2話
天使とは、聖典や伝承に登場する神の使いであり、悪魔と対を成す存在である。人々を正しい道へ導くため人々に姿を現すと言われている。天使たちは神々によって作られ、物理的に肉体を持つが精神的、霊的存在に近い。頭の上に天使の輪が着いており、それが神に忠誠を誓っている証拠となる。天使は神の命にのみ行動し、その行動一つ一つが神の御意志である。
かつて、ある天使が神々に反逆した。その天使の名はルシフェル。完璧に限りなく近い
優秀な天使だった。天使は決して欲を持たず、神々の命令に絶対であった。だがルシフェルは欲を持ち、自らも神々に成り上がろうとした。しかし天使の中でも優秀なルシフェルでも天使は天使に過ぎず、神々には劣り、争いに敗れた後、堕天使に堕ち悪魔と化した。その後、名を変え仲間を率いて戦争を起こしている。のちに、天魔戦争と呼ばれる…。
何か見える。何か感じる。誰か苦しんでいる?崖から飛び降りて空に沈んでいく感覚を感じながら、着地地点の建物に誰かいるのがわかった。その時はなんとなくだけど助けるっていう感覚があった。何故かはわからないけれど。でも“そうすべき”だと思った。
石造りの建造物が見える。屋根が邪魔だな———壊すか。
ゴゴゴオオオオオオオオッッッ!!!
崩れる屋根。土埃で周りが見えづらいが背後にひとつ。目の前に二つの気配を感じる。その二つは以前にいた狼のような獣によく似た気配だった。僕は空中でとどまり、見下ろす。次第に土埃が晴れてきた。
人間…?振り返るとボロボロの服装の人間が瓦礫の横にいる。あぶない、飛び降りたときに巻き込むところだった。傷だらけの様子を見るに襲われていたのか?僕は目の前の二つの気配がする方へ視線を向ける。その姿は大きな体に牛の頭をしている二足歩行の巨体だった。獣というより違う生き物に見えるが、やはりその気配は狼の獣とよく似たものを感じる。同列のものなのだろうか。大きな武器を持ってこちらを警戒している。近づく様子はない。ならもうあの狼の獣のように吹き飛ばしてしまえばいいか。
また影の力を使う。影の腕を作り上げ、僕は影の腕を大きく薙ぎ払い、建物ごと消し飛ばす。建物が耐えられなくなり崩れ、土埃が舞い上がる。手ごたえはあった。獣は倒したようだ。二体とも上半身が削り取られ、散り散りになり今にも消えていく。あの天使のように全く歯が立たないようなことにならなくてよかった。というより天使が規格外過ぎるような気がする。やつは何者だったのか。
土埃が晴れ、月明かりに照らされる。空が広く感じる。そういえばあの人間は大丈夫だろうか。巻き込んでないだろうか。振り返り、人間の方へ視線を向ける。ボロボロだが問題はないようだ。人間は不安そうな顔でこちらを見ている。こういうときなんて声をかければいいのだろう。
「…怪我はない?」
とりあえず手を差し伸べてみる。人間は静かに僕の手を取り立ち上がる。この状況に混乱しているのか何も言わない。足を怪我しているのか素足のまま震えている。顔を見ると少し汚れている。必死に逃げてきたのだろうか。
すると、人間は口を開き僕に問いかけてきた。
「…天使様…なのですか…?」
…何を言っているんだ?僕のこの姿が見えないのか?白い素肌。黒い羽。影を操るヒトガタ。黒く虚ろな眼光———。人間の問いに対し、僕は答える。
「僕は悪魔だよ?」
「いえ、あなたは天使様です」
僕の返答を無視し、泣きそうな顔をしながら震える手で握り締めてくる。僕が天使?あんな猛攻を仕掛けてくる化け物と一緒にしないでほしい。
「天使様…お願いがあります。私のおねえちゃんを助けてくれませんか…?」
「…え?」
聞くとこの先にある森を抜けたところ———月の聖堂という、この場所とは別の場所から逃げてきたらしい。その場所にこの人間の姉が逃がすために一人残ったらしい。困っている様子。なんとなく、この人間の願いは叶えた方がいいと、そう思った。さっそくその聖堂へ向かうため案内してもらうことにした。
銀髪の人間、彼女の名前はルピナス。聖職者をしているらしい。その背丈は僕と同じぐらいの小柄、大体8~10歳というところだろうか。人間の成長は遅い、か弱い身体ではできることは少ないだろう。祈りというのは何かに縋る行為だ。その何かに祈った彼女に答えるように僕が上から降りてきたようだ。それで神が天使を寄こしたと思ったらしい。しかし、彼女に自分は悪魔だと何度も言うが———。
「いいえ、あなたは私を守ってくれた天使様です」
と、僕の言い分を聞かず一方的に崇拝してくる。思わず頭にハテナマークが浮かんで儘ならない。僕の容姿をどう見て天使だというのだろうか。天使というのは白い羽、金髪の髪、そして天使の輪を頭に浮かべている者だ。それに比べて黒い髪、光がない黒い眼光、そして黒い羽。圧倒的に間反対の容姿だというのに。そういえば僕を殺した———いや襲ったあの天使に輪っかはついていなかった。やつの正体がもっと曖昧でわからないものになってきた。考えるのはやめよう。今はまだ。また襲われようというなら、勝ち目はないのだから。次、命があるとは限らない。
月の光が通らない暗い森は異様な霧で充満していた。それはあの目覚めた洞窟にあった黒い木の門、そこから出ていた霧に酷似していた。この先にあの時と同じようなケモノがいるのだろう。
