32 二人で作る魔法
複数人で行う儀式魔法の中で最も少人数で行われる複合連係魔法。
二人で起動するその魔法において、最も難度が高いことのひとつが詠唱を合わせるという行為だ。
魔力を効果的に増幅する詠唱という行為。
喉、声帯、口蓋の形状、姿勢、呼吸法など様々な要因によって変化する詠唱の細部を効果的な形で一致させるのは極めて難しい。
しかもその難度は、術者の技術が高ければ高いほどさらに難しいものになる。
細部の身体的形状に合わせて磨き上げられる詠唱に完璧に合わせることは、異なる身体を持つ他人にはほとんど不可能な芸当に近い。
だけど、アリアは練習の中でひとつの可能性に気づき始めていた。
(もしかすると、詠唱ができないわたしは人の詠唱に合わせるのが得意なのかもしれない)
身体的特徴の一切を無視して相手の詠唱に合わせることができる。
無詠唱での魔法しか使えないからこその利点。
状況が厳しいことには変わりなくて。
だけど、アリアは向かい風にしっかりと両足で立って前を向いた。
逆境には慣れている。
アリアの魔法人生はずっとそうだから。
できないと言われるのは当たり前のことだったから。
それでも、あきらめずにひたむきに続けてきた。
その先でつかみ取った魔法には、きっとすごい可能性があるってアリアは信じている。
静かな一人の部屋。
途方もない量を繰り返してきた。
一人で練習する魔法が大好きだった。
でも、初めて経験した二人でする本格的な練習もすごく楽しかった。
(できる。きっとできる)
重要なのはイメージだ。
欠けているもの。
求めているもの。
願い。
「散る、散る、散る。落ちる、満ちる、落ちる。其は紅蓮の並木。咲き誇る火焔の華」
ヴィクトリカの詠唱が響く。
そこには彼女の願いと祈りが籠もっている。
弱さを許してもらえない環境。
そこから生まれる願い。
大きな期待に応える理想の自分。
美しく咲き誇る赤い華のイメージ。
綺麗だな、とアリアは思う。
(欠けているもの、わたしにもあるんだ)
伝えられない。
伝えたい。
心に届けて、わかり合いたい。
響かせたい。
わたしの魔法は――――振動だ。
二人の魔法が重なる。
眩い光が視界を染め上げる。
◇ ◇ ◇
その異常さに最初に気づいたのは、魔法考古学界の伝説と称される準特級魔術師ベルナルド・アボロだった。
女性のように長い黒髪。
前髪は頬の辺りまで伸びて彼の目元を完全に隠している。
歴代最高点を記録した後、用意された別室の窓から見つめていた彼は、誰よりも早くアリア・フランベールの魔法が見せた異質な才能に気づいていた。
(無詠唱であることを利用して、相手の詠唱に完璧に合わせる)
理屈の上では理解できる。
無詠唱だからこそできる、身体的特性の影響を受けない特殊な方法。
しかし、王国魔法界の常識にはないそのやり方は経験豊富なベルナルドも初めて目にするもの。
わずかな細部の精度がベルナルドの背筋を震わせる。
(どうしてここまで……)
おそらく、生きている中で自然に磨かれた観察眼だとベルナルドは分析した。
声が出せないからこそ、見ている時間が普通の人よりも多い。
だからこそできる相手の意図を完璧に汲んだ魔力操作。
呼吸の仕方を忘れていたベルナルドは、次の瞬間、感じた異質な魔力の気配に息を呑む。
(まさか、聖女の時代の失われた秘術――)
魔法は一人で学ぶものだと思っていた。
少なくとも、ヴィクトリカにとってはそうだった。
『胸に刻みなさい。誰も助けてはくれない』
『答えを教えてもらえるという甘えを捨てなさい』
『自分で考えて貴方の答えを見つけださないといけないの』
ずっと一人で戦っていた。
たくさんの人に囲まれていてもそれは同じだった。
同年代の子と遊んだ記憶は一度もない。
求められるのはいつも期待に応える振る舞い。
本当は寄りかかりたい。
甘えたい。
でも、許されない。
そんな弱さをお母様は許してくれない。
(私は生まれてから死ぬまでずっと一人。誰にも頼らず自分の足でこの道を進まないといけない)
そう思っていた。
だからこそ、背中を支えられているその感覚がヴィクトリカは信じられない。
(なに、この感覚)
初めての感覚に戸惑う。
加えて、ヴィクトリカを驚かせたのはアリアの魔力操作だった。
(私の魔法にぴったり合わせてくる。やりたいことを予想して支えてくれる)
勘が良いってレベルじゃない。
この子は私の魔法を私と同じくらい理解してくれている。
何より、隣で支えてくれるその魔法は、ひとつの思いをヴィクトリカに伝えていた。
『ヴィクトリカなら絶対できる』
