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2 時間を忘れるほどに好きなもの


 アリアにとって、時間を忘れるほどに好きなものができるのは初めてのことだった。


 それまでにも好きなものはいくつかあった。


「アリアが私にとって一番の宝物だから」といつも言ってくれるお母様。


「この子は天才かもしれない」とことあるごとに言ってくれるお父様。


 指先でなぞるやわらかいシーツの感触。


 誕生日に買ってもらった大きなくまのぬいぐるみ。


 公爵領のお祭りに行ったとき、屋台で買ってもらって食べた黒蜜醤油のいか焼き。


 しかし、他とは違う特別な何かが魔法に対する好きには含まれている気がした。


 幸い、フランベール公爵家のお屋敷には代々受け継がれた巨大な書庫があって、魔法の本もかなりの数が収蔵されていた。


 その夏、四歳になったアリアは自分が自由にできる時間のすべてを魔法に捧げた。


 許嫁だった同い年の第三王子が遊びに来たときもそうだった。


 アリアは王子を放置して、ずっと魔法の本を読み続けていた。


「どうしてここまで一心に本ばかり……」

「この子はどこかおかしいんじゃないか」


 大人たちは怪訝な顔をしていたけれど、第三王子は嫌そうじゃなかったと記憶している。


 最初は唖然としていたけれど、気がつくとアリアの隣で本を読みふけっていた。


「これ、結構面白いな」


 弾んだ声で言う第三王子――リオン・アークライトに、アリアは手帳に文字を書いて返した。


〈つぎはこれおすすめ。貸してあげる〉


「忙しいから読むかはわからないけどな。まあ、気が向いたら読んでみるよ」


 リオンが再びアリアの家に訪れたのはその三日後のことだった。


「次のおすすめを貸してくれ」


 アリアはおすすめの本を貸してあげた。


 それから一年間、週に一度以上の頻度で彼は家に来てアリアから魔法の本を借りていった。


 アリアは声が出せない分、相手を観察して考えを読み取るのが得意だったから、そのときの理解度に合わせた面白い本を見繕って選ぶことができた。


「なあ、この言葉ってどういう意味なんだ?」


〈それはたぶん、焼きたてのいか焼きくらい好きって感じだと思う〉


「いか焼きが好きなのか?」


〈すごく〉


 生まれた疑問について話したり、互いの好きなものについて話したりした。


「俺はこの本好きだったな。書いている人の思いが出てる感じがするというか」


〈そう! 育ててくれたおばあちゃんへの思いがすごくいいの!〉


「魔法の部分もよかったけど、そこが一番良いと思った。その思いが魔法にも現れてる感じがするし」


〈よくわかっている! 次はこれとこれとこれおすすめ!〉


「わかった。読んでみるよ」


 アリアにとって、人生で初めてできた友達が彼だった。


 同い年の子が隣にいるというのはなんだか不思議な感じだった。


 誰も気に留めない道ばたの野草みたいに、いてもいなくても同じみたいに扱われることに慣れていたから。


 本を好きになってからは、一人でいても全然気にならなくなったけど。


 でも、友達がいるというのはなかなか悪くない気持ちだということをこのときアリアは知った。


 筆談のアリアを気にせず待ってくれる、リオンの優しさの気配が好きだった。


「一緒に魔法を教わってみないか。ちょうどこの辺りに父の知り合いの先生が住んでるらしくてさ」


 リオンの言葉に、アリアは息を呑んだ。


(やる! やりたい!)


 前のめりになって、首を大きく振ってうなずいた。


 魔法の本を読んでいるだけで幸せで、実際に教わるなんて考えたこともなかった。


 友達は知らない世界を教えてくれる。


 想像しただけで胸が弾んだ。


(たくさん勉強してきたし、天才だって驚かれちゃうかも!)


 アリアは期待に胸を弾ませて、魔法の先生が教えに来てくれる日を待った。






 魔法の先生が来る日、アリアは門が見える窓の前で一時間前から待機していた。


 何かの都合で早く来るかもしれない。


 前日は楽しみすぎて眠れなかったし、珍しく読んでいる本に集中することができなかった。


 それはアリアにとって初めてのことだった。


 門の先に広がる中央通り。


 王室が所有する豪奢な馬車が見えて、アリアは階段を駆け下りた。


〈お母様! お父様! 先生が来た!〉


 アリアは両親の手を引いた。


 両親と使用人さんと並んで、馬車を出迎えた。


 扉を開けて出てきたリオンは驚いた顔をした。


 アリアの視線が、自分の後ろにいる先生に注がれているのに気づいて不服そうに息を漏らした。


「俺には出迎えないのに」


 小さな声で何か言っていたけれど、夢中のアリアにはまるで聞こえていない。


〈熱烈歓迎! ようこそお越し下さいました先生!〉


 昨日思いついて作った横断幕を広げる。


「あらあら」と微笑むお母様。


 先生はアリアの姿を見て微笑む。


「歓迎してくれてありがとう」


 アリアは手帳にペンをはしらせる。


〈はじめまして! よろしくお願いします!〉


 手帳の文字を見た先生は、少しの間固まった。


 しかし、それは一瞬のことだった。


 先生はアリアが手帳に書いた魔法についての質問に親身になって答えてくれた。


〈魔法を使うにはイメージが大切というのは本当ですか?〉


「本当だよ。願いや心象風景と魔法は密接に繋がっている。イメージによって魔法の質が変わることもあるよ」


〈今の魔法と聖女様の時代の魔法で、魔法式構造が違うのはどうしてですか?〉


「魔法の技術は時代を重ねるごとに上がっているからね。特に詠唱魔法の進歩は聖女様の時代と比べると目覚ましい。一方で、難易度が高すぎて失われてしまった古式魔法もある。その意味でも現代魔法と聖女様の時代の魔法が異なるものになっている」


