16 子供と大人
無事リオンと話すことができたアリアは、弾むような足取りで家に帰った。
早速、覚えた氷文字の魔法をお母様に披露する。
〖魔法で文字を浮かべられるようになりました!〗
お母様は何も答えなかった。
無言でアリアのことを見つめていた。
(あれ? 思っていた反応と違うような)
喜んでもらえると思ってたのに。
どうしてだろう、と首をかしげるアリアの手をお母様がつかんだ。
腕を引かれる。
連れて行かれたそこは、お父様の仕事部屋だった。
「貴方! 大変よ! アリアが!」
「どうした? 今、忙しいんだが」
「言葉を、言葉を出したの……!」
「言葉を出した?」
困惑した表情のお父様に、氷文字で返事をする。
〖邪魔してしまってごめんなさい〗
お父様は氷文字を見て息を呑んだ。
「アリア……それ、会話できるのか?」
〖できます。面白いことも言えます〗
うなずいて言葉にする。
次の瞬間、アリアはあたたかい何かに包まれていた。
お母様とお父様がアリアを抱きしめていた。
「すごいわ……すごいわ、アリア!」
「やった……やったな……!」
お母様の抱きしめ方は興奮しすぎてちょっと痛いくらいだった。
お父様は泣いていた。
「父にも連絡しよう」
「そうね、お祖父様にも喜んでもらわないと」
なんだか話が大きくなっている。
(いや、そんな大げさな感じではないんだけど)
お祖父様とお祖母様が招待されて、三時間後には『アリア氷文字習得記念パーティー』が開かれた。
アリアは、この地味な魔法で上がったハードルを越えられるのか不安で仕方なかったけど、お祖父様とお祖母様はアリアの魔法を見て、びっくりするくらいの勢いで泣いていた。
「天才じゃ……儂の孫天才じゃった……!」
「よくがんばったわね、アリアちゃん……!」
(絶対そこまで泣かれるようなことはしてない……)
アリアは困惑していた。
(大人って子供に対して評価が甘くなるポイントがあるのかな……?)
よくわからなかったけど、喜んでくれるのは素直にうれしい。
〖この魔法を使って友達ともっと仲良くなります。そして、世界一の魔術師を目指します!〗
頬をゆるませながらそう伝えると、お祖父様とお祖母様はさらに泣いた。
「逸材じゃ……大学でも大活躍間違いなしじゃ……!」
「大学で友達いっぱい作ってね。ばあば応援してる」
(まだ合格が決まったわけじゃないんだけど……)
会場には、既に合格したかのような空気が漂っていた。
(落ちてたらどうしよう……)
アリアは、首筋に冷たいものが伝うのを感じていた。
◇ ◇ ◇
王立魔法大学の東区画にある小会議室。
試験官を務めた教授たちが集まる中、筆記試験の採点結果が集計されている。
「今年は豊作ですね。例年以上の難度だったにもかかわらず満点の生徒が二人もいる」
言ったのは眼鏡をかけた魔法工学の教授――レイネスだった。
「最年少記録を更新する十二歳。その上、二人とも三十五分以内に試験問題を解き終わっている。ほとんど同時ですが、厳密に言えば少しだけ差がありました」
魔導式の映写機が密かに撮影していた試験会場の映像が、スクリーンの上で再生される。
「ヴィクトリカ・エヴァレット公爵令嬢は二十七分四十九秒の時点で問題を解き終わり、確認作業を開始している。一方、リオン・アークライト殿下は解き終わるまでに三十一分十七秒かかっている」
「ヴィクトリカ・エヴァレットの方が優秀だということですか」
魔法史学教授の言葉に、レイネスは首を振った。
「一概にそうとも言えません。私は問題に対して殿下の方がより正確かつ丁寧な姿勢で臨んでいたのではないかと推測します。根拠として、ヴィクトリカ・エヴァレットは見直し作業で二つの設問のミスを修正していますが、リオン殿下は一つも直していない」
「一周目の回答を終えた時点で満点だったと」
「その意味で言えばリオン殿下の方が満点に到達するまでの速度は速かったと言えます」
スクリーンを見つめて言うレイネス。
「無意味な比較だ。一度の結果で本当の実力はわからない」
言ったのは古代魔法学を担当する教授だった。
「たしかに。そういう考えもありますね」
うなずくレイネス。
「もう一人、興味深い答案だったのがアリア・フランベール公爵令嬢です。問題を解き終わるまでの時間は百十六分と全体の平均より遅いものでしたが、成績は上位2パーセントに入る全体二十八位でした」
「だが、満点の二人とは明確に差があるように感じますが」
