24 キャンパスライフ
次の授業は魔法史学だった。
今日の内容は、《光の聖女》と《救世の七魔術師》について。
アリアのご先祖である聖女様のお話だ。
「《光の聖女》が魔王を封印したことで、魔物の活性化が収まり世界に平和がもたらされました。災害級の魔物が一夜で都市を滅ぼす悲劇は起きなくなり、人々は安心して暮らせるようになりました。しかし、聖女の戦いは過酷なものでした」
白髪の教授は言う。
「魔王と戦う聖女を支えたのが、当時最も優れていた七人の魔術師でした。中でも、聖女の幼なじみであり最も近くで戦い続けたフレデリック・アレンハウス。その平和に対する思いと献身について称える記録が多く残っています。しかし、すべては見せかけであり彼の嘘でした。彼は心の内に、強い野心と残虐な破壊衝動を隠していたのです」
しわがれた声が講義室に響く。
「《光の聖女》が自らの命を引き換えに魔王を封印した五年後のことでした。アレンハウスは当時の国王を裏切り、王宮を魔法で徹底的に破壊しました。この事件によって聖女に関する資料はその多くが消失し、旧王朝は崩壊へと向かいました。旧王朝を滅ぼした史上最も残虐な【裏切りの魔術師】、それがフレデリック・アレンハウスです」
フレデリック・アレンハウスという魔術師のことをアリアは知っていた。
それはこの国のほとんどの人が知っている有名な存在だった。
聖女が平和にした世の中を、再び地獄に変えようとした【裏切りの魔術師】。
旧王朝の国王に成り代わろうという野心があったという話だけど、名誉欲に振り回される姿は正直に言ってあまり好きにはなれなかった。
(こういう欲望に振り回された悪い魔術師をやっつけて平和を守るためにも、もっと強い魔術師にならなくては)
アリアは悪い魔術師と戦う自分の姿を想像する。
『俺は悪い魔術師! フレデリック・アレンハウスの意志を継ぐ者だ! 世界中すべての料理にパイナップルを入れる魔法を開発した。今、世界は苦しみに染まる』
高らかに宣言する悪い魔術師。
『ダメだ……もう終わりだ……』
『誰か、誰か助けて……!』
悲痛な声が響く中、一人の女性がマフラーをたなびかせて現れる。
『あ、あれは……!』
『正義の魔術師アリア様だ!』
サングラスをかけたスタイルの良い大人女性である正義の魔術師は、鮮やかな魔法で悪い魔術師を瞬殺する。
『いか焼きにパイナップルは合わない』
マフラーが風にひるがえる。
響く黄色い声援。
『きゃー! かっこいい!』
『なんてすごいひとなの……!』
『魔術師様! よかったらお食事でも』
小さく首を振ってから、サングラスを指で触って正義の魔術師は言った。
『ごめんね、子猫ちゃんたち。わたしには救わないといけない人たちがいるから』
素晴らしい物語だった。
文字に書いて伝えれば、すぐに王国中の歌劇場で公演が行われるのは明らかだったけど、書くのが面倒なのでわたしの頭の中に仕舞っておくことにした。
「続いて、前回行った小テストの結果を発表します」
初回の授業で行われた小テストは難しく、座学の知識に自信があるアリアも満点を取ることができなかった。
「満点を取った者はヴィクトリカ・エヴァレット一人だけでした。皆、彼女を見習って精進するように」
隣に座るリオンくんに視線を向ける。
アリアと同じで一問だけ間違えていた。
(やっぱりそこ難しかったよね)
