15 再会
「……久しぶり」
その言葉が、アリアに与えた衝撃は大きかった。
(覚えててくれたんだ!)
五年ぶりに再会した友達。
忘れられていると思っていた。
怖かった。
大切な存在だと思っているのは自分だけかもしれないって。
だからこそ、リオンの言葉にアリアは勢いよく立ち上がる。
『久しぶり!』
そう伝えたくて、身を乗り出して。
声が出せないから、代わりに彼の肩を叩いて、すぐ近くにある彼の顔に目を細めた。
リオンは驚いた顔で息を呑んで、飛び退いた。
いきなり距離を詰めたのでびっくりさせてしまったらしい。
(距離感間違えた……!?)
友達と過ごした経験がほとんどないがゆえの弊害。
いったいどうすれば、と頭を抱えていると、視界の端で彼がソファーを指し示しながら言った。
「まあ、座れよ」
言葉にうなずきを返す。
たしかに、箱の中と外で立ち話するよりはそっちの方が良い。
大きな箱から出て、向かいのソファーに腰掛ける。
革張りのソファーが優しく身体を受け止める。
「この前は、その……すまなかった」
リオンは言った。
「予想外すぎて、混乱していたんだ。覚えてない方が自然かもしれないとか余計な雑念が頭をよぎった」
アリアは手帳を取り出して言葉を書く。
〈じゃあ、覚えててくれたの?〉
「ああ。覚えてた」
〈覚えててくれてうれしい〉
アリアはにっこり目を細める。
リオンは目をそらしてから言った。
「そうだ。最近新しい魔法を開発したんだ」
(え、見たい)
手帳に文字を書くのも忘れて身を乗り出すアリア。
リオンは無表情で窓の外を見つめたまま魔法式を展開した。
《水糸創成》
流れるような簡易詠唱。
描かれる美しい魔法式。
それは水魔法の糸を生み出す魔法だった。
リオンは分厚い糸を指の先に浮かせる。
水の糸は、言葉を形作った。
〖こうすれば筆談より早く言葉が伝えられる〗
アリアは目を見開く。
透き通った瞳で、彼の魔法を分析し検証して解釈する。
それはまるで、アリアのために作られたかのような魔法だった。
魔法式は極限まで簡略化され、簡単に使えるようにするための工夫が細部にちりばめられている。
必要とされる魔力量が少ないから長時間使っても消耗せずに済むし、素早く文字を形作れるように何度も修正された跡が見えた。
(もちろん、五年間一度も会ってないわたしのために魔法を作るなんてありえないし、偶然だろうけど)
しかし、アリアは感覚的に理解していた。
(わたしにこの魔法は使えない)
アリアが使えるのは欠けているものへの願い――振動に関する魔法だけ。
難しい無詠唱魔法しか使えない分、起動できる魔法も本当に適性のあるものだけになってしまう。
(だったら、振動を使った魔法で再現する方法を考える)
アリアは、リオンが作ってくれた魔法式を自分が得意とする魔法式構造に描き変えていく。
最適化された細部はアリアの魔法に綺麗に合わさって、鮮やかに白い光を放った。
〖こんな感じでどう?〗
振動魔法で作った氷文字が、空気を振動させて生みだした浮力で浮いていた。
リオンは驚いた様子で瞳を揺らした。
「すごいな、お前」
〖できてる?〗
「ああ。ちゃんとできてる」
そのとき、アリアがどれだけうれしかったか他の人にはわからないと思う。
筆談より早く、会話するくらいの速さで言葉を交わすことができた。
それは自分にはできないと無意識のうちにあきらめていたことで。
想像していたよりもずっと新鮮で大きな喜びがそこにはあった。
〖やった! やったよリオンくん! ありがとう!〗
「礼は言わなくていい。お前の力だよ」
〖ううん、全部リオンくんのおかげ!〗
アリアは身を乗り出してリオンに氷文字を浮かべる。
「その、よかったな」
リオンはアリアに右耳を向けて頬をかく。
その横顔には、一緒に過ごしていたあの頃の彼と同じ何かがある。
また前みたいに仲の良い友達に戻れるかもしれない。
うれしくて仕方なくて、アリアは彼の横顔を見ながらにへらと頬をゆるめた。
アリアが帰った後、第三王子であるリオン・アークライトは、私室の机に突っ伏していた。
