37 理由ある反抗
「いや、普通にダメだろ」
先代国王陛下のコレクションを調査したいと言ったアリアに、リオンは当然そう言ったが、興味を持ったアリアはそれで止まるような相手ではなかった。
〖お願い! 一生のお願い!〗
「いや、そう言われても」
〖鞄の中とかに隠れて行くから。絶対バレないから〗
「お前公爵令嬢だぞ」
〖わたしは世間の常識に縛られないスタイルで生きてる〗
「常識とかじゃなくて見つかったら問題になるし」
〖大丈夫。最悪魔法を使って全力で逃げたら多分なんとかなる〗
「お前がうちの騎士たちから全力で逃げてるところ見たくないって」
〖良い子にするから。お願い聞いてくれたらなんでもする〗
「…………」
リオンは少しの間押し黙ってから言った。
「なんでもしてくれるのか?」
〖うん。する〗
「……なんでもか」
〖何を考えたの?〗
「何も考えてない。やましいことは何もない。本当に」
〖早口になるのがあやしい〗
アリアはリオンに顔を近づけて激しく追及した。
「だから何も考えてないって」
〖感じる振動が何か考えたって言ってる〗
「ぐ……」
リオンは抵抗していたが、最後にはあきらめた顔で言った。
「……一日の最後、寝る前に俺のことを考えてくれたらうれしいなって」
〖そんなこと? なんでそれでリオンくんがうれしいの?〗
「と、友達が自分のことを考えてくれてる方がうれしいだろう」
〖そう? そうかなぁ?〗
アリアはいまいちピンとこなかった。
首をかしげつつ続けた。
〖それくらいならお願いされなくてもいつもしてるけど〗
「え?」
リオンは驚いた顔で言う。
「寝る前に俺のことを考えてるのか?」
〖うん。寝る前にリオンくんのことを考えてる〗
「どうして」
〖リオンくんが大きな怪我とか病気とかせず、人並みに幸せに生きていけますようにって。お母様とお父様とお祖母様とお祖父様のこともお祈りしてる。ローレンスさんと最近はヴィクトリカも〗
「お前、いいやつだな」
リオンくんは少しだけ口角を上げてから言う。
「やっぱりダメだ。お前は連れていけない」
〖そこをなんとかお願い〗
「ダメだ」
〖お願いお願いお願い!〗
「たくさん氷文字出してもダメだ」
リオンは言った。
「今回は俺一人で行く。お前は連れて行かない」
翌日、国境近くの別邸に向けて出発した王家所有の馬車にリオンの姿があった。
雨上がりの濡れた道。
日射しを反射する水の粒。
隣の席には誰も座っておらず、大きな弦楽器が入った鞄が立てかけられていた。
「リオン様、どうして楽器を?」
執事の言葉に、リオンは表情を変えずに答える。
「弾いてみたくなったんだよ」
「昔からリオン様は音楽がお好きでしたね」
「一番上の兄の影響だな」
「片思いしてる相手とのデートで聞かせたい曲のリストも春夏秋冬版ノートに書いてありましたし」
「言うな。お願いだから言うな」
早口で言うリオンに執事は真面目な顔で言う。
「一途なのは素敵なことだと思います。ですが、彼女は殿下にふさわしい相手ではありません。聖痕を持った母親が産んだ子供は、聖痕を持って生まれる可能性が普通よりも高くなりますから」
「わかってるよ」
リオンは低い声で言う。
「一人にしてくれ。気が散って勉強が進まない」
「承知しました」
恭しく一礼して、執事は馬車の外に出る。
前を行く馬車に乗り込んだのを確認してから、リオンは外から見えないように大きな鞄を少しだけ開けた。
「大丈夫か?」
〖秘密の作戦って感じでわくわくしてる〗
小さな氷文字。
リオンは苦笑してから続ける。
「お前が楽しそうでよかったよ」
〖うん。楽しい〗
「ところで、さっきの話聞こえてたか?」