ルピナスから彼女を襲っていたケモノについて知る限りのことを教えてもらった。あれは“牛頭のデーモン”という名の“ケモノ”らしい。ケモノというのは“穢れ”に蝕まれた者の成れの果てらしい。穢れというのは人間に感染する疫病のようなもの。この森を包む異様な霧が穢れを起こし、穢れに侵された者は理性を失い、人で無くなるという。その姿はもはや魔獣であると。先ほど消し炭にした牛頭のデーモンも元人間だった。特に罪悪感はないがこの霧に包まれている森を抜けようとしている彼女も、彼女の姉も大丈夫なのだろうか。
それについて、ルピナスはこういった。
「姉は聖者と呼ばれ、穢れとケモノに対して高い対抗があるのです。私も聖者———と言っても見習いみたいなものですけど、この霧の中でもある程度活動できます。元々、聖者と呼ばれる私たちは白巫女という人と関係があって、そのおかげで穢れに抵抗できるそうです」
白巫女と呼ばれる人の関係がある聖者は穢れに対して対抗のある体質をもつらしい。それならば安心だが、ルピナスを逃がすために一人残るということはそれだけつらい状況だったということだろう。なるべく急いで向かうとしよう。
月の聖堂に辿りついた。礼拝堂より一回り大きい。この地下に件の発生源、黒い木の門があるらしい。彼女たちはとある研究をしているこの地下に用があり尋ねたが、突然門が発生。そこからケモノ共が湧いて出てきたという。多種多様有象無象。その光景は想像も思い出したくもないだろう。
すると、手元の破片。あの黒い木の門の破片が震える様に反応している。森を抜けるときも聖堂へ近づくたびに反応していた。これについて、一つ思い出したことがある。きっかけは、森の中で同じように破片が反応したとき映像がまた、フラッシュバックしたのだ。それは自分と、ある人物との会話だった。
「先生。あれはなに?」
「あれは黒い森の入り口。黒い森と呼ばれる場所に繋がる門だ。黒い木で出来たあれは人間性を多く含んでいる。あの入り口の先、黒い森はわからないことが多い。私でも知らないことばかりだ。知っていることがあるとすればあの森には森を守る化け物がいると言われていることと、異常現象が蠢いているということだけ」
「現象が蠢いている?」
「そう。それは生命体だけではない。異常な現象。幻想体と呼ぶべきかな。そういう者達が蔓延っているんだ」
その会話はとある部屋で行われていた。おそらく何年も放置されているだろう埃を被った部屋。大きい三角帽子を被り、マントを羽織る、僕が先生と呼ぶ者。そして———あの門を見た。あれは黒い森と呼ばれる場所に繋がる門、入り口だ。先生に教えてもらったあの門の正体。黒い森の入り口。おそらくそれが穢れの発生源で間違いないだろう。それを壊しさえすれば僕が目覚めたあの洞窟にあった門のようにこの暗い森を覆う霧も消えるはず。方法は確立した。ならば実行するのみ。ルピナスを連れて、彼女の姉がいる教会の地下へと向かう。
地下へ扉を破り、長い暗い道を松明で照らしながらゆっくり進んでいく。その間、彼女の姉について詳しく教えてもらった。名前はルプス。聖者と呼ばれる聖職者———修道女であり刺突系の軽大剣の剣技を扱う。姉妹そろって修道女の服装をしているそうだから一目見たらわかるだろう。白巫女と呼ばれる者の関係者であり、聖なる力を扱う、ケモノを倒すことが出来る数少ない戦力。らしい。どうやら穢れの被害は大幅には広がってないらしい。国はこれを疫病の一つとして報道し、詳しい情報を隠して対処するつもりらしい。しかし、解決策がなかなか見つからず、手を打てるのははケモノの殲滅と聖者の存在のみ。それほど聖者という人材は貴重らしい。
嫌な雰囲気を感じる。霧が濃くなってきたようだ。そろそろ近いだろう。重そうな扉の先から気配を感じる。———ケモノの気配。
僕はゆっくりと、扉を重く開ける。そこには少し広い空間が広がっていた。一目で見えるのは大きな柱が六本、奥に大きい女神像のようなもの。歪に光る黒い森の入り口。そして———ボロボロの修道女の格好をした背中姿。細身の剣を持っている女性。おそらく彼女がルピナスの姉、聖者ルプス。
「お姉ちゃん!!」
ルピナスが手に持っていた松明を投げ捨て、ルプスに駆け寄る。しかし、僕は嫌な感じがしていた。ケモノの気配。非常に濃い穢れ。それを感じ取れるのは元凶である黒い森の入り口ではなく———ルプスの方だった。
「待て!」
僕の声に、ルピナスが全速力で走らせていた足を止める。彼女も自分の姉の変化に気づいたようだ。人の形を保ったまま放つ異様な穢れに。
「…おねえ…ちゃん…?」
震えた声で姉に問いかけるルピナス。しかし、それは儚く届かないものだった。あれは殺意を自らの妹に向けている。普通じゃない。ルプスがこちらに振り向く。その似たような銀髪から姉妹であることを察せられる。しかしその容姿は血の気のない、死人のような灰色の肌。赤い眼。見た目からも人間味を感じることが出来なかった。
『…守ル…たメに…通サ…なイ…ナにモ…』
目が合った。あの暗い目と。殺気。背中から骨のような羽が生え、ルプスはそのボロボロの体で剣を構えた。
———穢れに飲み込まれた聖者との戦闘が始まる。