第8話 それなりに凹む
日曜日にいっぱいサイフォンの噴水を見られたので、翔子はかなり気分がすっきりした。
それに壮太もいる。壮太はコーヒーを淹れるのがあまり上手くないので、基本的には皿洗いとお運びしかやらないが、いるのといないのでは全然喫茶店の空気が違う。
ちなみに二人ともタダ働きだ。その分コーヒーは飲み放題だけど。
インドの話もいっぱい聞けた。自分の話もちょっとだけした。
月曜日には、むしろウキウキしながら出社した。
藤沢のビルは会社の持ち物で、一階はロビーとエレベーターホールがあり、フロアの半分をコーヒーチェーン店が占める。二階はフジサワロジスティクス、三階はフジサワフーズ。四階はFテクノシステムズというグループ会社が入り、五階から十階までが藤沢商事になっている。地下に社員食堂もある。東京郊外になるが、駅に近くて便利だ。
早希子が、自分が出社するときだけ翔子を送ってくれるが、そうでなくても通勤に1時間かからない。だいぶ前、初めて満員電車に乗った時、手を離してもカバンが落ちないぐらいのぎゅうぎゅう詰めだったのにも関わらず痴漢に遭いまくったので、二度目からは女性専用車両を利用している。
「なんか楽しそうね。」
森田に、朝イチで突っ込まれる。
「楽しい事もあります。」
実害がなければさほど堪えない翔子である。
しかしどうやら、割り込み仕事が増えているようである。OJTについている先輩社員も、「仕方ないからそっちを優先して?」と庇ってくれる様子がない。
極めつけがお昼休憩の時に、同期の二人が
「あー、私たち、なんか先輩に呼ばれてるから、先に食堂行ってくれる?」
と連れ立ってどこかへ行ってしまったことだった。
なるほど。
いきなりやられるとちょっと心にこたえるが、まあ、ぼっち飯は慣れている。
雑然とする食堂の、空いている長テーブルの隅に座って、お弁当の包みを開ける。定食が男性向けの量なので、家からお弁当を持ってくる女性社員は多い。
「ぼっちかよ。隣に座ってやろうか?」
また沢田だ。
ぼっちはお前のせいだ、と心の中で毒づくが、声に出してもいいことがないので、黙っている。無視かよ、何様だよ、と声が降ってくる。
「よ、お待たせ。」
目の前に唐揚げ定食のトレーが置かれた。目を上げると。
「そーちゃん。」
「探したぜー。めっちゃ隅っこじゃん。」
壮太のワイシャツ・ネクタイ姿に、翔子はちょっと見惚れる。
「かっこいいね。」
「そーか?ネクタイ久しぶりだから、苦しくてたまんねぇ。」
コップの水をがぶりと飲む。そしてさっそく割り箸を割った。無視された格好の沢田が、後ろから声をかける。
「誰?」
「あー。フジサワフーズの、真鍋さん。カレシ。」
「ひぇ?」
沢田は固まった。
「紹介してって言ってたよね。同じ小学校だよ。二個上だけど。」
「え。ホント?」
絶句して、翔子と壮太を見比べる沢田に。
「あー。あれか、沢田クン。話は聞いてる。超ラブラブの彼氏の真鍋だよ。ヨロシク。」
唐揚げを頬張りながら、へっへっへと笑う。翔子は真っ赤になった。
「もー。言い方。」
「だってさ、ちゃんと俺が彼氏だよって宣伝しておかないと。」
あてられまくった沢田は、あ、そうっすか、と毒気を抜かれて、去っていく。
よかった。壮太がいれば、大抵のことは大丈夫。
帰りは壮太の残業があるため、明日のランチの約束をして翔子が総務課に戻ると、待ち構えていた森田が、
「会議室にコーヒー7つ淹れてちょうだい。」
と言いつけてきた。
コーヒーを淹れるのは好きだが、ペーパードリップはそんなに好きではない。でもまさか、会社の給湯室でサイフォンを沸かすわけにはいかないので、いつもささっとドリップコーヒーを淹れて配る。
いやそもそも、紅茶が好きという人もいるだろうし、緑茶が良い人もいるだろう。なぜ一律にコーヒー? 好きでもないコーヒーを飲まされて、かつコーヒー代を集めてるって、どうなの。各階に自販機あるんだし、それで飲めば済むことなのでは?