他の問題に比べ、明らかに難易度が違うように感じられた。
まるで、満点を取らさないために作られているかのような。
(なのに解けちゃうんだからやっぱり筆記試験一位はすごいな)
感心しつつ、最前列に座る真紅の髪の彼女に視線を向ける。
アリアたちの世代で一番優秀な新入生。
(わたしもがんばらなきゃ)
アリアは問題を解説する教授に視線を向けた。
噴水前のベンチでリオンくんと一緒にお昼ごはんを食べた。
アリアは懐からいか焼きを取り出して食べ、リオンは鞄から豪華な三段仕様のお弁当を広げて食べた。
〖いつもお弁当だね〗
「外の食事を食べることは禁止されてるんだ」
〖どうして?〗
「毒を盛られたりしたら取り返しのつかないことになるからな」
〖なるほど〗
アリアはじっとリオンを見て続ける。
〖それで、今日もいか焼きが入ってたら少しもらえるとうれしいなって〗
「入ってたぞ。よかったな」
〖わーい!〗
リオンくんが持ってくる王室御用達の料理人が作るお弁当。
担当シェフは卓越したセンスの持ち主のようで、いつも三段目の端っこにいか焼きを入れてくれている。
選りすぐりの食材で作られた豪華仕様のいか焼きをもらうのが、アリアにとっては日々の楽しみになっていた。
〖しあわせ〗
「ほんと美味そうに食うよな、お前」
〖いか焼きは生きる喜びだから〗
「それだけ喜んでもらえたら俺も頼んだ甲斐があるよ」
〖何を頼んだの?〗
「……いや、美味しく作ってやってくれ的な」
〖リオンくん〗
アリアはじっとリオンを見つめた。
「な、なんだよ……」
たじろぐリオンに、アリアは言った。
〖貴方は今、偉大なる主――いか焼き様によって真の愛に目覚めました。自分のために美味しく作ってほしいと願うのもひとつの立派ないか焼きへの愛です。しかし、誰かのためにお願いするいか焼きはこの世界で最も尊いもの。貴方の行いは高く評価され、来世では大海を泳ぐいかに生まれ変わることができるでしょう〗
「いかに生まれ変わっても全然うれしくないんだが」
〖よかったね。立派ないか焼きになることができるよ〗
「なりたくねえよ」
リオンは感情のない目でアリアを見て言う。
「そう言うお前も来世はいかになるのか?」
〖わたしはなれない。心から誰かのためにいか焼きを作ったことがないから〗
「家族と仲良いのに作らないのか?」
〖作ったことはあるよ。でも、どこかでお父様を押しのけて自分で食べたいと思ってしまう気持ちがあったから。あげたのも作った中で一番小さいやつだし〗
「なかなかの食い意地だ」
〖それほどでも〗
敬虔な修道女みたいな顔でアリアは言った。
昼食の後は、研究棟に向かった。
最近のお気に入りは、魔法生物学科の研究棟にあるブリザードペンギンの飼育施設。
気ままに暮らすブリザードペンギンの姿は、ずっと見ていていられるくらい愛らしくて好きだった。
アリアは飼育施設の分厚い防熱硝子に額をくっつけてペンギンを見つめる。
気がつくと時間を忘れている。
予鈴が鳴って、後ろからリオンくんが言った。
「行かないのか?」
〖待って。あと三十秒。子供ペンギンがお母さんペンギンについていくのだけ見たい〗
「三十秒ってことは二分くらいだな」
リオンが何を言っているのかアリアにはわからなかったけど、夢中で見ているうちに二分が過ぎていた。
(大変! こんな時間!)
