選んで普遍を掴む
女の指先が触れるか否かという瞬間。バチンという何かが弾けたような音と共に強制的に体の自由を奪われた。スタンガンか、それとも何か別の力だったのか。まぁそれはそれとして。
俺はいま、ひとつの部屋に入れられている。部屋にはベッドと小さな机とふたつの座椅子。フローリングには灰色のカーペットが敷いてある。それからダークオークのクローゼット。勿論俺が今まで過ごしていた部屋ではない。どうやら俺はあの女にまんまとオネンネさせられ、家からこの場所へと運び込まれたらしい。
部屋の鍵は開いていた。備え付けの小さな窓も鍵は開けられたし、逃げようとすれば逃げられるが。一体、逃げてどうするというのだ。
友人などおらず、仕事もなく。家族にも呆気なく見放された。ここから逃げ出したところで何日と持たず野垂れ死ぬことになるのだろう。あのガキの思い通りになるのは癪だが、今逃げるのは得策ではない。
そんな結論に至った今、俺は堂々とベッドに横たわったまま天井を見つめ、意識を失う前のことを思い返す。
『健康で居なくなっても後腐れのない成人が欲しかったところなんだよね』
そう彼女は言っていた。それだけの情報ではどう考えてもヤバいことになりそうだが、今、俺は自由な姿で一人部屋にいる。
何らかの人体実験や臓器移植なんかに使われるならもっと冷たい器具に晒され、生活感の無い部屋に拘束されているはず。イメージだけど。
……もしかすると、そこまで危険なことにはならないかもしれないそんな考えはあまりに楽観的すぎるだろうか。
悩んでいるうち、コンコンという明るい音が部屋に響く。扉が叩かれたと理解し起き上がるとすぐに扉が開いた。そこには先程の女が立っている。
「逃げてなかったんだ。へぇ、偉いね」
女はそうとだけ言って部屋にずかずかと入り込む。ここが俺の部屋だと言うつもりはないが、あまりにも傍若無人ではないだろうか。
俺の視線も気にせぬまま、彼女は座椅子のひとつに腰掛け、机の上に書類を並べはじめた。俺にも座れと言わんばかりの目配せに初対面時と同様の嫌悪感がふつりふつりと浮かび上がる。
このまま飛びかかれば一発くらい殴れるんじゃねえの。
「余計なことは考えない方が身のためだよ。早くしてくれる?話さなきゃいけないことが沢山あるんだから」
俺の思考を読んだような発言をする彼女は苛立たしげにボールペンの先でトントン、と机を叩いている。黄金色の瞳が生意気そうに俺を見上げていて気分は悪いが、仕方なく言われたとおりに座椅子に腰掛ける。と、まずはカラーの冊子を渡された。
「さい……?」
「彩宮。今ここは彩宮高等学校の職員寮」
「高校の職員……」
頭の中を多くの疑問が過ぎるが、とりあえず説明はしてもらえるようなので何も言わずに口を閉じた。早く話せと視線をやれば満足そうに口元を緩めたのが見えた。嗚呼、そんな顔まで不愉快だ。
「まず、私の名前は瀬戸天音。ここ、彩宮高校の生徒会長。よろしく。貴方には此処の用務員として働いてもらう。まず、ここの高校がどういった高校で、どうして君を選んだのか。説明していくけどいい? 質問はその都度して貰って構わない」
ひとつだけ頷いて返せばやはり瀬戸は満足そうに笑う。
「ここ、彩宮高校は国立の学校。通うのは所謂、超能力者」
彼女が両手を一度合わせた。そして少しだけ離すと手のひらの間に幾筋もの稲妻が見える。バチバチという激しい音、激しい青白い光。傍で見るべきでは無いもの、絶対に触れてはいけないものだとひと目で分かる。自分を気絶させたのがこれだということもすぐに理解した。あまりの光に目の前がちかちかする。
「電気を扱うもの、火を扱うもの。動物や妖怪のような見た目をしたもの。それらは全て超能力者と呼ばれ、ランクを付けられ、タグを付けられて研究対象として扱われる。それが今までのアタリマエだったんだけど、そんなの間違ってるでしょ?」
語尾に疑問符は付いているようだが、こちらの意見を求めている様子は無い。彼女は淡々と続ける。
「超能力者の人権も尊重するべき。だから、学校教育が始まったの。去年から、ね」
もう一度、瀬戸が手を合わせると稲妻は消え去った。
「そんな生徒を律し導く教員たちも勿論、超能力者。……嗚呼、ちゃんと研究所で相応の資格を取得した人達ね。ここまで、学校については理解出来た?」
「まぁ。超能力とか正直意味わかんねえけど実際に見てるし、体感してるからな。お前みたいなバケモノがわんさかいるってことは分かったよ」
「とりあえずこの学校に……というかこの国に私以上のバケモノは存在しないからそこは安心していいよ」
安心とは一体。瀬戸の言う安心の基準はよく分からない。唯一分かったのはこの程度の嫌味ではこの女の表情ひとつ変えることは出来なかったということだけだ。
生徒会長ということは学生、16か17くらいだろう。そんな自分よりひと回り以上歳の離れた子供に対して嫌味をぶつけるなど自分でも大人気ないとは思うが。この自信に満ち溢れ、高いプライドを持った表情が。傲慢そうに、人を値踏みし評価するように光る目が。どれもこれも気に入らないのだ。そんな俺の感情は伝わっているのかいないのか。相変わらずの表情でさらに話し続ける。
「じゃあ今度はなぜ君をここに連れて来たのか、だけど。
まず、さっきも言ったように超能力者には今まで十分な人権の確立がされていなかった。突然の力の暴走で人を傷付けてしまった者もいれば親に捨てられ孤児院で育った者もいる。
心の傷に対するケアなんて殆どされず、多くの超能力者は研究施設へ強制収容される。そしてそこで一生を過ごすのが常だった。
此処だって、学校なんて名前ではあるけれど周囲は大きな森に囲まれていて、その外側にはご丁寧に高い塀まで立てられてる。
敷地から出られるのはその塀にあるたったひとつの扉だけで、外と中を行き来出来るのは特別な許可を得ている車両と許可を得た人間だけ。研究施設と大した変わりは無い」
話しているうち、その傲慢そうな表情がじわりじわりと変わっていく。本気で現状に憤りを感じていることが伝わってきた。真剣な、眩しいほどに真っ直ぐな金色が俺を射抜く。
嗚呼、これはこれで居心地が悪いのだから、きっと俺は一生こいつとは気が合わない。
「だけど、私が目指しているのはこんな偽りの自由じゃない。より一般人に近い生き方を……そうだね、社会復帰と言ってもいい。
この学校は社会から隔離された超能力者が社会に溶け込み生きていくための力を身につける場所にしたいの。そのためにどうしたらいいのか。
わたしは生徒会として『超能力者ではなく一般人を職員として受け入れること』を提案した」
そこまで言い切って、瀬戸はにんまりと笑った。
笑顔というのは敵意がないこと、相手への親愛を伝えるものだと思っていたが、瀬戸の笑顔を見るとそれは俺の認識が間違っていたのだろうと思う。
「もうわかっているとは思うけど、その一般人の職員ってのがキミだよ」