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29 大魔導祭


『大魔導祭』のコンテストで披露する魔法の制作は想像していたよりも順調に進んだ。


「言っておくけど、私は厳しいから」


 ヴィクトリカは何度もそう言っていたけど、その妥協しない姿勢もアリアにとっては心地良かった。


 何より、ずっと一人で魔法を続けてきたアリアにとって、誰かと一緒にひとつの魔法を作るのは楽しかった。


 神様からがんばってきたご褒美をもらえたような気持ちで、アリアは制作に励んだ。


 迎えた『大魔導祭』魔法コンテスト当日。


 会場である古城の周辺では、たくさんの魔術師さんが自らの研究を使った展示を行っていた。


(すごい! 見たい展示が数え切れないくらい!)


 コンテストの五時間前に会場についたアリアは、お母様の手を引いて夢中で展示を見て回った。


 中でもその日、アリアの興味を惹いたのは旧魔王領の遺跡で採れたという不思議な石の展示だった。


 追憶石と呼ばれるその石は、触れた人の記憶を吸い込んでいて、次に触れた人が別の人の記憶を垣間見るという現象が起きるらしい。


 この石があることによって、旧魔王領の遺跡では中に入った魔術師が過去にそこにいた人の幻を見ることもあるのだとか。


(そんな不思議な石があるんだ)


 触ってみたいと思ったけど、石は付与魔法が施されたガラスの箱によって厳重に覆われていた。


 他にも、聖壁の向こうに広がっている旧魔王領では今も解明されていない不思議な遺物や現象が多く存在しているとのこと。


 いつか行ってみたいな、と思いながら見ていたら、近くにいたはずのお母様とお父様がいなくなっていた。


(やれやれ、迷子か)


 大人なのに仕方ないな、と思っていたら声をかけてきたのは柄物の服を着た男性だった。


「お嬢ちゃん、一人? お母さんは?」


〖お母様は迷子になっちゃったみたい〗


 肩をすくめつつ氷文字を浮かべる。


「すごいね。魔法が使えるんだ、お嬢ちゃん」


〖それほどでもないと言えば嘘になります〗


「もしかして、名のある貴族家の子だったりするのかい?」


〖フランベール家の子です〗


「へえ、あのフランベール公爵家の」


 男性は興味深そうにアリアを見た。


「おじさんが一緒にお母さんを探してあげよう。ほら、おいで」


 そのとき、アリアの脳裏をよぎったのは知らない人についていってはいけないというお母様の言葉。


 そして、フランベール家の子であることは信用できない人には言ってはいけないと言われていたことだった。


『フランベール公爵家の子であることがわかれば、誘拐して悪さをしようとする人がいてもおかしくないから。わかった、アリア?』


 言われたのは今より小さい頃、随分前のことだったけどその言葉をアリアははっきりと記憶していた。


 同時に、うまく言葉にできないけどなんとなく、この人は怖いように感じられた。


 ついていってはいけない気がする。


(わたしは世界一かわいいから、ナンパしたい人もたくさんいるだろうし)


 実際にナンパされたことはなかったが、『わたしがかわいすぎてみんな勇気が出ないんだな』とアリアは思っていた。


(大人の女性としてきっぱり断らないと)


 氷文字を浮かべようとするアリアの手を男性はつかんだ。


「こっちだ」


 右手を強く引かれる。


 嫌だと言いたかったけどアリアには声が出せない。


 男性は狭い路地を奥へと進む。


 アリアを人気のないところへと連れて行く。


 割れた酒瓶。


 破砕した荷車の部品。


 踏まれて潰れた果物の赤い果肉。


 空気に冷たいものが混じる。


 振り払おうとしたアリアに、男性が取り出したのは刃物だった。


「静かにしてろ。騒ぎ立てたら殺す」


 不安と恐怖がせり上がってくる。


 身体が固まって動かない。


 頭が真っ白になる。


 何も出来ずに怯えることしかできない。


「何をしているんですか」


 不意に聞こえたのは別の男性の声だった。


 振り返る。


 視界の端から割り込んできたのは一人の衛兵だった。


 大柄な衛兵は男性の手を振り払い、遮るように間に立つ。


「迷子の子を助けてやろうとしただけだよ。なんだ、あんた」

「その割には、随分物騒なものをお持ちみたいですけど」

「なんだてめえ――」


 ナイフを振りかざす男性に、衛兵は魔法式を起動する。


宵の夢スリープ


 男性の身体から力が抜ける。


(相手を眠らせる魔法。動いている相手に対して)


