13 突然の邂逅
実技試験を終えたアリアは、時計台の近くにあるベンチでいか焼きを食べていた。
お屋敷の料理長に頼んで作ってもらったおやつのいか焼き。
紙袋に包んで小分けにしてもらったそれをアリアは五つポケットに入れていた
いか焼きはどんなときもおいしいけれど、がんばった後に食べるとさらにおいしく感じられる。
甘塩っぱい幸せ味に目を細めつつ、実技試験のことを思いだす。
合格できたかどうかはわからないけれど、少なくとも予想していたよりは良い結果を残すことができた。
ギリギリで思いついた空気を振動させる魔法。
出力を強くすることはできなかった。
だからこそ、折り紙に一番効果的に作用する固有振動数を狙って魔法式を作った。
(ぶっつけ本番だったし、一羽も捕まえられなくても仕方ないと思ってたからうまくいってよかった)
良い点数が取れてたらいいな、と思う。
さて、いか焼きも食べ終えたしこの後は好きなことの時間。
試験を受けるために、切り上げた魔法大学の見学。
合格できるかはわからないし、お父様が迎えに来る前に堪能しておかないと。
そう思って、顔を上げたそのときだった。
噴水の傍を横切るその姿に、アリアは息を呑んだ。
揺れる金糸のような髪。
凜とした姿。
その横顔が、アリアの記憶の中にいる友人と重なった。
(――リオンくん)
初めてできた友達。
二人で魔法の話をしたなつかしい日々。
五年ぶりに見る彼は随分大人になったように見えた。
同じくらいだった身長がアリアよりも高くなっている。
再会できたらいいなって思っていた。
魔法を続けていると聞いて本当にうれしかった。
アリアは地面を蹴る。
話したい。
また、昔みたいに。
アリアは運動が苦手だから、その走り方は不格好で遅い。
遠ざかる背中を呼び止めたいと思う。
しかし、アリアには声が出せない。
呼び止めることはできない。
リオンが正門をくぐる。
王室の馬車が迎えに来ている。
白髪の使用人が恭しく一礼する。
リオンが馬車に乗り込む。
アリアは馬車を取り囲む警護の騎士の間を通り抜ける。
「待て」
鎧を着た腕で身体を掴まれながら、懸命に手を伸ばした。
リオンの袖を掴むことはできなくて。
だけど、リオンは足を止めていた。
驚いた顔でアリアを見た。
「君、リオン様に何を――」
護衛騎士の声も耳に入らない。
久しぶり、と言いたかった。
だけどアリアには声が出せない。
手帳を取り出す。
素早く筆記体で久しぶり、と書く。
見せようとした瞬間、リオンは言った。
「誰だ、お前」
アリアはそのまま動けなくなった。
何もできなかった。
呆然と彼を見つめていた。
リオンがアリアに背を向け、馬車に乗り込む。
馬車が離れて見えなくなるまで、アリアはその姿勢のまま立ち尽くしていた。
五年ぶりに再会したリオンはアリアのことを忘れていた。
その事実は、アリアに少なくないダメージを与えることになった。
深く傷ついたアリアは、魔法大学の学生食堂でいか焼きを注文した。
「いか焼きはないよ」
〈そこをなんとか〉
「いや、ないものはないからねえ。いか入りの野菜炒めならできるけど」
〈じゃあ、それでお願いします〉
野菜炒めはなかなか美味しかった。
満足したアリアは、リオンくんのことを考える。
生まれて初めてできた友達。
二年の間、毎週遊びに来てくれる彼と魔法の話をしていた。
おすすめの本を貸すと、すぐに読んでくれて弾んだ声で感想を話してくれた。
(ほんと、好みが驚くくらい一緒だったんだよな)
思いだしただけで胸があたたかくなる幸せな時間。
『俺はお前に魔法を続けて欲しい』
お別れする前にした約束。
しかし、五年の月日はそれも跡形もなく押し流してしまったのだろうか。
(リオンくんはなんでもできそうだし、友達も多そうだもんな)
アリアと会わなくなってからの五年間でもっと仲の良い友達ができたのかもしれない。
目覚ましい結果を出して神童と呼ばれているみたいだし、ずっと一人で魔法の勉強をしていたアリアと友達一人の価値が違うのも自然なことなのかもしれない。
(一人の友達をずっと大切にしていたわたしってもしかして重い……?)
なんということだ。
本の世界で見たことがある重い女なる存在に自分がなっていたとは。
(大人みたいでちょっとかっこいいかも……!)