アリアは慌てて講義室に向けて走り出した。
〖早く行かないと遅れちゃうよ!〗
「知ってる」
授業が始まる寸前で、講義室に飛び込んで一番前の席へ。
授業開始を告げる鐘が鳴る。
午後最初の授業は魔法工学だった。
「まずは前回行った小テストの結果から」
助手を務める大学院の学生が答案を配ってくれる。
「全問正解はヴィクトリカ・エヴァレットとリオン・アークライトの二人だった。他の皆も精進するように」
魔道具の機構について問われる小テストはとても面白いものだったけど、魔法に直接は関係しない弾性力学に関する問題が解けなくて、アリアはいくつかの設問を間違えていた。
魔法に直接関係しない問題だったとはいえ、差を付けられて負けたのはちょっと悔しい。
「今日はこの魔導式切断機を題材に解説をする」
教授が鞄から取り出したのは複雑な機構の魔道具だった。
両手で持つ魔道具の先端には厚みのある刃がついている。
「この切断機は使用者が魔力を流すことで高周波の魔力振動を物体に流す。魔力振動は物体内部に共振を引き起こし分子結合を一時的に弱める作用がある。この原理により、魔導式切断機は様々な物体を切断することができるが、強度の高いものを切断するためには豊富な魔力量と質の高い魔力操作精度が必要になる」
教授は講義室の生徒たちを見回しながら言った。
「誰か、使ってみたいものは」
教授が言い終わる前にアリアは手を上げていた。
魔法を使った道具なんてわくわくが止まらないし、機会がもらえるならぜひとも体験してみたい。
「では、君。前に来なさい」
うなずいて、教授の傍に歩み寄る。
「両手でしっかりと握るように。重たいぞ。危険なものだから慎重に扱え」
指示にうなずきつつ、切断機を持ち上げる。
子供のアリアには、正直言ってかなり重たかったが、ふらふらしていると止められてしまいそうなので脚を踏ん張って平気なふりをした。
「意外に力があるな」
感心した様子で言ってから、教授は金属製の棒を取り出す。
「魔導式切断機はほとんどの金属を切断することができるが例外もある。特にミスリルに関しては切断するのが極めて難しい。まずはこの棒を切断してみなさい」
アリアは切断機に魔力を込める。
切断機の刃から高周波の魔力振動が、金属製の棒に向けて流される。
物体内部に共振が起きて、分子結合が一時的に弱まる。
金属製の棒は切断されて、ごとりと重たい音をたてて講義室の床に転がった。
「このように、鋼鉄でできた棒を切断機は容易に切断する。これは鋼鉄の分子構造が一切の魔素を含んでいないからだ。魔素を含んだ金属は切断機の魔力振動に対して共振しづらい性質がある。だからこそ、魔素を最も多く含んだ金属であるミスリルは切断するのが難しい」
教授はミスリル製の金属棒を取り出す。
「次、このミスリル製の金属棒を切断してみなさい」
アリアは重たい切断機を金属棒に当てる。
両足で踏ん張り、ふらつかないように意識しつつ切断機を制御する。
握った両手で魔力を込める
切断機が振動波を金属棒に流す。
たしかに教授の言った通りだった。
内部で共振の現象は起きず、金属棒はびくともせずに真っ直ぐに伸びている。
「このように、切断機でミスリルを切断することはできないことが知られていて――」
教授の声が響く。
説明を聞きながら、アリアは考えている。
(どうにか切断する方法はないのかな)
目を閉じて、振動波を制御してみた。
共振しづらい魔素を含んだ分子結合構造に対して、切断機と異なる振動数の振動波を当てる。
見当をつけながらひとつずつ試していく。
ミスリルが共振する振動数を探す。
(こっちの方が振動の波がちょっと大きそう)
かすかな感覚を頼りに、振動波を調整する。
不意に気づいた。
魔素を含んだ金属が振動波で切断できないのは、魔素を含んだ部分とそれ以外のところで共振する振動数がちがうからだ。
(だったら、内部の構造に合わせて二通りの振動波を当てれば――)
ふわりと浮かぶ前髪。
強い魔力圧が教授と学生たちの身体を押す。
次の瞬間、金属製の棒の上半分がはじけ飛び、目にも留まらぬ速さで講義室の天井に突き刺さった。
誰も言葉を発しなかった。
発してはいけないような緊張感があった。
教授は静かに切断された棒の断面を見つめてから、天井に刺さった金属片を見上げた。
「このパターンは想定してなかったな。いったいどうしたものか」
教授は考え込んで、五分ほど授業が止まった。
アリアは興味津々で魔導式切断機を観察したりつんつんしたりしていた。