〈魔法を使うとき、魔法式の第二補助式のところが気になってて〉


「……魔法が使えるの?」


 先生は目を丸くして言った。


〈はい! ちょうど先週初めて成功しまして!〉


「見せて欲しい」


 表情を変えずに言う先生。


 アリアは初めての魔法を先生に披露した。


 それは庭に入り込んだ野良猫をマッサージする魔法だった。


 お尻をトントンとマッサージされた黒猫は、気持ちよさそうに目を細めながら「もっと」とアリアにお尻を向けた。


「信じられない……五歳で無詠唱魔法を」


 先生は瞳を揺らしてつぶやいた。


 先生はアリアの魔法を仔細に観察した。


「現代魔法と異なる魔法式構造……どちらかと言えば聖女様の時代の魔法に近い」


 最後に、アリアの肩をつかんで目線を合わせて言った。


「君は大きな問題を抱えている。声が出せないことだ。君には詠唱ができない。この世界で主流の魔法はほとんど使うことができない」


 肩を掴む先生の手に力がこもった。


「君は他の魔術師と同じ道を進むことができない。私は君を教えられないし、他の魔術師も君を教えることはできないだろう。君は人に頼らず自分の力で道を切り開かないといけない。だけど、だからこそ君は誰も真似できない特別な魔術師になれる可能性がある」


 先生は言った。


「自分を信じて。君だけの道を進みなさい」






 先生が帰った後、アリアはかけられた言葉を反芻していた。


(わたしに、誰も真似できない特別な魔術師になれる可能性があるなんて)


 夢にも思っていなかった言葉。


 教えられないと言われたのは残念だったけど、それ以上に大きなものをもらえたようにアリアは感じていた。


 詠唱魔法が使えないアリアには、難度の高い無詠唱魔法しか使えなくて。


 でも、だからこそ小さい頃から難しい魔法の練習を誰よりも多く続けられる。


 アリアは張り切って猫をマッサージする無詠唱魔法を極めることにした。


 二年間一日も休まず練習した。


 毎日午後三時にはたくさんの猫たちがアリアの部屋の窓に列を作って並ぶようになった。


 第三王子であるリオンくんとの婚約が破談になったのは、そんなある日のことだった。


 そこには少しだけ不穏な何かが感じられたけど、お母様とお父様はそんな感情をまったく表に見せなかった。


「私たちの方から断ってやったの。王室なんかにアリアは勿体ないって」

「アリアは世界一かわいいからな。もっと一緒にいたいっていう親のわがままだよ」


 後で知ったのだけど、婚約が破談になった一番大きな理由は、第三王子の結婚相手としてアリアが不適格ではないかと反対意見が出たかららしい。


 聖痕による欠損は子供に遺伝することがある。


 王族の結婚相手として最も求められる仕事は、いざというときに優秀な為政者として国王の役割を務められる子供を残すことだ。


 その意味で、声が出せないアリアは不適格だと言う声があったらしい。


 生まれる前に決まっていた婚約だから、アリアが聖痕持ちであることが判明した時点で王室は婚約を破棄する機会を伺っていたのかもしれない。


 しかし、七歳のアリアはそんなこと知らなかったから、『わたしが世界一かわいいのが理由なら仕方ないか』と素直に納得していた。


「お前は何も悪くないからな。ほんと終わってるよ、うちの家」


 苦々しげに言うリオンくんにアリアは首を振った。


〈気にしないで。わたしがかわいすぎたせいだからしかたない〉


 リオンくんは目を丸くした。


 少しの間固まってから、やさしく微笑んで言った。


「そうだな。お前がかわいすぎたせいだから仕方ない」


 それから、真剣な顔でアリアを見つめて続けた。


「これからは今みたいに会いに来れないと思う。情が移るから会わせないってうるさい大人たちが言ってるから」


 会えなくなるのは寂しかった。


 寂しいと感じる気持ちが自分にあることにびっくりした。


 友達がいなくても全然平気だったのに。


 それだけ彼がアリアにとって大切な存在になっていたのかもしれない。


「俺、絶対あの家抜け出すから。この国で一番の魔術師になって、声が出せなくても簡単に使える魔法を発明するから」


 リオンは少しの間、言葉を探してから言った。


「だからお前、魔法やめるなよ。俺はお前に魔法を続けて欲しい」


 その言葉がアリアはうれしかった。


 アリアも彼に魔法を続けて欲しかったから。


 二人で一緒に読んだ魔法の本。


 離れていてもつながっている。


 続けていればいつかまた会える。


 アリアはうなずいてから、ペンを走らせた。


〈絶対続ける! 最強の二人になってまた会おう!〉


 婚約破棄が正式に決まったお別れの日。


「またな! 絶対魔法続けろよ!」


 馬車の窓から身を乗り出して、手を振るリオンにアリアは手作りの横断幕を掲げた。


〈会いに来てくれてうれしかった! 世界に羽ばたけリオン・アークライト!〉


 中央通りの噴水で、馬車が右に曲がって建物の陰に隠れるまでアリアはずっと横断幕を掲げていた。





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― 新着の感想 ―
リオン、ええ奴やな! 男前過ぎるで! 若き2人の未来を楽しみに、続きを読ませて頂きます。
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