14 秘密の作戦
翌日、アリアは馬車で王宮へと向かっていた。
いつも使っている公爵家所有の馬車ではない。
ローレンスが手配した馬車を使っているのは、これが秘密の作戦だからである。
〈本当に大丈夫なんですか?〉
アリアの言葉に、ローレンスはうなずいた。
「大丈夫。僕に任せて」
いたずらっぽく目を細めて続ける。
「バレたら大問題だけどね。でも、バレなければ何の問題もないから」
〈それは大丈夫ではないと思います〉
「こういうの僕好きなんだよね。規則を破っていけないことをするの。僕のライフワークと言ってもいいかもしれない」
楽しげに口角を上げてから、アリアに向き直った。
「もちろん、君が嫌ならやめるけど」
アリアはやれやれ、と首を振ってからペンを走らせた。
〈スリルがあるのは好きです!〉
その目は好奇心で輝いていた。
「よし、やろう」
ローレンスさんは作戦の詳細をアリアに教えてくれた。
アリアは目を輝かせてそれを聞いた。
「正門で門番の検査がある。君は後ろの席に隠れてて」
アリアは座席の足を置くスペースに丸まって小さくなった。
「止まってください」
門番の声が聞こえる。
馬車が動きを止める。
「身分証の提示を」
「ローレンス・ハートフィールド。第三王子殿下と約束があって来たんだけど」
沈黙が流れる。
アリアは馬車の座席の下にある空間を見つめながら息を潜める。
「お話は伺っています。お通りください」
馬車が石造りの正門をくぐる。
馬車の中が一瞬暗くなって、また明るくなる。
王宮の敷地は広く、馬車が止まるまでにしばらく時間がかかった。
「裏手に回って。通用口から入るから」
御者さんに指示を出すローレンスさん。
馬車が駐まったのは、使用人が使っている通用口だった。
「出てきていいよ」
声に身体を起こして、馬車の外に出る。
人気のない裏手に置かれていたのは、綺麗にラッピングされた大きな箱と荷車だった。
「この中に入って」
プレゼントと称した箱の中に入ってリオンくんの部屋に潜入する。
少しおバカな作戦であるような気はしないでもない。
でも、こういうゆるめな作戦がアリアは嫌いじゃなかった。
非日常感に胸を弾ませつつ、箱の中に入る。
ローレンスさんが蓋を閉めて、アリア入りの箱を乗せた荷車を押していく。
小さな車輪が絨毯の上でもこもこに挟まれながら駆動している。
ふかふかした振動を感じつつ、アリアは暗い箱の中で身を潜めていた。
「階段を昇るよ。少し浮かすから」
ローレンスさんが小声で言うのが聞こえる。
箱の向こうから感じる魔力の気配。
(この感じは多分、浮遊魔法)
箱を浮かせて階段を上る魔法だった。
荷車を使わず最初からこれでよかったんじゃないかと思ったけど、ずっと浮かし続けるのは魔力消費も多いから節約しているのかもしれない。
(最近、ちょっと体重増えてるからなぁ)
少しぽっこりしたお腹をさする。
おやつに食べるいか焼きの数を五本から四本に減らしてもいいかもしれないと思ったけど、アリアは体重よりも食欲を大事にして生きていきたいと思った。
おやつのいか焼きは六本にしよう。
暗闇の中、真っ直ぐな目でアリアはそう決める。
浮遊魔法で階段を四度登った。
ふたたび荷車に乗せられて絨毯の上を進む。
「ここから先は王室関係者しか入ることを許されません。ご用件は」
箱の向こうから、男性の低い声がする。
この感じは、王室を守護する近衛騎士だろうか。
「第三王子殿下と約束してるんだけど」
「確認します。少々お待ちください」
男性が離れていくのが気配でわかる。
「なんか警備厳しくなってるね」
「大臣の方から提案がありまして」
ローレンスさんが誰かと話している。
どうやら、近衛騎士は二人いたようだ。
「持ち込まれる荷物等も厳しく点検するように言われています」
「そ、そうなんだ。へえ」
答えるローレンスさんの声は少し上ずっていた。
アリアは背筋に冷たいものが伝うのを感じた。
「確認が取れました」
「ありがとう」
答えて荷車を押すローレンスさん。
「お待ちください」
近衛騎士さんが言う。
「その箱の中身を点検させてください」
「危ないものじゃない。殿下への入学祝いだよ」
「合否はまだ出ていないはずですが」
「殿下は合格してる。わかるんだ。そのあたりは僕、専門家だから」
「では、点検させてもらえますか」
「サプライズだしできれば他の人には見せたくないんだけど」
「申し訳ありません。こちらも職務なので」
「わかった。見ていいよ」
ローレンスさんは言った。
近衛騎士さんが箱を開ける。
真っ暗な箱の中に光が射す。
強面の騎士さん二人がじっとアリアを見ていた。
(あ、死んだな)
アリアは騎士さんに小さく手を振った。
騎士さんは言った。
「異常ありませんね。中へどうぞ」
箱が閉められる。
暗くなった箱の中で『あれ?』と首をかしげるアリアに、ローレンスさんが小声で言った。
「人の認識をすり替える魔法は得意なんだ」
思いだされたのは出会ったときのこと。
あのときのローレンスさんはたしかに、別の人に変身していた。
「ここまで来れば大丈夫」
ローレンスさんが言ったそのときだった。
「何してるんですか」
聞こえた声に、ローレンスさんが身をすくめたのが気配でわかった。
「やあ、シリウスじゃないか。調子はどうだい?」
初めて聞く声だった。
