12 実技試験と折り紙の小鳥
筆記試験の後は、実技試験が行われる。
「次、受験番号930番から957番の方。演習場の中に入ってください」
眼鏡をかけた男性に案内されたその場所は、魔法の実技演習をする施設のようだった。
分厚い石壁に覆われた広い区画の中には木々が生えていて、その細い枝に変わった色合いの小さな鳥が数十羽留まっている。
(あの鳥、何か違和感があるような)
じっと目をこらしてアリアは気づく。
あの小鳥、身体が折り紙でできている。
「試験内容は、魔法を使って折り紙の小鳥を捕獲することです。この小鳥は私が魔法で作りました。強く魔法を当てると壊れてしまう。その場合は、減点対象です。折り紙の小鳥を壊すことなく、魔法で拘束する。制限時間は90秒。ただし、使える魔法は一種類だけです」
斜め前に立つ、大人のお兄さんな受験生が息を呑んだ。
「一種類の魔法で、あれを拘束するんですか」
「皆さんの健闘をお祈りしています」
眼鏡の男性は落ち着いた声で言った。
最初に挑戦したのは、背の高いお姉さんだった。
案内されて、印がつけられた場所に立つ。
緊張した声での詠唱。
鮮やかに展開する魔法式。
《氷結》
(うまい……!)
無駄のない綺麗な魔法式だった。
氷の箱を作る魔法。
一番近くの枝に留まっていた小鳥を中心に現れた氷の箱。
しかし、次の瞬間小鳥は箱の外を飛び回っていた。
「当てろよ。魔法式の精度が低いな」
隣にいたお兄さんが小声でつぶやく。
しかし、アリアはお姉さんが狙いを外したわけではないことに気づいていた。
(あの鳥、魔力の流れに反応してる)
どういう原理かはわからないけど、魔力の流れに反応して回避行動を取るように作られているのだろう。
(求められているのは、反応されないように出力を下げた繊細な魔力操作)
一人目のお姉さんは小鳥を一匹も捕まえることができなかった。
二人目、三人目の受験生も結果は同じだった。
次第に演習場に重たい空気が立ち込め始める。
ひりついた空気の中で、アリアは後ろにいた試験官に質問した。
〈小腹が空いたのでおやつを食べていいですか?〉
手帳の文字を見せる。
試験官は少し驚いたように目を開いてから言った。
「ダメです」
ダメらしい。
おやつは試験を終えてから食べることにする。
(それにしても、この難易度……多分捕獲させる気ないな)
おそらく、この試験で測られているのは捕獲数ではなく、捕獲するためにどのようなアプローチをしたか。
難しい課題に対して、どの魔法を選択してどういった戦略で挑むかという考え方の部分が問われているのだろう。
(問題は、どの魔法を使ってアプローチするか)
使える魔法は一種類。
爆発させる振動魔法は捕獲向きじゃない。
空間を凍らせる魔法も範囲が広すぎる上に魔力の反応を気取られてしまう。
(あと、使える魔法はマッサージの魔法くらいだけど)
しかし、この魔法も明らかに捕獲には向いていない。
(多分、わたしの魔法では捕獲できない。だったら、捕獲数は0になるにしても、評価してもらえるアプローチを……)
考えていたアリアは、不意にひとつのアイデアを思いつく。
「次、アリア・フランベールさん」
呼ばれた声に、〈はい!〉と書かれた手帳を見せながら歩み出た。
アリアの実技試験が始まる。
◇ ◇ ◇
マフラーを巻いたその少女を、試験官を務めるマクベスは少しの驚きと共に見つめた。
高等魔法学校を卒業した者がほとんどの上に、二十歳を超える受験生も少なくない中で、少女は異様なほどに小さく見えた。
(リオン・アークライトとヴィクトリカ・エヴァレットの影響か)
競い合うように魔術師試験の最年少記録を更新してきた二人の神童。
王国魔法界では知らない人がいない二人の活躍で、子供を飛び級させようと英才教育を施すのが近頃の新しい流行になっていた。
(この子も、おそらくは将来を見据えての受験)
