を」
アリアは追憶石に触れた。
流れる水のように表面の模様がゆらめく。
――気づいたとき、アリアは草の上に眠っていた。
誰かが自分のことを呼んでいる。
まだ起きたくない。
あと少し。
そのとき、感じたのは火花が走ったような痛み。
額が痛い。
すごく痛い。
慌てて目を開ける。
「やっと起きた」
銀色の髪の少女がアリアを見下ろしていた。
デコピンされたのだ、と気づく。
(破壊的に痛いんだよな。リリアのデコピン)
そう思ってから、リリアって誰だ、と混乱する。
記憶から情報が流れ込んでくる。
アリアは記憶を追体験しているのだ。
「ほら、魔法を教えてよ優等生くん」
少女は目を細める。
アリアと同じ赤い瞳。
頭の上で揺れるボロボロの日傘。
「僕、忙しいんだけど」
「そうだよね。わたしに魔法を教えないといけないもんね」
「いや、自分の勉強があって」
「人に教えるのってすごく勉強になるんだよ。お母さんの新しい彼氏が言ってた」
「それはそうかもしれないけど」
「いいでしょ。ちょっとだけ。ほんのちょっとでいいから」
アリアが入っている男の子はやれやれ、とため息をつく。
「わかったよ。ちょっとだけね」
「なんだかんだ言って優しいよね、優等生くんは」
「それやめろって言ってるだろ」
「あ、この呼び方嫌って言ってたっけ」
少女は「ごめんごめん」と言ってから微笑む。
「いつもありがとう、フレデリックくん」
フレデリックは教会の孤児院で育った。
魔法の才能があり、宮廷魔術師が運営する私塾で天才として期待されていた。
辺境にある小さな村の中ではちょっとした有名人だった。
そして、そんな彼につきまとってくる変な女の子がリリアだった。
同い年らしい彼女は魔法に興味があるらしく、毎日のように声をかけてきては魔法を教えて欲しいとねだってくる。
「夢を見たんだよね。神様がわたしに言ってるの。お前にはすべきことがあるって」
「そうなんだ。じゃあ、僕は塾に行くね」
「待ちなさい。本当なんだから。これ、すごい話なんだから」
私塾に行こうとするフレデリックの腕をつかむリリア。
フレデリックは嫌そうな顔でリリアに言う。
「神様は何をすべきだって言ってたの?」
「腕立て伏せと腹筋と背筋を毎日二十回ずつ」
「そうなんだ。僕は塾に行くね」
「嫌。一人でしたくない。君も付き合って。これあげるから」
「何これ?」
「流行の最先端をいく超おしゃれブレスレット」
「こんな雑な結び目初めて見たんだけど」
「お守りにして一生大切にしてくれていいよ」
「絶対しない」
リリアは、かなり変な子だった。
神様の声が聞こえると言いながら、いろいろなことにフレデリックを付き合わせた。
鍛えているだけあって喧嘩は強く、近所の不良たちから一目置かれていた。
明るく活発な性格で、だけど肌が弱くいつも日傘を差していた。
「なんかアルビノ? ってやつなんだって。光を浴びると肌が火傷みたいに赤くなっちゃうの。人と違う特別な感じでちょっとかっこいいよね」
リリアは真剣な顔で言った。
「やっぱり、わたしは神様に選ばれた存在なのかもしれない」
リリアは妄想好きの変な子だった。
それでも、彼女は優しい子だったし人に好まれる気質をしていたと思う。
特殊な事情がなければ、村の子供たちの中心にいたはずだ。
しかし、リリアの母は男遊びが激しいことで有名だった。
何人もの相手との不義密通を繰り返していたから、リリアは周囲から冷ややかな目で見られていた。
友達は一人もいないみたいだったし、バカにされたり石を投げられたりしているのも見たことがある。
フレデリックに懐いたのは、多分彼がそういう噂に興味が無かったからなのだと思う。
「わたし、世界を救わないといけないと思うんだよね。ほら、今魔王が大暴れしてて人類大ピンチでしょ。古の賢者たちが命を対価として捧げて作った最終兵器。《天泣の結晶》が無かったらとっくに滅んでるって噂だし」
「君がどうやって世界を救うの」
「わたしにしか使えない特別な魔法に覚醒するの。ハイパーアルティメットブリザード! みたいな」
「初級魔法どころか生活魔法も使えないのに?」
「劣等生からの大逆転ってかっこよくない?」
リリアは魔法のセンスが絶望的になかった。
だけど、いつも前向きだったしあきらめる気は全然ないみたいだった。
そんなリリアの明るさが彼は好きだった。
「わたし、みんなに愛される人になりたいんだ」
リリアが言ったのはある夕暮れのことだった。
「世界を救ってみんなを助けたらさ。みんな、わたしのことを好きになってくれるでしょ」
フレデリックは彼女の言葉が気に入らなかった。
手元の本に視線を落としたまま言った。
「世界なんて救わなくてもリリアはみんなに愛される人だと思うよ」
視界の端で、リリアがびくっと跳ねた。
「君、そういうこと言う人なんだね。ちょっとびっくり」
「なに言ってるのかわからないんだけど」
「じゃあわからなくていい。わからなくていいから」
リリアは早口で言った。
それから、二人で何もせず黙っていた。
吹き抜ける風が前髪を揺らした。
「お母さん、わたしがいなければよかったのにってよく言ってるんだ。それを聞いてるとね。自分が透明になっていくような感じがするの。だから、消えたくなくて私は願うんだ。みんなが私のことを見てくれたらいいのに。必要としてくれたらいいのにって」
リリアは言った。
「自分に特別な力があったらどんなにいいだろうって思うの」
リリアが光の魔法を使えるようになったのは、その一ヶ月後のことだった。




