89話 聖域陵侵入
妖界の世界は途轍もなく広いです。
しかし、300キロってどれぐらいで走れるんでしょうか?
普通は10日以上掛かる道のりを走って進むとなると……幸助達の行動はかなり無謀です。ま、身体能力が高いこの2人ならいけるでしょうけど。
雪姫が影に入れない理由、後に判明しますので楽しみにしててください。
雪姫と戦う相手は皆んなが氷の中に収まっていた。
刀を使わなくとも、雪姫の実力はかなりのものだ。妖怪の中でも知名度がある分、名のない妖怪じゃ歯が立たない。それを実力で示し、無力化する雪姫は本物だ。
相変わらず、雪姫は恐ろしい強さを持ってるな。
「おいオマエ!美味そうだな⁉︎」
大柄の男が雪姫に立ちはだかる。雪姫はすんとした態度で答える。
「これを見て分からない?あなたは勝てない」
「なんだと⁉︎このオレ様が小娘の妖怪に負けるというのか‼︎」
男は激怒し、手に持つ斧を振り下ろす。
雪姫は避けず、刀を片手に抑える。
鈍い金属音が響き、男はたじろぐ。
「馬鹿な⁉︎この斧を容易く止めただと⁉︎」
「これが本気?だとしたら……私達を襲うのは間違っているね。最後の忠告、即刻立ち去りなさい」
慈悲をかける雪姫。男はそんな言葉に更に感情を昂らせる。
「ふざけやがって‼︎誰が低俗な女に従う男がいるんだ⁉︎殺してやる!その首を刎ねて見せ物小屋に売りつけてくれるわーーー‼︎」
スイングして斧を雪姫に投げつける。
後先考えず行動する男を見て、雪姫は静かに冷気を全身から放出させる。俺の方に振り返り、雪姫は淡々と言う。
「教えてあげる幸助、私が言いたいのはこういう事。先を視ず、目の前の欲に従う存在の末路は……こうなる」
雪姫に当たった筈の斧は砕け、雹のように氷となって散らばる。
斧を投げた男の体が氷に覆われていく。
「何が…どうなってやがる⁉︎体が、麻痺して動けねえ……」
「あなたは私に欲を吐いた。それに相応しい最期を与えたに過ぎない。欲を実現出来ない者に未来はなく、その身に有り余る不満があなたを凍らせる。数分で魂までも氷に覆われ、砕かれたが最期、あなたは地獄へ堕ちる。過剰な欲の妖怪に慈悲は要らない。さよなら」
雪姫は相手の欲を凍らせた。
雪姫の妖術の一つ『禁欲の砕氷』により、発散のできない欲望を凍らせ、体全体に欲望を巡らせる。すると、感情任せに攻撃しようとした相手の全てを凍結させ、全身の自由を奪う。
感情由来の欲望を刺激して相手を倒す技、俺は雪姫の妖術の怖さを知っている。
ちなみに、俺もこの技が使えるからそう名付けた。
これを見せられると、俺は雪姫に反抗する気が失せるのだ。
雪姫は俺に寄り、冷たく言う。
「あなたは化け狐だけを追っている。咎めはしないけど、その為だけに行動しない事。いい?幸助は化け狐に用意された任務をこなすのが目的じゃない。人間性や守る術を身に付けるのがこの旅の目的。この森に入る前に誓って」
突然の約束を取り決めようとしやがる。
断ろうとは思ったが、俺の為を思っての行動だし、何よりも、さっきの光景を見てからじゃ反抗するのも仕方がないと思った。
拳銃で脅された気分だ。逆らうなと言われているようなものだな。
「…分かったよ。あんたの言う事は正しいよ」
俺はうんざりした気持ちで言った。しかし、雪姫は満足しない。
「目を見なさい!鬱陶しいと思うのなら進まない。このまま、此処で野宿する?」
「あんたはお母さんか⁉︎」
「お母さんではない。あなたを保護するだけ」
「いや…だからどっちも同じだろ?」
お母さんと保護者は一緒だろ。
雪姫は俺のお母さん的立場なのかと、変な事を考えた。
まあ、雪姫をお母さんとは見れねえよ。
俺は馬鹿な妄想を振り解き、ちゃんと気持ちを入れ替え、答える。
