第6話 学歴詐称
仕事終わりに森田に呼ばれた。
「あなた、学歴詐称の疑いがあるんですって?」
何だそりゃ。
「ちゃんと、卒業証明書提出しましたけど。」
「でもほら、今どきそんなのいくらでも偽造できるでしょ。」
そんなの言い出したら、他の人だって同じことが言える。森田はちょっと濃い目の化粧を崩さないように、少しだけ口角を上げた。
「聞いた話だと、とても大学に進学できる経済状況じゃなかったらしいじゃない? 絶対学歴詐称だから調べてくれって。」
「誰がそんなことを言ったんです?」
「あー。それは言えないわ。守秘義務ってやつ?」
沢田かな。まあ翔子が貧乏だという話はあちこちに広まっているみたいだから、誰が持ち込んでもおかしくはない。
面倒だなぁ、と思う。コネ入社とか知られて特別扱いされたくなかったから、苗字が違うのを幸い黙っていたけど、もうばらしちゃってもいいのかも。
「まあ、佐藤さん美人だから。顔で採用されたのかもねぇ。」
女子のほとんどが二十代のこの職場で、多分三十代後半ぐらいの森田は居心地が悪いだろうとも思う。もしかして、総務課長の座を狙っていたのかも。しかし気の毒がってもいられない。
「そうかもしれませんね。」
これぐらいの反撃は許されるだろう。案の定、森田は鼻白んだ。
「大丈夫?」
森田が帰った後、人事課の坂井奈々子が、声をかけてきた。
「あ、はい。あの、入社式の時はありがとうございました。」
「そんなの全然。だけど、なんか微妙な空気じゃない?どうなってんの?」
「えーと。どう・・なってるんでしょう。」
翔子は困って小首をかしげる。説明が難しい。とにかく沢田が発端の気もするが、それだけではない。
「もうさ、コネ入社って言っちゃったほうがいいんじゃない?」
「そうなんですかねー。普通にOLさんがしてみたかっただけなのに。」
「大丈夫よ。藤沢主任だけじゃなくて、営業三課に弟さんがいるでしょ。普通に働いてるし。どのみち、総務って結構、腰かけ的な感じの部署だしね。」
そうなんだ。
確かに昔、早希子に「早希子さんみたいにバリバリ仕事したい。」と言ったら、
「壮太君と別れる羽目になるわよ~?」
と脅されたことがある。仕事が忙しくなるとすれ違いが多くなり、結局フェードアウトしてしまうらしい。それが嫌なら、退屈でも九時五時できっちり終わる仕事のほうが良い。しかしそうは言っても、少しはやりがいというか、役に立っている感が欲しい。
「一応、見かけたら予防線は張っとくけど。」
「ありがとうございます。」
お昼はお昼で、同じ総務課の浦野と広田以外はだんだん近寄ってこなくなった。
「なんかほら、先輩たちの恨みを買いそうなんだって。」
「佐藤さんのせいじゃないでしょ。」
「まあ~~~。あんまり美人なのも、辛いよねぇ。」
溜息出そう。
みんな社会に出たら、悪口とか仲間外れとかなしに、楽しく仕事にまい進しているのかと思っていた。母の亜希子がそうだった。毎日ナンパされて困るのよーとか言いながら、安月給のパート勤めを全力で楽しんでいるように見えた。藤沢の親戚もみんなそうだ。若干の愚痴はあるものの、仕事を楽しんでいるように見える。
自分は無理かもしれない。
「ここ、いいかな?」
隣の席に、すとんと座った人物がいる。
急だったので、思わず声が出た。
「あ、和にぃ。」
相変わらずのきらっきらである。髪の色は少し暗くしたものの、ふんわりパーマとおしゃれなスーツ。ネクタイは極小の青いクマが上向きと下向きに並んでいる。
「ここの定食うまいよね!俺ねー、バングラデシュでうっかりコーラ飲んだらさ、中に入ってた氷にあたって、死にそうになったよ。」
翔子は笑ってしまった。飲み物はペットボトル以外ダメだって、あんなに言われてたのに。
「オツカレサマ、藤沢先輩。」
「うんうん。いやー、すっかりOLさんだね!制服着ないの?」
一応制服はあるが、着ても着なくてもいい。受付の人以外は自由なので、みんな大体私服で来て、そのまま仕事をする。
「えー、残念。俺、意外にあの服好きなんだよ。俺が生まれる前の話なんだけど、バーバリーにデザインをお願いしたんだってさ。」
やっぱり急ぐのか、豚の生姜焼き定食をがつがつ食べながら、和登はそう言った。
翔子の同僚二人は固まっている。
「佐藤さんの彼氏・・?」
おそるおそる浦野が聞く。翔子はどう紹介したものか、困って肩をすくめた。
「あー。えーと。営業三課の」
「へへ。翔子ちゃんの彼氏でーす。よろしく。なんちゃって。海外の疲れがたまっててさー。どっか温泉でも行こうよ。兄貴たちと行ったんだって?いいなー。俺も行きたい。考えといて。後で連絡するから。じゃあね!」
和登は残りをがーっと掻き込むと、んじゃ、と席を立つ。
「どゆこと?」
広田が、和登の後ろ姿と翔子を見比べて、つぶやく。従妹だって内緒にして、とお願いしていたのを、どうやらすっかり忘れているらしい。
もうコネ入社だって言っちゃおうか。言って仲間外れは嫌だと思ったが、もうすでに微妙に仲間外れみたいだから、どうでもよくなった。
翌日には、藤沢兄弟を二股かけてると噂になっていた。なんなら+沢田の三股だとも。
やだなぁ。
もはや同期の二人も言葉数少ない。仕事はさらにちょっと増えていた。
帰りに見たら、ロッカーのドアに「泥棒猫」と付箋が貼ってあった。