でも、シリウスという名前には覚えがある。
たしか、リオンくんについての資料に書かれていた。
《蒼い巨星》の異名を持つ王宮魔術師団序列二位。
リオンくんが魔法を教わっている王国最高の水魔法使い。
「いつも通りです。先輩もお変わりないようで」
シリウスの言葉に、ローレンスは軽い口調で返す。
「元気そうで何よりだよ」
「その箱の中身、見せてもらえますか」
ローレンスは一瞬言葉に詰まってから言った。
「いや、この箱はちょっと見せられないかな。サプライズだから」
「変なものを持ち込まれると殿下の教育上、よくないんですよ。どうせまたくだらないものでしょう」
「待て。待って」
「待ちません」
箱が開いた。
光がアリアに降り注いだ。
見上げると、群青の目をした魔術師――シリウスさんが驚いた顔でアリアを見ていた。
アリアは手を振った。
シリウスさんはしばしの間アリアを見つめてから、箱を閉めた。
「疲れているのでしょうか。小さな女の子が中で手を振っていたように見えたのですが」
「疲れているんだと思うよ。今日は休んだ方が良い」
「いや、しかしそんなはずは」
シリウスは再び箱を開けた。
アリアは〈わたしは大きいです!!〉と書いた手帳をシリウスにかざした。
シリウスは表情を変えずに箱を閉めた。
「なるほど。そういうことですか」
シリウスさんの声が蓋の向こうから聞こえた。
「今回は見なかったことにします。今後、こういうことは二度としないでください」
「うん。ありがとう」
シリウスさんの足音が遠ざかる。
(どうして見逃してくれたんだろう)
アリアは箱の中で首をかしげる。
ローレンスさんの認識をすり替える魔法は明らかに効いていなかったように見えた。
(もしかしたら、わたしとリオンくんの関係を知っていたのかな)
しかし、事情を知っていればなおさら、止めようとする方が自然なようにも思える。
首をかしげているアリアを乗せて荷車は進む。
ローズウッド製のドア特有の澄んだノックの音が二度響いた。
「どうぞ」
小さく、彼の声が聞こえた。
「失礼するよ」
ローレンスさんが扉を開けて、箱を中に入れる。
王国で最も豪奢な建物である大王宮の最上階。
アリアは、第三王子リオン・アークライトの私室に潜入した。
「来てくれてありがとうございます。光栄です」
第三王子リオン・アークライトの私室。
リオンは弾んだ声で続けた。
「王国で最も優れた魔術師が関心を持ってくれた。こんなにうれしいことは他にありません」
「僕より優れた魔術師はたくさんいます。殿下が師事してるシリウスだってそうですよ」
「同じ水属性魔術師であることを考えると、彼が俺にとって最高の師であることは間違いないですよ。しかし、俺は個人的に貴方の魔法が好きなんです」
リオンは言う。
「なんとなく、近しいものを感じるんですよ。貴方は俺の道の先にいるんじゃないか。そんな感じがします」
「買いかぶりですよ。もし仮にそうだとしても、殿下は別の道に行った方が良い」
「貴方と同じ道なら大歓迎ですが」
「殿下にはもっと日の当たる道の方がふさわしい」
「十分に日の当たる道を進んでいるように見えますが」
「他者からの認識と自己認識はいくらかのズレがあるものですから」
ローレンスは言う。
「本題に入りましょう。このたびは王立魔法大学へのご入学、おめでとうございます。この箱は僕からのプレゼントです」
「うれしいです。何だろう?」
「開けてみてもらえますか」
リオンは大きな箱に近づくと、何度か開けられた形跡のあるラッピングを解いて、箱を開けた。
中には銀髪の少女が入っていた。
少女は何も言わずリオンを見上げていた。
リオンは箱の蓋を閉めた。
「疲れているのだろうか。中にいるはずのない人が入っているように見えるのだが」
「疲れているのかもしれないですね。もう一度確認してみては」
「わかった」
リオンは箱を開けた。
中で銀髪の少女がリオンに手を振っていた。
リオンは箱の蓋を閉めた。
「中でいるはずのない人が手を振っているように見えるのだが」
「疲れているんですよ。ちゃんと確認しましょう」
「わかった」
リオンはローレンスにうながされて、箱の蓋に手を添える。
光が箱の中に射し込む。
アリアは眩しさに目を細めつつ、恐る恐る手帳をリオンにかざした。
〈アリア・フランベールです。わたしのこと覚えてますか?〉
アリアの手帳を持つ手はかすかにふるえていた。
不安があった。
怖かった。
『誰だ、お前』
アリアは冷たい声を思いだす。
彼にとってアリアが価値のない存在なのは、あの時点でほとんど確定していて。
だから、自分は愚かなことをしているのだと思う。
覚えているのも、大切に思っているのも自分だけ。
そんな悲しい現実を確認するだけなのかもしれない。
それでも、アリアは彼と話したかった。
彼がどう思っていたとしても、自分にとって唯一の大切な友達であることに代わりは無いから。
忘れられていたとしてもいい。
だったら、もう一度最初から始めれば良い。
(あきらめの悪さはわたしの取り柄だから)
アリアはリオンを見つめる。
リオンは逃げるように目をそらした。
アリアが入って来た扉の方を見ていた。
形の良い左耳が金糸の髪の隙間から覗いていた。
「……久しぶり」
言葉が振動になって、アリアの鼓膜を揺らした。