「ちゃんと俺の為に動くよ。來嘛羅を追うだけじゃないと誓うぜ?」
雪姫は納得し、目を瞑って頷く。
「うん…そう言ってくれるなら信じてあげる。もし、化け狐に釣られるような行動をするのなら、その時は、幸助を好きにさせて貰う」
そういう『契り』だもんな。
俺を好きにするって、一体、雪姫は何を頼もうとするのか?今は気にする必要はないな。
雪姫なら怖い事にならずに済む。俺はそう信じているから、『契り』を迫ってまで結んだんだ。
「約束だもんなそれが。雪姫は俺が破ったら、俺は雪姫に好きにされる。別に取って食わねえだろうから信用してるぜ」
「……そうね」
謎に溜めた返答をする雪姫。特に表情は変わらず、いつも通りの冷たい表情。
しかし、俺は見逃していた。
雪姫が薄ら笑いをしていたことに………。
清樹の茂る森に入り、数十分で雪姫に変化が現れる。
雪姫が体調不良を訴え、自力で立てなくなるまで悪化した。すね子と同じような症状で、雪姫は地面に座り込む。
肩で息を吸い、熱を出したように頬や額が赤くなっている。暑いのか、雪姫は服を緩め、風通しを良くしようとする。
「ごめんなさい……。力が入らなくなってきた」
「大丈夫か?すね子はもう気を失ってる。この森、遠回りした方が良いんじゃねえのか?」
雪姫が息を切らし、体を埋める姿は弱っているようだった。俺は体の妖力が抜けてはいるが、あまり疲れは感じられない。
妖怪を寄せ付けない森であると同時に、妖怪を弱体化させる厄介な森である。
「駄目…この森を通過出来れば10日も要らずに抜けられる。ただ広いだけで……」
喋るのもしんどいみたいだ。妖力が吸い尽くされるのはごめんだ。
雪姫が悪いなら仕方がない。
「無理すんな!あんたが動けないんだったら、半年掛けてでも行くぞ‼︎」
「そんなに掛けたら…幸助が辛いだけ。私は、幸い、妖精だから生気を持ってる。幸助が近くに居れば……っ、問題ない」
俺は提案するが、それでも雪姫は頑固として退かない。生気など持っていないのに言い張るあたり、かなり言いくるめるのは無理があるだろう。
どうしてもこの森を通過したい意思がある。叶えてあげたいが、雪姫が苦しむ様は見たくないのが本音だ。
敵は見えないが、人間がこの森に居るのかも知れない。助けを呼ぼうと考えたが、居ないと考えた方が良いのかもな。
俺は少し考え、紗夜にお願いした。
「おい、すね子を影で休ませてやれねえか?こいつが一番重症だから安静させてえんだ」
影から顔を出し、紗夜は俺を見て不安な顔をする。
「い、入れるんですか…?」
「当たり前だ。この森、さっさと出るにはあんたの力が必要だからな。なるべく、最小限で最短で最速で行くんだよ!」
この森は歩けば10日は掛かる。だが、それは歩けばの話であって、走ればかなり短縮できる。
多分、4日まで短縮出来るというのが、俺の考えだ。
雪姫も影に入れ、俺と悟美で全速力でこの森を駆け抜ける。
こうすれば、問題なく森を通過できる。
「駄目幸助…。この森の中では、感知が出来ない。幸助も多分…」
「はぁ⁉︎なんだよそれ」
俺は試してみた。俺も感知能力は多少なりとも使える。冷気を使った妖術で辺りを探り、感じ取る。
しかし、今は全く機能しない。
雪姫の言う通りだった。俺の感知は何も反応しない。それどころか、俺の妖術全てが封じられている。
人間であるから倒れるとはいかないが、俺は実質戦力外となったと理解してしまった。
「っ…じゃあ、敵も分からねえってことか⁉︎」
「そう……だから幸助、悟美とあなただけでは抜けられないかも知れない」
なんてことだ。危険があったら終わりだぞ⁉︎