と、この前早希子に言ったら、
「何言ってんの。あれはねー、さりげない合コンよ。出会い系っていうの?『はい、お見合い』ってやったらお互い気まずいでしょ。だからああやって、時々お茶を配って回ることで、好みの男性を探すわけ。ま、昭和の知恵よね。」
おおお。そうなんだ。
「向こうだって、好みの女の子がお茶持ってきてくれたら、社員証とかチェックして、声かけてきたりね。」
古いやり方が、必ずしもダメという訳ではない、と早希子は笑った。
「ただねー、妻子持ちにお茶なんか運んだって、なんにも得るものはないわね。あと、こっちが彼氏持ちとかね。そこは本当に労力の無駄だから、ヒトリモノに役を譲ってやることだわ。」
思い出し笑いをしながらコーヒーを淹れていると、営業二課の女性社員がドアの前に立ちふさがった。
「佐藤さん。」
「はい。」
どうして人をいじめようとかつるしあげようとか思う人は、複数人で来るんだろう。文句があるなら一人できたらいいのに。
「この前、藤沢さんと一緒にお昼ご飯食べてたわよね。」
「はぁ。」
誠司兄ぃと和兄ぃ、どっちだろう。二課だから、誠司にぃかな。
「今日、全然違う人とご飯食べてたじゃないの。どういうこと? 来るもの拒まずってことなの?」
あー。ほんとに面倒くさいなぁ。
「あのー。コーヒー冷めると叱られるんで、後にしてもらえます?」
「ちょっと。聞いてるんだけど?」
「仕事中なんで。藤沢さんと一緒にご飯食べたいんなら、私じゃなくて藤沢さんに聞いた方が早いです。」
「~~~~~~~~っ!」
直接聞けるなら、誰がこんなところにくるか、と毒づかれる。
手を伸ばして、紙コップのコーヒーを一個ちょいと倒された。
「あーあ、ごめんね、手が当たっちゃった。拭いといて?」
うーん。田村さんと原さん。それなりの実力行使に出る人なんだ。
いじめにはタイプが二つある。ハブるとか陰口とかで直接手は出さないタイプと、持ち物を傷つけるとか相手に直接物理攻撃をしてくるタイプ。前者は全然平気だが、後者はだんだんエスカレートするから質が悪い。
コーヒーを淹れなおして会議室に配る。遅くなったのでもう会議が始まっていたが、気にしない。
しかし総務課に戻ると
「遅い。」
と叱られた。くどくどと十五分ほど叱られるので、時間がもったいないな、と思う。しかもその後、修正してねと渡された書類が分厚い。
「元データはこのフォルダだから。終わったらプリントアウトして置いといて。後、会議室の片付けお願いね。」
せっかく楽しかった気分が、もうすっかりしぼんでいる。
同期の二人は、OJTの先輩社員に表計算ソフトの使い方を教えてもらっているらしい。まあ、それぐらい教えてもらわなくても出来るけど。
楽しくない。
とりあえず、書類の修正を終えた後、印刷待ちの間に総務課長のところに行ってみる。
「私だけ、他の二人と仕事内容が違うようなんですけど。何故なんですか?」
「あー。他の二人は短大卒だからねぇ。四大卒の君とは、研修内容が違うのかもねぇ。とにかく森田君に任せてるから。」
そーですか。
「OJTについてもらってる高野さんからよりも、森田さんからの直接の仕事が結構多いんですけど、OJTのプランについてもう少し詳しく聞きたいです。」
「だから、森田君に聞いてくれって。そんなことだから、森田君から嫌われるんじゃないかね?」
あー。丸投げか。そんで事なかれ主義か。
ため息が出た。
帰りに女子ロッカー室に寄ると、扉に『ビッチ』と付箋が貼ってあった。
ちょっと辛いな。転職しちゃおうっかな。