 息を呑むアリアの視線の先で、衛兵は崩れ落ちた男性を観察するようにかがみ込んだ。


 握っていた短剣状の魔道具を回収した。


「自警団に引き渡さないといけませんね。君は迷子ですか?」


 声を聞きながら、アリアは不思議な感覚の中にいた。


 顔を見るのは初めての知らない衛兵さん。


 しかし、なぜかアリアはその人を知っているように感じていた。


 顔も声も匂いも違う。


 でも、この魔力の振動は――


〖ローレンスさん?〗


 アリアの言葉に衛兵さんは目を見開いた。


 少しの間押し黙ってから深く息を吐く。


「なんでわかったの?」


 初めて出会ったときと同じ姿を変える魔法。


 いつもの姿に戻ったローレンスさんは困り顔でアリアに言った。


〖なんとなく、魔力の振動が同じだなって〗


「……声が出せない分発達した観察力と感覚器官。あれを見破られるか」


 藤色の髪をかくローレンスさん。


〖どうして姿を変えてたんですか?〗


「やらないといけない仕事があってね」


〖お疲れ様です〗


「ありがとう」


 ローレンスさんは困ったように笑ってから言う。


「お母さんのところに連れて行く。騒ぎになっちゃいけないから姿を変えるよ」


 衛兵に変身したローレンスさんは、アリアをお母様のところへ連れて行ってくれた。


 お母様はすごく安心した様子でアリアをぎゅっと抱きしめた。






(まさか、あれを見破られるとは)


 母親に抱きしめられるアリアを見ながら、ローレンスは物陰で唇を引き結ぶ。


〖なんとなく、魔力の振動が同じだなって〗


 魔力が発する微弱な振動。


 普通の人ではまず感知できないそれを、彼女の感覚器官はたしかに感じ取っている。


 一人の部屋で、外の刺激から遠ざけられた状態で積み重ねた魔法の練習。


 感覚は自然と鋭敏になった。


 誰かの意見ではなく、自分の感性を信じられるようになった。


 加えて、彼女の欠けているものへの願い――存在の根源的な本質が、魔法の発する振動への鋭敏な感覚に繋がっているのだろう。


(これからは今まで以上に細心の注意を払う必要がある)


 ローレンスは密かに自分がしてきたことを振り返りながら思う。


 アリアが一人でいる時間、ローレンスは彼女を遠くから見つめていた。


 変身魔法で姿を変え、隠蔽魔法で気配を消して。


 だからこそ、アリアが《天泣の結晶》の封じられている地下室に迷い込んだときもすぐに助けだすことができたし、今も彼女の危機に即座に対処できた。


 守るにしても過剰に過ぎることは自覚しているし、もし知られたら変に思われることは間違いない。


 一般的に見て良い行いではないかもしれないし、気持ち悪がらせてしまうかもしれない。


 それでも、ローレンスは毎日淡々とアリアの警護と観察を続けた。


(《白の聖痕》の秘密に気づかせるわけにはいかないから)


 路地の影からアリアをのぞき見る。


 問題になりそうなことが起きていないことを確認してから、深く息を吐く。


(本当に、僕は何をしているんだろうね)


 ローレンスは路地の隙間から区切られた空を見上げる。


(わからないんだ、もう。何が正しいのか何が間違っているのか。僕はとっくの昔から迷子になってしまっている。ただ、君があの日僕に頼んだこと。それだけが僕を動かしている)


 ポケットの中で手編みのブレスレットを握りしめる。


 不格好な結び目を指でなぞる。


(僕はあの子を守る。そのために、どんな手を使っても)




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