44 友達
騎士たちをマッサージの振動魔法で簡単に治療してから、アリアは先を急いだ。
彼らは最初アリアを止めようとしたが、その決意が揺るがないものであることを悟って、説得するのを止めた。
「我々が使っているポーションです。必要なときがあれば使ってください」
騎士たちは、アリアに黄緑色の薬液の入った瓶を渡す。
「健闘を祈ります。貴方の行く先に幸運があらんことを」
〖ありがとうございます〗
お礼を言って、彼らに背を向ける。
三つの小瓶がポケットの中で軽い音を立てた。
アリアは魔物を倒しながら、聖壁沿いを歩いた。
方向音痴なアリアなので、目印なしで歩くとろくなことにならないのは自覚している。
大きな壁が右側にある状態を維持しながら、聖壁に開いたという大きな穴を目指す。
魔物の群れに遭遇したのは、巨大な穴が遠くに見え始めたときのことだった。
金色の魔物――轟雷狼の群れ。
振動魔法で攻撃を仕掛けたアリアだが、その魔物はそれまでに戦った魔物とは明らかに違うように感じられた。
(速い……!)
目にも留まらぬ移動速度。
振動魔法での爆発で一体を仕留めたけれど、その間に九体の魔獣がアリアに向けて疾駆している。
(まずい……魔法の選択を完全に間違えた)
破壊力ではなく、即座に放てる魔法や足止めできる魔法を選択するべきだったが、既にアリアは後手に回ってしまっている。
立て直す方法を探すが、何も思いつかない。
素早く疾駆する九体の魔獣を同時に相手にできる、効果的な魔法をアリアは持っていなかった。
(まずいまずいまずいまずい)
動揺で頭の中がいっぱいになる。
一瞬の油断と判断ミス。
招いてしまった取り返しのつかない事態。
切り抜ける方法を懸命に考える。
しかし、真っ白になった頭では何も思いつかない。
(やられる……!)
迫る痛みへの恐怖に、アリアが身をすくめたそのときだった。
《蒼糸縫術》
一切の無駄のない簡易詠唱。
視界いっぱいに広がる水流の糸。
石造りの廃墟をゼリーのように切断するそれがアリアを取り囲んでいる。
飛びかかった魔狼の群れを瞬く間に切り刻む。
幾重にも展開した水の糸に回避できるような隙間はない。
反射的に飛び退いた魔狼は、自らが切られていることに気づいてさえいなかった。
何も起きなかったという錯覚を抱いたまま、崩れ落ちる。
数の利を完全に無効化する水の糸は、九体の魔狼をまばたきの間に戦闘不能にした。
「間に合った」
聖壁に手を突き、荒い息を整えるその姿にアリアは息を呑む。
(リオンくん、どうして)
声にならない声で言うアリアに、リオンは言う。
「お前が一人で聖壁の方に向かうのを見たって話を聞いて飛んできた」
〖でも、今リオンくんがいなくなるとすごい騒ぎになるんじゃ〗
「なるだろうな」
〖後で大変なことに〗
「なっていいと思った。王子として仕事も責任も大事だが、俺にはそんなことよりずっとお前の命の方が大事だ」
〖でも、こんなところに来たらリオンくんも危ない目に――〗
「俺を危ない目に遭わせたくないとか本気で言ってるならマジで殴るぞ」
リオンはアリアを睨む。
「お前が一人で行くのを見たって聞いた俺がどんな気持ちになったかわかるか。必死でここまで来た俺の気持ちがわかるか。お前が俺を大事に思ってるように俺もお前を大事に思ってる。そして、お前の親も周囲もお前を大事に思ってるんだ。わかれよ。バカなことすんなよ、頼むから」
アリアの肩を掴むリオンの手はかすかにふるえていた。
怒っているように見えたし、泣きそうなようにも見えた。
彼のそんな顔をアリアは見たことがなかった。
〖ごめん。わたしが考え無しだった〗
「わかればいい」
〖でも、わたしは行かないといけないの〗
「まだ言うのか」
〖しないといけないことがあるの。多分、わたしにしかできないことなの〗
アリアはリオンをしっかりと見返して言った。
根拠はない。
だけど、確信があった。
リオンくんは正しい。
わたしは間違っている。
それでも、絶対に行かないと行けないってわたしの中の何かが叫んでいる。
「本当か。誰かに騙されてないか」
〖騙されてない。わたしの心が叫んでる〗
リオンはじっとアリアを見てから言った。
「わかった。俺も連れて行け」
〖でも――〗
「力にならせてくれ。遠慮なんてしなくていい。王子であることとか世間体とか後のことは何も考えなくていい。全部俺が引き受ける。俺の願いはひとつだ。ひとつだけだ」
リオンは言う。
「お前の人生に俺を関わらせてくれ」
それは、彼の心の奥底から出た言葉であるようにアリアには感じられた。
先王陛下の文書館で話してくれたこと。
変わらずにはいられない関係の中で、偽物ではない本物のつながりがほしい。
王子として生まれ、周囲のつながりを本物ではないと感じながら生きてきたリオンくん。
流転する水魔法の糸を形作ったつながりへの願い。
精一杯の思いを込めて作った氷の文字。
『わたしは本当のリオンくんと一緒に生きていきたいって思ってる』
今の言葉はきっと、あのときアリアが伝えた言葉への答えで。
だから、遠慮してはいけないと思った。
巻き込んでしまうかもしれない。
迷惑をかけるかもしれない。
傷つけるかもしれない。
それでも、全部ひっくるめた上でつながっていたいと思ったから。
リオンくんは初めてできた友達で、何にも代えられない大切な存在だから。
〖助けて。力を貸して〗
アリアの言葉に、リオンは一瞬顔をほころばせる。
それから、気恥ずかしそうに顔を伏せたそのときだった。
(――何かいる)
地面と風のかすかな振動。
何かの気配を感じ取ってアリアは反射的に振り向く。
しかし、そのときには既に魔狼はアリアのすぐそばまで迫っていた。
(二匹群れから外れたところに潜んでた)
咄嗟に魔法式を起動しようとするが間に合わない。
「アリア、危ない――」
リオンがアリアを突き飛ばす。
すべての動きがスローモーションに見えた。
鋭い牙がリオンの首筋に迫る。
(やめて――)
目を見開いたそのとき、閃いたのは鮮やかな赤い光だった。
風に舞い、魔狼を弾き飛ばすそれは焔の魔法。
美しく咲き誇る紅の花。
焼き尽くされた魔狼が崩れ落ちる。
「やっと追いついた」
廃墟から一人の少女が現れる。
鮮やかな赤髪。
真っ直ぐな瞳と、凜とした立ち姿。
大学でできた新しい友達――ヴィクトリカ・エヴァレットがそこにいた。




