82話 醜い妖怪
妲己と褒姒は同じ中国妖怪です。そして貞信がやってしまった事は妲己を更に歪める要因となっています。実は“災禍様”に属する褒姒と華陽夫人は今は有名ですが、数百年前だとそれほどでもないですし、『九尾狐』に属するからそう言われているに過ぎません。それに戦闘能力は高くないため、一章で悟美と戦った貞信に討伐されています。妲己ぐらいだったら貞信は即死だったことだけ伝えておきます。
幸助達が妖都を出発してから数日経った頃、幸助達の噂は妖界全土に伝わる。
閻魔大王の情報開示により隠すことなく情報が行き渡り、他の者達に伝わる。
罪人の情報はこの世界ではよく開示されることがある。そう珍しくはなく、地獄行きを免れた人間や妖怪は情報が筒抜けとなる。
現に数千以上の罪人の情報が公開されており、それらを把握する。
だが、幸助のような罪罰は極めて稀な故、多くの者に目が付く。
異能や特徴が明かされたことで、妖怪は動き始めていた。人間の異能は開示されてしまえば脅威ではなくなると考える妖怪が多く、人間を喰らいたい純妖は幸助を真っ先に狙う。
妖怪が人間を食べる理由、これには理由が幾つかあるが、それらは根拠のないものばかり。
人間を食らえば異能を奪える。これは全くの噂でしかない。真実を知るのは太古の妖怪や元太古の妖怪に属した妖怪だけ。
妖怪が力を得る方法としては正しいが、そんな程度で異能を獲得するのは不可能である。異能ではなく、力を得るのなら食べる以外に加護を与え、人間から生気を永続的に提供して貰う方法がある。
加護は妖怪にとって都合がよく、人間の潜在能力や異能に働きかけるという人間にしか利益のないように見えるが、その実態は、妖怪の異能耐性や強さに直結する恩恵を得られるという妖怪側の利益もある。
また、加護を与えた人間を監視するという事も可能だが、それは人間に執着していればの話である。雪姫は幸助を心配するがあまり、加護を与えた頃から幸助の居場所を常に把握する。
怖い話であるが、これが雪姫の安心する理由なのである。
それを知らぬ妖怪は、人間を自分の力とするために食らう。加護を理解しない妖怪は多く、名のない妖怪の大半は、本能のままに人間を襲う。
他の者が動き出す中、特に活発に幸助達の動向を知りたい妖怪がいた。
古都:霊脈の守護者である妲己が刺客を放っていた。華名と夜叉を向かわせたが、心許ないという苛立ちから、自身の配下を放った。
これは來嘛羅の命に背いており、完全に幸助という人間を亡き者にしようという強い殺意の表れである。
不満というか、疑問を口にして妲己に尋ねる褒姒。
「失礼承知でお聞きします。來嘛羅様の言いつけを守らなくてよろしいのですか?」
「何処だ?何処にいる‼︎松下幸助とやらはまだ見つからないか!刺客は何をしている⁉︎見つけ次第、八つ裂きにしてくれるわ‼︎」
この行動の意味を問う褒姒。だが、その言葉に耳を貸さず、暗い仕切りの中で『千里眼』で刺客達を見ていた。更にはご立腹という有り様。
妲己は人間を信用しない性根で、妖怪も人間も目障りとしか思わない。
「あの…まだ松下幸助という人間の方が旅立ってから数日しか経っておりません。例え、古都に直接向かっているとしても数ヶ月は掛かります。妖都からは大分離れておりますし、ここは大人しく様子を見るしか……」
褒姒は妲己の焦りが早計だと絶対に不可能だと言うのだが、妲己は褒姒に意識を向けない。それどころか、ますます機嫌が悪くなっていく。
「早く着けこのノロマが!後2日以内に着かなければ焼いてしまうぞ!ワレの腹の虫は収まらん!あの女がいる限り、ワレの怒りは収まらない。せめて、寵愛するという人間を始末してやらなければ癪だ。不快…不愉快だ‼︎」
一刻も早く、幸助を亡き者にしようと目論む。
妲己は來嘛羅を快く思わず、殺してしまいたいと強い憎しみを持つ。
それは執着心と嫉妬心、羞恥心から生まれた殺意であった。