大人に近づいた感じがするのはちょっとうれしかった。
硝子に映る自分を見ながら、憂いある大人な吐息を吐いていると向かいの席に大人の男性が座った。
「やあ、調子はどう?」
魔法の師匠であるローレンスさん。
アリアは少し驚いてから、手帳に文字を書いて見せる。
〈どうしてここに?〉
「少し学長と話したいことがあって。帰る途中で、君を見かけたから」
〈窓際の席で黄昏れる大人なわたしを見かけたんですね〉
「そうだね。そういうことにしておこう」
ローレンスさんはくすりと笑ってから言う。
「試験はどうだった?」
〈今のわたしの力は出せたかなって思います。ただ、その後で少し悲しいことがあって〉
「悲しいこと?」
アリアはローレンスさんに、リオンくんとの出来事を話した。
ベンチでいか焼きを食べていたら、正門に向けて歩く彼を見かけたこと。
慌てて駆け寄って手を伸ばしたこと。
リオンくんは覚えてなくて、「誰だ、お前」と言われたこと。
「ふむ。そんなことが」
ローレンスさんは少しの間思案げに顔を傾けてから言った。
「なかなか難しい問題だね。彼の心の中はわからない。確かめるためには近づいてみるしかない。でも、その結果さらに傷つくことになる可能性もある」
たしかにその通りだと思った。
外から見ているだけでは、相手の心はわからない。
確かめるためには、近づく以外に方法はなくて。
でも、それは傷つく可能性を孕んでいる。
「君はどうしたい?」
アリアは考える。
心の中にある自分の思いを言葉にする。
〈確かめたいです〉
「傷つくかもしれない。大丈夫?」
〈傷つかずにはあきらめられないくらいに大切な友達なので〉
ローレンスさんは小さく目を見開いた。
「そっか」と目を伏せて言った。
「僕はね。ひとつ後悔してることがあるんだ。そのとき、僕は傷つくことを恐れた。伝えたいことを伝えられなかった。長い時間が過ぎた今でも、戻れたらってどんなにいいだろうって思ってる」
ローレンスさんは言う。
「君に協力する。彼のことを調べてみるよ」
三日後、フランベール公爵家本邸の応接室。
ローレンスさんはリオンくんについてまとめた資料をテーブルに置いた。
「王室に近い知り合いにまとめてもらったんだ。なかなか興味深かったよ。読んでみて」
アリアはうなずいて、資料を手に取る。
一ページ目にはリオンくんの経歴が書かれていた。
出生時のこと。
初めて出席した王国式典。
三年前に最年少で五級魔術師試験に合格。
準一級までの魔術師最年少記録を更新し続けている。
そこにはアリアとの関係にも触れられている。
曾祖父同士が親しかったことで、生まれる前から許嫁として決まっていたこと。
出生後、時が経つにつれて王室内でアリアが声を出せないことを問題視する声が増えて、婚約の解消が決まったこと。
(ここまでは、大体知っていることかな)
二ページ目には、リオンが過ごしている一日のスケジュールが書かれている。
(めちゃくちゃ忙しそう……)
式典に出たり、パーティーに出席したり、他国の大使と会ったり。
王立魔法大学を受験するということで、これでも二人の兄に比べれば勉強の時間が作れるように配慮されているらしい。
移動の時間には常に魔法の本を読み、朝四時半に起きて毎日魔法の練習をする。
息抜きや趣味の類いは一切無い。
魔術師試験会場で、かわいいと評判の侯爵令嬢から渡された恋文をその場で破いて捨てたことが有名な逸話として知られているのだとか。
《人の血が通っていない魔法マシーン》
《現代魔法教育が生みだした悲しい怪物》
《冷たい目で罵倒されたい王子ランキング一位》など様々な異名で呼ばれて恐れられているとのこと。
(友達が知らないうちに、化物扱いされてる……!)
息を呑むアリア。
日常的に会う相手は、魔法の師である王宮魔術師団序列二位《蒼い巨星》シリウス・レインフォードだけ。
友達と呼べるような相手はいないと書かれていた。
(友達が少ないのはわたしも同じだし、むしろ親しみが持てるけど)
友達が多い方がダメージを受けてしまいそうなので、その意味では少しほっとしたというのが正直なところだった。
三ページ目には彼が熱心に読んでいる本や研究分野についてのリストが書かれている。
(相変わらず良い趣味してるな)
頬をゆるめつつ見つめる。
そこには無詠唱魔法に関する本も多く含まれている。
(わたしのことを覚えてくれてるって考えるのは自意識過剰か)
単純に趣味が合うと考えた方が自然だろう。
ここまで資料を読んできた印象からすると、アリアのことも彼にとってはどうでもいい忘れる程度の扱いになっていると考えた方が自然だ。
他のものすべてがなくなってもいいと思えるくらいに、彼は魔法に夢中であるように見える。
その強い好きという気持ちには共感しかないし、アリアが教えた魔法をここまで好きになってくれたという意味では、本当にうれしい気持ちになるのだけど。
(でも、大切な友達だと思っていたのが自分だけだというのは少し寂しい)
目を伏せるアリアに、ローレンスさんは言った。
「直接彼と話せる方法がないか考えてみた。王室には君と第三王子が近づくのを嫌がる人も多いし、簡単ではないんだけど。でも、方法がありそうなんだよね」
アリアはぱっと目を見開いた。
手帳に筆記体で文字を書いて身を乗り出す。
〈ぜひ話したいです!〉
文字を読んで、ローレンスは目を細めた。
「わかった。僕に任せて」