45 還らずの禁域
(ヴィクトリカだ!)
突然の再会。
窮地を助けてくれた友達に、ぱっと顔をほころばせるアリアに対して、ヴィクトリカはむっとした様子で歩いて近づく。
ぐいぐい、と勢いよく距離を詰める。
(あれ? なんか圧を感じるような)
半歩後ずさったアリアに、ヴィクトリカは手を伸ばしてその頬をつねった。
〖痛い!〗
「貴方が私を置いていくからでしょうが!」
ヴィクトリカは強い口調で言う。
「力になりたいって私言ったわよね。一昨日の夜、家に帰ってからエヴァレット家が持つ蔵書を徹底的に漁ったわ。叔父の家はもちろん曾祖父の家まで回った。貴方のためにがんばりたいって思ったの。成果もちゃんと得ることができて、喜んでもらえるって楽しみにしてたのに」
ヴィクトリカは唇を噛んだ。
「聖壁が破られたって聞いて慌てて貴方を探した。そしたら、一人で聖壁に向かったって聞かされてほんと信じられない。私がどれだけ心配したかわかってる?」
〖ごめん〗
「しかも、リオン・アークライトに先を越されてるし」
ヴィクトリカはリオンを睨む。
「なんでいるのよ、貴方」
「お前より先にアリアに追いついたからだが」
「貴方王子なんだからこんなところにいたら問題になるでしょ」
「そんな問題よりアリアの方が大事だろ」
「それくらい私も思ってるんですけど。止める執事を蹴飛ばして今ここにいるんですけど」
ヴィクトリカは頬を引きつらせて言った。
緊急時だからだろうか。
いつもの余裕が無い珍しい姿。
〖来てくれてありがとう。助かった〗
ヴィクトリカは氷文字を見て、目を丸くしてからぷいとそっぽを向く。
「わかればいいのよ、わかれば」
〖でも、来てよかったの? お家のこととかいろいろあるんじゃ〗
「優先順位の問題よ。家のことも大切。でも、貴方のことも同じくらい大切だから。何より、私は貴方に借りを返せてない」
〖別にそんなに気にするようなことじゃ〗
「私にとっては気にすることなの。貴方が嫌って言っても強引についていくから。私に貴方を助けさせなさい」
真っ直ぐな思いと言葉。
アリアは胸があたたかくなるのを感じる。
「そうだ! 書庫を漁って、すごい大発見をしたの。手帳に写し取ってきたんだけど」
ヴィクトリカは手帳を開いて言う。
綺麗な文字が並んでいる。
「聞いて驚きなさい。【裏切りの魔術師】――フレデリック・アレンハウスは欠けているものへの願いが作る《反動魔法》の使い手だったの!」
「…………」
アリアとリオンは手帳を見つめてから言った。
〖知ってる〗
「時を操る《反動魔法》を使うらしいぞ。時を戻して聖女を殺したい。それだけを願っていたとかで」
「え。いったいどこで」
「別邸にある祖父の文書館だ。アリアがどうしても着いて行きたいっていうから一緒に行ったんだよ」
「は? 一緒に?」
「ああ。どうしても行きたいって言うから仕方なくな」
リオンは勝ち誇ったような声色で言った。
「ぐ……私は一人で探してたのに……」
ヴィクトリカは悔しそうだった。
アリアは二人が仲よさそうで何よりだな、と思った。
「それで、どうして聖壁に向かってたの」
ヴィクトリカの問いに、アリアは今わかっていることを伝えた。
魔王の封印が解けかかっていること。
封印の魔法式を修繕するためには、【還らずの禁域】の最奥にある【無明の大空洞】に行かないといけないこと。
大空洞の魔王が封印されている場所に入るには、強力な《反動魔法》の使い手の力が必要なこと。
「【還らずの禁域】は一級以上の魔術師しか入ることを許されない。高レベルの魔物と尋常じゃない魔素量による魔素症が行く手を阻む。死亡率は三十九パーセントにも上る大陸で最も危険な場所よ」
ヴィクトリカは言う。
「と言っても、貴方はもう決めちゃってるみたいだけど」
〖絶対に行かないといけない。そんな気がするの〗
「わかったわ。三人で行きましょう。【無明の大空洞】の場所はわかってる?」
〖えっと、あっちの方?〗
「全然違うわね」
ヴィクトリカは苦笑してから言った。
「まったく、仕方ないんだから」
聖壁に空いた大穴を通り抜けると、そこには深い森が広がっていた。
空気がやけに冷たく感じられる。
壁際に古びた白い骨が転がっていた。
おそらく、ずっと昔に【禁域】に入った人のものなのだろう。
三人で少しの間手を合わせてから、森の奥へ歩きだす。
「念のため、《地の羅針盤》を持ってきてよかったわ」
〖地の羅針盤?〗
