21 秘密の地下室
拍手が響く壇上。
照明の光が顔をあたためる中、アリアは呆然と観衆を見つめていた。
数え切れない拍手の音が、質量を伴った風圧となってアリアの頬を撫でる。
自分しかいない静かな部屋。
ずっと一人で続けてきた魔法。
普通ができない自分には無理かもしれないと不安だったあの頃。
だからこそ、アリアは信じられない気持ちで瞳を揺らしていた。
(わたしの魔法がこんな風に評価してもらえる日が来るなんて)
こんなことあるんだ、とびっくりしている。
胸の中に広がるのはあたたかな感触。
(うれしいな)
頬をゆるめる。
漂う甘い香り。
アリアを包む花の壁。
視界の端に学長先生の大きな背中が映る。
戦いの中で見た学長先生の魔法式は本当に綺麗だった。
いったいどれだけの時間を魔法に捧げれば、あんな魔法式が描けるのだろう。
しかも、攻撃が当たっていたことをみんなの前で言って、アリアに花を持たせてくれた。
(すごい……かっこいい……)
好みのタイプを聞かれたら学長先生みたいな人、と答えようとアリアは思う。
案内役の人に先導されて自分の席に戻る。
別れ際でいか焼きを渡される。
どうやら落としていたらしい。
ありがたく受け取って懐にしまった。
「大丈夫か?」
小声で言うリオンに、うなずきを返した。
椅子に座ってから、手帳に文字を書く。
〈わたし、好きな人ができたかもしれない〉
リオンは目を見開いた。
唇を引き結んでから、手帳に文字を書いた。
〈好きな人って誰だ?〉
アリアは返事を書く。
〈学長先生〉
「60歳超えの年上……だと……」
リオンは凍り付いたように動かなくなった。
持っていた案内の用紙が床に落ちた。
拾い上げて渡そうとするけど、反応がない。
(どうしたんだろう?)
首をかしげる。
つんつんしてみたが、リオンくんはそのまま身じろぎひとつせず固まっていた。
式は滞りなく進んだ。
学長先生が閉会の言葉を言い終え、壇上を降りる。
入学式が終わる。
入学生たちが大講堂から出ようと立ち上がる。
(出ようよ、リオンくん)
肩をつんつんしたが反応がなかった。
なんだかお取り込み中みたいだし、そっとしておくことにした。
(よし、魔法大学見学をしよう!)
アリアは早足で外に急ぐ。
扉を開けると、そこにいたのはたくさんの学生たちだった。
「入学おめでとう!」
「異国料理研究会に興味ない?」
「君は神の奇跡を信じてる?」
大講堂の入り口にひしめきあう先輩たち。
どうやら、サークルの勧誘らしい。
(興味が無くはないけれど、わたしは魔法大学を見て回りたい……!)
強い意思で人の波をかきわけ、研究棟に向かう。
人込みがすごすぎて、なかなか行きたい方向に行くことができなかった。
(世界一かわいいわたしだし、みんなが勧誘したくなるのも仕方ないけど!)
自分よりずっと大人な先輩たちの脇腹のあたりに何度も頭をぶつけつつ、なんとか人込みを抜け出る。
(やっと出られた)
ここはどこだろうと周囲を見回す。
研究棟に向かおうと歩きだしたアリアが感じたのは、ほんのわずかな違和感だった。
(あれ? なんだろうこの魔力の気配)
感じたことのない変わった魔力の気配だった。
消え入りそうなわずかな気配を追いかける。
人気のない方へと進んでいく。
たどり着いたそこは旧授業棟の一角だった。
青々とした芝生に校舎が影を落とすその場所は、一見何もないように見える。
しかし、アリアにはそこに何かがあるように感じられた。
物体があるという気配を、アリアの肌は振動として感知している。
(いったい何だろう?)
手を伸ばす。
アリアの足下で何かが光を放つ。
次の瞬間、アリアはまったく違うどこかに立っていた。
驚きつつ周囲を見回す。
石造りの壁が周囲を覆っている。
そこは廊下のようで、蝋燭台の魔道具が等間隔で並んでいた。
廊下の先には下に降りる階段が続いている。
(もしかして、魔法大学の秘密の地下室とか)
最初はそうだったらいいな、くらいに思っていたのだけど、見れば見るほど秘密の場所であるように感じられる。
もしかしたら、入ってはいけないところなのかもしれない。
(でも、入っちゃダメとは書いてないし、入ってしまったものは仕方ないよね、うん)
わくわくしつつ階段を降りていく。
長い階段だった。
人生でこんなに長い階段を見るのは初めてだった。
(この長さ、明らかに普通じゃない。いったい何があるんだろう)
期待に胸を弾ませつつ、たどり着いたそこには大きな扉があった。
巨人が使うような大きな両開きの扉だ。
重厚な扉にはアリアが見たことのない、途方もなく高度な付与魔法が幾重にも施されている。
七十二の魔法結界に隔てられた扉の奥からは、小さな音が響いていた。
しとしとと降る雨の音だった。
(なんで地下深くにあるのに雨の音?)
水を撒く魔道具があるのだろうか。
首をかしげていたアリアは、扉に文字が刻まれていることに気づく。
今は使われていない古代文字だった。
アリアはその文字を読むことができた。
いくつかの古い文献に、警句として載っていたからだ。
『絶対に近づくな』
息を呑む。
しんと冷えた空気。
身体の奥から何かがせり上がってくる感覚。
思わず後ずさったそのとき、かちりと音がした。
鍵が開くような音だった。
鈍い音とともに扉が開く。
そこにあったのは何かの祭壇だった。
儀式が行われた後であるように見える。
祭壇の中心には透き通った青い結晶が置かれている。
表面には何かの雫が滴っている。
雨が降っていないのに雨の音がしている。
その結晶を見たとき、アリアは不思議な感覚になった。
初めて見るのにずっと前から知っていたような。
自分に近い何かを見ているような気持ちになった。
結晶が発光する。
展開する魔法式。
巨大な氷の槍がアリアに向けて疾駆する。
鉱石をゼリーのように割くその一撃をアリアはかわしていた。
声が出せないことで培われた観察眼と、微弱な振動を感知することによる人間離れした反応。
(なに、あれ)
結晶が魔法を展開している。
いったい何が起きているのか。
(無機物が魔法を使えるなんて聞いたことないけど)
あれは何なのだろう。
見つめるアリアの視線の先で、魔法式が次々に展開する。
氷の槍がその数を増す。
(まずい――)
飛翔する氷の槍。
すべてをかわしきることはできない。
迫る脅威に思わず目を閉じる。
次の瞬間、アリアの鼻腔をくすぐったのは爽やかな石けんの香りだった。
ふわりと鼻先をくすぐる藤色の髪。
知っている匂いにその顔を見上げる。
「なんでここに入れるかな。まったく」
そこに立っていたのは特級魔術師であるアリアの先生――ローレンス・ハートフィールドだった。
氷の槍は彼の手に触れた瞬間、すべての推進力を失い寸分も動かず静止している。
(あの氷の槍を簡単に)
目を見開いたアリアは次の瞬間、ローレンスさんの腕の中にいる。
「逃げるよ」
抱きかかえられる。
硬い腕の感触。
想像していたよりずっと強い力に引き寄せられて、アリアはお兄さんに守られているみたい、と思った。