弱さを見せても離れずそこにいてくれる。
信じてくれている。
彼女の言葉が頭の中でリフレインする。
『欠けているものへの願いを込める』
欠けているのは多分、安心感だ。
期待に応えられなかったらどうしようって、いつもどこかで少しだけ怯えている。
いらないって思われるんじゃないかという不安がある。
だからこそ求めている。
一族の最高傑作として大輪の花を咲かせる自分の姿を。
凜と美しく咲く真紅の華のイメージ。
ヴィクトリカの魔法の出力が上がる。
今までの最大値を超えてさらに次の段階へ。
支えられているからこそ実現できる驚異的な出力。
(私はもっと高く飛べる)
出力にすべてのリソースを注ぎ込んだヴィクトリカの魔法。
それは次の瞬間バランスが取れずに瓦解しそうになって――
しかし、アリアの魔法がその歪みを包み込んで美しく修復した。
どうやら、私は二人だとさらに高く飛べるらしい。
照れくさいけど。
素直に言うなんてとてもできないけど。
でも、――悪くない。
二人で作った巨大な魔法式が昼の光より激しく光を放つ。
瞼の裏が白く染まるのを感じながらヴィクトリカは思った。
(もう少しこの時間が続いてくれてもよかったのに)
観客席の観衆たちは全身が総毛立つのを感じている。
二人の身体の二倍以上ある巨大な魔法陣。
互いの魔法を全力で出力した上で重ね合わせるからこそ生まれる、目が離せない緊張感と切迫感。
少しでも気を抜けばバランスを崩して瓦解しそうになる魔法式を、息を合わせてつなぎ止める二人。
咲き誇る美しい焔の華は微細に振動してその出力を増し、会場の八割以上を覆い尽くす大きさになっていた。
「其は焔の森の満開の下」
魔法陣が鮮やかに発光する。
「十一枚」
真紅の花びらが十一枚現れる。
「百二十一枚」
焔の花びらが百二十一枚現れる。
「一万四千六百四十一枚」
花びらが一万四千六百四十一枚現れる。
「百七十七万千五百六十一枚」
花びらが百七十七万千五百六十一枚現れる。
ヴィクトリカは一瞬隣に立つアリアに視線をやる。
アリアはうなずく。
「「――散華」」
アリアは多分、口を動かしただけで。
その口の動き自体、マフラーで隠されているからほとんど見えなくて。
しかし、その言葉は二人から発せられたもののように観衆たちには感じられた。
桜吹雪のように焔の花びらが舞う。
それは会場を桜の森の満開の下に変えている。
花びらが乱舞し、巨大な石壁に殺到する。
立っていられないほどの地響きと轟音。
何かが軋むような音が響く。
舞い上がる噴煙。
測定鏡が魔法を分析する。
観衆たちは言葉を失っていた。
張り詰めた空気。
七人の審査員が採点結果を入力する。
土煙の向こうから、波紋のような数字が覗いた。
「結果を発表します。
【美しさと創造性 192点】
【魔力の純度と出力 195点】」
どよめきが広がる。
優勝最有力、現在一位の点数を記録しているベルナルド・アボロを超える点数。
「【緻密さと安定性 171点】」
観衆たちが息を呑む。
(一瞬バランスを崩したから)
過去に経験したことのない出力を支えるために、ほんの一瞬崩れてしまったバランス。
即座に立て直したその綻びが、致命的な減点の対象になってしまった。
ヴィクトリカが目を閉じる。
悔しげな表情に、自分の責任だと感じているのがアリアにはわかった。
(そんなことないのに)
支えきれなかった自分の責任だ。
唇を噛むアリアに、司会の人の声が響く。
驚きの混じった声。
どうしたんだろう、視線を上げる。
砂煙の先で、連携精度を表示する波紋の数字が『200』を表示していた。
「【魔法式精度 193点】
【連係精度 200点】
――合計は951点! 現在二位! 現在二位です!」
瞬間、音が消えたとアリアは錯覚した。
質量を伴った大きな音が全方位から降り注いでいる。
その光景を、アリアは少し戸惑いながら見つめていた。
ずっと一人でがんばってきた魔法。
(こんなにたくさんの人に評価してもらえることがあるなんて)
信じられなくて立ち尽くす。
不意に感じたのは、右肩に何かが当たる感触だった。
ヴィクトリカがアリアの肩に顔を埋めている。
「やった……わたし、やれた……!」
ふるえる声。
涙が肩口を濡らす。
『ヴィクトリカががんばってきたからだよ』って伝えたくて。
だけど、泣きじゃくるヴィクトリカには氷の文字じゃ伝えられないから、代わりにアリアはやさしく背中をさすった。
(まさか、こんな日が来るなんて)
魔法を続けてきてよかったなってアリアは思った。




