11 王立魔法大学入学試験
王立魔法大学の中心にある塔の一室。
学長であるダンテ・エルネスティは今年度の入学試験のために作られた試験問題に視線を落として言った。
「例年以上に難しい、か」
つぶやきに、眼鏡をかけた女性の教員が言う。
「これはいくらなんでも難易度を上げすぎているのでは」
驚きの混じった声に、ダンテは静かに首を振る。
「今年度の受験生を考えればこれくらいのレベルになるのも理解できる。あの二人なら、この試験も三十分かからずに解いてしまうだろう」
「あの二人?」
「歴代最年少で準一級魔術師試験を合格した第三王子リオン・アークライトと、エヴァレット家の最高傑作ヴィクトリカ・エヴァレット」
眼鏡の女性は息を呑んだ。
「十二歳で、ですか……?」
目を大きく見開く。
少しの間押し黙ってから言った。
「学長がおっしゃるならそれが事実なのでしょうね」
ダンテは静かにうなずく。
ノックの音が響く。
部屋に入ってきたのは、王国最高の修繕魔法使いと称されるローレンス・ハートフィールドだった。
「何の用かね」
静かに問うダンテに、ローレンスは微笑んで言う。
「面白い子がいるんです」
「面白い子?」
「神童二人もいいですが、もう一人非常に興味深い子がいるんですよ」
妖しく目を輝かせるローレンス。
「聞かせてもらおうか」
ダンテは低い声で言う。
◇ ◇ ◇
王立魔法大学の入学試験は、筆記試験と実技試験の二部構成で行われる。
筆記試験の制限時間は二時間。
出題される範囲は、魔術史学、魔力生成学、魔法式構造学といった基礎的な内容から、魔法薬学、魔法生物学といったものまで様々。
大人にしか見えないお姉さんとお兄さんの中で、身体の小さいアリアは場違いな感じがして少し肩身が狭かった。
「始めて下さい」
合図と共に問題が書かれた用紙を裏返したアリアは、そこに書かれた問題を見て息を呑んだ。
(やばい、すごく難しそう……)
ちゃんと試験を受けるのは初めてのことだったし、緊張もあって問題がいつも以上に難しそうに見えてしまう。
(落ち着け。ひとつずつ、冷静に)
深呼吸をして、動揺を落ち着ける。
会場に用意された羽根ペンは妙な手触りで書きづらかった。
ざっと全体を流し見てから、問題をひとつずつ解いていく。
(大問1は魔法史学)
二千年前に魔王を封印した《光の聖女》と、彼女と共に戦った《救世の七魔術師》に関する問題だった。
(《七魔術師》と共に終末に向かっていた世界を救った《光の聖女》は、旧アヴァロン王朝の国王と結婚して第一子を出産する。その半年後に、【還らずの禁域】の最奥にある【無明の大空洞】で、【黒の魔王】を封印した代償として命を失う)
自分が血を引いている祖先の話だと思うと、なんだか身近に感じられるから、アリアは《光の聖女》についての伝説が好きだ。
(《救世の七魔術師》にはそれぞれ得意な魔法がある。中でも一番活躍してるのが――)
集中して問題を解いていく。
どれくらい時間が経っただろうか。
不意に響いた声に、アリアは顔を上げた。
「解き終わりました。退出しても構いませんか」
静かな講義室に響く凜とした声。
周囲から思わず息を呑んだような、声にならないざわめきが漏れる。
手を上げていたのは、前方の席に座る姿勢の良い女の子。
燃えさかる炎のような真紅の巻き髪がやけに印象に残った。
少しの間驚いた顔で見つめてから、試験官を務める先生が言う。
「構いません。テスト用紙を裏返して退出して下さい」
洗練された所作で退出する巻き髪の女子。
(わたしはまだ一つ目の大問も解き終わってないのに)
素直にすごいなって思った。
あの子はきっとアリア以上に多くの時間をこの試験のために注いできたのだろう。
(焦らなくて良い。比べなくて良い。ゆっくり、わたしのペースで)
はやる気持ちをおさえ、深呼吸してから丁寧に一問ずつ問題を解いていく。
二時間はあっという間に過ぎていった。
◇ ◇ ◇
特級魔術師の娘であり、魔法界で最も有名なエヴァレット家の最高傑作と称されるヴィクトリカ・エヴァレットは用意された試験問題を冷ややかな目で一瞥した。
(例年より難しい内容ね)
過去問の傾向からそう判断しつつ、羽根ペンを走らせる。
手を止めて考え込むようなところはなかった。
今日のために準備してきた潤沢な知識。
このレベルの試験問題なら一瞥で即解できる水準に彼女は到達している。
試験を解き終わるまでにかかった時間は二十八分。
六分で見直しを終えてから、手を上げる。
「解き終わりました。退出しても構いませんか」
周囲から漏れる声にならない声を澄まし顔で聞き流しつつ、今最も警戒している相手である少年のことを思う。
(このレベルなら、おそらくリオン・アークライトも全問正解してくる)
第三王子であり、魔法の勉強なんてしなくていい立場であるにもかかわらず、名家の最高傑作である自分に張り合ってくる厄介な宿敵。
ここまでの戦績は一勝一敗八十五分け。
唯一の敗北であり、リオンが最年少記録を更新した二級魔術師試験も、風邪で寝込んでなかったら自分も合格していたと確信している。
唯一の勝利である準二級魔術師試験も、リオンは三十九度の高熱がある状態で満点を逃したらしいから、完全な勝利とは言えないのだけど。
(もっと満点を取れない試験があれば、こんな風に引き分けを重ねる必要もなかったのに)
常に満点だから差がつかない。
その状況が、生粋の負けず嫌いであるヴィクトリカは不服でならない。
(私は絶対に一番を取らないといけないの)
思いだして、苛立ちそうになる自分を諫め、心を落ち着ける。
(入念な準備が余裕を作る。そして、常に勝利する。それがエヴァレットの家訓)
落ち着いた丁寧な所作を意識しつつ、荷物をまとめて退出する。
後ろから三番目の席を横切ったところで、視界の端にうつったのは塗りつぶされたような黒いインクの跡だった。
引き寄せられるように目をやる。
塗りつぶされていたように見えたそれは、密集した小さな文字の羅列だった。
狭い回答欄にびっしりと言葉が綴られている。
(その回答って入学試験では範囲外の内容じゃ)
入学試験のレベルを超えた深い理解。
試験の形式における満点のさらに先を行く回答。
小さく息を呑んだ。
カメラのシャッターを切るように視覚情報を記録する。
口元をマフラーで覆った銀髪の少女。
一秒にも満たない時間。
周囲の生徒や試験官もおそらく、特に違和感は感じなかったはずだ。
自然に歩きながら、ヴィクトリカの瞬間記憶能力は、視界に映る光景を鮮明に切り取っている。
静かな試験会場の中。
歩きながら、書かれていた回答を精査する。
(明らかに試験問題を解くための知識じゃない。私の知識量では、正誤を判断できない記述まで含まれている)
ヴィクトリカは唇を引き結び、考えている。
(あの子、いったい……)