18 入学式
王立魔法大学入学式の日。
試験の日と同じように正門の前で馬車を降りたアリアは、門の前に立つ警備の人に一礼してから大学の敷地に入った。
周囲の入学生に比べて、飛び級で合格したアリアの身体は異様なほどに小さい。
必然的に好奇の視線を向けられることになったが、マフラーを巻いた少女はそんなことに気づいてさえいなかった。
(とりあえず浮遊植物園を見てから、向こうの実験室と魔法動物もチェックして――)
夢中で大学の施設を見て回る。
演習室の窓に額をくっつけて、中で行われている魔法実験を見ていたアリアは、後ろの方からくすりと笑う気配が聞こえて振り返った。
(あ、リオンくんだ)
少し離れたところにいた彼に近づいて、氷文字を浮かべる。
〖おはよう!〗
「……おはよう」
表情を変えずに言うリオンくん。
愛想も気遣いも欠片も感じられない固い表情だったけど、《人の心が通っていない魔法マシーン》とか《現代魔法教育が生みだした悲しい怪物》なんて言われているらしい彼だからそれがいつもの姿なのだろう。
アリアは目を細めてから、再び背中を向けて演習室の窓に額をくっつける。
「行かないのか?」
〖今良いところだから〗
「………………俺も見ていこう」
二人で演習室の窓から魔法実験を見ていた。
どのくらいの間そうしていたのだろう。
隣でリオンくんが言った。
「まずい。入学式の時間が」
リオンくんは懐中時計を見せてくれる。
予定されていた時間が近づいていたけれど、アリアは再び演習室の窓に顔をくっつけた。
「行かないのか?」
〖入学式より今はこの実験を見てたいなって〗
「変わってないな」
リオンは表情をゆるめてから言う。
「だが、入学式にも出席する価値はあるかもしれない」
〖何かあるの?〗
「毎年、学長が入学生に魔法を披露してるらしい。学長は元特級魔術師で、年齢を理由に今は第一線から退いているが、その植物魔法は今も比肩する者のいない高みにあるって話だ」
〖何してるのリオンくん。早く行かないと遅れちゃうよ〗
「切り替えが早い」
リオンを先導して、入学式の会場である大講堂へと歩きだすアリア。
大講堂の場所は、合格通知と共に配布された案内に書かれていたけれど、目の前のことに気が取られるアリアは、何度も逆の方向に行こうとしてリオンに止められた。
「そっちじゃない」
〖わかってる。今のはリオンくんを試しただけ。本当はこっち〗
「そっちでもない」
方向音痴なアリアと違って、リオンは大講堂の場所を正確に把握していた。
大講堂の入り口で、配布されていた案内と赤い薔薇のコサージュを受け取る。
〖見て見て、リオンくん。右目が薔薇の人〗
「……左目もやるか?」
〖やる〗
リオンくんにコサージュを借りて、『両目が薔薇の人』というボケを完成させたアリアだけど、受付の人の反応はいまいちだった。
コサージュを胸元につけて用意された椅子に座る。
式が始まる三分前に会場に着いたアリアたちは、後ろの方だった。
椅子はまだ三列ほど空きがあって、アリアたちの後にも入学生がまばらに入ってきて座っていた。
遅れてくる人や来ていない人もいるらしい。
始まった入学式は、残念ながらあまり面白いものではなかった。
知らない人が難しい言葉で挨拶していた。
リオンくんが飛び級最年少で合格したことが触れられて、周囲の人たちがちらりと視線を向けた。
(同い年だけど誕生日的にリオンくんの方が速かったのか)
アリアは少し悔しかったけど、自分の方が何ヶ月か年上のようだし大人の余裕で我慢してやるか、と思った。
入学生で筆記試験首席だという女の子がスピーチをしていた。
驚いたことに、アリアと同い年だった。
(同い年で入学生首席って……)
真紅の髪の意志が強そうな女の子だった。
凜とした立ち姿と堂々としたスピーチを感心しつつ見つめる。
〈すごいね〉
手帳に書いてリオンくんに見せると、彼は手帳を受け取って返事を書いた。
〈俺にもスピーチの打診来てたけどな〉
〈そうなの?〉
〈俺も同点で首席だったから〉
〈同点ってすごい偶然だね〉
〈やるべき対策と準備をしていれば、大体あのくらいの点数になる〉
〈しばらく見てないうちに立派になったねえ〉
〈何目線だよ〉
〈魔法を知るきっかけを与えたわたしとしても鼻が高いよ〉
うんうん、とうなずきつつスピーチを聞く。
続いて行われたのは学長先生の挨拶だった。
「本学の学長であるダンテ・エルネスティじゃ」
学長先生は白髭をゆたかにたくわえたおじいさんだった。
リオンくんの話によると、元特級魔術師で今もこの国で最も優れた植物魔法の使い手であるとのこと。
(いったいどんな魔術師さんなんだろう)
目を閉じて、意識を集中する。
少しの驚きとともに、アリアは目を開けた。
(びっくりするくらい魔力の気配を感じない)
まるで魔力がまったくないかのようだった。
(どうすればここまで魔力の気配を消せるんだろう)
おそらく、魔力を操作する力と精度が異常なまでに高いのだろうとアリアは推測する。
魔力の気配を隠すのは簡単な技術じゃない。
その難度は魔力量が多ければ多いほど難しくなる。
アリアが魔法を教わっている特級魔術師――ローレンスさんもここまで魔力の気配を消すことはできていない。
(熟練度だけなら特級魔術師以上……)
どんな魔法を使うのだろう。
知りたい。見たい。触れてみたい。
自然と身を乗り出すアリアの耳に届いたのは進行役の人の声だった。
「それでは、本学入学式の恒例行事である学長による魔法の披露を行います。実技試験で首席だった入学生との模擬試合。制限時間は一分間。先に魔法を当てることが勝利条件の一撃先取制です」
王宮魔術師さんとやったやつだ。
いったい誰が相手役なんだろう、と思っていると司会の人が言った。
「みなさん拍手でお迎えください。相手役を務めてくれるのはアリア・フランベールさんです」
(え? わたし?)
聞いてないんだけど、と周囲を見回す。
「聞いてないのか」
隣で言ったリオンくんにうなずく。
「アリア・フランベールさん。どうぞ、前へ」
よくわからないけど、こうなったらもう行くしかない。
立ち上がって、壇上へ向かう。
拍手と会場中の視線がアリアに注がれる。
迎えてくれた学長先生は観察するようにアリアを見つめていた。
会場のどこかからささやき声が聞こえる。
「あんな小さい子が実技試験一位だったのか?」
「九歳、いや八歳くらいに見えるが」
「小柄なだけだって。さすがに十歳は超えてるだろ」
(わたしは十二歳の大人のレディなんですけど! オーラを含めれば身長三メートルなんですけど!)
怒りに身体をふるわせる。
「背中合わせに立って下さい。そこから十歩前へ」
進行の人の言葉に従い指定の位置に立つ。
会場中の視線が集中する。
壇上の照明が肌を焼く。
張り詰めた空気。
心臓が飛び出しそうなくらいにうるさい。
緊張のしすぎで頭がくらくらする。
(とにかく、やるしかない)
「試合を開始してください」
特級魔術師以上の魔力操作精度を持つ学長先生に向けて、アリアは魔法式を起動した。