金糸の髪が机の上に散らばっている。
「何をしてるんですか、殿下」
声をかけたのは王宮魔術師団序列二位である特級魔術師シリウス・レインフォードだった。
《蒼い巨星》の異名を持つ王国最高の水魔法使いの言葉に、リオンは机に突っ伏したまま答える。
「別に、なんでもない」
「その割には声が明るいように感じますが」
「気のせいだろ」
「なるほど。アリア嬢のために作った魔法、喜んでもらえたんですね」
シリウスの言葉に、リオンは身体を起こして反論した。
「あいつのために作ったわけじゃない。偶然そういう用途でも使えただけだ」
「殿下はずっとアリア嬢のことを考えているように見えますが」
「考えていない。俺は女子になんて欠片も興味がない」
「移動する際、何かと理由を付けてフランベール家のお屋敷の傍を通ろうとしますよね」
リオンは一瞬言葉に詰まってから言った。
「あの辺りの街並みが好きなんだ」
「アリア嬢の姿が見えた日はとても機嫌が良いように見えます」
「なつかしい友人だからな。少しはそういうこともあるかもしれない」
「辺境伯家がアリア嬢との縁談を考えていると聞いたときは、この世の終わりみたいな顔で取り乱してましたが」
「…………」
リオンは何も言わなかった。
ただ机に突っ伏して動かなくなった。
「辺境伯家の御子息に別の相手が見つかってよかったですね」
シリウスは深く息を吐いて続ける。
「この前も、予想外のタイミングでの再会に大失敗して死にそうな顔をしていましたし」
「そこまでひどい顔はしてなかったと思うが」
「翌日の夜まで何もお召し上がりになりませんでしたね。断食生活に入りあらゆる執着を手放した無私の境地を目指すとよくわからないことを仰っていました」
「……あれは人生最悪の日だった」
リオンは身体を起こして深く息を吐いた。
シリウスは不思議そうな顔で彼を見つめる。
「どうしてあんなことを言ってしまったんですか。再会の言葉なんて殿下なら十パターンは用意していたでしょう」
「十では足りないな。あらゆる状況に備えて二十パターンは用意してあった」
「なのにあの状況には対応できなかったんですか」
リオンは唇を引き結ぶ。
「イレギュラーがなければできていたさ。しかし、俺の計算に入っていない因子があの場には存在した」
「計算に入ってない因子?」
「かわいくなってた」
「…………」
シリウスはあきれ顔でリオンを見た。
「だとしても、どうして知らないフリをするんですか。会うことが許されなくなってからも五年間、ことあるごとに彼女が筆談のために書いた文字を見返しては、あの子のことを思いだしていたのに」
「……なぜ知っている」
「この前も、あの子を想って手帳にポエムを書いてましたよね」
「落ち着け。冷静に話し合おう」
「デートのときに聞かせたい名曲リストを作るのはまだしも、彼女のためにコンサートを開いたら、という名目で曲のリストを作るのはさすがの私も言葉を失いました」
「ぐ……ああ……!!」
悶え苦しむリオンに、シリウスは淡々とした口調で言う。
「根本的な問題として、殿下は同世代の相手と関わらなすぎです。メリエ―ル侯爵家のご令嬢から恋文を渡されたときの反応なんてそれはもうひどかったですし」
「俺が使える時間には限りがある。興味が無い相手と関わっているような時間はない」
それから、視線を落として嘆息した。
「そこまでしても、何よりも優先して作っていた文字を作る魔法をそのまま彼女に使ってもらうことはできなかったがな」
自嘲するような声に、シリウスは真剣な顔で言った。
「殿下の努力があったからこそ、彼女は同じ効果の魔法を形にできたのだと思います」
「そう言ってもらえると救われるよ」
苦笑いしてからリオンは机に向かう。
「何をしてるんですか?」
「アリアが作った氷文字を作る魔法。不具合がないか念のため見ておこうと思ってな」
「本当にアリア嬢のことが好きですよね、殿下」
「好きではない。俺は女子になんて欠片も興味がない」
真面目な顔で言うリオン。
(まったく、この人は……)
シリウスはやれやれと肩をすくめた。