いったいどういう魔法を使うのだろう。
興味深そうに視線を向けていたマクベスは、名前を呼ばれた少女が手帳を見せて返事をしたことに内心驚く。
(この子、話せないのか)
喉を痛めているのだろうか。
子供に無詠唱魔法は使えないし、簡易詠唱魔法でなんとかしようという考えなのだろう。
しかし、簡易詠唱魔法は詠唱魔法に比べて出力を出すのが難しい。
(アクシデントが起きたのが記念受験のときでよかったな)
見つめるマクベスの視線の先で少女が魔法式を起動する。
その鮮やかな手つきと一切の無駄がない細部の精度にマクベスは思わず見とれた。
(この子、すごい)
人生の多くの時間を捧げて魔法に打ち込んできたマクベスだからわかる技術の高さ。
素直に感心していたマクベスは、彼女が詠唱の手順に入ったその瞬間頭の中が真っ白になった。
(今の、簡易詠唱じゃない)
おそらく、試験官の中でもその事実に気づいたのはマクベスだけだっただろう。
簡易詠唱魔法と無詠唱魔法の違いは傍目にはほとんどない。
しかし、魔法式構造学を専門としているマクベスはその二つの間にあるわずかな差違を見分けることができた。
白い光を放つ魔法式。
それは空気を振動させる魔法だった。
空気を揺らす振動波は、それほど強いものではない。
演習場の木々が揺れる中、折り紙の小鳥たちが羽ばたいて回避行動を取る。
アリアの魔法による振動波から離れていく。
(魔法の出力も弱いし、振動波の動きも遅い。あの魔法ではまず捕まえられない)
使える魔法は一種類。
捕まえるには、小鳥が回避するより素早く行動を制限できる魔法を選択する必要があった。
判断の誤り。
あるいは、小鳥を捕まえられる魔法がひとつも手札になかったのかもしれない。
(記念受験の子供なのだから仕方ない。むしろ無詠唱魔法に成功したことを評価するべきか)
この子は将来優秀な魔術師になるかもしれない。
そう思いつつ、彼女の名前と姿をマクベスが記憶に刻んでいたそのときだった。
振動波から逃げていた二羽の小鳥が、空中でぶつかってよろめいた。
一度だけではない。
空中で小鳥たちは方向感覚を失い、絡まるようにぶつかりあっている。
(いったいどうして……)
戸惑いつつ、目の前の光景を観察していたマクベスは気づいた。
少女の魔法が持つ本当の狙いに。
(弱い出力で広範囲に魔法を放ち、逃げられるスペースを少なくしているのか)
素早い回避能力も逃げられるスペースがなければ意味を成さない。
出力を抑えているがゆえに実現可能な演習場の六割を超える効果範囲。
加えて、少女は小鳥の魔力探知を利用して追い込み漁のように鳥たちの逃走経路を制限している。
(だが、あの微弱な振動では当たったところで折り紙の小鳥を捕まえることはできないはず)
小鳥の身体は折り紙でできているものの、付与魔法によって一定以上の推進力を獲得している。
出力の低い魔法では当てたところで捕まえることはできない。
逃げ場を失った小鳥が振動波に触れる。
瞬間、小鳥は激しく振動した。
折り紙の身体がバタバタと音を立てる。
バランスを崩して、地面に落下する。
微弱なはずの振動で、しかし折り紙の身体はバランスを保てなくなるほどに強く振動した。
(何が起きている)
瞳を揺らしながら見つめていたマクベスは気づいた。
少女が微弱な振動魔法を選択した本当の理由に。
(折り紙の固有振動数に合わせて……!)
物体には共振現象が発生する固有振動数が存在する。
小さな振動でも固有振動数に一致していれば力は増幅する。
身体が激しく共振し、バランスを崩す小鳥たち。
折り紙の身体が軽い音を立てて地面に落ちる。
飛び上がることができずに小刻みに振動を続けている。
大人の受験生たちが一匹も捕まえられずにいた中、今日最も多い十七羽の小鳥を行動不能にした少女は、表情を変えずに試験官たちを見つめていた。