第11話 反撃開始の鐘が鳴る
七月の下旬に、会社の創立記念パーティがある。
再従姉の彩佳にアナスイやジル・スチュアートもいいよ、と勧められたものの、結局早希子の手持ちのドルガバのドレスを着ることにする。
「早希子さん、好きよねー。ドルガバ。」
彩佳は笑った。早希子に似合うものは翔子にも似あう。丈は若干短くなるが、それも可愛い。
創立記念パーティに呼ばれるのは、藤沢商事の役員と、グループ会社、関連会社のそれぞれ役員たちである。そして親戚率が若干高い。
ミソノ繊維は会長の妹の嫁ぎ先だし、Fテクノシステムズは社長の兄の息子が代表だし、篠山鉄工は会長の義理の弟の会社である。役員の中にも、従兄とか再従兄弟とか義理の親戚とかが数人いる。
去年までは、翔子は学生という事で、パーティに表立っては参加していなかったが、今年は一応社員という事で「参加しなさい」と早希子に命令された。ちなみにまだ学生の諒輔が「えー。一人じゃつまんない。」とぐずぐず言ったら、「じゃああなたも出なさい。」と逆に出席する羽目になった。
会社の方は通常業務だが、お昼にふるまいで全員に折詰の寿司が出る。昭和っぽい。
誠司や和登は半休を取ってパーティの準備をするが、翔子は何となく休みを取りにくくて、早退でごまかそうとしたら、その日に限って書類のやり直しを命じられた。
「新人だからって、適当なことをやってもらっては困るよ。」
わざわざ課長に呼ばれて書類を渡されるが、そもそも見覚えのないデータの一覧である。
「あのぉ、これ私がやったのでは・・」
「河野君が、君にお願いしたって言ってたよ。まあ丸投げする河野君も悪いがね。とにかく早急に直して持ってきて。」
「でも私、今日は早退の届けを出しているはずなんですが・・」
「それ急ぐからね。直したら帰っていいよ。」
ああ、そうですか。
ふーん。河野か。河野ね。
ここしばらく胸を強調する服を着ている。あのデカおっぱいには、課長もノックアウトらしい。
データを見ると、ワープロ文書の中に埋め込まれた表の数値がおかしい。参照している元データは間違っていないのに。となると、それを基にして作られている表に問題がある。
表計算ソフトを立ち上げて眺めていると、なるほど、セルに埋め込まれているマクロの計算式がおかしい。調べて、計算式を訂正して、文書をプリントアウトする。それでたっぷり一時間半は使った。
もう、なんだかな。伯父様の会社かも、おじい様の会社かもしれないが、藤沢商事という会社を嫌いになりそうだ。
創立記念日明けに、翔子の異動の辞令が降りることになっているが、なんかもう辞めたい。
結局就業時間まで会社にいて、そこから急いで会場のホテルまで移動した。
服は先にホテルに預かってもらっている。更衣室で着替えて、メイク室で化粧と髪を直してもらう。ホテルのフロントで、バッグを預かってもらおうと向かうと、そこに人がいた。
「あらー。佐藤さんじゃない。何、そのカッコ。」
営業三課の原さん。えー。なんでここに。
「うっそ。まさかパーティにでるつもり?えー、バカじゃん。あれは上の方の人しか招待されないのよ。そんな気合い入れちゃって。やだー、ウケル。恥ずかしい~。」
指さしてけらけらと原が笑うのを、ため息で流して、翔子はフロントに声をかける。
「すみません、バッグを預かってもらえますか?」
「えーホントに? 一般社員が行くとこじゃないって。新人が何勘違いしてんの。」
フロントスタッフにバッグを預けて、翔子は原に向き直った。
「あのー。急ぐので、失礼しますね?」
「ヤバいわー。1年はこのネタで笑えるわー。」
笑いが止まらない原に、翔子は困って、まあ無視するしかないかと踵を返しかけた時。
「翔子ちゃん。何やってるの。」
誠司がやってきた。ドレススーツが良く似合う。
原がやっと笑いを収めて、手にしていた封筒を誠司に渡そうとする。
「主任!急ぎの書類を届けてほしいって言われて、部長から。」
「ありがとう。でもフロントに預けておいて、って言われたよね?」
誠司は封筒をすっとフロントスタッフに渡して、お願いしますと声をかけた。
「えー。そうですけどぉ。お急ぎだったら、直接お渡しした方がいいかな?と思いまして。」
「そう。まあいいよ、受け取ったから。翔子ちゃん、もうパーティ始まってるし、早く行こう。」
翔子をうながす誠司に、原は目を丸くする。
「えっ佐藤さん、パーティに呼ばれてるんですか?なんで?何かありました?」
一瞬、誠司はためらった。
「もう言ってもいいんだっけ?」
翔子はうなずく。どうせすぐ異動だし。
誠司は翔子をそっとパーティ会場に押し出すようにしながら言った。
「翔子ちゃんは僕の従妹だからね。ずいぶん笑ってたけど、気が済んだだろう。君はもう帰っていいよ。」
「えっ。」
絶句して立ち尽くす原を横目に、翔子は身を翻した。
まあ、これも一年ぐらいは笑えるネタになるかもしれない。