憎む理由があまりにも多く、妲己は來嘛羅が妖都から立ち去った後、密かに暗殺計画を目論んでいた。
「…すいませんが、わたくしめの言葉にも少しは耳を傾けて下さい」
褒姒は妲己と來嘛羅の関係を最初から聞かされているただ一人の妖怪。妲己は褒姒にだけは本音を打ち明けている。
それは、自身と同じ立場であり、唯一、気の知れた者だからである。同情も混じり、褒姒だけは特別心を許していた。
だが数百年前、褒姒は佐藤貞信により倒され、一時的に領域と生前の記憶を失ってしまった。妲己と同じ混妖であるがため、一度死ねば全ての人格を失い、新たな存在として『褒姒』として転生する。
それからというもの、妲己は褒姒に同情しなくなり、全くと言っていいほど会話をしなくなった。必要なこと以外、二人は言葉を交わさなくなったのである。人がいれば敢えて話す事もあるが、それはただの気紛れに過ぎない。その時の感情次第で大きく異なる。
命令と理不尽な暴力が褒姒に襲う。それが唯一の会話となってしまった。
恐らく、妲己が本格的に來嘛羅を殺そうと企んだのは褒姒が死んだ後からである。その原因となった『九尾狐』を強く怨んでいる。
「どう料理するか?刺客が失敗すれば殺せば問題はない。あんな妖怪に価値などないし、ワレのご機嫌を取ろうと詫びを入れようと泣き願い出るだろう。その時は串刺しでもなんでもくれてやる。捕まえれば今後もこき使ってやろう。どうせ妖怪なんか死んでも生き返るからな」
情が歪んでしまった妲己は、憎しみを憎悪させたことで暴君と化していた。
ただ、望んだことを為すがために暴威を振るう。敵にも味方にもそれは振るわれ、いつしか、太古の妖怪である“四霊神獣”は愛想を尽かすように古都を去った。
「早く人間など死んでしまえば良いのだ。華名という女も所詮はワレに臆する愚者。夜叉はまだだが、いずれはどう殺してやろうか?ククク、その時は容赦なく食い殺してやるか……クッハハハ!面白いな、従ってきた相手を殺され、その仇討ちで怒り狂う奴の顔が見えるわ!」
華名と夜叉を殺すというのも考えている限り、もう手遅れな状態である。信用がなく、ただ自己満足のために勝手な命令を与えたに過ぎない。
本当に華名達を信用する方が馬鹿だと、最初からわざと向かわせたのだ。
いずれ帰ってくるであろう二人をまとめて始末する腹である。理由は、目障りでただ殺したいからである。
「人間に肩入れした奴は死んで貰わなくては。勝手に人間を古都に連れ、ワレの腹を立たせた罪は大きい。本当はこの町にいる人間を皆殺しにしたいほど気が立つが…まあ良い。いずれはあの女が死ねば全員殺してやるがな」
「……はぁ」
思わず溜息を吐いてしまう褒姒。
あまりにも理不尽な理由に本音を漏らす。
(くだらない思想です。わたくしめに記憶さえあれば、妲己様は自分を失わずに済んだ筈…。そして、わたくしめが來嘛羅様との情報共有しているのも良くは思わない。いずれはわたくしめも妲己様に始末されるでしょうし、覚悟は決めておきましょう。ですが…)
昔の妲己を知らず、今の妲己を知る自分はなんなのかを考えることが多い。存在意義がわからない自分がいることを知覚し、今日まで仕えてきた己を疑う。
(わたくしめは人に望まれて生まれてきた。これは紛れもなく事実です。そして、妲己様とわたくしめ、華陽夫人は同じ妖怪でした。もし、妲己様が心優しいお方でしたら、こんな気の狂うお方にはならなかった。残念でもありますが、わたくしめはそれを面白く思ってしまいます。多分、『褒姒』という妖怪であるわたくしめは歪んだ気質の持ち主なのでしょう…)
自分の伝承を呪う妖怪は当たり前のようにいる。褒姒もまた、自身の伝承に疑問を抱くことがある。それと、自然に同じ『九尾狐』に共通する疑問に行き着く。
褒姒は静かにこの状況の行く末を見守る。それが、來嘛羅から与えられた願いだった。
しかし、自身の良心がそれをよく思わなかった。
褒姒は古都を抜け出す隙を窺う。