「そうですね。今回の試験は二人が突出していました。三位以下との間には明確な差がある。しかし、その上でこの子の答案は非常に興味深いものでした」
レイネスは言う。
「まずはっきりと違うのは、試験のための勉強をほとんどしていないのが記述式の解答から読み取れることです。受験用対策の形跡が明らかに少ない」
「効率的な学習法ができていないということでもありませんか」
「私はそう思いません。むしろ、不利な状態でここまで対応した、その豊富な知識量を評価するべきだと考えます」
彼女の答案を見つめる教師たち。
その反応を注意深く観察してから、学長ダンテ・エルネスティは言う。
「実技試験の結果は?」
「ヴィクトリカ・エヴァレットとリオン・アークライト殿下は十六羽でした」
試験を担当したマクベスの言葉に、教授たちが息を呑む。
「あの難易度でその数を捕獲するか」
「座学だけではなく実技でも一流ですね」
教授たちの言葉に、マクベスは唇を引き結んで言った。
「しかし、一位は二人ではありません。二人を超える十七羽を行動不能にした生徒がいます」
「行動不能?」
「ええ。傷を付けることなく行動不能にした。極めて稀な事例でしたが、事実上拘束していると判断して彼女を一位としました」
「その生徒の名前は」
「アリア・フランベール」
どよめきが会議室に響いた。
「過去に魔術師試験を一度も受けていないにもかかわらず実技試験一位を記録するとは」
「特級魔術師ローレンス・ハートフィールドに師事したことで急速に力を伸ばしたという噂です」
「あのローレンスが目を付けるだけのことはあるということか」
戸惑いながら言葉を交わし合う教授たち。
「落ち着いてください。議論は冷静に行うべきです」
口を開いたのは、神聖魔法学を専門とする白髪の教授だった。
「彼女には《白の聖痕》がある。生まれつき声が出せないという問題を抱えています。聖王教会では、千五百年前に出された決議を根拠に聖痕所有者を要職に取り立てることを避ける方針が採られています。王国魔法界の歴史上で、聖痕所有者が魔法大学に進学した前例は一例もありません」
白髪の教授は言う。
「入学させて何か問題が起きれば、学長や我々の責任問題にもなりかねない。そもそも、身体機能に欠損のある人物を合格させて厳しい競争にさらすのが果たして人道的な選択と言えるでしょうか」
彼の言葉は、会議に参加した教授たちにとって少なくない説得力のあるものだった。
押し黙る教授たち。
白髪の教授は続けた。
「人にはそれぞれ神から与えられた天分がある。鳥には空で、魚は水の中で暮らした方が双方にとって幸せなのです。そう考えると、彼女を本学に入れることが本当に正しいのか。王国最高学府としての権威を守るために。そして、何よりも彼女の未来を守るために慎重な判断をするべきです」
低い声で続ける。
「学長、ご判断を」
会議室を沈黙が浸した。
海の底のように静かな沈黙だった。
会議に参加した者たちの視線は、自然と最奥に座る一人に注がれた。
齢七十を超えてなお、王国最高の魔術師の一人と称される元特級魔術師。
王立魔法大学の頂点に立つ学長――ダンテ・エルネスティ。
「たしかに、君の言う通りじゃ」
ダンテは口を開いた。
しわがれた声が響いた。
「言葉にしていないだけで同様の懸念を抱いている者は他にも少なくないだろう。千五百年前に出された決議によって、聖痕所有者が魔法界の表舞台に上がることはほとんどなくなった。その影響は、今も我々の価値観の中に無意識レベルで作用している」
ダンテは言う。
「前例がないというのもその通りじゃな。問題が起きれば、責任問題になることは間違いない。王国最高学府である本学の権威が揺らぐ事態になる可能性もある」
「でしたら――」
「だが、そんなことは考慮する価値のない些事に過ぎない」
口を挟んだ教授の言葉を遮ってダンテは言った。
「重要なのは、魔法という学問を前に進めること。この大学は魔法という学問を先に進められる革新的な魔術師を輩出するために存在している。人と違う? 前例がない? 声が出せない? 素晴らしい。だからこそ、彼女は無詠唱魔法という一点ではここにいる教授たちさえ超えている」
低い声でダンテは続ける。
「前例がないなら、我々が作れば良い。リスクを取って未踏の道を進むのが魔術師としてのあり方。王国最高の魔法学園と呼ばれている本学だからこそ、この国で最も先進的でなければならない」
ダンテは言う。
「アリア・フランベールを合格者として本学に迎える」
アリアの入学試験合格が決まった。