〖気配と音を消す付与魔法をリオンくんが鞄にかけてるから何も聞こえなかったけど〗
「そうか」
少しほっとした声のリオン。
〖でも、わたしとリオンくんの婚約がなくなったときみたいな話がちょっとだけ聞こえたような気はする〗
「……悪いな」
リオンは苦々しげに言う。
「くだらない連中が多いんだよ。俺の周囲には」
〖立場を考えれば自然なことだと思う〗
「反吐が出る」
〖そこまで言わなくても〗
「どういう理由であれ、俺の一番大事な友人を悪く言う時点で終わってる」
リオンは吐き捨てるように言う。
腕組みして、馬車の座席に深くもたれる。
〖そう言ってくれるのはうれしい〗
小さな氷文字を読んで、リオンは愛おしそうに目を細めた。
馬車の中に静かな時間が流れる。
〖どうしたの? 急に黙って〗
「いや、ちょっと考え事をしていた」
取り繕うように言ったそのときだった。
馬車が速度を落とす。
窓の外に見えた影に、リオンはあわてて鞄を閉めた。
馬車の扉が開く。
中に入ってきたのは、金属製の鎧を纏った警護の騎士だった。
「リオン様。本日ご滞在したいとおっしゃられていた別邸のことなのですが」
「どうした?」
「国境近くで降っていた強い雨で地盤が緩み、大きな規模の土砂崩れが起きたようでして」
護衛騎士は唇を引き結んで言った。
「本日別邸に滞在することは叶わないかもしれません」
三時間後、到着したその場所は土砂崩れによって見るも無惨な姿に変わっていた。
馬車が通れるようにされた山道は、崩れた土砂の山に埋め尽くされていた。
角張った岩石の破片。露出した大木の根。
引きちぎられた山肌から、湿り気を帯びた茶色の土が覗いている。
横倒しになった木々の傍らで、近隣の住人たちが懸命に土砂を除去しようとしていた。
「状況を見て参りました」
執事は言う。
「復旧は遅々として進んでいません。あの分だと、通れるようになるまでにどれだけかかるか」
リオンは窓の外をじっと見つめて言った。
「なぜ彼らは魔法や魔道具を使わず作業している」
「辺境の住民が使える魔法には限界がありますから」
「支援に来る魔術師はいないのか?」
「ここ数日、各地で魔物の活動が活発化しているようでして……主な人員はそちらに割り当てられているようです」
執事の額には汗の粒が浮かんでいた。
「人力での作業には限界があるだろう。あれなら、魔術師が来るのを待った方がいい」
「何名か生き埋めになった者がいるようでして」
その言葉に、リオンは目を剥いた。
「なぜそれを先に言わない」
「申し訳ありません。リオン様には関係ないことかと」
「ここにいる全員に作業を手伝うように指示しろ」
「リオン様。安易な情に流されてはなりません。人にはそれぞれの天分というものがございます。我々には、この国を動かすという使命があります。辺境の村人の救援作業は、それを天分とする者が行った方が良いのです」
諭すように言う執事。
リオンは真っ直ぐに見返して言う。
「俺たちが手伝うことで救えるかもしれない命があるんだろ。民を救わず見ているのが王室のすべきことだとお前は言うのか」
「しかし……」
「三十分でいい。いいからやれ」
リオンの指示に少しの間押し黙ってから、執事は言った。
「承知しました。三十分だけです」
執事が使用人と警護の騎士に指示を出すのが馬車の窓から見える。
彼らは、『なんで俺たちが』と不服そうな顔をしながらも、道を塞ぐ土砂の方に向かっていく。
〖あんな指示出してよかったの?〗
浮かんだ氷文字にリオンは、窓の外を見ながら答えた。
「よくないだろうな。後で父と大臣に怒られる」
〖でも、助けることにしたんだ〗
