39 泳げるくらい広い豪奢なお風呂
「助けていただいてありがとうございました!」
救助作業の後、助けた男性は熱を帯びた口調でそう伝えてくれた。
五歳くらいの女の子は、アリアの腰の辺りをぎゅっとつかんで「お姉ちゃん魔法使いなんだよ! すごいんだよ!」と知り合いらしい村の人に言っている。
「あんな魔法、初めて見た……」
アリアの魔法に村人さんたちが唖然としていたのは、なかなかにうれしい光景だった。
「貴方はいったい?」
その問いに、アリアはマフラーをたなびかせて答えた。
〖名乗るほどの者ではありません〗
「ご両親にもお礼を伝えたいのですが」
〖わたしは大人なのでお礼は直接お願いします〗
クールでかっこいい大人な魔術師風の振る舞いを意識する。
周囲が落ち着いたのを確認してから、気づかれないようにリオンくんと合流して馬車の中に戻った。
「騒ぎになってるぞ。マフラーを巻いた小さい子供が魔法で土砂を弾き飛ばしたって」
〖わたしは小さい子供ではない〗
「九歳くらいの子供だって噂だ」
〖わたしは小さい子供ではない〗
抗議文を氷文字で作りつつ、再び楽器を入れる鞄の中に入る。
土砂が撤去された後、点検が行われて山道は再び通れる状態になった。
通れなかった谷を越えて先王陛下の別邸へと馬車は進む。
身体を丸めつつ、懐に入れていたいか焼きを食べる。
馬車は山道を上に登っていく。
坂道が続く。
一時間ほど進んで、馬車が止まった。
外から漏れ聞こえる声が、別邸に到着したことを伝えている。
「ようこそお越し下さいましたリオン様」
馬車の扉が開いて冷たい風が中に入ってくる。
別邸を管理している王室関係者だろうか。
「お荷物、お持ちいたします」
「いい。これは自分で運ぶ」
「しかし――」
「大事な楽器なんだ。大丈夫。慣れている」
リオンは水魔法の糸でスライムのようなクッションを作り、その上に鞄を載せて運ぶ。
クッションはリオンの意思に従って、付き従うように移動していく。
(なんか独特の感触)
ぶよぶよした感触をお尻に感じつつ、別邸の中へ。
「長旅お疲れでしょう。お風呂の準備ができております」
少ししわがれた女性の声だった。
「後でいい」
「いけません。土砂崩れで大変だったと聞いております。楽器はお預かりしますので」
「いい。本当にいい」
「まあまあ、そう言わず」
「持つな! 楽器は絶対に持つな!」
楽器を死守するリオンくんだったが、「ぜひあたたかいお風呂へ!」という女性使用人さんのご厚意には断り切れない強いものがあったらしい。
「どうぞ、ごゆっくり」
弾んだ声と、扉が閉まる音。
少しの沈黙の後、リオンくんは言った。
「脱衣所に押し込まれてしまった」
〖そうみたいだね〗
「入らないと疑念を持たれるかもしれない。少し待っててくれ」
〖わたしも入りたい〗
アリアの言葉に、リオンは激しくむせた。
「待て。何を言ってるんだお前」
〖汚れたし汗かいた。お風呂入りたい〗
「馬車に乗る前に魔法である程度綺麗にはしてただろ」
〖汗はとれてない。ここでお風呂に入れないとわたしは妖怪汗だく美少女になってしまう〗
「自分で自分のこと美少女って言うんだな」
〖わたしが世界一かわいいのは自明の事実。お母様とお父様もそう言ってる〗
アリアの言葉に、リオンは嘆息して言った。
「わかったよ。交代で入ろう。俺はここで背中向けてるから」
〖リオンくんも一緒に入ろう〗
リオンは激しくむせた。
その顔は赤くなっていた。
「入らねえよ、バカ。何言ってるんだ」
〖だってその方が効率的だし〗
「お前には恥じらいというものがないのか」
〖恥ずかしがる理由がわからない〗
友達相手にどうして恥ずかしがる必要があるのだろう?
「すげえな、お前」
リオンは顔を真っ赤にして言う。
「とにかく、さっさと入ってこい。背中向けてるから」
〖見てもいいよ?〗
「見ねえよ、バカ!」
金色の髪から覗く耳は燃えるような赤に染まっている。
リオンくんの反応はよくわからなかったけど、ありがたくお風呂に入らせてもらうことにした。
楽器鞄から出て服を脱ぐ。
扉を開けて洗い場に向かう。
小石が混ざっていた髪を洗い、身体を丁寧に洗う。
ついでに汚れていた服も石けんで洗って、振動魔法で脱水する。
一通りの水をはらってから、物体を温める振動魔法と空気を振動させる魔法を使って乾かす。
それから、大きな湯船につかってお風呂を満喫した。
先王陛下の別邸のお風呂はアリアの家よりも豪奢で、つややかなバスタブは中で泳げるくらい広かった。
しばしの間、泳いで遊んでからはたと気づく。
リオンくんを待たせているのをすっかり忘れていた。
浴室の扉を開けると、背を向けていたリオンくんがびくりとふるえた。
「遅いぞ。なにやってたんだ」
背中を向けたまま言うリオンくんに、浮かべた氷文字を飛ばす。
〖泳いで遊んでた〗
「早く出ろ」
身体を拭いて、持ってきた予備の服に着替える。
〖終わったよ〗
振り向いたリオンは一度目をそらしてから、アリアを見た。
その視線がすっと首筋に注がれた。
「それが、聖痕か」
〖そう。変に目立つのが嫌だから普段は隠してるけど〗
白く小さな痣。
いつも隠しているからか、見られているのが少し気恥ずかしい。
「綺麗だな」
リオンははっとしてから、ごまかすように続ける。
「いや、お前がじゃなくて、聖痕がだな」
褒めてくれたらしい。
〖ありがとう〗
素直に嬉しかった。
やさしい気遣いに胸があたたかくなる。
「交代だ。今度はお前がそこにいろ」
〖わかった〗
服を脱ぐリオンを、アリアは戸棚の影から見つめていた。
「なにしてるんだ、お前」
〖男の子の身体がどんな感じか興味があって〗
「見るなバカ! 背中を向けてろ!」
要求が多い王子様だな、と思いつつ背中を向ける。
衣ずれの音。
浴室の扉が開いて、反響する水の音が聞こえてくる。
お風呂に入る友達を脱衣所で待つのは初めての経験で。
新鮮な非日常感と、いつも以上に近づけたようなうれしい感覚があった。
(こっそりのぞき見たら怒られるかな)
さすがにダメか、と思いつつリオンくんを待つ。
三分後、浴室の扉を開けて覗いたアリアに、リオンは顔を真っ赤にして石けんを投げた。