死ぬ未来はないと言っていたが、仮に、もしも仮にだ。人が俺達を襲ってくるのなら、相当危険になる。
俺が死なないだけで、雪姫や他の皆んなが死なないとは言われていない。
俺のせいで巻き込まれるのはごめんだ。
「悟美、あんたがこの森を走ったらどれぐらい掛かる?」
俺は悟美の疲労具合を聞く。
「私は問題ないわ。全然走れるから行けるわよ。そうね〜大体2日なら着けるかしら?」
「なら問題ねえな。雪姫、紗夜に影に入れてもらえ」
俺は雪姫を立ち上がらせ、紗夜の能力で潜らせる。
雪姫が足を踏み込んだ瞬間、影が雪姫を押し返す。
紗夜自身が拒んだのではなく、影が雪姫を拒んだ。紗夜は怖い形相で影から顔を出す。
「痛っ‼︎コウスケ君、何を入れようとするのですか⁉︎」
「そんな筈は……クソッ!何があったんだよ⁉︎」
「し、知らないです‼︎兎に角、その人は無理です!」
そう言って、紗夜は悟美の影に潜ってしまった。
原因不明な事態に、俺はヤケ糞になる。
「舐めんなよ!なんで雪姫が入れねえんだよ‼︎ウゼェ…」
こんなお荷物になるなんて思わなかった。遠回りも断るし、影も断られちまった。
あー!これしかねえよな‼︎
俺は雪姫を背負う。
恥ずかしさを殺し、強い我慢を強いられるが背に腹はかえられない。
雪姫が不意に背中におぶられたのか、久しぶりに照れを見せた。
「なっ⁉︎何してるの幸助‼︎降ろしなさい‼︎」
俺ががっしり背負った為、力のない雪姫では抵抗ができず、口だけはよく動く。動こうとしているが、思ったよりも非力だから扱い易い。
おんぶ……この歳でやるのは恥ずかしいな…。
「煩えよ、俺も我慢してるんだよ。雪姫がこの森で動けないんだったら俺と悟美が走って行くしかねえだろ?影に入れないし」
「それはそうだけど……この背負い袋みたいな扱いは…」
「仕方がねえだろうが。嫌なら今から遠回りして森出るぞ?」
さっきの約束させられたことに、別に腹が立っている訳ではない。
雪姫が俺を過剰に保護するもんだから、偶には強気で言わねえと割に合わない。頼りにされたい、そう思ったのもあるが。
「……」
「文句あるならホントにするぞ?」
「ううん、幸助がそうするなら…文句はない」
「なら、しっかり捕まってろ。俺、人を背負って走ったことがねえからな。森出て倒れちまったら、後は介護頼むぜ」
「うん…その時は任せて」
完全に険悪な雰囲気は解かれ、俺達の仲に亀裂が入ることはなくなった。
悟美も準備は済まし、いつでも走れる状況だった。
俺の身体能力は瞬発力に振っているのがあるから、長距離は走り切れない。その時は、数時間の休憩を挟みながら進む。
森を抜けるまでの距離は約300キロ。1日30キロメートル歩くならこうなる。走った場合、それの半分以下と思えばいい計算だ。
悟美だけなら、この森を2日もしないで走り切れるとのこと。俺は頑張っても3日は掛かる。
肉体が可笑しくでもなければ過度な消耗で死ぬだろう。
「幸助君、ちょっといいかしら?」
悟美が俺の胸を触る。
その直後、一瞬、電気が走ったような感覚が襲い、俺は急いで引き退る。
「っ……」
「ちょっと神経と内臓を弄ってみたわ。これで疲労と負担は麻痺して寝ずに走れる筈。オーバーしちゃったらバイバイだけど」
俺は能力で体の感覚を狂わされた。痛覚や背負っている感覚、足の疲労が全てなくなった。
疲れが吹き飛んだ訳ではない。ただ、麻痺させられて感覚がないからだけなのだ。
《狂乱》は能力や妖術以外にも作用するみたいだが、随分と便利な使い方だな。
「シシシッ!驚いてるわね〜!この森を早く抜けて、古都に行きましょ?」
「今回は助かったぜ。ありがとな悟美」
俺は礼を言い、二人で一緒に森を全速力で移動を開始する。