「自分たちは人の上に立っているって信じて疑わない連中が嫌いなんだ。間違えてるってわからせたい。自分は違うって思いたい。くだらない反抗だよ」
苦々しげに言うリオン。
〖わたしはそういうところ素敵だなって思うよ〗
浮かんだ氷文字に一度大きくまばたきをしてからリオンは言う。
「俺も行ってくる。お前はここで待っててくれ」
〖わたしも行く〗
「バレたら問題になる。そもそもお前、公爵家の令嬢なんだぞ」
〖そんなことより命の方が大事ってさっきリオンくんは言ってたよね〗
「本気なのか?」
〖置いて行かれたら勝手にここから出る〗
「……わかった。俺が隙を作って魔法でなんとかする。合図をしたら向こうの茂みに走れ」
リオンは馬車の外に出る。
護衛の騎士が近づいて来て、リオンに言う。
「リオン様は馬車の中でお待ちを」
「俺も作業に当たる。お前も行くぞ」
「しかし……」
言いよどむ騎士の背中を左手で押しながら、リオンは右手で魔法式を描いた。
《水糸操術》
水魔法の糸が現れる。折り重なったそれは布地のような薄い壁になる。
薄い壁は幾重にも現れる。
それは光を屈折させて、壁の向こうにいる者の存在を消す。
小柄な少女が、馬車から飛び出して茂みの方に走るのを魔法で覆い隠す。
(気づいた者は――いないな)
リオンは小さく安堵の息を吐く。
不意に思いだされたのは、彼女と出会った頃のこと。
今より子供だったリオンは、親から決められた許嫁なんてどうでもいいと思っていた。
会いに行くのも億劫で。
声が出せなくて、貴族社会の子供たちの中でも浮いているらしい少女に興味を持てるとは思えなかった。
苦役以外の何物でも無かった訪問。
しかし、予想に反してその少女は興味深い性格をしていた。
周囲の反応なんて気にせず、いか焼きを食べながら魔法に打ち込む。
誰もが外聞と体裁に必死になって気を使う王室で育ったリオンにとって、彼女の姿は新鮮で魅力的に見えた。
自分もあんな風に、周囲の視線を気にせずやりたいことをできる人になりたいと思った。
(本当に、あの頃から変わってない)
悟られないように頬をゆるめる。
冷たい風が髪を撫でる。
(俺は変われただろうか)
少しでもいい。
変われていたらいいな、と思う。
近づいて来たリオンに警護の騎士が驚いた顔で振り返る。
「リオン様、どうして」
リオンは真っ直ぐに彼を見返して言った。
「お前たちに本来しなくていい仕事をさせてるんだ。俺はお前たち以上にやらないと筋が通らない」
「しかし、こんな土砂を撤去するような仕事、殿下にさせるわけには」
「魔法の練習になってちょうどいい。生き埋めになった住人はどの辺りにいる」
「奥の辺りに五人いるとのことです」
「わかった」
リオンは魔法式を起動する。
「其は流る雫。刃のように鋭く、無形のように柔軟に、濁流のように力強く。千の糸を紡ぎ、一切を両断する――《蒼糸縫術》」
水色の魔法式から生み出されたそれは細い水流の糸。
リオンの魔法制御力によって自在に動く糸は、硬い岩石をゼリーのように切断する。
岩石や木の根を細かく切り刻んだ後、起動したのは一切を吸着する水の糸。
糸が瓦礫を絡みとり、土砂を人が居ない傍らへと押し流す。
わずか一分足らず。
たったそれだけの間に、自分たちが今までに除去したよりも多くの土砂が取り除かれた光景に、村人たちは息を呑む。
「あれが天才と称される王子殿下……」
地鳴りのような音と共にゆっくりと移動する大量の土砂。
不意に跳ね返った泥がリオンの頬を汚す。
絶句する執事に、リオンは笑みを返した。
「洗えば落ちる。作業を続けるぞ」
少しだけ、マイペースなマフラーの思い人に近づけたような、そんな気がした。
 