覗き込むアリアに、ヴィクトリカは小さなコンパス状の魔道具を見せる。
「地脈に反応して正しい方位を指し示す方位磁針よ。魔素量が多い地域では最も信頼できるとされてるの」
見たことのない魔道具に目を輝かせるアリア。
ヴィクトリカは満足げに微笑む。
「やっぱり私の方が優秀ね。誰かさんは先に来てても、何も持ってきてないんだから」
「この森でお前、炎魔法使えないだろ。守ってくれる俺がいてよかったな」
「使えるわ。貴方に守ってもらう必要なんてない」
「お前の魔法、森が燃えるだろ」
「貴方に守ってもらうくらいなら、私は森を焼くわ」
真剣な顔で言うヴィクトリカ。
負けず嫌いな二人に、アリアは氷文字を浮かべる。
〖仲良く。三人で力を合わせよう〗
ヴィクトリカはしばしの間氷文字を見つめてから言った。
「仕方ないわね」
「仕方ないな」
リオンは嘆息してから続ける。
「俺が周囲に水魔法の糸で壁を作る。アリアとヴィクトリカは索敵を頼む」
〖大丈夫。この辺りに魔物はいない〗
「わかるのか?」
〖うん。振動魔法で索敵してるから〗
空気を振動させてその反響を感じ取る反響定位。
深い森の中で、アリアは魔物の位置関係を素早く把握することができた。
強い魔物を避け、弱い魔物を倒しながら奥へ進む。
〖なんだか、いつもより魔法の出力が強くなるね〗
「空気に含まれる魔素量が多いのが理由ね。出力は上がるし、魔法により失われる魔力量は減る」
〖魔術師にとっては良いことしかないね〗
「その分、適度に魔法を使ってないと魔素症になって身体が異常をきたす。魔法を使い続けることが重要になるわ」
ヴィクトリカは炎魔法で周囲の空気をあたためながら言う。
「少しの判断ミスが命取りになる。とにかく慎重に、安全最優先で進みましょう」
ヴィクトリカの言葉にうなずく。
森には様々な魔物がいた。
魔法陣の模様をした鱗に覆われ、あらゆる魔法に耐性を持つ蛇。
巨木の幹に擬態し、鋭い牙で近づいた獲物を狙う樹木獣。
触れた相手を眠らせ、体液を吸い尽くす捕食花。
アリアは目を閉じて魔物の放つ微弱な振動を感じ取り、最も安全なルートを選択して進んだ。
異変が起きたのは、森に入って二時間が過ぎた頃のことだった。
不意にヴィクトリカが驚いた顔で言った。
「え? アリアが二人?」
アリアの隣にはもう一人アリアがいた。
鏡に映したかのようにまったく同じ姿。
瞬時にアリアは振動魔法を発動する。
《振動爆破》
振動の爆発は幻のアリアを弾き飛ばす。
最初からいなかったみたいに幻が消える。
「早……」
〖混乱させる前に対処した方がいいと思って〗
氷文字を作ったアリアが見たのは、三人のヴィクトリカだった。
(幻を見せるタイプの魔物)
「私が本物よ、アリア!」
「違う! 私! 私が本物!」
慌てた様子で言う二人のヴィクトリカ。
「落ち着いて、アリア。貴方なら本物がどれか見極めることができる」
唇を引き結んで三人目のヴィクトリカが言う。
隣でリオンがヴィクトリカたちを見回して言った。
「どうする……?」
〖大丈夫。わかってる〗
アリアは躊躇いなく一人目と三人目のヴィクトリカに振動魔法を放つ。
爆発して消えた二人のヴィクトリカの間で、本物のヴィクトリカは驚いた顔をしていた。
「どうしてわかったの」
〖感じる振動でなんとなく〗
アリアは二十メートル先の茂みに振動魔法を放つ。
慌てた様子で十二匹の鹿が森の奥へと逃げていく。
〖リオンくん、右から三番目が本物〗
「――《水糸操術》」
水魔法の糸が逃げていく鹿を捉えて首元を裂く。
右から三番目の鹿がくずれ落ちると同時に、他の十一匹の鹿は虚空に消えた。
「幾何学模様の角。《幻影の群鹿》ね。常に複数匹で行動すると本には書かれてたけど本物は一匹だったなんて」
驚いた顔で言うヴィクトリカ。
不思議な形をした幾何学模様の角を見ていたアリアは、不意に近くにいた第三者の気配に気づいて振り向く。
「どうした? 何かいたか」
リオンの言葉に、氷文字を浮かべようとしたそのときだった。
「なんで子供がこんなところに」
言ったのは、大魔導祭の魔法コンテストでベルナルドさんのパートナーとして出場していた片眼鏡の男性魔術師。
そして、その後ろから知っているロングコートの男性が顔を覗かせた。
「そういうことか」
目元を覆う前髪。
魔法考古学界の伝説と称される準特級魔術師。
「私の予想を超えてくるな、君は」
《異端の探求者》ベルナルド・アボロはあきれ顔で言った。




